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『柔らかな花の香と、甘い甘い菓子の香と 』
遼 武遠(ic1210)


 緑が芽吹き、春の香りが漂い始める季節。
 ついひと月ほど前は、そこかしこに冬の気配が残っていたというのに、四季の移り変わりはあっという間にやってくる。
 ひと月前――『バレンタイン』、というイベントがあった。
 女性が意中の男性へチョコレートなる菓子と気持ちを贈るものらしいが、普段の感謝の意であったり、そういった際にも贈られるらしい。
 そこからひと月後が『ホワイトデー』。
 男性からの、返事のイベントである。
 チョコレートに対してクッキー、或いはマシュマロ、キャンディー、そういった菓子を始め、『三倍返し』という風習もあるそうだ。恐ろしい。


「殿ならば…… 何を喜ばれますかね」
 かつて四人の主に仕え、そのすべてを喪った。
 処刑されそうになった己を救ったのが、五人目の主。
 『バレンタイン』に菓子を頂戴し、さて来たる『ホワイトデー』に自分は何を返そうか?
 遼 武遠は、立ち並ぶ店を覗きこんでは首を振って道へ戻る。
 たとえば豪奢な菓子。たとえば装飾類。
 どれも、どうにもしっくり来なかった。
 基本的に恋人同士の行事というのもあるかもしれない。
(ないのでしたら、……ふむ)
 広い屋敷の厨房を思い出し、武遠は目指す店を定めた。
 くるりと、手入れされた黄金色の尾が翻る。




 うららかな陽光が気持ちよく、かといって外で昼寝は未だ寒い。
「まじ暇系ーー。どうしよっかなぁ」
 珍しく誰とも約束が無い一日。
 街をブラブラ歩き、ジャミール・ライルは遊びに行けそうな友人の家を指折り数える。
「あったかくてー 友達いっぱいでー ついでになんか、美味しいものにもありつけちゃうみたいな」
 『女の子』からは、しばらくの間、逃げた方が良い。なんとなく、そんな気がして無意識に外している。
「あ、そだ」
 パタパタと、すれ違ったのは獣人の子供たち。ふかふかの耳や尻尾に、幾人かを連想する。
(特に約束もないけど…… だいじょぶだよねー)
 賑やかな屋敷。
 きっと誰かしら居て、温かな茶と美味しい菓子にありつけるだろう。
「今から向かってー。お昼過ぎには着くっしょ」
 イケるイケる、だいじょーぶ。
 ついでに、たっぷりもふらせてもらおう。
 鼻歌交じりに、ジャミールは本日の過ごし場所へと向かった。


 屋敷の名は、洛春邸。
 泰国風の造りをしており、庭からは季節を代表する草花が顔を覗かせていた。
 普段から人の出入りも多いし、主に従う食客たちも暮らしており、その中にはジャミールの友人もいる。
 門をくぐり石畳の道の先に、屋敷の玄関がある。
「誰かいるかなー」
 覗き込み、声をかけてみるけれど返事はなし。
 誰も居ない? それはとても珍しいことだ。
 あるいは取込み中だろうか。
「勝手にあがりこむのもなー……」
 それはそれでアリっちゃアリですが。
 うーん、と唸り、庭の方向へと母屋をぐるり巡ってみる。
「……あ」
 屋敷の構造がどうなっているのかイマイチ把握していないジャミールだが、なんとなくそこが厨房であることは伺えて。
 そこに立つ人物があまりにも意外だったので、三歩ほど通り過ぎてから戻ってくる。
「遼パパちゃんだ! なにしてんのー?」
「おや、これはジャミール殿。殿へ贈るための菓子を作っております。本日は、誰ぞとお約束をされておりましたか?」
 勝手口から顔を出したジャミールへ、やや驚いた武遠が丁寧に応対する。

