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『○リンゴ味のキス 』
シルヴィア・クロスロード(eb3671)

 ‥‥感じる。
 やけどしそうな程、熱い心と体温。
 ‥‥聞こえる。
「シルヴィア‥‥」
 耳元にかけられた吐息と、甘い声。
「身体を固くするな。目を閉じて力を抜け‥‥」
 強く抱きしめられ、命じられる。
 決して弱くない騎士である自分が、たった一人の腕の中で翻弄されている。
「はい‥‥」
 だが彼女はそれに従い、目を閉じた。重ねられた唇の感覚に酔ってしまいそうだ。
「愛している‥‥」
 誰よりも近いところに愛する人がいる。
 何よりも深い充足感を、その身と心に感じながら‥‥。

 翌朝、彼女は少し冷えた空気にその身を震わせて目覚めた。
 自分を包む毛布は二人分。
「パーシ様!」
 飛び起きても既に自分の横には誰もいない。
「まさか!」
 慌てて身支度を整え、階下に急ぐ。そこには‥‥
「おはよう。シルヴィア。目が覚めたか?」
 カップを上げて柔らかく微笑む、夫の姿があった。
「ここのシードルはなかなかいけるぞ。リンゴが特産なんだそうだ。お前は、ジュースの方がいいか?」
 言いながら通りすがりの給仕を捕まえて注文を出すその姿にホッとした次の瞬間。
 赤い目を見たのだろう。
「疲れているならまだ休んでいろ。昨夜もろくに寝ていないだろう?」
 遠慮なく告げた彼の言葉に彼女は林檎のように真っ赤に顔を染めた。
「今日一日、宿での演奏を頼まれた。たまには身体を休めないと疲れが溜まる一方だからな。お前も今日は一日‥‥? なんだ?」
 肩を震わせたシルヴィアの顔を新緑の瞳が覗き込む。
「どうした?」
 それから逃げるように彼女は顔を背け、声を荒げた。
「誰のせいだと思っているんですか!? ‥‥ずるいです! 知りません!」
 たっ、と彼に背を向け外へ駆け出していくシルヴィア。
 彼女の行動の意味が解らず首を傾げる騎士にあ〜あ、という顔でカウンターから見ていた女将が顔と口を出す。
「お前さん達、新婚さんなんだろ? もう少し女心ってやつをわかっておあげよ」
「そんな変なことをしたつもりはないのだが‥‥」
 あ〜あ、今度は本気で女将が肩を竦める。
 旧知で腕利きで、人の想いには聡いこの騎士も『女』心にはからっきし疎いのだと確認した彼女は
「やれやれ、あの子も気の毒に‥‥。どれ、少し手伝ってあげようかね」
 小さく笑いながら腕を捲くったのだった。
 
 宿を飛び出したもののどこに行く予定も当ても無いシルヴィアは、はあ、と大きく息を吐き出し足を止めた。
「本当に‥‥あの人はずるいんですから‥‥」
 それは、心からの本心ではあるが何をずるいのかと問われれば答えに困る。
 しいて言うなら‥‥
「私ばかりこんなに好きで‥‥」
 とか
「デリカシーとか、思いやりとかがないんですから」
 だろうか。
 彼は自分に愛していると言ってくれる。強く抱きしめて愛してくれる。
 そして何より自分を共に歩むパートナーとして認めてくれている。
 さらに正直に言えば彼に文句や問題など何一つない。
「寝顔もろくに見せてくれないくせに‥‥」
 問題なのは自分自身だと解っている。自信がないのだ。
 唇を噛み締める。
 真っ直ぐな愛を注いでくれる彼に愛されている自分という存在にまだ自信が持てない‥‥。
「そろそろ‥‥戻らないと。私に休めと言っておいても、あの方は絶対仕事をするに決まっているんですから‥‥」
 微かに目元に浮かんだものを手で擦ってシルヴィアは回れ右をして歩き出した。
 戻ってきた宿屋。その厨房でなにやら賑やかで鮮やかな笑い声がすることにシルヴィアは気付いた。
「あの‥‥何をしているんですか?」
「ああ、お帰り。バレンタインって知っているかい? 好きな人に女の子がお菓子を添えて告白する日、だけどね。そのお菓子作りの勉強会さ」
「バレンタイン‥‥あ!」
 女将の言葉にシルヴィアは口を押さえた。
 旅の空、忘れていたわけではないが以前ほど意識していなかった行事を思い出す。
「あの‥‥女将さん?」
「あんたもやるかい? 材料ならあるよ」
 エプロンを差し出し笑う女将にシルヴィアは
「はい!」
 と頷いた。

