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『狭いベッド 』
(ib9539)&フランベルジェ=カペラ(ib9601)


 間もなく日付が変わるというのに、町の小さな酒場の喧騒は収まる気配がない。
 扉を開けた新しい客を迎えるのは煙草の煙と酒気、酔っ払いの喧騒と陽気なリュートの二重奏。
 店の奥の小さな舞台、フランベルジェ=カペラは黒髪を靡かせ踊る。風を孕んだ舞布は鈍いランプの明りを透かし艶かな濃淡を作り出し、小麦色の肌を汗が宝石のように飾る。
 揺れる髪の合間から客席に向ける婀娜めいた笑み、大きな歓声と共に硬貨どころか紙幣まで舞台に投げ込まれた。
 こんなにお客さんがくるなんて、と少し興奮した様子の下働きの少年が集めたお捻りを舞台裏の香へと持ってくる。尤も舞台裏とは名ばかり、単に布で仕切っただけの場所だ。
「ご苦労さん。その箱に入れといてぇや」
 紙幣の束を扇のように広げながら香が箱を顎で指し示した。
 ひーふーみー……小さな町だと思っていたが中々の稼ぎだ。片田舎の小さな町、旅人もめったに訪れないとぼやく店主。きっと皆、娯楽に飢えていたのだろう。
 そうこうしている間にも、もういい時間だというのに踊り子の噂を聞いた新しい客がやって来ている。
「ねえちゃん、もっと腰を振ってくれよ」
 酔っ払いの笑い声に少年が慌てて頭を下げた。
「わ、わ……ごめんなさい。皆、酔っ払っていて」
「よぉあることや。気にせんでえぇよ」
 返事をしつつも香は金を数えることを止めない。
 実際これくらいの野次、酒場で踊っていれば日常茶飯事だ。フランも野次に応えるように投げキスを飛ばしている。
 そもそもフランも香もそんな野次で困惑するような初心さを持ち合わせていない。
 それよりも今香にとって重要なのはいくら稼げたかということ。
 曲が終わると同時にフランが足を鳴らして動きを止めた。少し置いて沸きあがる拍手と喝采。
 手を上げてそれに応えたフランは香のいる舞台裏に戻ることなく客席に降りて行く。
 客と客の合間を軽やかにフランが進む。掛けられる声には笑顔で手を振り替えし時にはウィンクも送る。
 酒場にいる男のうちでは上等な服を着た壮年の男がフランの手を取った。男がフランの耳元で何事かを囁き、彼女が小さく笑う。立ち上がった男がフランの腰に手を回す。
 香の手が止まる。
 連れだって歩き出す二人。酒場の扉を男が開く。
 扉が香の視界から二人を隠すようにゆっくりと閉まる。
「何か飲みますか?」
 少年の声に香は初めて金を数える手が止まっていることに気付いた。
「えぇよ。金勘定終えたら寝るきに」
 舞台の後、気まぐれに知らない男と姿を消す……。野次と同じくよくあることだ。
 共に旅をしているとはいえ、お互い大人なのだから干渉はしない。それで痛い目みようが、良い目をみようが関係ない。
 だというのに……。
 もう一度二人が消えた扉を見やった。
「……いってきます、の一言あってもえぇやんなぁ……」
 すっきりしない胸のうちを誤魔化すように心にも無いことを呟いて、再び金を数え始める。


 眠りは深いか浅いかと問われれば、決して深いほうではない。
 酒場の主人が用意してくれた宿、ベッドの上で香は寝返りを繰り返す。
 安宿の一人用のベッドはお世辞にも広いとはいえない。それが広く感じるのは何故だろう。
 暗闇の中目を開けたままもう一度寝返りを打つ。何も妨げるものはない。
 鳩尾あたりにぐるぐる渦巻く靄のようなもの。感じたことのない胸騒ぎ……いやこれを胸騒ぎというのか分からない。何せ今までこんな風になったことがないのだから。
 そもそも香は己を突き動かす強い感情というものに縁遠かった。誰かに執着をしたこともなければ、心をかき乱されたこともない。あまり他者に興味がないのだ。
 まあ、金に執着しているといえばそうだろうか。だがそれすらも他人を蹴落としてまで手に入れたいとは思わない。
 かつて何かを求め、想い、執着した自分がいたとしても今となっては昔の話だ。
 だからいま此処にある正体不明の何かを持て余してしまう。
(何やろなぁ……)
 胃凭れ、焦り、動悸……思いつく単語を浮かべてみる。だがどれもしっくりこない。
「……不毛やわ」
 わからんもんは考えても無駄や、と溜息混じりに目を閉じた。

