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『ファーストミッション 』
相沢・久遠2648
 耳元で微かにリズムを刻む時計の秒針が、眠りを阻害している。
 ようやく桜が散り始めた季節だというのに、布団がじっとりと肌に張り付いて不快感を誘っていた。
 薄く開けた窓からすうっと風が差し込み、浅い眠りも不快感もふわりと和らいだ。
 眠りの狭間で意識が少しだけ覚醒し、うっすらと目を開けて窓を見る。月明かりが差し込み、室内を青白く照らしていた。
 再び意識が眠りに引き込まれ、相沢久遠は深い眠りへと落ちていった。

 自分のモノではない記憶がある。
 『相沢』のものではない、知らない景色、知らない人、知らない出来事。
 『相沢』は知らないが、『久遠』は知っている記憶だ。久遠の記憶と相沢の記憶が混じり合ったあの事故から、どれだけ時間がたっただろうか。
 今ではその境界は曖昧だった。
 自分の中で、久遠に近くなる時と、相沢(自分)のままである時とある。相沢の性格と久遠の性格が相反しており、それぞれの記憶が一つの体の中に存在していた。自分の中で久遠の記憶が濃くなれば自然と久遠を意識するし、相沢が濃くなれば相沢で居る。
 相沢と久遠は別々の人格ではなく、一つの人格の中にそれぞれの意識が眠っているというだけだ。
 それは、久遠と融合した時からとりたてて違和感はなかった。
 『久遠』という、ヒトでは無いモノと、
 『相沢』という、ヒトに生まれた完全なるヒト。
 相沢の中に彼が入り込んだのは、ある事故のせいだった。久遠という、長い間宿り木を求めていたモノが、事故で死にかけていた自分の中に入り込んだのは‥‥いつの事だっただろうか。
 眠り漂う相沢の虚ろの夢に、その時の事がぼんやりと思い浮かぶ。
 久遠は自分の体を奪おうとしたようだが、相沢の意識は奪えなかった‥‥と思う。今こうして相沢を意識しているという事は、久遠は完全には相沢を殺せなかったという事ではないのか。
 しかしそれは、相沢の長い葛藤と苦悩の始まりでもあった。

 ぼんやりと、天井を見上げる。
 相沢は、自分の意識の中の久遠を感じ取ろうとしていた。久遠の記憶は、思い出そうとすれば簡単に出てくる。しかし、久遠の持つ感覚は思い出せない。
(何故だ‥‥記憶だけあっても、使いこなせなきゃ意味は無い)
 久遠の記憶と意識は、相沢を混乱させる。相沢の思いと久遠の思いは、違っているからだ。
 それでも、久遠の感覚は思い出せない。
 視界に、焦げた壁紙がうつる。
 相沢の右手は、もう火傷の痛みも痕も残って居なかった。
 体に眠る、恐ろしい妖狐の力が、幾度となく相沢を苦しめる。手にしたコップを割り、煙草の炎が壁を焼く。制御して炎を消そうとすれば、逆に悪化させる。
 ほんの少し力を出しただけでこれならば、本気になったらどのような惨事になるのか、想像も出来ない。
 ただ、生きたいと願った。
 力が欲しかった訳ではない。
 しかし、死からの再生には、多大な料金を請求されてしまった。そのツケがこれだ。
 そう、簡単な事だ。
 使いこなせばいい。力を使えばいいんだ、と久遠なら考えるだろう。心のどこかで、そう思っている。それと同時に、そんな事はしたくない、と考える自分も居る。
(力を使って、何をしろと。除霊師にでもなれ、って言うのか)
 馬鹿な。相沢は一人、笑った。
 じゃあ、いつまでもこうしていればいい。力を使いこなせなければ、いつかは世間に知られてしまう。いつかは、自分の居場所を失ってしまう。
 妖狐はきっと、笑っているだろう。
 頭を抱え、相沢は大きくため息をついた。

 奥日光の‥‥。

 あれ?
 今‥‥何故奥日光を思い出した。
 ああ、これは久遠の記憶か。
 相沢は顔を上げた。
 たしか‥‥そこに奴が使っていた使い魔が‥‥。
 相沢は体を起こし、パソコンを立ち上げた。奥日光にある、小さな社。今はどうなっている? あの社は、今どうなっている。
 相沢‥‥いや久遠は、モニター画面を見つめると、にやりと笑った。
(丁度いい相手が居た)
 ‥‥丁度いい相手?
 どこかで、自分が首を傾げる。
 相沢は上着を取ると、急ぎ足に部屋を後にした。

