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『思いがけない再会 』
向坂・嵐2380)&数藤・恵那(2490)
 …遠くで救急車の音がする。
 年末に向けて、これからの時期は通常の患者に加え、事故や緊急性を要する患者が増える。それはどこの病院も同じだろう。
 冬場は、只でさえ気温の関係で筋肉が暖まり難く、保護すべき骨への負担が大きくなる。家の中でも気温差が激しい場所では、血圧の急激な変化により倒れる者も少なくはない。
 その上、とこめかみをぐりぐりしながら、数藤恵那はほんの少し表情を歪めた。その上、あとひと月もしないうちに始まる狂乱の宴――忘年会シーズンに運び込まれる者の何と多い事か。あたら命を縮めるような事を、意識せずに繰り返す者達がまた増えるのだろうな、と考えると、頭痛が起こるような気さえする。
 ――気のせいか、救急車の音が近づいてきているような…思考に耽っていた恵那がコーヒーカップをことりと自分の机に置き、立ち上がる。
「あ――先生、丁度良かった。急患です」
 …予想通り。
 先程から聞こえていた音は、この病院目指し走って来た救急車の音らしい。
 間もなく搬入口に付けた救急車から、キャリーに乗せて運ばれた、ぐったりした様子の患者の顔を見て「お」と恵那が呟く。
「階段から落ちて頭部を打っています。後は足と胸を痛がっていましたので骨が折れているかもしれません」
「ご苦労様。レントゲン室に運んでくれ。――落ちたと本人が言ったのか?」
 看護師達に全身のレントゲン写真を取るように言い置いて、運んで来た救急隊員の1人に質問する。
「ええ。途中何度か意識を失いましたが、自分の状況の把握は出来ていたようです」
 そして、病院に着いた時にもまた意識を失ったと聞き、ふむ、と恵那がもう1度呟いて患者が運ばれた先へ移動する。
 久しぶりの再会には、少々相応しくない出会いだったな――そんな事を内心で思いながら。

*****

「気分はどうだ?」
「うー。なんか、まだ頭ん中シェイクされてる気分だ」
 レントゲン写真を撮っている間に再び意識を取り戻した患者に治療を施しながら、恵那が訊ねると、男――向坂嵐が顔をしかめつつ答え、
「あと、息すると胸と足が痛い」
「アバラにヒビが入ってるからな。おまけに足首は強い捻挫だ。…良かったな、捻挫で済んで。嵐の腱が柔軟で無かったら骨にまで行っていた筈だ。ああ、それと頭も打ったからな、何日か入院すること。いいね?」
「折れてんじゃねえんだし、いいよそんな入院なんて。足だって押えてりゃ仕事出来るだろ」
「――入院、すること」
 治療用ベッドから起き上がりかけた嵐の肩を、思いがけない力がぐ、と掴んで再び寝かせる。
「…分かったよ」
 不満そうながらも、やはり起きかけた際の胸の痛みが思っていたよりも痛かったのだろう、嵐は恵那の言葉にゆっくりと頷いた。
「それでいい。ところで嵐、最近定食屋でも姿を見なかったが、どうしてた?」
「どうって、普通だよ。ああそうだ言うの忘れてた。姉さん久しぶり」
「――ああ」
 普段恵那も良く行く定食屋で何度も顔を合わせるうち、次第に打ち解けて話をするようになった2人だったが、最近は互いの生活サイクルがずれたか顔を見る事も無くなり、そして数ヶ月。久しぶりに再会したのが、まさか恵那の病院でだったとは。
 これで救急車が別の病院へ運んでいたらまた会えずじまいだったな、と思いつつ、
「そうだ。階段から落ちたそうだな?足を踏み外しでもしたのか」
「ああ。ドジ踏んだよ全く。お陰でこのザマだ」
 舌打ちしかねない顔をする嵐に、
「仕方ないだろう、起こってしまった事を責めてもどうにもならないだろうしな。――そう言う訳で、嵐はせめて私の病院にいる間は大人しく寝ている事。いいね?…恐らく今晩から明日にかけて、足も腫れてくるだろうから多少痛むかもしれないが」
 良く冷やし、固定具を付けてそんな事を言うと、
「それじゃあ部屋に案内しよう。車椅子を呼ぼうか?」
「…そこまで酷くねえって。いいよ、歩いていける」
「足に負荷をかけないようにな」
「いちいち子供みたいに言わなくなっていいじゃないかよ…」
 そう言って口を尖らせる嵐をあしらいつつ、恵那は看護師に案内される後姿を見送って、小さく苦笑を浮かべた。

