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『原風景を探す旅 』
槻島・綾2226

 『人にはきっと、何時か必ず帰りたい風景があるのだと思う。僕はそれを原風景と呼んでいる。それが何処で、どんな景色なのか。人によって違うであろうその景色を、僕は時々、考えずにはいられない。生まれ育った家かも知れないし、未だ訪れた事のない場所かも知れない。もしかしたら、生まれる前の魂の在処かも知れない。僕は何時も、探している。僕が何時か本当に帰りたいと願う場所を』

 使い慣れたキィボードを打つ手を止めて、槻島綾は机の前に貼った写真を見る。
 僅かにセピアがかった、手に入れて以来ずっと自分の目につく処に貼り続けた写真。
 青々とした草原に、雲間から光が降り注ぐ。
 その影と、草の青と、光。
 眩い、どこか神々しさを含むその景色を、綾は見たいと願う。

 『原風景とは、見たことも訪ねた事もないのに、脳裏に鮮明に浮かび上がる風景。一度も訪ねた事がないのに、どうしようもなく懐かしく思い浮かべる事の出来る風景の事を言うのだそうだ。僕が何時か本当に帰りたいと願うのは、名も知らないそんな原風景』

 綾がその写真を見つけたのは、子供の頃。
 家にあった古いアルバムの片隅だ。
 旅行先や友達同士、日常の風景を収めたアルバムに、一枚だけ様子の違うものがあった。
 観光地でも近所でも家の中でもない、草原。
 確認したところ、両親のものでも、祖父母のものでも、はたまた親族のものでもない。
 誰が何時何処で撮ったのか分からない、その写真の風景に、綾は釘付けになった。
 そこに映し出されていたのは、物心付いた頃から懐かしく思い続けて来た綾の原風景そのもの。
 何時か大人になったら、自分でこの風景を探そう。
 探して、この目で見よう。
 子供心に誓って、以来その写真を綾が持ち続けている。

 『ここに一枚の写真がある。誰が何処で何時撮ったものなのか分からない、謎の一枚。青々とした草原に雲間から光が降り注ぐこの一枚こそが、僕の原風景だ。僕はこの風景を何時かこの目で見るために、旅をしていると言っても過言ではない』

 原風景を見たいと言う気持は、ただ綺麗な景色に憧れるだけの子供の感情では終わらなかった。
 憧れ続けた景色を自分の目で見たい。その思いが、綾を無性に旅に駆り立てる。
 探したい、見つけたい。
 どんな場所を訪ねても、気が付くとこの景色を探している。
 切ないほど強く。

 『あなたが旅をするのは、どんな理由からだろう。美味しい物を食べたい、珍しい物を見たい、美しい景色を見たい、日常から離れて安らぎたい……。或いは、僕と同じように原風景を探している。……様々な理由があるだろう。僕はずっと原風景を探している。けれど、勿論それだけが旅の目的ではない。僕は、旅先で食べるどんな料理よりも、どんな珍しいものよりも、ただ旅をすると言う行為が好きだ。何時もと違う列車の切符を買う事、慣れないシートに座る事。見知らぬ人の隣に座って、絶え間ないお喋りに耳を傾ける事。耳慣れない訛、風習を楽しむ事。違う場所から見る空の色、太陽と空気を感じる事。そして、まだ見ぬ風景を見ること。もしかしたら、僕の探しているあの原風景がそこにありはしないかと、光降る方へ目を向ける事。そして、そこに見る想像もしていない風景』

 何気なく目を向けた先に、原風景よりも美しい景色が広がっていることなど、しょっちゅうある。逆に、噂ほどのものでもなくがっかりしたことも沢山ある。
 楽しい事ばかりではない。嬉しい事ばかりでもない。旅先でイヤな思いをする事だってあるし、散々な目に遭うことだってある。
 失われてしまった風景もある。開発によって壊されてしまった自然。災害によって崩壊し、新たに立てられた建造物。もう二度と見えない景色や建物。
 そう言ったニュースを聞く度に、思う。
 ああ、旅をしていて良かった、と。
 失われる前に、あの景色をこの目で見る事が出来た。あの建造物を見る事が出来た。古い神社・仏閣に参拝する事が出来た。古き良き時代の名残に触れる事が出来た、と。
 或いは、新しい景色を見る事が出来た。生まれ変わったばかりの、初々しい息吹を感じる事が出来た、と。
 古い物や新しいものに触れること、まだ見ぬ未知の物事を知る事、場所から場所へ移動する時間の言いようのないドキドキする気持ち、見知らぬ土地への不安や憧れ、旅先で1人で過ごす哀愁を感じること自体が旅の楽しみの一つだと綾は思う。そして、こうして旅をテーマとした文章を書くこともまた。
「ついでに原風景も見つけられたら、それに勝ることはないですけれどね……」
 呟き、これまで旅した様々な場所を思い浮かべて、綾は手を止める。
 こう言った旅行記の仕事を受けると、いつも何処を紹介したものかと迷ってしまう。
 先方から指定のある時は良い。しかし、指定のない時はあまりにも書きたい場所が多すぎて、なかなか一つに決まらない。
 今回も、指定のない依頼だった。
 年末に旅行した場所のことを書こうか、それとも船舶と列車での旅のことを書こうか、或いはまだ行ったことのない場所への想いを書こうか……迷った結果が、原風景。
 未だこれを人に話した事はない。勿論、エッセイも書いていない。
 見たこともない、日本国内なのかはたまた海外なのか、何の情報もない場所について書くのはなかなか骨が折れる。
 それでも、憧れや想いを文章にするのはなかなか楽しい。
「却下、と言われたらそれはそれで困るのですがね……」
 モニターに映し出された文章を何度も読み返し、推敲してどうにかそれらしくまとめ、文字数を確認する。
 それから、仕上げに取り掛かった。
 
 『では、最後に旅を愛するあなたに、松尾芭蕉の一文を捧げよう。
<月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也。舟の上に生涯を浮べ、馬の口とらえて老をむかふる物は、日々旅にして旅を栖とす。古人も多く旅に死せるあり>
あなたの原風景が見付かりますように。そして、あなたが今日も素晴らしい旅人でありますように』

 目の前の写真を剥ぎ取って、綾は微笑を浮かべる。
 いつかきっと、旅の途中の思わぬ場所で、出会えるに違いない。
 その日まで、決して旅する事を辞めない。


end
PCシチュエーションノベル(シングル) -
佳楽季生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2004年01月26日

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