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『流れ続けし俄か川 』
夏軌・玲陽5454)&治貴・圭登(5466)&(登場しない)

 学校のチャイムが鳴れば生徒という生徒がどっ、と洪水のように教室から流れ出てくる。
 春が過ぎ夏の兆しが見えてくるこの季節は土地柄もあり、梅雨のじめじめした暑さがどの生徒の身体をも不快感の塊である汗を流させ、あと一時限、午後の授業を受ければ帰宅部となる夏軌・玲陽(なつき・れいや)も風になびくような柔らかい茶色の髪を湿った空気に委ねながら生物室の扉を開けた。

「よーっし! 今日もあといっちじかんー! 頑張ろうな」
 次々と同じ教室から出てくる生徒は皆玲陽とは友人のようなもので。
「相変わらずだなー、お前は。 まっ、頑張ろうぜ」
「よしよし、その調子!」
 中には矢張り玲陽の態度を軽率だと言う者も居たがそれを完全に表立って言う者も相変わらず居なく、あくまで好意的に接してくれる数人とじゃれあうようにして移動教室の終わった廊下を、走る一歩手前まで速度を出しながら軽快に駆けて行く。
「おいおい、あんまり走ると先生に怒られるぞ」
 男数人、まだ少年らしさを残した女子生徒も混ぜて次の教室へ向かう玲陽達の後ろを歩く漆黒の髪の生徒。 背の高い身体の殆どは足で出来ているようなものだから走っているわけではなくとも速度のある玲陽にすぐ追いついてしまう、治貴・圭登(はるき・けいと)は少しだけ微笑んで、前を行く生徒達に話しかけるものの。
「いいじゃん。 グレーゾーンだって、この程度はさ」
「―――…そうか。 そうだな、玲陽」
 玲陽の明るい声が圭登を制す。
 同時に、同じく玲陽と共に歩いている生徒達からもまるで生徒会長のような生真面目な圭登の言葉に良いではないかと言う声が半ば冗談のように明るく飛び交った。
「ああ、もう好きにしろよ。 次は教室だぞ」
「はいはい」
 親友同士の他愛無い会話が仲間達の間で行われる。躓くことの無い玲陽の足取りのように軽く返される言葉に誰も、何も言う事はない。

 そうだ、圭登は玲陽が好きなのだ。
 友人としては多分勿論、けれどそれだけではなく少年が少女に恋をしてしまうようにごく自然に目を惹くものなのだろう。恋愛とは、確かに奇妙な感覚のまま付き合うわけでもなく玲陽から何かを言う事も無く自然消滅のように消えて行ったのだ。親友という元の形に、多少歪な元の形に。

 何人もの足音が、近い筈の玲陽と圭登の距離を離していく。振り返らなければ決して見えない距離に圭登は居て、梅雨の重なったこの気候で曇り空が校内を更に暗くし、蛍光灯の光では最早心の灯りまでは灯せない程に暗く妙に浮き立った生徒達の足音。
「治貴君、早いね。 追いつくの大変だったよ」
「ん、そうか?」
 バタバタと歩く廊下がまるで無限に続く回廊のように、後ろの圭登の言葉に玲陽の瞳だけが凍りつく。
「ん、ごめん。 俺ちょっと用事思い出したわ。 先行ってて」
「えー、マジかよ…。 さっさと来いよ!」
 止まれば自然と圭登が、もう一人の生徒と並んで教室に向かうその足に追い抜かれてしまう。
 圭登と同じように玲陽も一度は恋をして、想いを告げる事も返事を貰う事も無かった相手が親友という歪な関係の黒髪と共に教室に行く姿を瞬き一つしないでただ見つめる。
(あーあ、なんでこんなウマくいかないんだろうな…)
 背中が、圭登とその隣の生徒の背中が川を流れるかのように、教室へと向かう生徒の波に呑まれて、玲陽の視界から次第に小さくなってゆく。
(なんか、石みたいだね。 俺)
 動かずに流れを見つめ続ける自分はさしずめ川底の石だろうか、自嘲気味に考えて口元が弓の形にしなった。
 川原の小石が小さく丸いのは水の力に流されて、転がって、どんどんと角が取れた姿なのだという。ならば、今ここに居る玲陽もこの波に乗って転がって。
(最後には何も無くなってただ丸くなってんのかなー…)
 それもいい。不快感を感じる事全てを忘れられるのならば、丸くなった石のように何処かでひっそりと。