「いいかい? 粉は二回。よくふるう。あとバターは少し固いけど、柔らかくクリーム状になるまで力を入れて練るんだよ」
「はい! 以前にも作ったことがあるので少しは解ります」
 シルヴィアの返事は良いがどこか緊張があるようだ。
「そうかい、じゃあ頑張るんだよ」
 他の子の様子も見ながら女将は小さく笑って頷いた。
 甘いものがあまり好きではないという彼の為に、さっぱりとしたリンゴ入りのクッキーを。
 砂糖を少なめに、代わりに蜂蜜を入れて‥‥。
 懸命に考え工夫するその姿は見ていて愛おしいほどだ。
 料理に一番大事なのは愛情。大切な人の為に作ろうとする思い。
「あの子が自慢に思うのも解る気がするけどね」
 本当に似たもの同士であり、お似合いの二人だと思う。
 まだどこかぎこちないのは、いずれ時が解決してくれることだろう。
 そう思う女将はまるで、わが子、娘を見るような笑みで笑っている。
 だが、その笑顔はじきに凍りついた。
「ちょ、ちょっと! お待ち。粉を入れてからそんな力任せに混ぜてどうするんだい!」
「あれ‥‥違いましたっけ? さっき力を入れてって」
「それは、バターを混ぜるとき。粉を入れてからはざっくりと切るように纏め合わせるんだって」
「は、はい!」
「こら! 焦らない。そんなに急いでリンゴを切ったって不ぞろいになるだけだよ。落ち着いて!」
「でも、失敗はできないしオーブンの火が冷めちゃうから急がないと‥‥」
「焦れればかえって失敗するから! ゆっくり、一つ一つの工程を丁寧にそれが一番大事なんだよ」
「す、すみません」
 料理に一番大事なのは愛情。でも、それ以前に身に付けなければならないことも多そうだ。
 女将は頭を抱えた。その下に見えるのは笑みであったけれど‥‥。

 そしてバレンタインの夜。
「あの‥‥パーシ様、これ、受け取って頂けますか?」
 酒場での仕事を終えた愛する者に、シルヴィアは白い布で包みリボンで結んだ小さな包みを差し出した。
「これは?」
 包みを受け取ったパーシは手の平に乗せて上下に揺する。それから静かにリボンを解いた。
 中に入っていたのはクッキー。ドロップタイプと呼ばれる不ぞろいなクッキーは柔らかめのものと少し固めのもの、狐色のものと狸色のものが混ざり合っている。
「あ、あの最初に焼いたのは、リンゴから水分が出てしまって、後からのは焼きすぎてしまって‥‥その‥‥すみません。今年もなんだかあんまり出来が良くなくて‥‥あれなら食べなくても‥‥」
 恥ずかしげに顔を下に向けるシルヴィアは、
 サクッ。
 柔らかい音に顔を上げる。狸色のクッキーが一つ。もう彼の口の中に消えようとしていた。
「パーシ様‥‥」
 目を丸くするシルヴィアに、パーシは片目を閉じて微笑んだ。
「外見はともかく、甘くて旨いぞ。もう少し自信を持て」
「でも‥‥」
「なんなら味見をしてみるか?」
「えっ?」
 いきなり引かれた手に引き寄せられたシルヴィアは、もう彼の腕の中。
「どうだ‥‥甘いだろう?」
 重ねられた唇に感じる甘さは確かに、熟れたリンゴのそれより、クッキーのそれより、蜂蜜のそれより‥‥ずっと甘かった。

 余談
 シルヴィアの悪戦苦闘の末できた不ぞろいクッキーは瞬く間にパーシの胃袋へと消えてしまった。
「去年より上達はしたんじゃないか? お前に足りないのは自信だ。もっと自分の価値を知って自信を持て」
「はい‥‥努力します」
 夜に食べると太るとか、そんな事は気にする必要さえ無いほど鍛えられた身体に触れながらシルヴィアは、彼の言葉に心が温かくなる思いと喜びを感じ‥‥頭をその大きな胸に寄せた。
 甘い、幸せな一時。
 だがふと、あることを思い出す。彼のさりげない一言で思い出した。
「去年‥‥? パーシ様、昨年までのクッキーは、部下の方とどうぞ、と渡していたのですが‥‥皆さんも食べて下さってたんですよね?」
 素朴な疑問。だがパーシは
「さあて、どうだったかな?」
 何かを思い出すように笑うだけで答えてはくれなかった。
「えっ? 何か、私、失敗していたのでしょうか? それとも‥‥?」
 彼は笑う。優しい眼差しで。
 その理由をシルヴィアは聞きたいようで、でもどこか怖くて長く、聞くことができなかったという。
 

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【eb3671 / シルヴィア・クロスロード / 女性 / 26歳/ 神聖騎士】


 
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2010年02月23日

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