 何故か分からない。
 相沢は、車を走らせて奥日光まで来ていた。
 よく思い出せないが、ここに何かがあったのだ。
 遠い昔、ここに‥‥久遠を苦しめていたモノの使い魔が封じられて眠っている。相沢がインターネットから印刷して持ってきた資料によると、久遠が思い出した社は小学校の裏手にあるという。
 小学校は3年前に廃校になっているが、それ以前から心霊スポットとして有名であったという。学校内で子供の霊を見たとか、巨大な影が歩いているとか、祠から炎が立ち上っているとか、様々な噂が流れていた。
 相沢は、ひとけの無い深夜の廃校に足を踏み入れる。
 ライトは持っていなくとも、相沢の目には暗闇がよく見渡せていた。これも久遠の力なのだろう。
 校内は3年の間にすっかり朽ちて、あちこちに落書きがされている。落書きは、心霊スポットを面白半分で訪れた若者が残していったものだろうか。
 額から、つう、と汗が流れる。
 今まで『相沢』は感じた事が無い感覚。
 圧迫感、そして妖気‥‥というもの‥‥? 強い意識を感じる。どこかに隠れて居るのか、息を殺してこちらを伺っているのを感じた。
 それとは別に、冷たい冷気のような意識。澄んだ水のような意識が有る。
 ここで力を使えば、間違いなく相沢は力を暴走させて校舎を燃やしてしまう。火事になれば、裏山にも燃え移るかもしれないし、山火事を起こして被害を出すのは『相沢』は好ましくない。
 だが、圧迫感は相沢の頭をずきずきと痛みつけて来る。たまらず手で頭を押さえるが、痛みは止まない。

