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『血、裡なる声 』
水上・操3461)&綾峰・透華(3464)


 鼓動が早い。喉がどこまでも渇く。目の前が、紅い。空気を求めて必死に呼吸をしても、全然足りてくれない。ただ、はぁはぁと荒い呼吸音だけが聞こえる。
 あぁそれは、何処か他人事みたいで。それが、自分のしていることなんだと何故か認識できない。
 あぁ、暑い、なんでこんなに暑いのか。喉が渇いて仕方がない…。
 渇きを、この果てのない渇きを癒したい。どうすれば、どうすれば?

 ――喰らえ――

 …あぁ、丁度その渇きを癒せるものが目の前にあるじゃないか。
 目の前に横たわる、とても潤ったソレ。きっと、その首筋を噛み切れば、後はそこから出てくるモノが私の渇きを癒してくれる。

――喰らえ――

 …何を考えているのか、私は。ソレとは、『彼女』とは、面識もあって…仲もよかったはずなのに…何も、何も思い出せない…。

 ――喰らえ――

 ただ、ただ己の奥底から聞こえるその声が、全てを支配していく。私はそれに抗えない。思考が纏まらない。ただ、あるのはどうしようもない渇きと、衝動だけ。

 あぁ。
 私は今。
 彼女を…。





○要因

「ふぁ〜…土砂降りになってきましたね〜…」
 まだ夕方と呼ぶにも早い時間、しかし空は昏い。幾重にも黒い雲が重なり、ただひたすら雨を降らせ続けていた。
 八代神社、その母屋。いつものように遊びに来ていた綾峰透華が空を見上げながらつぶやいた。雨は今もその勢いを増していた。
「今日はずっと降り続けるって。近くの台風が影響してるらしいわね。さすがにこの中を一人で帰すのは危ないし…」
 その後ろで考える女性。巫女の袴に身を包む彼女は、この神社の巫女である水上操だ。
「しょうがないわよね…透華ちゃん、今日は泊まっていく?」
 しばらく考え、操がそう言うと、透華は顔を輝かせた。
「いいんですか?もちろんです♪」
 その笑顔は、自然と操の顔を綻ばせる。魔を滅ぼす『裏』の仕事が本業であり、笑顔ですら作っていることが多い彼女にとって、透華は数少ない心を開ける存在である。
「家にはちゃんと電話しておいてね?」
「は〜い♪」
 そして透華は、嬉々として携帯電話を取り出すのであった。幸い明日は休日であり、程なくして透華は父親から了承をその電話の向こうから聞いた。
「あ、先輩、どうせだし一緒にお風呂入りません?」
「えぇ、いいわよ」
 その顔に、また笑顔が花のように咲いた。



○夜

「ご馳走様でした。透華ちゃんの料理、本当に美味しかったわ」
「えへへ、どうもです♪」
 丁寧に箸を置き、操が手を合わせた。その言葉に、少し頬をかきながら答える。
「透華ちゃん、いいお嫁さんになれるわ。…あのハンバーグだけは、その、練習しなおしたほうがいいと思うけどね」
「あ、あれはあの人が全部悪いんですよー!」
 少し思い出して青い顔をした操に、透華は必死に弁解する。
 …以前、透華は操を喜ばせようと、八代神社の居候の男と一緒に料理をしたことがある。透華の料理の腕は見事で、全て完璧に見えたが…唯一、男とともに作ったハンバーグは最悪だった。全ては勘違いをしながら作った男(と、それに全く気がつかなかった透華)のせいなのだが、その味はこの世のものとは思えないものになっていた。それを試食した透華は、その場で倒れ、一晩中生死の境を彷徨ったという。また、何も知らずにそれを食べた操もそのあとを追った。しかし、これは別の話。
「…何にしても、あの人にはもうお料理はさせちゃいけないわね」
「同感です」
 うんうんと頷きあう二人であった。

「…あ、もうこんな時間。それじゃ、お風呂入って寝ましょうか」
「あ、はーい」
 そのまま二人仲良く浴場へと移動する。

 女の子同士の入浴となれば、それは自然と華やかなものとなる。
「先輩、背中流してあげますね〜♪」
「あ、それじゃお願いしようかしら」
「はい♪」
 その返事に、上機嫌に操の背中を流す透華。と、流している最中、透華の目が操の手首のブレスレットにいった。普通、風呂に入るときくらいはアクセサリー類は外すだろうに、と不思議に思う。
「それじゃ上がるわね。…どうかした?」
「あ、いえ、なんでもないですー」
 まぁいっか、と操の後を透華は追った。