*****

「先生、203号室の患者さんの姿が見えません」
「――またか」
 あれから3日。今は夜中、電気を消した夜の巡回中の事。
「いい、いい。彼の事は私が何とかするから、見回りを済ませなさい」
「すみません…宜しくお願いします」
 ぺこりと恐縮しつつ頭を下げ、懐中電灯片手にぱたぱたと移動して行く看護師を見送って、恵那はこれで何度目になるか分からない溜息を付いた。
 嵐が大人しくしていたのは、入院していったいどのくらいだっただろうか。疲れてでもいたのか、ベッドに案内されるなりいきなり寝入ってしまったのを、脳への損傷があったかと心配して駆けつけて以来、嵐は恵那以下看護師達スタッフを振り回し続けていた。…ちなみに心配された脳内出血は無く、単に眠くて深い眠りに陥っていただけと判明したのだが。
 ――落ちた時も実は半睡状態だったのではないだろうか。そんな事すら思わせる、良い眠りっぷりだった。
 そして――最初の、夕食時から嵐は病院を抜け出していた。
 戻ってきた時には鯖味噌の匂いを漂わせつつ、「だって俺病気入院じゃねえし、病院食って不味いって聞くし」と定食屋で夕食を食べて来た事を堂々と話し、その報告を看護師から聞いた恵那が足音高く病室へ移動すると、そこにも嵐の姿は無く…見つけた時は食後の一服と屋上で悠々と煙草を口に咥えていた。
 それが一昨日の話。以来、まともに病室にいたためしは無い。いるとすれば真夜中の――いや、むしろ朝に近い――睡眠時か、昼寝している間だけ。要するに起きている間はまるで気が抜けない問題患者だった。
 看護師達の再三の説教も聞き流し、挙句には「夜は寝たくないんだ」と開き直って言う始末。
 しん、と静まり返る病院の中を、ゆっくり歩いて行く。この時間だと、嵐は恐らく――
「あ」
 ――近所のコンビニに、煙草を買いに行っている筈だ。
「おかえり」
 顔中の筋肉を総動員して、こっそり病院の通用口から入ってきた嵐へ、恵那はにっこりと笑いかけた。…腕組みしつつ。

*****

「看護師が泣いていたぞ。いくら言ってもキリがないとな」
「あー…悪ぃ」
 屋上へ連れ出そうかと思ったが、下の階の患者に聞こえてもまずいかと連れて来たのは院長室。ここなら多少の防音は出来ている筈だ。
「悪いと本当に思っているなら大人しくしていろ。今動くのがどう言う事か分かっているのか?」
「っつったってさあ、暇なんだよ。ほとんどどこも悪くねえのに動くなって言うのは拷問だぞ」
「………どこも、悪くない?」
 怪我をしているのに無茶な事をする、と、呆れつつも多少は多目に見ていたつもりだった恵那だったが、その言葉にはぴくりと表情を引きつらせた。嵐はそれに気付いていないのか、おう、と頷き、
「姉さんの言う事だから大人しくはしてたけどさ。ホントなら次の日退院でも良かったと思うぞ。折れたならともかく、ヒビとかちょっと捻ったくらいで……って聞いてる?」
「ああ。よーく聞いてるとも」
 今度は無理に笑う必要などなかった。引きつったまま、自然唇が笑みの形になるのを抑えなければ良いだけの話。
「…えーと、姉さん?」
「そう、良く分かった。…自分の身体がどう言う状況なのか『まるで分かっていなかった』って事がね」
 恵那の目が、きゅっと吊り上がる。
 ふと身の危険を感じ、院長室を下がろうとした嵐の両肩ががしりと掴まれ、気付けばすぐそこに恵那の、凍り付きそうな目をした笑顔があった。
 ――命の危険すら感じる一瞬。
「よし、丁度急患も無い。覚悟してもらおうか?」
「い、いや、俺、その…まだ命惜しいし」
「そう言う割には、私達の説教を聞き流していたんだよね?」
「い、痛っ、姉さ…じゃない、院長先生、痛い、痛いって爪爪ッ食い込んでるッ」
「大丈夫」
 にこりと恵那が言い切る。
「死なないから。――このくらいじゃあ、ね」
「う、うわ、もしかして姉さんキレてるっ!?思いっきりキレてるだろ今!?」
 それに答えずににこりと更に笑いかけてくる恵那に、ぞわっ、と、嵐の全身が総毛立った。
 ――次の日。
 げっそりと、目の下にクマを作った嵐が朝から大人しく自分のベッドの上に座っていた事が、看護師達の間に広まった。あれだけ困らせてきた彼が、どうして今朝は大人しくしているのかと。
 それと同時に、昨夜夜勤だった1人から、嵐の事は院長…恵那が請け負ったと言う話も加わり、そして。
「…ん?私の顔に何か付いてるかな?」
 穏やかな微笑を受けて、ぷるぷると大きく首を振る看護師達。
 恵那が一体何をしたのか知らないが、嵐がそれ以来、退院するまで優良患者の1人になったのだけは間違いない事実だった。だから、院長先生には逆らうまい、と言う話が看護師達の暗黙の了解になったのだが、それは余談として。

