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『In tree hole 』
宇奈月・慎一郎2322

 馬鹿正直にも火事で家を失ったので良い物件を紹介して欲しいと言った宇奈月慎一郎に破格の値段で提供された田舎の一軒家。
 何だかとても小綺麗な洋館だ。
 木造二階建て。
 白いカーテンの掛かったフランス窓があったりして、テラスなんかもあったりして、大層ハイカラ。
 元々はどこぞの金持ちの別荘であったらしいが、取り敢えずリフォームもバッチリ。
 田舎と言えども文句なしの素敵な物件が何故あんな値段でアッサリと譲渡されたのだろうか―――もしや過去に殺人か自殺でも?―――などとは一切疑わず、立派な屋根のある住居を手に入れた慎一郎はいそいそと引越の手続きをとった。
 と言ってもなんせ火事で焼け出された身である。
 荷物らしい荷物はなく、ボストンバックに収まる僅かな衣類と愛用のPC、火難を逃れた数冊の本を、家具屋から運び込まれた真新しい箪笥だの本棚だの机だのに仕舞い込んで、いともあっさり引越は完了する。
 フランス窓から外を見ると、晴れ渡った青い空。
 僅かに視線を下げると、隣の小山の緑。
―――山の上に神社がありますよ。人気のない静かな処です。
 と言ったのは運送会社の運転手だったか、或いは不動産屋だったか、その辺詳しく思い出せないが、兎に角、新居の隣には小山があって、そのてっぺんには神社がある。樹齢何年だかの御神木は見物であると、聞いたような聞かなかったような。
「ふむふむ」
 と、新居に合わせた洋風の机に設置したPCを撫で撫でしながら慎一郎は呟く。
 穏やかな午後。
 引越の片付けも一段落した今、やるべき事は。
 住み慣れぬ土地の冒険。
 それだけだ。