* * *

 じゃれつくように遊びながら、二人は部屋に布団を敷いた。それを隣り合わせ、後は電気を消すだけとなった。透華はいそいそと布団の中に潜る。雨はいまだやまず、秋といえどかなり肌寒かった。
「それじゃ電気消すわね」
 操が手を伸ばす。やはりその手首にはブレスレットがあった。透華にはどうしてもそれが気になった。
「あの先輩、お風呂のときも気になってたんですけど、そのブレスレットずっとつけてますよね?」
「あぁ…うん、お守りみたいなものなの」
「もしかして、好きな人からもらったものとか?」
 透華はそのブレスレットに興味津々だ。恋愛ごとに繋げたりしたがるのは、この年代の少女ならば当然だろう。
「そんな…違うわよ。ただとても大切なものなの」
 少し困ったような操に、透華はさらに瞳を輝かせる。
「えーそんなの気になります、一つ貸してもらったりできないです?」
「だーめ、これだけはね。それじゃ電気消すわね」
 そんな透華の言葉を遮って、操は電気を消した。部屋は途端に闇に包まれた。
「透華ちゃん、それじゃおやすみなさい」
「むー…はい、おやすみなさい先輩」
 暗闇で顔は見えないが、操の顔がふっと柔らかく微笑んだように透華は感じた。
『…でも、やっぱり気になるなぁ…』
 程なく、隣から寝息が聞こえてきた。それを聞きながら、透華は考える。操がいつも肌身離さずつけているあのブレスレット、それが妙に気になる。
『ほんと、気になるなぁ。恋人?でもそんなの聞いたこともないし…うーん…』
 透華がそんなことを考えているうちに、夜は更けていった。



 丑三つ時。時計は見えないが、まさにそう呼ぶにふさわしい闇の時間。もぞもぞと動く影があった。布団から出た透華である。
『やっぱりあのブレスレットが気になるわよね〜…』
 どうやら、まだあのブレスレットが気になっていたようで、そのまま操の元へ足音を消して忍び寄る。
『これ…だよね…』
 操の手首をそっと触り、その手首のブレスレットをそっと外す。操が起きた気配はない。
『えへへ…これで先輩とおそろい♪』
 嬉しそうに、それを自分の手首にはめ、透華は布団の中へと戻っていった。程なくして、そこからも静かな寝息が聞こえてきた。



○裡なる声

 体が暑い。喉が何処までも渇く。あぁこの世界には熱しかなくて、こんなにも苦しいなんて思わなかった。
 思わず、足元の赤い水溜りを手で掬って、その水を飲んだ。なぜか、その水は粘っこくて飲みにくかった。
 でも、渇きは癒えてくれない。あぁ、あぁ、いくら飲んでも。
 暑い、喉が渇く、目の前が紅い。

 ――喰らえ――

 あぁ…そうすれば、渇きは癒えるのだろうか…。

* * *

 また、闇に包まれた部屋で、動く影があった。
 それは操だった。しかし何処か様子がおかしい。
 ゆらゆらと、何処か不安げに立ち上がる。その瞳が開かれるとそれは…紅く染まっていた。その紅い瞳が、うつろに透華の寝姿を見下ろす。
「…ぁ…」
 操の口から、小さく音が漏れた。苦しそうに、胸に手をやる。はぁはぁと、操の肺がひたすら空気を求めて動く。

 ――喰らえ――

 操の頭、その言葉が響き渡る。

 本来、操が身に付けているブレスレット――前鬼と後鬼にはちゃんとした意味がある。まず、霊刀としての力――普段はブレスレットに擬態しているが、いざ『仕事』となれば、その姿は長刀と短刀へと姿を変え、持ち主である操の霊的な力をその切れ味へと変える。操に口やかましく話しかけるその口調とは裏腹に、これまで数々の魔を打ち滅ぼしてきた。
 そして、もう一つ。操の血を抑えること、それが前鬼と後鬼の役割である。
 操の母は人間であるが、その父は鬼であり、その鬼の血が操を鬼へと誘おうとするのだ。前鬼と後鬼は、それを抑えている。両者があるうちは、操の中で鬼の血は発現しない。