*****

「向坂さん、今日はお薬が出てますよ」
「え?俺に?」
 湿布や冷却、マッサージ…それに、肋骨の痛み止め。それ以外に薬なんて、と思いながら薬を受け取る嵐。その前にもう1人、検診で訪れた影があり。
「大人しくしているみたいだね」
「そ、そりゃまあ、あれはもう2度と勘弁したいからな」
 まだ昨夜の余韻が残っているのか、恵那へ引きつった顔で言う嵐が、手渡された薬袋を持ち上げて、
「それはそれとして、これは?」
「ああ、それは導眠材だ。どうも嵐には睡眠障害の気が出ているようだからね、軽いものを処方させてもらったよ。これでも眠れないのなら言うといい」
「…ん…分かった。ありがとう」
 正確には眠れないのではなく、眠りたくない、と言う事なのだが…最近感じるだるさは夜間にきちんと寝ていない事も影響しているのだろうと、あり難く受け取っておく事にする。
 この薬で熟睡できるのなら、自分にとっては最高の処方だし、と思いつつ。
「そうやって初めから大人しくしていたなら今日にも退院出来たのにな、残念だ。まあ大丈夫だろうが明日まで様子を見て、異常無いようなら退院してもらう」
「ホントかっ」
 喜び勇んで立ち上がろうとする嵐を押し留め、
「ただし、入院中の約束はきちんと守る事…いいね?また夜中にふらふら出歩いたら、全て完治するまで外には出さないからな」
「う。…わ、分かった」
 看護師が目を丸くする中、恵那の言葉に大人しく頷いた嵐が、それでもちょっぴり悔しそうに恵那を見上げて小さく口を尖らせた。

*****

「ふあ…」
 院長室で小さく欠伸し、誰もいないのに思わずきょろきょろと見回してしまう。
 流石に徹夜は辛い。今日一日と分かっていても、急患が運び込まれてしまえば神経を削る作業が続くのだから、こうした少しぼうとした頭は何とかしておかなければならないのだが、
「彼も同じ条件だが、といっても向こうはそのまま寝てしまえばいいだけの事だからな。羨ましい限りだ」
 朝日が昇り、夜勤と早出の看護師達の申し合わせが始まる時間まで、延々と、しかも理路整然とした説教を、嵐が音を上げるまで続けていたのだから、眠いのも仕方ない事。
 最終的には、嵐も、ヒビの入った状態、捻挫した状態で動き回る事の危険性を分かってくれたように思える。何となく恵那の事を怯えて見ていたようにも感じたが、きっと気のせいだろう。
 とにかく、少なくとも入院している間は大人しくする事を約束してくれたのだから、と恵那が眠気覚ましに大きく伸びをした。
 今日も良い天気だ――と小春日和の空を、窓越しに眺めながら。


-END-
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間垣久実 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年11月29日

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