 空気に朝の気配が混じり始めるころフランは宿へと戻る。まだ東の空は白んではいないがどことなく明るくなってくる時間だ。
 足音を忍ばせ部屋を進む。向かうのは無人のベッドではなく香の寝ているベッド。
 珍しく眉間に皺を寄せた不機嫌そうな寝顔を覗き込んでからフランはベッドに滑り込んだ。香の体温で温まったシーツの優しい感触が心地よい。
 細い、だが女性と比べれば骨ばった背中にそっと寄り添い、押し当てる耳。香の心音が聞こえる。
 二人で旅に出て三年の歳月が流れた。
 こうして一緒に寝るのも慣れたもので、香の体温や心音があると落ち着く。だから今日のように誰かと一夜楽しんだとしても夜明け前には帰ってきてしまうのだ。
(ただいま……)
 香が身動ぐ。どうやら起こしてしまったようだ。

 衣擦れの音、そして背中に感じる温もり。まどろみの中、香はフランの帰宅を知る。狭くなったベッドは寝返りを打つどころではないが、それでも一人で寝るよりは温かいせいか深く眠れそうだ……と嗅ぎ慣れない匂いに鼻を小さく鳴らした。
 少し癖のある香辛料を思わせるこの匂いは煙草だろうか。
 それは彼女のものではなく、まして自分のものでもない。自分の知らない誰かの香り……。
「……」
 香りの原因に思い当たり香はまどろみから意識を戻す。また正体不明の靄が広がる。それと同時に一つ、疑問が浮かんだ。
「なぁ……」
 寝起きの少ししゃがれた声とともに身を起こし彼女へと向く。
「あら、起しちゃった?」
 暗がりに浮かぶわざとらしく肩を竦めたフランのシルエット。
「姐さんて……」
「なぁに?」
 寝そべったまま頬杖をついたフランが香を見上げる。表情まではわからないが、目を細め悪戯を思いついた子供のような笑みを浮かべているのだろう、と思う。
「……自分と居れば楽しそう言うて付いて来た割にゃあ、フラフラ男に付いとってるよな」
 それはどうしてなのか。単に疑問に思っていたことを口にしただけだというのに、低い声は思いのほか不機嫌そうで香自身驚く。
(あれ……なんや、自分……)
 酒場の件といい、今日はどうにもわからないことが多すぎる。
 ふっとフランが笑みを漏らす。
「あらやだ、香ってばヤキモチ?」
 からかうような笑みを含んだ声。闇に慣れた目に赤い唇の両端が上がったのが見えた。
「ヤキモチ?」
 思わぬ言葉に香は目を瞠る。ヤキモチ、当然知識としては知っている。
 果たしてこれがやきもちというものなのだろうか、自身に問いかけたところでわからない。何せ指摘されるまで思いつきもしなかった言葉なのだ。
 もう一度「ヤキモチ」と繰り返し、香は胸の下、鳩尾辺りを軽く押さえた。
 酒場でフランが男と消えてからずっともやもやする辺り。言葉にならない、形にならないだけどここに居座っているこれが……。
 手をついて起き上がったフランが黙り込んだ香を覗き込んだ。
 鼻につく知らない煙草の匂い。広がる靄はあまり気分の良いものではない。
「……これ、ヤキモチなん?」
「一緒にいてほしいなら、そう言えばいいのに〜」
 真面目な顔で問い返す香の頬を喉を鳴らしてフランが突く。


『香と居れば楽しそうだから』
 旅に出ると告げた時、そう言って着いて来たフラン。

 男と消えた彼女の後姿……。

(なぁに言うてるん……。楽しぃんならどないして他の男に……)

 一人きりのベッドの広さ……。

(自分、一人にして……)

 彼女の纏う知らない匂い……。

「……あぁ、そか」
 口から言葉が零れ落ちる。
 これがヤキモチか分からない。だが少なくとも……。
「自分は姐さんと一緒に居りたいんか……」
 声に出してみればあっけないほどすんなりと納得できた。
 答えを促す姉のような笑みを湛えていたフランが息を呑んだ。