「玲陽、おい。 遅れるぞ…」
「―――…なんだ、治貴か」

 残念ながらこの流れは水のそれではなく人の波だ。
 わかっている、けれどこのまま波から離れて少しだけ観客的に自分の意識を彷徨わせていたいと願った玲陽の考えはあっさりと、同じように波に逆らって戻ってきた圭登に連れ戻された。
「なんだ、はないだろ。 遅れるぞ…」
 昔、まだ親友の形が綺麗に澄んでいた時もこんな事があっただろうか、目の前に来た圭登の側に玲陽の想う生徒は居なく、ただ眉間に少し皺を寄せる背高のっぽが居るのみ。
「お前だけ戻れよ。 俺はちょっと一人になりたいの」
 どうせいつも遅刻の常習犯なのだ、少しくらい教室に行くのが遅れたとしても教員の小言と生徒達の笑い声につつまれるだけだ。いや、そのまま帰ってしまってもそれはそれで何事もなかったかのように明日、学校の前で笑う自分が居るはずだ。
「ほら、行けって」
 投げやりにそう言って圭登の腕を押し返す。
 そういえばまだ、玲陽が圭登の告白を受けた頃はこんな風に乱雑に言い放って彼を追い返した事もあっただろうか。勿論、二人だけの時だけであったが、それでも何故形は違えども今、この時に二人きりになってしまったのかと波に逆らってしまった後悔が脳裏を過ぎる。

「玲陽、あまり遅刻ばかりだと…ッ!」

 ああ、とうとう腕を叩いてしまった。
 玲陽の頭が普段の明るさから妙に暗く、深い水底に沈んでからようやっと。圭登がもう一度教室へと誘った腕を無表情で叩き落してしまった事に気付く。
 チャイムという名の合図が鳴った時とは違う、静かな廊下に響く腕のぶつかった、少しだけ乱暴な音。
「行けよ、あの子のトコ」
 圭登の腕を弾いた力は乱暴だったというのに、妙に冷静な声が玲陽の口から出た。明るさも無ければ暗さも無い、ただ向かい合う相手がここに居る事を不満に思う言葉だけ。
「あー、もうホンットやめて欲しいんだけど」
 何を。それは多分、玲陽の思考がどんどんと何かとてつもなく大きな感情の波に呑まれてしまう事が。圭登の言うまでも無い自分への想いが聞こえてしまうからで。
「玲陽、今は…」
「ん、そんな事言ってる時じゃないって? ああ、そうだね。 でも」
 どうせならもう切り離してしまいたい、自分の想いと圭登の想い。けれど切り離してしまうにはあまりにも間接的に繋がり過ぎていて、玲陽一人どうした所で全て丸く収まってくれるわけではない。
「そろそろ答え出してあげたっていいんじゃね? 俺の事じゃなくてさ」
 知っている、圭登が玲陽を想うあまり、その『いい人』な人格であるあまり告白してきた生徒には曖昧な返事しか返していない事を。
 確かに学校の噂になるような事ではなかったが、人の心を読む能力や想い人への目線もあって玲陽は圭登の行動、告白されてからどう対処しているかなどは手に取るように分かった。
「それは…玲陽…」
「俺には関係ない、って? いいじゃん、俺達もイロイロあった事だしさ」
 言葉がまるで本心というより勝手に音声だけを紡いでいる気分だった。自分はそこにいるのに、夏軌玲陽その人物の頭を見ながら本人はそこでじっとこの光景を目にしている。

