▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『雨とひよこと謎 』
ライ・ベーゼ1697

「珍しいじゃないか」
煙草をくわえたままの草間の声は、雨音に半ば掻き消されている。
「仕事の帰りさ。この雨だからな、雨宿りに立ち寄らせて貰った」
応えながら、ライは草間が投げ寄越したタオルでまず懐にしまってあった本を拭う。
濡れてはいないが、湿気を帯びている。
「それは構わないが……、今、みんな出払ってるんでな。碌なもてなしは出来んぞ」
言いながら、熱いコーヒーを寄越す草間に、ライはニヤリと笑った。
「あんたにもてなして貰おうなんて期待しちゃいないさ」
「そうか」
ヒョイと片方の眉を上げて草間は応接間のテーブルに自分のカップを置いた。
続けて、煙草を消そうとして、ふと手を止める。
灰皿が満杯だった。
溢れた吸い殻がテーブルに転がっている。
煙草を消す前に、灰皿を掃除しなくては。草間は小さく溜息を付いて灰皿を持って別室へ消えた。
ライは構わずソファに座り、草間の入れた薄いコーヒーを一口飲む。
それから、湿気を含んだ本のページを捲った。
仕事の後、立ち寄った古書店で買ったものだ。
「随分小難しそうな本を読んでるじゃないか」
背後から草間が覗き込む。
まだ最初のタイトルページである。
「難しくはない、ただの小説だ」
「タイトルが小難しそうだ」
ルビは振られていないが、確かに、画数の多い、普段なら滅多に読み書きしないであろう漢字が並んでいる。
「読めるのか?」
と言われて、ライはムッと眉を寄せた。
「馬鹿にしてるのか?」
「心配してるんだ。折角買っても、読めなきゃ意味がない」
余計なお世話だとばかりに鼻を鳴らすライから本を奪い取って、草間はパラパラとページを繰る。
「これは、何て読むんだ?」
「…………」
草間の指さした行に『翹望』と書かれている。わざわざ横を指で隠している処を見ると、そこにルビがふってあるのだろう。
「そう言うあんたは読めるのか?」
「オレの事は良いのさ、これはオレの本じゃない」
ライは軽く舌打って草間から本を取り返すと、上着の中にしまい込む。
草間が面白そうにその様子を見て笑う。
「目下勉強中だ。辞書でも引きながら読むさ」
まぁ精々頑張れと言う草間と向かい合って、ライは話を変えた。
「しかし、雨が止まないな」
言葉の通り、雨は止む気配がない。それどころか、酷くなっているようだ。
「ああ、少し風も出て来たかな。まぁ、用がないならゆっくりしていけ」
ライが頷きかけた時。
「うん?」
パチパチッと電気が瞬き、消えた。
「ブレーカーが降りたか……?」
立ち上がろうとする草間を、ライは手で制した。
「いや、停電らしい。見ろ」
ライは窓の外を指さす。
確かに、余所の建物のどの窓からもひかりが漏れていない。
代わりに、ゴロゴロと言う雷に続いて閃光が空を走る。
「夕立だと思ったが……、荒れて来たな」
少し温くなったコーヒーを飲んで、ライはそっと溜息を付く。
何だって今日みたいな日に仕事が入ったのだろうか、と。
こんな雨の日は、自分の部屋で本を読むのが一番なのだが……。
空に厚くたれ込めた雲は暗く、雨はいっこうに止みそうにない。


「ああ、そうだ。饅頭があるんだが、喰うか?何ならもう一杯コーヒーを入れるが……?」
自分のカラになったカップを置きながら草間はテーブルの隅の箱を指さした。
「いや、コーヒーはもう良い……、」
応えながら、ライは箱を見る。
暗い応接室のテーブルの隅、ひよこ饅頭と書かれた箱が窓から差し込む稲光に照らされている。包装紙に印刷された黄色いひよこが紫の光に照らされる様子は何だか少し、間抜けだ。
「そうか」
言って、草間は煙草に火を付けた。
停電は復旧せず、暗い部屋に向き合った顔は時折稲光が差し込まなければ黒い影にしか見えない。
そんな中で、草間が付けたライターの炎がぼんやりと顔を照らす。
フィルターを通して煙りを吸い込む音が、雨音に混じってライの耳に届く。
続いて、白い煙を吐き出す音。
ふと、ライは首を傾げた。
「今、何か言ったか?」
「いや?」
短く応えて、草間は再び煙りを吸い込む。
その音に混じって、何か動物の鳴き声が聞こえる。
「何か動物を飼い始めたのか?」
言われて草間は首を振った。しかし、彼の耳にも何か聞こえたようだ。
モゾモゾと、何か引っ掻くような音と……、ピヨピヨと鳴く声……。
