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『欲しいもの 』
須賀 なだち(ib9686)


 それは三月のそろそろ半ばになろうかという、日差しに幾分春の気配が息づき始めた頃のことである。
 夫婦揃っての夕食を終え、須賀 なだち(ib9686)が土間で茶碗を洗っていると突然夫に「なだち」と名を呼ばれた。
「はい、なんでしょう?」
 手を休めて振り返れば、呼んだはずの須賀 廣峯(ib9687)本人は不自然に体を捻り背を此方に向けている。
「…てめぇは……」
 暫くしてそれだけ言うとまた夫は黙り込んでしまった。廣峯は戯れで名前を呼んだりするような質ではない。何か用事があるのだろう、となだちは濡れた手を手拭で拭うと居間へ上がる。そして夫の言葉の続きを待つ。
 ちらりと視線がなだちに向けられる。
「あー…」
 なんでもねぇよと言い掛け「違ぇ」と独り言。夫が逞しい指で額をグイと押すのが見えた。広くて逞しい背中がどこか居心地悪そうに丸まっているのが印象的だ。
「何か 欲しいモンはねぇの、かよ」
 深呼吸の後、そんなことを聞かれた。
「…私の欲しいものですか?」
 廣峯の後ろ律儀に正座をしたなだちが小首を傾げ、少しだけ思案の仕草を見せる。
 同じようなやり取りを三月に入った頃から既に何度か繰り返していた。なので此処までのやりとりもほぼいつも通りと言って良い。
「私は廣くんが居てくれるだけで十分に幸せです…」
 廣峯はいつも同じことを問い、なだちも常に同じように答える。そろそろお約束と言ってもいいかもしれない。
 なだちの答えは嘘偽り無い心の底からの言葉だ。誰に問われてもそれに勝る幸せなどどこにも存在しないとなだちははっきりと言い切れる。それほどに自分は十分に幸せだというのに、夫はそれでは納得しないらしい。
 今日も「女だったら白粉とか紅とかあんだろ?」と背中を向けたまま何処が怒ったような口調で更に聞いてくる。勿論それは怒っているわけではなく夫の照れ隠しであることをなだちは十分に承知していた。
(バレンタインデーのお返し、なのでしょうか?)
 ふと思い当たる原因。どちらかというとそういった行事には疎い夫が、そんなことを気に掛けていてくれたなんてと背中を見つめる目も細められる。
(廣くんが私のために……)
 本当にこれだけで十分過ぎるお返しであった。
(でも……)
 それだけでは駄目なのですよね、と廣峯の背を見つめる。
「今度聞くまでに考えておけよ」
 女は優柔不断な生き物だ、などと悪態を吐きつつ廣峯がごろんと畳の上に寝転がった。
(考えておけと言われましても…)
 本当に彼がいてくれるだけでいいのだから困ってしまう、と寝転がった廣峯をこそりと盗み見る。僅かにのぞく横顔の唇が尖っていた。そんなところすらも愛しいのだ。
 一生懸命な夫のためにも何か考えておこうとは毎回思うのだが……。
「どういたしましょうか?」
 茶碗洗いを再開しつつなだちはひそりと呟く。彼がともにいてくれることが最高の幸せであり贅沢であると信じて疑わないなだちにしてみればそれ以上のものなんて思い浮かばない。
 だが背後にあの人の気配を感じながら家事をする、その幸せを言葉で説明するのは難しいのだ。


「おい、なだち!」
 ある日またなだちは突然名前を呼ばれる。昼食の片づけが終わり一息ついた時であった。お茶でも淹れましょうと居間を覗いたところ呼び止められる。
 どことなく廣峯がそわそわしていたのでまた欲しい物を聞かれるのだろうか、と思いつついつも通りに「はい、なんでしょう」と返事をして卓袱台を挟んで正面に座る。
 だが今日は違った。
「ホワイトデーだ!」
 卓袱台の上に両手をついて身を乗り出し、廣峯が力強く言い切る。今から果し合いを申し込む、と言われるほうが似合う、そんな真剣な表情だ。
「はい、ホワイトデーですね」
 驚きつつも頷くなだちと視線が合えば、ふいと逸らされる顔。
「好きなもん買ってやるから買い物行くぞ! ついてこい!」
 それを誤魔化すかのように顎を玄関に向けてしゃくってみせた。
「……。あら、お買い物ですか?」
 なだちは数度瞬きを繰り返す。なんとも彼らしい誘い方だと、思わず小さな笑みが零れた。
「廣くんからお出掛けに誘ってくださるなんて、珍しいですね」
「うるさいっ。無駄口叩くなら置いてくぞ」
 さっさと先に行ってしまった夫の声だけが返ってくる。しかし「置いて行くぞ」などと言いつつ結局戸の直ぐ脇でなだちのことを待っていてくれた。
「遅ぇ、行く気ねぇのか…」
 わざとらしく眉間に皺を寄せてみせる廣峯に「お待たせし待て申し訳ございません」と素直に頭を下げた。
「別に…怒っちゃいねぇよ。ほら行くぞ」
 途端に威勢のなくなる夫の声。なだちは人知れず微笑んだ。
「折角ですし…」
 なだちは小走りで夫に並ぶと自分より幾分高いところにある顔を見上げる。
「晩御飯のお買い物にも付き合って下さいね?」
「好きにしろ」
 愛想も何もない声音。だが廣峯の歩く速度がゆるやかになった。なだちに合わせてくれているのだ。
「はい、ありがとうございます」
 二人は連れ立って大通りへと向かう。


