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『6月。 』
宇奈月・慎一郎2322

 しとしとと降り注ぐ雨を、宇奈月慎一郎は窓からぼんやりと眺めていた。
 手には棒たわし。
 今日も今日とてただ働きの風呂掃除。
「……ああ、雨は切ないです……」
 切ないのは気分ばかりではない。懐もかなり切ない。
 なんせ、衣食住にこそ事欠かないが、財布の中身が増える事はないのだから。
「はぁ……」
 数え切れない溜息を付いて、慎一郎は腰に力を入れて浴場の床を擦る。
 毎日毎日毎日毎日毎日、身を寄せる温泉宿の女将は勿論、従業員、村の住人に厄介者扱いされるのは辛い。
 疫病神呼ばわりされて、顔を見る度に眉を寄せられ、そのくせ、仕事はこれ以上無理と言うほど押しつける。
 気分的に、シンデレラ。
「助けて、王子様……」
 勿論、慎一郎にとっての王子様とは、彼がパソコンを使って呼び出す邪神様達である。しかし、頼みのパソコンは失ったまま。このど田舎では新しいパソコンを手に入れる事は至難の技……例えあったとしても、今現在、それを購入出来る余裕がない。
 ―――ねぇ、あんた。何時までそうやって床を擦ってるつもりだい?早く終わらせておしまいよ。
 聞き慣れた声にうんざりと顔を上げて、慎一郎は前に立った満身創痍の女を見た。
 自分がシンデレラなら、この女は意地悪な姉。自分がシンデレラなら、温泉宿の女将は意地悪な継母。
 一体誰の所為でこんな苦労をしているんだ……、と悪態を吐こうとして考えてみれば、何のことはない自業自得なのだ。
 スタコラ逃げ出してしまえば良いと思う。しかし、この辺鄙な村中に敷かれた厳しい目の網が、慎一郎を決して逃がしはしない。何処へ行っても不思議と人目があり、口を揃えて指をさし、言うのだ。『ほぅら、あそこに厄介者がいるよ。逃がすんじゃないよ』と。
 例えこの村を逃げ出しても、街へ出れば別の目が慎一郎を見張っている。
 多分そちらの方が厄介だと思うが、拳銃密造容疑と車両盗難容疑の全国指名手配。
 何処へ逃げても自由の身にはなれない。加えて、慎一郎が橋を修理しない限りどこへでも付きまとってくる厄介な橋の精霊。
「自由を我が手に……!」
 呟きながらもうっかりと、自由が何だったかを忘れてしまいそうな慎一郎である。

「そこを何とか、お願いしますぅ〜、この通り!」
 一軒の古い家の玄関先で、慎一郎はヘコヘコと頭を下げている。
 玄関先にあぐらをかいた1人の老人。
 彼は、この村唯一の橋大工である。
 慎一郎に付きまとっては邪魔をして、甘い言葉を囁いては自分のものにしようとする橋の精霊から解放される道はただ一つ、女将が言った通り慎一郎自らが橋を修理する事。
 しかし、肝心の橋大工は頭が固く、弟子は取らないの一点張り。
 家族から老人の好みを聞き出しては少ない懐から貢ぎ物なども送ってみたのだが、それさえ受け取らない徹底振り。
 慎一郎は暇を見つけては老人を訪ね、その後に付いて歩いては事情を話し弟子入りを求めるのだが、サッパリ聞く耳を持って貰えない。
「橋を修理しない限り精霊に付きまとわれてしまいますし、この村からも出られないんです〜、どうかお願いしますよぅ。一生懸命勉強しますから」
 土下座せんばかりに頼んでも、拝み倒しても、「儂の知ったことか」の一言。
 哀れ慎一郎は今日も塩を撒かれて老人宅から退散した。
「これでくじけてはいけません……、」
 自分で自分に言い聞かせつつも、口から出るのは溜息。
 もしもこのまま橋が修理出来なければ、とついつい考えてしまう。
「……もし、このままだったら……」
 魔法使いの修業は中断したまま、働けども働けども財は為せず、残すものは何もない。ただ、この辺鄙な村で橋の精霊に付きまとわれて、年を取って死んでしまうだけ……。
「……………」
 全然、面白くない。
 面白くないどころか、何だか酷い。
「……一体何なんでしょうか、僕の人生は……」
 とても、虚しい。
 何だか、生きている理由がないような気がする。
 こんな辺鄙な田舎でのたれ死んで行くのならば、何の為に生きているのか……。いっそ、死んでしまった方がマシなのではないだろうか。
 そう、命を断てば、あらゆる拘束から解き放たれるのだから。
「もう、残された道は……これしかないかも知れませんね……」
 深い、溜息。
 慎一郎の心を、死の一文字が支配している。
 何処へ行けば死ねるのか、どうすれば死ねるのか。
 考えながら、気付けば森へ足を踏み入れていた。
「そう……、確か森には湖があると聞きましたね……、こうなったら、入水自殺でも……」
 ふらりふらり、慎一郎は何かに、死に導かれるように深く深く、森へ進んで行った。