 しかし今、その血を封じる役目を持った前鬼は透華の手首にある。つまり、血を抑えきれず、鬼の血が発現してきたのだ。
 そして今、操の中にはその鬼の血が囁きかけていた…。





 ――喰らえ――

 その言葉だけが、頭の中に響く。

 ――喰らえ――

 世界が紅い。もう、他に何も考えられない。

 ――喰らえ――

 目の前に、ソレがある。ただ食み、味わえばいい。そうすれば、この果てない渇きから開放される。
 何も考えられず、私はソレに手を伸ばした…。

 ――クラエ!!――

『待ちや姐さん、流されたらあかん!』
 操が手を伸ばした瞬間、左手から声が響いた。ビクッと怯えたようにその手が止まった。
『あかんで姐さん、戻ってきぃ!!』
 後鬼のその言葉に、操は正気を取り戻す。伸ばした手を戻し、透華の右手にはめられた前鬼をとって急いで自分の右腕にはめる。
『姐さん、大丈夫?』
 手にはめた瞬間に戻ってくる前鬼の声。
「はぁ…大丈夫…ごめん…」
 荒い息を整えながら操が呟く。その足元では、透華が幸せそうに寝息を立てていた。
「…ごめんね…」
 それだけ静かに言い残して、操は部屋を出ていった。





 人のいない境内はひっしりと静まり返っていた。肌に感じるそれは既に冬と同じで寒く、吐く息も白い。しかし、火照った体にはそれくらいがちょうどよかった。
「あの時…」
 暗闇に一人、操は呟いた。
「私は透華ちゃんのことを…完全に食料としか見ていなかった…」
 その呟きは闇へと消えいく。しかし操の独白は続く。
「いつか私は…おかしくなっちゃうのかしら…」
 その顔に、自嘲的な笑みが浮かぶ。
「お笑いよね。今まで散々魔を滅ぼしてきたものが、おかしくなって人を…そうなったら、お館様に頼もうかしら…」
 でも、結局それも迷惑かけるわね、と少し笑う。
『大丈夫やって姐さん!』
 しかし、操は一人ではなかった。そこには、操以外に二人いた。
『僕らがついてるって!今日みたいなことは起こさせへんようにするから!』
『そうそう、せやから安心してや♪』
 すなわち、前鬼と後鬼。その言葉に、操は少し苦笑を浮かべた。
「…そうね。頼りにしてるわ」
『…でも…』
 前鬼と後鬼の言葉は力強かった、でも、と操は思う。
『…でも…』
 それはあくまで抑えるだけであって、結局自分の中からはなくならないのだ。それだけは、ずっと変わらない。

 夜が明けるまで、まだ長い…。





○朝

「…ふぁ…」
 透華が目を覚ますと、既に陽は空高く上っていた。どうやら夜更かしのせいでかなり寝過ごしたようだ。
「あ、おはよう透華ちゃん」
「先輩、おはようございまひゅ〜…」
 眠気はまだ残っており、中々抜けてくれないようだ。
「朝御飯できてるわよ、食べていくでしょ?」
「あ、ふぁーい…」
 それじゃ台所にきてね、それだけ言い残し操は部屋を出ていった。
 こしこしとその寝ぼけ眼をこする。そこで透華は気づいた。
「あれ…ブレスレットが…」
 昨日確かに付けたはずのブレスレットが、その右手首からなくなっていた。
「…先輩が持ってちゃったのかな…せっかくのおそろいだったのに」
 でも大切なものらしいししょうがないか、と透華は立ち上がって部屋を出ていく。昨晩、自分に何が起ころうとしていたかも全く知らずに。



 そして、今日もまた一日が始まる。透華にとっては変わらない、操にとっては微妙に違う一日が。



<END>

――――――――――

こんにちは、ライターのEEEです。今回はご依頼ありがとうございました♪
今回は操さんの血に関することということで、操さんが主体になっています。
久しぶりのシリアスものだったので、色々と考えさせられながら書きました。
操さんが、この先己の血とどういう風に生きていくのかが気になりますね。
そして透華さんは…やはり前の犯婆愚のことが忘れられず…(笑

それでは、今回はありがとうございました。また機会があればよろしくお願いします。
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東京怪談
2004年10月27日

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