 ――なかったら、作ればいい。

 それは誰の格言であったか。
 今日は厨房を借り切り、ホワイトデー用の菓子を作っていた武遠である。
 ジャミールとは同僚や主を介した顔見知り程度の縁であるが、知らぬ仲でもない。
 いつまでも勝手口を開けていれば土ぼこりが入る。武遠はジャミールを招き入れた。
「お菓子、つくるの…… お菓子って作れんの?」
 キラリ。
 ジャミールの瞳が輝きを帯びる。
 言われてみれば、甘い香りが漂っている。チョコレート? クッキーだろうか。
 キョロキョロ見回すと、焼きあがったチョコチップクッキーが網の上で冷まされている。
「教本へ忠実に従えば、それなりには。試作も済ませましたし、多めに作って屋敷の者にも配る予定でおります」
「俺も欲しいー!」
「欲しいのですか? ……構いませんが」
 ジャミールの言動は、子供のように真っ直ぐだ。
 礼節を重んじる武遠としては、時として面食らうこともあるが…… 害が無いことは知っている。
「あ、てかあげる用なら美味しくなくちゃだもんな、俺が毒味してあげるっ」
「いけません、つまみ食いは」
 ぴしゃり。
 ジャミールが手を伸ばしたところで、シンプルに叩かれる。
 痛く叩かれたわけでもないのに、その威圧感たるや。
 『遼パパ』と思わず呼んでしまう所以でもある。
「……じゃあ、こっちで我慢する」
「……以前も言いましたが、尻尾を掴まないで下さい」
 もふろうとした青年の鼻先をくすぐり、武遠の尾はするりと逃げる。
「じゃあ、こっち!!」
「ええ、耳もダメです」
 今度は、長身をすくめて回避。幼い子供へ辛抱強く諭す親の如く、押し殺した声で武遠が注意をする。
「ジャミール殿。退屈なら、お手伝いください」
「手伝うって、俺にもできる系……?」
 首を傾げるジャミールは、やはり大きな子供のようで、憎み切れない部分がある。
「ええ、もちろん。だからお願いしているのです」
「じゃあ全然手伝う! 何すればいいの? お皿出す?」
 先ほどまでしょんぼりしていた表情が、大輪の花が咲いたかのように明るくなって、釣られて武遠も微笑した。
 きっと彼が獣人だったなら、それこそ耳も尾も、ちぎれんばかりに振っているのだろう。
「落ち着いてください。そこにある、袋に入れたチョコレートを上から麺棒で叩き、砕いて頂けますか?」
「おっけー!」
 『チョコチップ』そのものも売られていたが、塊のチョコレートを砕いた方が経済的。
 大きさにバラつきがある方が味わいもいいだろう。
 叩いて砕くだけなら、誰にでもできる。
 やがて鼻歌交じりに、軽快な音が背後から響き始めた。
 その間、武遠は計量を手際よく済ませていく。
 材料と分量さえ間違えなければうまく作れるとは教本の言葉だ。

「遼パパちゃん飽きたー エネルギー充填させてーー」
「尻尾はいけませんと、言いました」

 ただ、ジャミールの集中力は、こちらが思うよりも短かった。




 チョコレートを砕く。
 粉を振るう。
 バターを練る。
 鉄板へ油を敷く。
 焼きあがったクッキーを、網へ移し替える。

 とかくとにかく絶え間なく、武遠はジャミールへ指示を与え続ける。飽きる暇を与えないように。
 切羽詰った戦場のように、現状把握と指示事項が駆け巡る。
 時折、卵を落として割ったり、小麦粉を入れた器をひっくり返したり、そんなアクシデントも乗り越えて。
 瞬く間に、時は経過していった。
 

「遼パパちゃん。なんか、すごく、やべー」
「作るのは初めてでしたが…… 上出来ですね」
「やばい、美味そう」
 やがて厨房全体が、甘い香りに包まれる頃。
 大量に焼き上げたクッキーを前に、二人はため息をもらした。
 チョコレートの香り。バターの香り。そして窓からは、庭で咲き誇る花々の香りにそよぐ風。
 集中力を使い果たした体に、どれもが優しく沁みてくる。
「ジャミール殿が手伝ってくださったお陰で、予定より随分と早く完成しましたね」
「まじでまじで? 俺、役に立った?」
「もちろんです。包装は冷めてからになりますから…… 焼きたてを、今のうちに食べましょうか。お茶を淹れましょう」
 親に褒められた子のように、ジャミールは無邪気に喜びを見せた。
「俺、パパとかいないけど」
 お皿お皿、とパタパタ走りながらジャミール。
「遼パパちゃん、まじパパ感あるのな!」
 もふもふ甘えたくなるのも、そのひとつなのだと。
「……それは」
 さて武遠、どう返したものか。
 そう慕われたって、尾をもふられるわけにはゆかぬ、死守せねばならぬ場所である。




 菓子の甘みを引きだすように、少し渋めに入れたお茶と、焼きたてサクサクのチョコチップクッキーを囲んで。
「遼パパちゃんって魔法使いなの……?」
 さっくりした歯触りに、とろけるチョコレートが絶妙。これは、焼きたてだけの内緒の魔法。
 感動の眼差しでジャミールが見上げる。
「初めて作りましたが、美味しいのなら良かった」
 初めてとは思えない、完璧な仕上がりのクッキーだった。
 武遠は基本的になんでも卒なくできるタイプだが、こうして試食を共にする相手が居て良かったとも感じる。
 茶を啜れば、機嫌を表すように、ふかふかの尾が優しく揺れた。
「マジうまなんだけど……。あっ、このチョコの塊は俺のだー」
 手伝った印がしっかりと残っていて、ジャミールにも心地よい達成感がある。
 さくさく、さくさく、大切に味わって。
「これなら何枚でも食べられちゃうねー、おかわりー!」
「おかわり? ありません。一人3枚です」
「ちょっ、もう2枚食べたんですけどー! 遼パパちゃんは、何枚食べたー??」


 わけて、わけてー!
 ねだるジャミールと取り上げる武遠と。
 どこか微笑ましいその光景を見守るように、庭の花が風に揺れ、そっと花弁を散らしていった。




【柔らかな花の香と、甘い甘い菓子の香と 了】


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ic1210 /   遼 武遠   / 男 / 45歳  / 志士 】
【ic0451 /ジャミール・ライル/ 男 / 24歳  / ジプシー 】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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ご依頼、ありがとうございました。
年齢差メンズのワクワクお菓子作り、お届けいたします。
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楽しんで頂けましたら幸いです。
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2014年04月04日

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