 森はあまりに深く陽が差し込まない為に昼間と言えど、薄暗い。
 奧へ進めば進むほどその薄暗さは増し、しんと耳の奧にまで静けさが入り込む。
「……不思議な森ですねぇ……」
 呟くと、なにやらふわりと目の前を飛んだ。
「……これは、胞子?」
 巨大な樹木の胞子が、粉雪のようにほわほわと舞っている。
 妙に幻想的な空間だった。
 肺に深く吸い込んだ胞子が、そこに積もっていくかのような息苦しさを感じる。
「ああ、美しいところです……、死地として、相応しい……」
 呟いた時、更に進んだ奧に湖が広がっていることに気付いた。
 地を這う巨大な根に躓かぬよう注意しながら走り寄る慎一郎。
 陽の光がなくても煌めく、透明で綺麗な湖。
 誘われるように、慎一郎はその中に足を踏み入れた。
「こんな綺麗な湖で死ねるのなら、本望です……」
 たった26年の、短い人生だった。
 なかなか楽しいこともあった。
 心残りと言えば、修業を達成出来なかったことくらいで……、短くとも充実した人生。
 目を閉じ、湖に身を任せる慎一郎。
 その頬に、何か柔らかいものが触れた。
「……ん?」
 目を開き、頬に触れたものを見る。
「…………」
 生き物のような、胞子の固まりのような、泡のような奇妙な物体が、気付けば慎一郎を取り囲んでいた。
 暫し考えて、記憶の中からそれに似たものを発掘する。
「……ショゴス……?ショゴスですね、貴方達は?」
 確か地底深くに封印されたと思ったが、まさかこんな処で繁殖していようとは。
 冷たく閉鎖的な村の中に、漸く心を許せる存在を見つけたような、妙な嬉しさに、慎一郎の頬が弛む。
 ぽわんぽわんと慎一郎を取り巻いたショゴスは何故か、湖にこれ以上進ませまいと行く手を阻む。
「……止めてくれるのですか、僕を……、僕に、生きろと……?」
 ショゴスは頷いた。……かどうか本当のところ定かではないが、慎一郎にはそう見えた。
「僕に生きる価値があるでしょうか……、この村から出ることも、出ても自由に生きることもままならないこの僕に……」
 妙な精霊に付きまとわれ、厄介者扱いされる自分に。
 この村を出れば全国指名手配犯の自分に。
「生きて、良いのでしょうか……」
 突如現れたショゴス達は、何か温かいものを慎一郎の胸に甦らせた。
 生きる希望であり、勇気であり、強さであり……、何よりも、自由を求める心。
 そして、寂しさの影を晴らした。
「ああ、有り難うショゴス。僕は、僕は……」
 思わず伝う涙。
 慎一郎が拭う前に、ショゴスがそれを拭った。
「慰めてくれるのですね……」
 何のことはない、偶然飛んだところに慎一郎の頬があり、その頬に涙が流れていただけなのだが。
 ショゴスとしては、自分達の住処に侵入してこようとする慎一郎の行く手を阻もうとしただけなのだが……、何だか勝手な解釈で、死を止められたと、荒んだ心を癒してくれたと思ったらしい。
「君達は僕の心の友です……、ありがとう。僕はもう少し、生きてみようと思います……」