 露台に並ぶ帯留めをなだちは手に取った。磨かれた黒い石に一筋の朱。
 隣で欠伸を噛み殺している廣峯の黒髪に、朱の一刷け。
(廣くんの髪とお揃いです)
 向けた視線に廣峯が「ぁあ?」となだちを見下ろす。そしてその手の帯留めに気付く。
「あ? これが欲しいのか」
「…あ、いえ、欲しいという訳ではなく…」
「……違うのか」
 苦笑とともに帯留めを露台に戻すなだちに、廣峯はどこか残念そうである。
「よし、あっちも見てみっか」
 行くぞ、と廣峯が歩き出し、少し遅れてなだちが続く。
 すぐ傍の背中、何時もは堂々としているのに今日はどこか落ち着かないようにあちこちへと揺れている。それはきっとなだちが気に入るものを探そうとしてくれているのだろう。時折振り返ってくれるのははぐれてないか確かめるためか。
(私が廣くんの背中を見失うはずなんてないのに…)
 振り返った彼と目が合うのは、彼が自分の身の丈を考え視線を下げてくれているからだ。視線が重なるたびになだちは微笑む。
 こうして二人並んで歩いているだけで…。
「私はとても幸せなのですよ」
 背中に向かってなだちは呟いた。
「何か言ったか?」
「今日はとても良い日だと思いまして」
「ああ? そうだな、良い天気だな。   綺麗な青空だ」
 空を見上げ、頭を掻く廣峯に笑みを零す。
「俺が空を褒めんのは悪ぃか」
 ギロリと睨む視線に「いいえ」と小さく頭を振る。
「本当に綺麗な青空だと私も思います」
 隣に並び仰ぎ見た青空に手を伸ばす。その仕草に「ガキみてぇだ」と廣峯が笑う。

