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『善悪の領域 』
幻・―3362
 マスコミにとってこれほど美味しいネタもなかっただろう。
 あれから二週間経った今でも、様々なメディアがこぞってあの事件について騒ぎ立てている。――『ゴースト事件』だなんて、なかなか皮肉がきいているじゃないか。
「ゴーストか……確かに今の僕は幽霊と大差ないな」
 フードとマフラーで顔を隠した少年の唇から、そんなつぶやきが漏れる。自嘲するような声音だった。だが少年のつぶやきが誰かの耳に入ることもなければ、その存在が目に映ることもないだろう。そう、彼は幽霊と大差ないのだから。
 量販店の店頭で垂れ流しにされているニュース番組では、今まさにゴースト事件の街頭インタビューが始まるところだった。
 人々の反応はまちまちだ。
 ――いや、いいよアレは。だってさ、なんか悪いヤツを暴いてるみたいじゃない。
 ――私は感心しません。自分に後ろめたい気持ちがあるから名乗り出ないんですよああいうのは。
 ――若い奴が無茶してるだけなんじゃないですか?
 どのコメントも、事件を起こした張本人である幻にはピンとこなかった。
 意味などない。僕がやったことも、これからやるであろうこともただの偽善だ。大義名分なんて必要ない……。
 インタビューが終わらないうちに、幻は店の前を去った。

 やや俯き加減に閑散とした通りを歩いていく。あてのない歩みだった。
 交通量の多い道路を歩道橋が跨いでいる。幻は何とはなしに対岸へ渡ることにした。薄汚れた階段を上り切った瞬間だった――幻の目に、くたびれた風采の男の姿が飛び込んだのは。遠目には三十になるかならないかといったところに見えたが、実際は二十五、六かもしれなかった。疲れ切った表情のせいで年齢不詳だった。
 男は虚ろな目付きで手摺にもたれかかり、煙草を吹かしている。この世の終わりでも見つめるような目だ。
 幻は無言でその後ろを通り抜けようとしたが、ふと、何か嫌なものを感じて足を止めた。
 この人、自殺でもする気なんじゃないのか。そんな縁起でもない考えが脳裏を過ぎったからだ。
「――あの」
 思わず声をかけてしまっていた。
 今まで気配を遮断していたのだから、男はさぞかし驚いたことだろう。振り返った男の目は驚愕に見開かれている。
「つまらないことを考えるのは、よしたほうがいいですよ」
 男は片目をすがめると、幻の出立ちを頭から爪先まで眺め回した。吸っていた煙草を指で弾き、歩道橋の下へ落とす。
「……僕の思い違いでしたら、すみません。何かとても思い詰めるような顔をしていましたから」
 幻は口早に言ってその場を去ろうとする。が、乱暴に腕をつかまれてしまった。恐怖に身が竦む。全身を強張らせている幻に構わず、男は低い声で言う。
「おまえ、“ゴースト”か」
 ひやっとした。
 自分の言動の迂闊さに腹が立つと同時、あまりの不運に嘆きたくなった。たまたま声をかけた相手が事件のことを知っていたなんて、運がないとしか言いようがないじゃないか。いや、あれだけマスメディアが騒ぎ立てていれば、逆に知らない人間のほうが希少か――
「フードにマフラー、十四、五歳ほどの少年――『ゴースト事件』の!」
「……何を言っているんですか。離して下さい」
 男はよれったスーツの懐から、何か黒い手帳のようなものを出した。幻は男に声をかけたことを心底後悔した。警察の人間だ。
「待て、何も署に連行しようってんじゃない、そんなに怯えるな」
「それがあなたの仕事でしょう」
 怯えるなと言いながらきつく腕をつかんだまま。刑事と思しき男は、はっとして幻から手を離した。
「俺は、違う――話をしたかったんだ。第一俺におまえを逮捕する権限なんてない」
 弁解めいた口調。幻はフードの下で眉を顰める。
「おまえがなぜ、あんなことをしたのか……訊きたかったんだ」
「なぜ、ですか」幻は男から目を逸らす。「それを訊いてどうするんですか。僕は……僕はただ許せなかっただけです」
 そして、真実を知りたかった。
 医療ミスで死亡した少年。それを隠蔽しようとした病院の連中。
 許せなかった。だからあの院長の額に銃口を突き付け、その口から真実を……
「俺は、あの事件でわからなくなっちまったんだよ」と、男は言った。
 幻は男の顔を見上げる。
「俺も許せなかった、世の中の汚い連中が。この世には正義が必要だと思った。悪は根絶されなけりゃぁならないと思ったんだよ。それで刑事になった」
「正義、ですか……。本当にそんなものが存在すると?」
「おまえは自分の正義に従ったんじゃないのか?」
「……ええ、そうかもしれません」
 男はわからない、という風に首を振る。
「正義はいつも勝って、悪者は罰を受ける。俺は事件に埋もれた真実を暴き出し、犯人をしょっぴく立場にいた」
「…………」
「だがな」男は空を仰ぎ、絶望と諦めがないまぜになったような重い溜息をつく。「自分の父親を告発する羽目になるとは、思ってもみなかったんだよ」
 幻は息を呑み込んだ。
「あなたは、あの――」
 院長の息子、なのか。
「どっちにしろ警察は辞めることになるが……その前におまえと話をしたかった。まさかそれが叶うとはな」
 幻は何も言えなかった。
「これから何を信じていけばいいのかわからなくなっちまった。だから、自分の身を大衆の前に曝してまで親父から真実を暴き出そうとしたおまえに、訊きたかった。おまえは何を信じて生きているのか……何に従って生きているのか……」
「……ただの、偽善ですよ」
 絞り出すように言う。男は寂しげな微笑を浮かべた。
「偽善、か。その行為が建前であれ何であれ、おまえは迷わなかった……。
 ――善悪ってのは誰が決めるんだろうな。俺の親父は悪か? それなら親父の血を引く俺も悪なのか? 誰が、それを決めるんだ。誰が裁くんだ」
 幻は小さいながらも、しっかりした声で答える。
「誰も決められない。人間が人間を裁くのは、不可能です」
 男は頷いた。そして幻の目を見つめる。
「おまえはそうとわかっていても生きていけるんだな――幽霊さんよ」
 幻は何も答えず、ただ静かに男を見つめ返していた。



PCシチュエーションノベル(シングル) -
雨宮玲 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年07月01日

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