「付き合っちゃえよ、あの子と」
「何言って…」

 そうすればいい、一人で圭登を嘲笑するようにして結論を言う自分を玲陽は茶色い頭のその上から見てもう一度、自分自身の視界から漆黒の瞳と同じ髪色をした生徒、圭登が目を見開くのを見た。
 そもそも圭登が自分に恋愛感情を抱いて、玲陽が別のしかも同じ感情を、抱かれている人物と同じ気持ちを持ってしまったのだから、諦めていたい。
「可愛いしさ、お似合いだと思うけど?」
 これじゃあ世話焼きのおばちゃんみたいだ。
 いつもこんな時に限って錯乱する思考が酷く冷めていたものだから、玲陽はそう言った後考える事が三流のお笑いのようだと心の中だけで笑った。
「玲陽、その話は…」
 よそう。そう言った圭登の声は寧ろ止めてくれと言わんばかりにうろたえていて、玲陽を見下ろす位置に顔のある彼を別の視点で見た気がし、その側に行きながら混乱した彼の胸に手を添えれば妙な高揚感が湧き上がる。
「ついでだからさ、その子には内緒で…」
 玲陽と圭登の身長の差は自分が少し爪先立ちしてようやく彼の顔を覗ける位か。
 爪先立ちとまでは行かぬものの、少しだけ踵を浮かせ、淡く微笑む顔を圭登の首筋に埋めてやると暖かな筈の肌がやけに冷たく感じ、玲陽は少しだけ微笑んだ。
「俺とも付き合ってよ」
「なっ、そんな…」
「無理じゃないだろ? 二人だけの関係ってのも面白くね?」
 俺とも付き合う。玲陽のその言葉に顔を埋めた圭登の体温が一気に上がったのがわかって吊りあがった口元以上に瞳が柔らかくカーブを描く。
 普段の玲陽をこの顔で見られたならば、どんなに淡く柔らかい微笑みだっただろう。けれど、口にする全てが氷の棘のように圭登の心に突き刺さって、じんわりと不快な水となって流れていった。
「それで玲陽は良いと思っているのか?」
「さぁ?」
 口だけをどう思っているか、とオウム返しにしてやれば圭登の身体が一度だけ玲陽を抱きしめ。
「っつ…」
 温もりを分け与えられるのがとても痛い。抱きしめられるだけで痛みを顔ではなく、竦んでしまった身体で見せてしまった玲陽から、静かに圭登は離れていく。
「いいじゃん、それで。 あの子へ向けるモノを俺にもわけてくれればいいんだよ」
 再び距離は広がって、肩ごと圭登の身体から離された玲陽は肩を竦めてもう一度押すように言葉を紡いだ。
「玲陽、俺は…わからない」
「何が?」
 圭登が別の生徒と付き合って、誰にも言う事はせずに玲陽とも付き合う。簡単な事だろうとはじき出した結果を力なく頭を振って言う彼の気持ちがわからない。
「俺は…二人とは付き合えない。 けど…」
 今まであれ程までに力無く、玲陽の言動一つ一つに動揺し目を見開いていたというのに。今この言葉一つを言う圭登は強く、固い意志を宿して目の前の想いを見つめた。
 玲陽とだけならずっと、付き合える。と。

「そんなの、無理に決まってんじゃん」

 玲陽が好きなのはあくまで圭登に告白していた生徒で。
 一蹴された決意に圭登の黒曜石の瞳が細くなり、玲陽からまた瞳を逸らす。そのまま、どうしていいか分からないというように授業の始まった学校の廊下を走るわけでもなく体重のかかった重い足取りで以前あった生徒の流れを遅く辿っていく圭登の背中は寂しく、暗い廊下がその影を更に黒くしていた。
(そうだよ、駄目に決まってんじゃん…)
 ぽつりと残った玲陽は圭登を追って教室に行くでもなく、ただその場に立ち止まったままで。
「あーあ、やだね。 なんでこんなにウマくいかないんだろ」
 呟いた言葉は圭登にも誰にも届かない。
 共に居るならば想い人と、そんな気持ちが分からないわけではないが玲陽とて同じ気持ちだったから、いっそ全てが別の流れを作って流れきってしまえばいいと思ったのに。

 上手く行かないのだ。
 視線を窓に移せばまだ雨は止まずに、学校の中庭に見える景色の中に沼のような水溜りが小さな小石達を沈め、転がしている。
(何考えてるのかな…)
 自分は、圭登は。ただ、いつか波にのってゆっくりと流れる小石のように、丸くなって小さくなって、そして何処に行く事も無く落ち着いた様子を見せるそんな風になれたなら。

 理解の出来ない思考に声が潤む中、玲陽は教室とは反対方向の家路へと、傘もささぬまま静かに歩いて行くのであった。


END

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東京怪談
2006年06月21日

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