 子供が殺されたらしい。
 相沢は思いだしていた。ここで昔、子供が死体で発見された。死体は獣に食い尽くされたかのような無惨な状態で、生きたまま引きちぎられている事が司法解剖で判明した。
 犯人は、未だに捕まっていない。
(掴まるものか‥‥見えないんだからな)
 久遠はそう思っていた。
 相沢はよろよろと、自分の中の久遠が行こうとしている方向に足を向ける。ふらつく足取りで、壁に手をついてかろうじて体を支えながら、校舎を出る。
 雑草の生える校舎裏から、真っ直ぐに裏山の方角に歩いていった。樹木と雑草に覆われすっかり藪に隠れた社が、そこにあった。
 社の扉は開けられており、その扉の片方には、恐らく閉じて封じられて居たと思われる符がひらひらと風にそよいでいる。
(くっ‥‥駄目だ、押さえられない‥‥)
 この強烈な圧迫感に耐えられず、相沢は力を放出していた。
 一瞬、目の前がかあっと紅く変化する。
 だが次の瞬間相沢の体は跳ね飛び、社を越えて裏山の草むらに叩き付けられていた。
「‥‥な‥‥んだ‥‥」
 よろりと体を起こし、社の方を呆然と見つめる。
 急に弾かれるように、体が飛んだ。
 それよりも‥‥ここ、社の裏側は圧迫感が無い。相沢は立ち上がると、社と校舎の方へと足を進めた。感覚を研ぎ澄ますと、微かにあの圧迫感の気を感じる。
「そうか‥‥校舎と社を囲んで、結界のようなものが張ってあるのか」
『そうだ。‥‥お主、大丈夫だったか?』
 突然背後から声をかけられ、びくりと肩をすくませて振り返った。相沢の背後に、小さな子供が立っている。
 青白い、平安時代の貴族が着るような服を着ていた。歳は十二、三歳くらいだろうか。
 ヒトでは‥‥無かった。
「誰だ‥‥お前」
「誰でも良い。ここの校舎の居候だとでも思っておってくれ」
 少年は時代がかった口調でそう言うと、相沢をまじまじと見つめた。
「お主、ヒトでは無いな。このような所に、何の用事で来たのだ」
「‥‥」
 久遠は、意識を閉ざしている。相沢は久遠から何か、彼に関する意識を取り出そうとしたが、久遠は何も答えなかった。久遠の感覚が出てこない。
 ‥‥やはり、自分で考えて自分で力を出すしか、無いようだ。
 相沢はすこし眉を寄せ、すぐに表情を和らげた。
「‥‥僕は、相沢久遠と言う。‥‥半分妖狐、半分ヒトだ」
 簡単に相沢が久遠との出会いについて語ると、少年は黙ってその話を聞いた。やがて話し終わると、にこりと笑顔を見せた。
「それで、ここに来たと。‥‥なるほど、あの妖狐が再び出てきておったとは、知らなんだ。それで、お主はあの赤蜘蛛を倒そうというのか」
 赤蜘蛛‥‥。
 そう、確かそんな名前だった。
 かつて久遠を苦しめたモノの使い魔の一つ。
「ついには奴も、赤蜘蛛を使いこなす事は出来なかった。そしてここに置いて行ったというわけじゃ」
 あ‥‥。相沢は声をあげた。久遠の感覚が出てくる。
「ソレがどうして、校内を彷徨いているんだ」
「少々見鬼の力があるからというて、ここに悪さをした者がおってのう。‥‥元々ここには、自縛霊やら妖やらが彷徨いておったが、今までは儂が押さえておった。それを‥‥」
 少年は久遠を、社の前に連れて来た。社の前は結界の中にある。再び強い圧迫感が、相沢を襲った。
「ヤツの使っていた使い魔の一つだな。手に負えないんで、ここに封じていった」
「そうだ。‥‥おぬしを何度か痛い目にあわせているあいつじゃな。それを解いていったのだ」
「あれを解けるヤツが居るのか」
 久遠は、呆れて社を見つめた。少年はふるふると首を振る。
「年も日も悪い次期だったのじゃ。丁度、封印が弱っている日だったのだ。赤蜘蛛は解かれ、解いた少年を食って逃げた。じゃが残念ながら、ここには儂が張った結界がある。赤蜘蛛は逃げ出せず、ここを徘徊しておるという訳だな」
 ちら、と少年は背後の校舎を振り返った。眉を寄せ、やれやれと呟く。
「‥‥噂をすれば影、だ。来たようだな」
 姿は見えないが、こちらを伺う気配がある。
 ふと視線をかえすと、少年は姿を消していた。
 舌打ちし、正面を見すえた‥‥のは久遠の意識だろう。
「俺を利用しようって寸法か?」
 まあいい。それも、俺が力を制御する実戦訓練になるかもな。
 久遠は感じるままに、結界に潜むモノに向かって駆けだした。
 影は校舎の中に移動していく。それを追い、久遠も校内に駆け込んだ。ヒトの限界を超えたスピードで駆ける久遠の一歩一歩が、朽ちた床や、蹴った壁を壊していく。
(‥‥つっ‥‥駄目だ、壊しては‥‥)
 『正気』に戻り、相沢はパワー制御しようとスピードを落とした。
 ぴたりと制止すると、ゆっくり周囲を見回す。赤蜘蛛は気配を消したのか、結界の圧迫感の中に紛れ、感じ取れない。相沢が感覚器を広げれば結界の圧迫感に悩まされ、狭めすぎれば赤蜘蛛の気配を察する事が出来ない。
 神経を研ぎ澄まさねばならない。
 針のように細く、鋭い感覚を延ばしていく。相沢にどこまで出来るかわからないが、冷静に周囲の観察をする事から始める事にした。静かに周囲に意識を向けると、風が窓をきしませる音や、木々がざわめくおとが聞こえてきた。
 窓の外に、まるく青白い月が浮かんでいる。刺すように冷たい光が、相沢の足下に影を作っていた。地の底を這うように、意識を集中させろ!
 久遠の声‥‥。
 ケモノのように、息を殺せ!
 相沢は赤蜘蛛を探し、駆けだした。
 どこかに居るはずだ。赤蜘蛛の臭い‥‥意識を感じ取る事が出来るはず。それが出来るだけの力が、久遠から相沢に流れ込んでいるのだから。
 月の光が窓から差し込み‥‥
 どこかで違和感を感じた。
 跳ねるように方向を変え、感覚のままにその方向に向かう。
 今の感覚を消したくなかった。このテンションをなくすのは嫌だ。
 今のままを維持したまま、赤蜘蛛を倒す事が出来れば‥‥そうすれば、校舎にも被害が出ない。とにかく、被害を出す事だけは避けなければならない。
 相沢が目の前に迫る扉に手を掛けると、さあっと光が差し込んだ。
 部屋の中、四角く切り取られた夜空の中に、白い月がぽっかりと浮かんでいる。
 月を背にして、巨大な影がこちらをにらみ付けていた。地を掻く三対の足と、不気味に光る赤い目。
 巨大な蜘蛛が糸を吐き、相沢を捕らえた。
 蜘蛛からのびる糸はきらきらと光りながら、相沢と蜘蛛をつなぐ。ぐいぐいと、蜘蛛は相沢を引き寄せた。
(くっ‥‥このままじゃ、食われちまう‥‥)
 しかし、ここで全力を出せば、きっと校舎を焼いてしまう。
 何か‥‥。
 ふ、と相沢の手がポケットに触れる。
 何か紙のようなものが入っているようだ。がさがさと音をたてるポケットに手をつっこみ、入っていた紙幣を引き出した。
(これは‥‥さっきの符か)
 社を封じていた、あの符だ。
 こんなものを持っていても‥‥。
 と相沢は捨てようとしたが、それを止めて視線を落とした。
 相沢は今、冷静さを失っている。符にも力が注ぎ込まれたはずなのに、朽ちかけた符は崩れる事も燃える事もなく、相沢の手の中に収まっていた。
(符か‥‥。これを使えば‥‥)
 相沢は符が燃えない事を祈りながら、それに力を注ぎ込んだ。

 気が付くと、相沢の体は古びた科学室の床に転がっていた。
 あの少年はもう居ない。結界も無かった。
 相沢は立ち上がる。いつのまに夜が明けたのか、朝日が相沢の目をさしている。まぶしそうにそれを手で避けると、相沢は歩き出した。

 ‥‥夢?
 朝日が、相沢の目を差している。相沢は、ぼんやりと天井を見上げた。自分の体は自室のベッドに横たわっており、ここは日光ではなかった。
(あんな昔の夢を見るとはな‥‥)
 相沢はくくっ、と苦笑を漏らした。


■コメント■
 こんにちわ、立川司郎です。
 ‥‥長くなってしまいました、すみません。いろいろと好き勝手してしまいましたが、いかがでしたか?

PCシチュエーションノベル(シングル) -
立川司郎 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年04月09日

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