 繰り返す瞬き。一瞬、香の言葉の意味をフランは取り損ねた。
 香とフランは共に大きな戦を駆け抜けた小隊の仲間だ。多分、互いに背を任せても良いと思うくらいには信頼していると思う。
 だが果たして香が自分のことをどう思っているのか本当のところはわかっていない。そもそも香は何かに執着したりすることがあるのだろうか……。崩れることのない整った美しい顔を見て思う。
 それでもフランは彼と一緒にいる時間が楽しく、時折覗かせる感情のようなものも可愛らしく、そんな彼を好ましいと思っていた。だからこそ三年前、旅に出ると彼が言ったとき共に行くと告げたのだ。
 彼の傍らで、彼の歩む道を見守り、そして共に歩きたいと思ったのだ。
 目的もなく二人でふらふらとあちこちを回った。相変わらず香は香のままで、フランもいつも通り。旅立つ前となんら変わらない
 それでもこうして二人で旅できることは楽しいし、性急に多くを望むべきでもないとフランは思っていた。人それぞれ歩む速度というのがあるのだ。
 やきもち……ちょっとした悪戯心で出た言葉。彼らしくもない様子に少しからかってみたのだ。……少し、ほんの少しだけ、何かを期待した自分もいるが……でもそれは本当に少しだけ。

 だが今彼はなんと言ったか……

 じっとフランは香を見つめる。冗談ではなさそうだ。
 ドッドッド……早鐘を打ち始める心臓。落ち着かせようと小さく息を呑んで、舌で唇を湿らせる。
「……一緒にいたいの?」
 互いの瞳にそれぞれを確認できる距離。でもそこから香の感情を読み取ることは難しい。
 問いかけた後の耳に痛いほどの静寂はとても長く感じられた。
 無意識のうちに握るシーツ。掌にはじんわりと汗が滲んでいる。
 ゆっくりと大きく香が頷いた。
「……そう?」
 僅かに上ずるフランの声。耳の中で心臓が脈打つ。何故か喉がからからだ。一度大きく息を吸う。
「私も、香と一緒にいたいわよ?」
 猫が毛繕いをして心を落ち着かせるようにフランは己の髪に触れる。
「ほか」
 香の口元が僅かに綻んだかのように見えた。間違い探しのような小さな笑みだ。それに気付いたフランの頬がかっと熱くなる。それどころか角まで熱い気も……。
 部屋が暗くて、肌が小麦色で良かった……なんて柄にもないことを思う。
「ならヤキモチ焼かせん様にしたってや」
 いつもならするりと出てくるような言葉も喉に詰まり、「えぇ」と頷くのがやっと。
「……次は姐さんが行きたいとこ行ったるきに、はよ寝よ」
 フランの返事に満足したのか、香は再び布団の中に潜り込む。
「……そんな、こと……言っていいの? 行きたいとこ沢山あるわよ」
 覚悟してね、と動揺を悟られないように常の声音を意識する。でも先ほどのように寄り添うことはできなかった。
 触れ合わないように距離をあける。でも同じ布団の中だ、互いの熱は伝わってきてしまう。
 肌と肌が触れていないというのに頬が火照る。
「……眠れる、かしら?」
 毛布を肩まで被るとフランは腹の底から息を吐いた。

 毛布の下、体を少し動かせば触れる指先。驚いたように引っ込んだ指は、またそろそろと伸びてきて互いの指先が控えめに触れ合う。
 彼女が隣にいてくれるだけで胸の靄が嘘のようだ。
 一緒にいたい、香にとって初めての強い想い。
 どうして一緒にいたいのか、彼女は自分にとってどんな存在なのか……。
 自身に問えばまだまだ分からないことが多い。
 それでも自分が歩んできた中で生まれた嘘偽り無い想いであることは確かだ。
 二人で並んだベッドは自由に寝返りがうてないほどに狭い。でも良く眠れそうだ、と香は静かに目を閉じた。


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
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【ib9539/香/男/外見年齢19歳/ジプシー】
【ib9601/フランベルジェ=カペラ/女/外見年齢25歳/ジプシー】

■ライターより
この度はご依頼頂きありがとうございます、桐崎です。
互いに特別な人となる一歩目のお話、いかがだったでしょうか?
イメージ、話し方、内容等気になる点がございましたらお気軽にリテイクを申し付け下さい。
それでは失礼させて頂きます(礼)。
■WTアナザーストーリーノベル(特別編)■ -
桐崎ふみお クリエイターズルームへ
舵天照 -DTS-
2015年06月29日

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