「これが欲しいのか」
 なだちが何かに視線を向けるたびに廣峯が聞いてくる。露台を見ているときはさも自分は関係ありません、といったようにそっぽをみているというのに彼女が少しでも手を伸ばせばすぐに気付くのだ。そして少し意気込んだ様子で尋ねるのである。
「…あ、いえ、欲しいという訳ではなく…」
 なだちがそう答える度に「なんだ、違うのか」と残念そうに溜息を吐く。似たようなやり取りを最近繰り返していたな、と思わなくも無い。
 簪、巾着、手鏡、下駄、色々なもので同じようなやりとりを繰り返した後、とある呉服屋の前に出た。
 武天産の高級絹を理穴で染め上げた反物や異国の品までも扱う神楽の都でも有名な大店である。その呉服屋の前で廣峯が立ち止まった。
「どうしました?」
「着物はどうだ?」
 尋ねるなだちに廣峯が尋ね返した。最初何を聞かれているのかわからずに首を傾げると。
「だから新しい着物を作ってやろうかって言ってんだよ」
 わからねぇやつだなぁ、と組まれた腕になだちがそっと触れる。
「今あるものだけで十分です」
「遠慮なんかすんじゃねえぞ」
 俺に対してそんなことしてみろ、ただじゃあおかねぇぞとばかりに廣峯が凄んでみせる。
「晴れ着とか綺麗な着物とか好きだろう、女は…」
 いいえ、となだちは頭を振った。本当に私は今のままで十分に幸せなのですよ、と何度も伝えた言葉を再び口にする。
「……なだち」
 いきなり顔を覗きこまれた。
「てめぇには欲ってもんがねぇのか?」
 どこか呆れたような表情である。
「欲ですか?」
 欲ならばある。ずっと愛するこの人と共にいたいという誰にも譲れないものが。
「俺なんて……」
 廣峯が何かを言いかけて慌てて言葉を飲み込んだ。
「あれが欲しい、とかこれが好きだとかあるだろう? な?」
 どうしました、と問うなだちに多少大袈裟な仕草で同意を求める様子は慌てている。一体なにを飲み込んだのであろうか。
「本当に、欲しい物など何も…」
 呉服屋の先、十字路の角にある小さな小間物屋。そこに並ぶ一本の櫛が目に入る。
「廣くん…」
 袖を引き小間物屋まで向う。
 目に留まったのは月のような丸み帯びた歯の細やかな柘植の櫛である。
「あ? なんだ、此れか?」
 なだちの視線の先にある櫛を廣峯が取り上げ、なだちの掌に乗せた。
 磨かれた柘植の柔らかい温もりが掌にとてもよく馴染む。
「…もっと高いのじゃなくて良いのかよ」
 聊か不満そうな声。細やかな透かし彫りが施された素朴な櫛だ。漆も塗られていない。柘植の木目そのままである。並んでいる櫛のなかでも地味だと言っていいものだろう。それが気に入らないのかもしれない。こんなのもあるぞ、と漆に箔が押されたものなども指し示される。
「いえ、此れが良いです」
 掌の櫛をぎゅと握り締めた。
 まだまだ新しい白味帯びた柘植。使ううちに年月を重ねて飴色になっていくのだろう。それはそのまま彼と過ごす日々の証と言っても良かった。
「何時でも使える物の方が嬉しいですから」
 まだ納得していない、といった様子の夫に「ね」と微笑んでみせる。
「…そうか」
 てめぇが良いというなら…と、なだちの手の中の櫛を売り子に指差した。
「おい、これくれ」
 お包みしましょうか、と問われると廣峯がなだちを振り返る。
「このままで構いません」
 彼が贈ってくれた櫛は常に自分と共に。一時も箱に入れるなど勿体無い、と言ったら呆れるだろうか、と商人とやり取りする夫を見る。
「本当にこれで…いいのか?」
 店を辞し、廣峯にもう一度訪ねられた。なんなら他にもと、再びどこかの店に行こうとする夫をなだちは呼び止める。
「大切にいたしますね」
 胸元で櫛を抱きしめ微笑む。廣峯が目を瞠った。
「……」
 無言で頬を引っ掻く、視線が掌の櫛となだちの顔とを往復し、無骨な指がそっと櫛を掴む。
「なだち」
 名を呼ばれそっと目を伏せる。彼の手が頭のあたりに翳されるのがわかった。櫛の歯先が躊躇うように髪に触れては離れてを数度繰り返す。
 それからすっと櫛が髪に通された。
 目を開く。此方を見つめている夫の視線と交差する。
「…ん。似合うな」
 手が髪をそっと撫でる。固い指先が軽く頬に触れた。
「……っ」
 それだけで心臓が跳ねて息が詰りそうになる。廣峯が触れた箇所からまるで火が灯ったかのように頬や耳が熱くなる。
「…有難う……」
 そろりとあげた手、彼が挿してくれた櫛を揺らさないように優しく触れた。柘植の感触は柔らかく、そして先程触れたときよりも温かく感じる。
「…ございます……」
 湧き上がってくる愛しさで言葉が上手く出てこない。彼を見つめたままゆっくりと微笑む。
 口を真一文字に結んで、真剣勝負を挑むかのようになだちを見詰める廣峯の頬も仄かに赤い。痙攣する唇の端。きっと笑みたくなるのを必死に堪えているのだろう。
 そうやって意地を張るところも、不器用な優しさも全て全て愛おしい。視線に言葉に全て込められればいいのに、と思う。
 往来だというのに二人はしばし見詰め合う。行きかう人も分かっているのか誰一人邪魔する者はいなかった。
 不意に耐え切れなくなったように廣峯が視線を外した。何か口にしたような気もするが、聞こえない。
「なんでしょう?」
 聞き返せば「……か、帰るぞ」と一言そっけなく告げ、踵を返す。黒髪から覗く耳が赤い。
「はい。帰りましょう、廣くん」
 一歩、二歩小走りで追いかけ廣峯の手に自分の手を絡めた。びくっと彼の手が跳ね、まじまじとなだちを見返す。
「……っ」
 くしゃり、ともう一方の手で朱の混じった髪を乱す。
「今日は良い天気だな、と言ったんだ」
 首を傾げたなだちにさっきのだ、と口早に補足する。
「はい、とても良い天気です」
 笑顔で頷き、彼の半歩後ろを付いていく。繋がれた手はそのままに。時折存在を確認するように強く握られる。その度になだちも返事代わりに握り返した。

 ずっと、ずっと先……。
 今日みたいに青空が広がる日。縁側で廣峯を膝枕をするなだち。既に互いの髪は真っ白で、その白い髪を飾る艶やかな飴色の柘植の櫛。
 そんな光景を思い浮かべた。

 気の早い話だと我ながら笑ってしまう。でもなだちは願う。廣峯と末永く、互いの髪が白くなるまで……いや永久に添い遂げられますように、と。

 家に着いてから夕食の買い物を忘れたことに気付いたがそのようなこと小さなことであった。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【整理番号 / PC名    / 性別 / 年齢 / 職業】
【ib9686  / 須賀 なだち / 女  / 22  / シノビ】
【ib9687  / 須賀 廣峯  / 男  / 23  / サムライ】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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この度は発注頂きましてありがとうございました。桐崎ふみおです。

ご夫婦のホワイトデーいかがだったでしょうか?
全てわかってそして受け入れ愛するなだち様に芯の強さを見たように思えます。
ご夫婦であるお二人の落ち着いた甘さ、そんなところをイメージしてみました。
ずっとお二人寄り添っていられますように、と幸せを祈っております。
イメージ、話し方、内容等気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。

それでは失礼させて頂きます(礼)。
不思議なノベル -
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舵天照 -DTS-
2014年03月12日

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