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『あなたに贈るチョコレート 』
ローズマリー3825


●秘密のキッチン

 そーっと、そーっと。
 ブランネージュ・オーランシュは、抜き足差し足、キッチンに近付いて行く。
 そっと窺うと、中はがらんとしていた。
 それもそのはず。普段はここの主ともいえる、メイドのローズマリーにはお使いをお願いして外出して貰ったのだ。数時間は帰って来ないだろう。
(では、いまのうちに!)
 ブランネージュは部屋に駆け戻ると、こっそりクローゼットに隠していた紙袋を抱えてキッチンに戻ってくる。
 作業台の上に紙袋の中身をひっくり返すと、中から出てきたのはチョコレートの塊、綺麗な包み紙、そしてレシピを書き写した紙片などなど。
 そろそろバレンタインデーも近い頃。材料は簡単に手に入った。
「さて、まずは、と……」
 ブランネージュは長く豊かな白銀の髪をきゅっと縛り、気合を入れた。

 チョコレートの塊を細かく刻んで、ボウルに入れて。
「ふーむ、これを湯せんにかけて溶かすのね。ああっ、お湯が沸いていないわ!!」
 湯せんにはお湯が必要。手際のいい者なら、刻む前に鍋を火にかけておくところだ。
「冷やす方は得意なのだけど……」
 お湯はなかなか湧いてくれない。
 ブランネージュの名誉のために言っておくと、彼女が特別不器用な訳ではない。ただ段取りやコツなどというものは、やはり何度も経験して掴んで行くものなのである。
 というわけで、バレンタインデー当日に間にあうように、ブランネージュは頑張っているのだ。
 作業台にはチョコレートが飛び散り、床にはお湯がこぼれている。綺麗に整っていたキッチンが何とも無残な有様だ。
 それでもなんとかチョコレートは出来上がり、型にとろりと収まった。
「ふふふ、わたくしだってやればできるのよ。と、そろそろ急がなくては!」
 冷めて固まるのを待つ間に、慌てて道具を片付けはじめる。
 チョコレートまみれのボウルを洗って、あちらこちらに飛び散ったチョコレートをふき取って。
「ええと、このボウルは確か、ここの2つ目だったわね」
 念入りに元の場所を確かめて道具を片付け、ブランネージュはキッチンを元通り綺麗に整えた。
 ……つもりである。

 さて、問題のチョコレートはというと。
「あらいやだわ、どうしてはずれないの……!?」
 カチカチに固まったチョコレートは、型にがっちりはまったままびくともしなかった。
「どうしましょう。でもそろそろマリーが帰ってくる頃だわ」
 ブランネージュは諦めて、チョコレートがはまったままの型を持って、自分の部屋へ走って行くのだった。


●疑惑のキッチン

 ほどなくしてローズマリーがお使いから帰って来た。
「お嬢さま、ただ今戻りました」
 元々のブランネージュの家よりは手狭だが、ローズマリーが整える居心地の良い、気楽なふたり暮らしの家だ。いつもならブランネージュがすぐに顔を出すはずなのである。
「……?」
 ローズマリーは怪訝そうな顔になった。
(お出かけなのでしょうか? でも鍵はかかっていないし……)
 家の中の気配に耳を澄ますローズマリー。元密偵の鋭い感覚が、如何なる異変も見逃すまいと冴え渡る。
 ほどなくしてパタパタと軽い足音が聞こえ、ブランネージュが出てきた。
「お帰りなさい、マリー。ごめんなさいね、遠くまでお使いを頼んでしまって」
 いつも通りの優美な微笑。
 けれど見慣れているローズマリーには、どこか妙な感じがした。
「いいえ、大したことではありませんから。何か留守の間に変わったことはありませんでしたか?」
 カマをかけてみた。ブランネージュの微笑がほんの僅か固まったような気もする。
「何もないわよ? じゃあわたくし、少し調べものがあるから。お夕飯になったらよんで頂戴ね」
 身を翻し、ブランネージュは自分の部屋へ戻っていった。