「ふ〜ふ〜ふ〜んふ〜ふ〜ふ〜ん」
 ややもげた鼻歌を歌いながら、慎一郎は山の中へ入って行く。
 火事に遭ったと言っても怪我らしい怪我はなく、身も心も、それからたぶん頭も、至って健康。
 歩くことに何ら支障はない。
「どんどんいこ〜」
 田舎は良い。
 静かで、何よりも空気が美味しい。
 マイナスイオンをふんだんに含んだ空気を胸一杯に吸いながら、慎一郎は坂道を上り、草原を越え、でこぼこの砂利道を踏みしめて蜘蛛の巣をくぐり、とうとう神社に到達した。
 本当に、人気のない静かな処だった。
 人気がないと言うかもう何年も放置されて殆ど廃社に近い。
「ああ、これが御神木ですか」
 どん。と、目の前にそびえる大木を見上げて、慎一郎は「ほう、」と溜息を付いた。
 周囲を囲もうとしたら、一体何人の大人が必要だろうか。枝振りと言い面構え(木目構えと言うべきか)と言い存在感と言い、ご立派だ。
 古びてはいるが、一応しめ縄もある。
「なにか小さな動物が住んでいそうですねぇ。そう、例えば栗鼠とか」
 もしかしたら蛇やムササビなんかも住んでいるかも知れない神木の周囲を、巣穴がないかと探しながら慎一郎は歩く。そして、根元に近い幹に何やら大きな穴が開いているのを見つけた。
「これはこれは」
 ムササビか栗鼠か、はたまた蛇かそれもと全く違う動物か。
 突然手を突っ込んだりはしない。
 暗いその穴を覗き込み……、
「おっと」
 つい足元への注意が疎かになり、うっかり太い根に足を取られてしまった。
 身を支えようと手を伸ばしたが、空振り。
「うわわわわっ」
 おむすびころりんすってんてん……ではなくて、慎一郎ころりんすってんてん。
 オイオイいくら何でも大の男が入れるほど大きくなかっただろう穴!と、つっこみを入れる余裕もなく哀れ慎一郎は真っ暗な穴を転がり落ちていく。
「ああ、何だかちょっと不思議の国のアリス……」
 チョッキを着た兎もカラッポのママレードの瓶もないけれど。
 ぼんやりそんな事を考え始めた頃になって、慎一郎は何かとても柔らかいものの上に着地した。
「ああ、良かった。痛くなくて」
 ぽふぽふ、と取り敢えず気分を落ち着かせる為に洋服の汚れを払って、改めて着地した場所を見渡す。
 と、何だかとっても柔らかで毛深い、生暖かい地面である。
「さてはて、ここは一体」
 もう少し目線を上げて、慎一郎はそこに巨大な口と鼻らしい穴を発見した。そして、瞼であるらしい2つの裂け目。
 生き物だ。死骸ではなく、生だ。
 とても巨大な生き物だ。
 どうやら慎一郎はその生物の腕に着地したらしい。毛深い手は暖かく、何だか高級な絨毯のようだ。
 仰向けに寝転がった生物。その腕から、慎一郎は腹へ飛び上がる。―――と言うか飛び上がってずり落ちて毛に捕まってよじ登った。
 腕より更に毛深い腹。呼吸に合わせて上下する胸。
 その胸元に縋り付いて、慎一郎は言った。
「あ、あなたツァトゥグァ、ツァトゥグァですね!」
 その目は多分サンタクロースを見た子供の様にキラキラ輝いていた。そして胸もときめいていた。
 しかし、「イエス、俺様ツァトゥグァ!」と返事がある訳もなく。
 どんなに目をキラキラさせても純情な乙女の様に胸をときめかせても、返ってくるのは、
「ふんごぉ〜ふいーぶほぉ〜すぅー」
 と言う豪快な鼾だ。
 大きな口がその鼾に合わせてぽっかり開いたり、閉じたり、開いたり、閉じたり。
 時々ひくひく動く鼻と、もぞもぞする髭。……邪神にあるまじき可愛らしさ。
「ツァトゥグァ!ツァトゥグァ!」
 それが怠惰と謂えども邪神である事を一瞬忘れて、慎一郎はそのほんわりとした被毛に顔を埋める。
 と、不意にぺとりと生暖かい液体が慎一郎の手に触れた。
「うん?」
 ちょうど彼がツァトゥグァと信じて疑わない生き物の口元に、その手はあった。
 見るとぼんやりと薄目を開けた生き物が、慎一郎の姿を捕らえている。
 その口元に溢れる液体。つまり涎。
 はたと一つの認識が慎一郎の脳裏に浮かび上がる。
 ツァトゥグァ。それは大抵寝ていて、起きていても眠そうにしているという。そして、空腹になると人間であろうが、何であろうが食べてしまう。
「……………」
 僅かに開いた目+口元の涎+人間=慎一郎生命の危機。
「あわわわわわ」
 慌てて慎一郎はその生き物の腹から飛び降りる。そして、自分が落ちてきたらしい穴に向かってジャンプ。
 伸びた根を掴んで、ターザンの如く宙を走り、穴の入口にガッチリとしがみついた。
 それからは、一目散。見えぬ木目に足を掛け、根を掴んで穴をよじ登った。
「凄い処だなぁ、ツァトゥグァの住む山!」
 取り敢えず今日の処は逃げ出したものの、PCさえあれば何ら恐れる事はない。筈。
 破格の値段の綺麗な洋館。自然環境も完璧、その山に住む生物も完璧。
 良い場所に移り住んだものだ……と、むしろ火事で家を失った事を感謝しながら、慎一郎は新居へ戻って行った。

 その翌朝。
 冷え込むものの清々しい空気を吸いに外へ出た慎一郎の足元に何やら小さな包み。
「おや、何だろう」
 拾い上げて、掌に載せる。
 葉っぱでくるみ、藁で縛った可愛らしい贈り物だ。
「ああ、贈り物。そう、テレビで見た事がありますね。これを地面に植えておくと大きな木になるんです」
 誰からの贈り物で、中身は何であろうか。少し考えもしたが、慎一郎は以前テレビで見た通りにその包みを庭先に埋めた。
 果たして芽が出るだろうか……。
 その日、昼寝をした慎一郎は巨大な木に登ってツァトゥグァと宇宙へ旅立つ夢を見た。



end
PCシチュエーションノベル(シングル) -
佳楽季生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年01月28日

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