二人は暫く部屋中を見回し、鳥の姿がない事を確認した。
そして、何故か同時にヒヨコ饅頭の箱に視線を注ぐ。
激しい稲光が応接室のヤニで黄ばんだ壁を照らし、二人の影を浮かび上がらせた。
「あんた、馬鹿だろう?」
「ん?うん……」
「何で肯定するんだ、馬鹿だと言ったんだぞ」
しかし、言いながら箱から目を離せない自分も馬鹿かも知れない、とライは思う。
何故ひよこ饅頭の箱から鳴き声が聞こえるんだ。そんな事あるワケない。
「開けてみれば良いんだ」
言って、草間はヒヨコ饅頭の箱を手に取る。
途端にピヨピヨと言う鳴き声が激しくなった。
「一体誰に何を貰ったんだ?」
包装を破る草間の手を見ながら、ライは首を傾げる。
「何って、依頼人の土産だが……」
包装紙の下に現れた箱。その箱が、ゴソゴソと動いて草間の手から滑り落ちた。
「……………」
箱から零れ落ちた中身。
それは、確かにひよこの形をした饅頭だった。
茶色い薄皮に包まれた、丸まると太った可愛らしいヒヨコ型。
間違いなく、饅頭だと、ライの目に映る。
「饅頭じゃなかったのか……?」
床にこぼれ落ちたひよこ饅頭を、感心気に見る草間。
「饅頭だろう!どこからどうみても!」
噛みつくような勢いで怒鳴って、ライは足元をわらわら動くひよこ饅頭を……、饅頭であるはずのひよこを見る。
ピヨピヨと鳴きながら、饅頭は、いや、ひよこは小さな足でよちよちと歩く。
饅頭の癖に一体何処に足があるんだ、足が……。
しかも薄皮の筈の嘴が、どうして囀る事が出来るんだ……。
ライが苦悩する中を、その饅頭である筈の、甘い白餡が詰まっている筈の体を、激しく轟く雷が照らし出した。
「饅頭じゃないなら、何だ?何で饅頭が動くんだ?」
指に挟んだ煙草を吸うことも忘れて、草間はひよこ饅頭を見下ろす。
「そんな事、オレが知るわけないだろう。すり込みでもして聞いてみたらどうだ?」
「ひよこ語なんざ知らん」
ひよこ語とは何だ、ひよこ語とは……!せめて鳥語とか言えないのか……、と思ったが、ライは取り敢えず口には出さずぴよぴよ可愛らしく囀るひよこの動きを目で追う。
饅頭である筈のつぶらな目がどうやって世間を見ているのだか分からないが、時折差し込む稲光を頼りに、着実に扉に向かっているようだ。
「おい、良いのか。逃げるぞ?」
「捕まえた方が良いのか?」
「オレに聞くな。あんたの持ち物だろう」
「持ち物と言われてもな……、饅頭だと思ってたんだが……」
だから饅頭が動いたり鳴いたりするものか、何か仕掛けがあるんじゃないのか、と言いかけたライに構わず、草間は立ち上がった。
捕まえる事にしたのかと思いきや……、わらわらと扉の前に集まってぴよぴよ鳴いているひよこの為に、扉を開けてやった。
「何してるんだ、逃がして良いのか?」
のびり振り返る草間の足元を、ひよこ饅頭たちはちょこちょこと歩いて廊下に出てしまう。
「今、歌を思い出したんだ」
「歌?」
一体何を言い出すんだか、と訝しむライに、草間は笑う。
「昔、あっただろう?毎日焼かれるのがイヤになって逃げ出した鯛焼きってのが」
「それとこれと、何の関係がある?」
「あのひよこ饅頭も、毎日毎日焼かれるのがイヤになったんじゃないかと思ってな」
ライは暫し目を閉じて、こめかみを押さえた。
「どうかしたか?」
「いや……」
応えて、深く溜息を付くライ。
「さすが怪奇探偵だな。座ってるだけで怪異が向こうからやってくる」
「怪奇探偵とは何だ、失礼な。それに、今のはやって来たんじゃない、去って行ったんだろう」
そもそも動くひよこ饅頭を受け取る時点で来る者拒まず千客万来の怪奇探偵なのだ。
そう言いかけて、ライは言葉を変えた。
「一体、どんな依頼だったんだ。あの饅頭を持って来た奴の依頼は?」
暫し考えて、草間は口を開いた。
「……家業の人形焼き屋の人形焼きがこぞって脱走しちまったって言ったかな……」
この男を、怪奇探偵と呼ばすして何と呼ぼうか。
深い溜息を付いて、ライは窓から外の歩道を見下ろす。
この雨の中、ひよこ饅頭達はどこへ逃げようとしているのだろう。
精々ふやけて溶けてしまわない事と……、食い意地の張った人間に拾い喰いされない事を祈るばかりである。
PCシチュエーションノベル(シングル) -
佳楽季生 クリエイターズルームへ
東京怪談
2003年08月11日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.