 何とははっきりいえない。だが何かが引っかかる。
 そう思いながら、ローズマリーは荷物を手にキッチンに入った。そこで違和感はますます大きく膨らむ。
「あら……?」
 自分が片付けたキッチンに、使った形跡がある。
 最初に感じた漠然とした違和感は、じっと見ているうちにはっきりとした形をとっていく。
 ローズマリーは、お鍋を自分がさっと取りやすいように並べておく。だが今、取っ手はバラバラに好きな方を向いていた。
 ローズマリーは、毎日カトラリーをきれいに磨き上げて並べている。だが今、引き出しのスプーンが一本、フォークの所に紛れこんでいた。
 やがて木杓子が一本、何となく湿っているのに気がついて、ローズマリーはブランネージュの妙に落ち着かない様子に納得した。
 どうやら自分がいない間に、キッチンで何かをやっていたらしい。
(お嬢さまったら、何を作ろうとしていらっしゃったのでしょうか?)
 自分に隠れてこそこそキッチンを徘徊するブランネージュを思い浮かべ、ローズマリーは思わず噴き出しそうになるのだった。


●チョコレート作り、再び

 それから数日後。
 出かける支度を整え、ローズマリーはブランネージュの部屋の扉をノックする。
「お嬢さま、少し買い物に行って参ります。戻るのは夕方になるかもしれません」
「あら、そう。遅くなるようなら、気をつけてね」
 ブランネージュはそう言ってローズマリーを送り出した。

 耳を澄ませて、扉が閉まる音を確かめる。
 すぐさま先日の道具一式を抱え、ブランネージュはキッチンに駆けこんだ。
「たぶん、マリーは気がついたわね」
 先日キッチンを借りたとき、後で思い返せば色々と証拠を残してきたような気はするのだ。だが、ローズマリーは何も言わない。
「でも本当のびっくりは当日のお楽しみ、よね」
 ブランネージュは悪戯っ子の様な目で、ふふ、と笑う。
「さあ、今度こそ完璧に作るわよ。この前はテンパリングが足りなかったってわかったのだし」
 注意書きを大きく書きとめた紙片を広げ、ブランネージュは真剣な顔でもう一度手順を確認する。


 家を後にしてすぐの場所で、ローズマリーが突然立ち止まった。
「あら。私ったら……」
 買い物のついでに出そうと思っていた手紙を、家に置いて来た事に気がついたのだ。
 すぐに踵を返し、家に戻る。
 いつも通りに扉を開けようとして……ふと、キッチンの窓を見たローズマリーは、咄嗟に死角に潜む。
(お嬢さま……!?)
 キッチンにはブランネージュがいたのだ。
 先日のこともあり、ほんの少しの後ろめたさを感じながらも、ローズマリーは気配を消して家に身体を滑り込ませる。
 壁に溶け込むように張り付き、ローズマリーはキッチンの中を窺った。そこで思わぬ光景に息を呑む。
(お嬢さまがチョコレートを……!)
 学者らしく、どこか浮世離れした所のあるブランネージュは、季節ごとのイベントなどにはほとんど無関心だ。ましてやバレンタインデーと言えば、一般的には恋のイベントではないか。それなのに、である。
(あらあら、ついにチョコをあげる人でもできたのでしょうか)
 子供の頃から姉のように親のように寄り添ってブランネージュの世話をしてきたローズマリーにとっては、嬉しいやら、何やら遠くに行ってしまったようでちょっぴり寂しいやら。
 それでもやはり、頬が緩んでしまう。

 が、それも束の間の事だった。
 家事に於いていわばプロのローズマリーから見れば、ブランネージュのチョコレート作りは危なっかしいことこの上ない。
(あっ、お嬢さま……ボウルの端、お湯が入ります!)
(そこはもう少し、きちんとチョコレートを混ぜないと型から抜けません!!)
(危ない!! 火傷してしまいますーーー!!!!)
 ドキドキはらはらしながら、何度飛び出して行きそうになったことか。
(もうバレンタインデーまで何日もないというのに……大丈夫でしょうか)
 おそらく作っているブランネージュ当人より、見守っているローズマリーの方がよほど焦りを感じている有様だ。
 そこで突然気づいた。……お買い物が、まだなのだった。
 ローズマリーは少し迷った後、結局足音を忍ばせてその場を離れた。後ろ髪を引かれる思いで、家を後にする。