 もう一度、精一杯頑張ってみよう。
 弟子にして貰えるまで、何度でも橋大工を訪ねてみよう。
 誠心誠意を込めて、この温泉宿の仕事をしてみよう。
 ショゴスに慰められ、温かくなった心を抱いて、慎一郎は元気良く森を出る。
 と、妙に冷たい風が慎一郎の薄い衣服の間を擦り抜けた。
 時は6月。
 梅雨独特の生ぬるい風は吹いても、こんな真冬の如き冷たい風が吹くわけがない。
 上空から聞こえる激しい風の音……、何故かそれは、獣の遠吠えのように聞こえる。
「ま、まさか……でも、」
 呟いたそばから、降ってくる霙。
 異常気象でこんな風になるわけがない。
 丁度、温泉宿のあるあたりの上空に浮かんだ、巨大な影。
 考えられることはただ一つ。
「……イタクァ、何故……?」
 見間違いでなければ、これが夢でなければ、今、姿を現しているのはイタクァ。
 しかし何故こんな処に突如姿を現したのか……、想像も出来ない。
 この村の誰かが呼び出すとは到底思えないし、自然にやって来るはずもない。
 薄い衣服の胸元をかき合わせ、慎一郎は雪と霙の降り始めた村へ戻る。
 突然の雪と霙に戸惑い、悲鳴を上げながら家屋を求めて逃げる村人達の合間を進み、慎一郎は何やら騒がしい男の元へ向かった。
「何があったんです」
 尋ねると、男はノートパソコンを差し出した。
「これは、」
 慎一郎がなくしてしまったノートパソコンが、何故かそこにあった。
 起動した画面に描かれた魔法陣。
 イタクァを呼び出したのは他でもない、慎一郎のパソコンだ。
「何故!?」
 驚きを隠せない慎一郎に、温泉の客らしい男は言った。
 丁度、森の入口あたりでこのパソコンを拾ったのだと。
 破損しているし、周囲に人もいない。別に悪気があったワケではなく、単に興味があって、それを拾い上げたのだと。
 動かないだろうと試しにボタンを押すと、瞬時に起動し、妙な画面が浮かび上がった。
 適当にキィを押て遊んだ結果が、これだ。
「貸しなさいっ……、返しなさいっ!」
 慌てて取り上げたものの、一旦呼び出してしまったものはどうしようもない。
 取り敢えず家屋に逃げるようにと男に言ってみたが、果たして無事助かるかどうか。
「困りました……、困りましたねぇ……」
 漸く手元に戻った愛用のパソコンを抱いたまま途方に暮れる慎一郎。
 強さを増す雪と霙の中で、虚しく人間を漁り始めるイタクァを見上げる。
「……あ、」
 イタクァの手に攫われた人間を見て、思わず声をあげる慎一郎。
 精霊の姿が、そこにあった。
「……確か……、イタクァは捕まえた人間を遙か高い場所に連れて行っては地上に投げ捨てるのでしたか……」
 遙か上空から投げ捨てられた精霊が、どうなるのか想像も付かない。
 しかし、イタクァの手から逃れられないところを見ると、精霊は力らしい力を持っていないのだろう。
 多分、再びこの地に戻って来るとは思えない。
 見れば橋の方はすっかり雪に覆われて凍りついてしまっているし、村人はどうにかそれぞれ家屋に逃げ込んだようだ。
「……あなた1人が犠牲になることで、皆が救われるのです……。橋を修理することは出来ませんが、せめて立派な祠でも作ってその栄誉をたたえて差し上げましょう。迷わず、逝っちゃって下さいっ!」
 慎一郎の言葉が届いたワケでもないだろうが、一暴れして獲物を捕まえたイタクァは満足したようで、ゆるりと背を向ける。
 村中に、森中に響き渡る獣のような遠吠えと、精霊のか細く消え入りそうな悲鳴を聞きながら、慎一郎はスタコラと温かい家屋に逃げ込んだ。
 6月。
 突然村を襲った異常気象に寄って、慎一郎は橋の精霊から解放され、自由を取り戻したのだった。


end
PCシチュエーションノベル(シングル) -
佳楽季生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年06月10日

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