●特別で、ありふれた日

 ついにバレンタインデー当日となった。
 ローズマリーは朝から、自分にイベントが待っているかのようにそわそわしている。
(お相手がいらっしゃる時間ぐらい、教えてくださってもよろしいのに……それともお嬢さまがお出かけになるのかしら!?)
 いつもの通りに家の中をてきぱき掃除しながらも、気がつけばブランネージュの部屋に聞き耳を立てている。
 ひょっとしたらブランネージュが、外出の為のドレスを唸りながら選んでいるのではないかしらと思ったりもして。
(まあ私ったら、はしたない)
 慌てて首を振り、ローズマリーは作業に戻る。

 だがお昼になっても、まだ来客は現れず、ブランネージュが出かける気配もない。
「お嬢さま、お昼の支度ができましたが」
 いつもの通りに声をかけると、すぐにブランネージュが明るく答えた。
「ありがとう、今行くわ」
 一体どうなっているのか。
 ローズマリーの疑問をよそに、涼しい顔でブランネージュがキッチンにやってきた。
 そして突然言ったのだ。
「ねえマリー、今日が何の日かわかる?」
 少し笑みを含んだ声。
 答えを待たずに差し出されたのは、赤いリボンで飾られた小さな包みだった。
「バレンタインデーよ。はい、これ!」
「え……?」
「いつもありがとう、マリー。そしてこれからもよろしくね」
 悪戯が成功した時に見られる笑顔が、ブランネージュの顔にぱっと広がった。 
「これを、私に、ですか……!」
 ローズマリーは恐る恐る包みを開く。
 中から出てきたハート型のチョコレートに、思わず目を見張る。
「これは……お嬢さまが作られたのですか?」
「ふふ、中々の出来だと思わない? 心だけは籠っているわ」
「まあ……」
 ローズマリーはチョコレートのずっしりとした重みに、胸が暖かくなるのを感じていた。
「私はてっきり」
 言いかけてやめた。
「てっきり?」
「いえ、なんでもありません」
 お嬢さまがチョコレートをプレゼントする相手はどんな御方なのだろう、と密かに楽しみではあったのだが。そんな男性は最初からいなかったらしい。
 それはちょっと残念なのだけど、本音を言うとちょっと安心したりもして。
 だってこうして、お嬢さまのとびきりの笑顔が自分の方を向いている。
 こんな素敵な時間がまだこれからも続くのだから。

 ハートのチョコレートはずっととっておきたいぐらいの出来栄えだった。
「でもマリーに食べて貰った方が嬉しいわ」
 ブランネージュがそう言うので、名残惜しい気持ちを捨てて、ローズマリーは端っこをちょっとだけ割ってみる。
「……あら。とっても美味しいです」
「良かった! 本当の事を言うと、あんまり上手にできてないんじゃないかと思っていたの」
 キッチンをくちゃくちゃにしていたのは知っているけれど。
 ローズマリーならきっと、もっと上手に作れるけれど。
 それでも、このチョコレートの味は特別。
「本当に、美味しいです。有難うございます、お嬢さま」
 いつかはお嬢さまにも素敵な人が現れるのだろうけれど。
 今はふたりで過ごす、特別で、そしてありふれた日。


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登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【3824 / ブランネージュ・オーランシュ / 女性性 / お茶目なお嬢さま】
【3825 / ローズマリー /  女性性 / ドキドキメイドさん】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
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初めましての聖獣界ソーンからのお客様でした。
素敵なバレンタインの出来事、お任せいただき大変光栄です。
世界観を損なわないよう気をつけたつもりですが、上手く行っておりますように。
尚、内容の都合上、同一内容の納品となっております。ご了承くださいませ。
この度のご依頼、誠に有難うございました。
不思議なノベル -
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聖獣界ソーン
2014年04月11日

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