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『 ■ 愛すべき白 ■ 』
シリューナ・リュクテイア3785)&ファルス・ティレイラ(3733)

 いつも騒がしく悲喜交々がおもちゃ箱のように詰め込まれた不夜城都市。多くの人々が行き交い喧噪渦巻く目抜き通りを一本入れば、そこは思いの外静かな路地裏へと続く。そんな片隅に人知れず佇む洋館があった。気にもとめなければ勿論、注力していたとしてもその存在に気づくことはないだろう、ただ強く“それ”を願った者にのみその門戸は開かれる、魔法薬屋。
 雰囲気のある店内には小瓶が並ぶがそれを眺める客の姿はなく、店の主はといえば奥にあるリビングでのんびりと食後のコーヒーなど頂きながら、本日何度目かの深い深いため息を吐いていた。
 ため息といっても別に恋に悩んでいるわけではない。しかし恋い焦がれている、といえばいるのかもしれない。
 持て余しているのは退屈な日々なのか、はたまた。
 どれだけ眺めても飽きる事のなかったお気に入りのオブジェたちを並べてみても彼女の心は一向に晴れる事も満たされる事もなかった。何かが足りないのだ。たぶんそれは、潤い的な何か。
 ここ数ヶ月はのんびりとしかし慌ただしいという何とも矛盾した日々が続いていた。退屈とは無縁であったが、同好の友に振り回されただけの日々でもあった。元来、自分は振り回す側の住人なのにだ。
 即ち、この心のもやもやの原因はわかっている。はっきりとしていた。
「ティレ」
 シリューナは向かいのソファーで同様にコーヒーを啜る妹のような愛弟子に声をかけた。
「嫌です」
 コーヒーカップを両手で抱くように持ち、ティレイラはシリューナの顔をまっすぐに見返してきっぱりとした口調で言い切った。
「まだ、何も言ってなくてよ」
「お姉さまの顔に“無理難題”って書いてあります」
「…………」
 実際に書かれているわけではないだろう、シリューナは自分の頬をそっと撫でながら困惑げに視線を斜め下のテーブルの辺りへと落とした。
 ここ数ヶ月、振り回されたのは何もシリューナだけではなかったのだ。同じくらいティレイラも振り回されたのである。
 ともすればさすがに問答無用は可哀想過ぎるか。いや、そもそも、だからシリューナは最初に声をかけたのだ。
 一つ息を吐き出して。
「そういえばテクテクのチョコレートが食べたいって言ってたわね」
 シリューナが笑みを向ける。
「え? あ、はい」
 予想外の切り出しだったのか身構えていたティレイラの顔が拍子抜けしたように崩れた。
「実は少し前に取り寄せておいたの」
「!!」
 刹那、ティレイラの疲労感に濁りきっていた目が瞬く間に輝きを取り戻した。腰をあげ身を乗り出す。それから、チョコレートの奥に潜む甘い罠に気づいたのだろうハッとしたように頬をひきつらせた。
 シリューナはティレイラの中の葛藤を楽しむように、それ以上は何も告げず彼女の出す答えをゆっくり待った。
 もちろん、ティレイラが出す答えはわかっていて、だ。
 だから、おもむろにソファから立ち上がると戸棚からテクテクのロゴの入った包みを取り出して、彼女の答えを促してみせる。
「あっ…、あっ…、あぁ…」
 実物を前にティレイラは喉から手を伸ばしたような声をあげた。それから大仰にため息を吐く。
「しょうがないですね」
 言葉ほどに観念した……ようには見えない。好物を前に期待に満ち満ちた顔のティレイラの視線がテクテクの包みに釘付けになっているからだ。
 よほどこのチョコレートが食べたかったと見える。
 それから「あっ」と言って立ち上がった。
「新しくお茶煎れ直しますね。紅茶にしますか?」
「えぇ、お願い」
 ティレイラが紅茶を煎れている間にシリューナは早速包みを開けた。食べてみたいと思っていたのは何もティレイラだけの事ではない。
 美食集まるこの街で絶大な人気を誇っているチョコレートであり、注文も半年持ちという希少な逸品なのだ。食べたいと思ってすぐに食べられる代物ではない。幸か不幸かたまたま半年前に注文していて、同好の士に振り回され半年近くをオブジェの如く過ごしたので体感的には数日前に申し込んだばかりで今日届いたという気分の、シリューナにとってもティレイラにとっても旬なチョコレートである。
 上がるテンションにシリューナも心躍らせながら紅茶が入るのを待った。
 かくて美味しいチョコと紅茶に舌鼓を打って一段落。
 ようやく観念した顔でティレイラがシリューナの前に立った。
 いつでも来い! といった風情だ。
 シリューナは口を開き息を吸い呪を唱えようとして、結局息だけを吐き出した。
「お姉さま?」
 ティレイラが怪訝に首を傾げる。
「違う…」
 シリューナはぼそりと呟いた。
「何がですか?」
「これじゃないわ…」
 シリューナは数ヶ月前、同好の士に放った自らの言葉を思い出していた。

『そもそもティレの可愛らしさはころころと変わるその表情にあるのよ。たくさんの表情の中で垣間見せるその姿こそ至高。困惑に歪んだ顔も怯えた小動物のように竦ませた体も、今にも泣きそうに潤ませた瞳も、ぐっと耐えるように握った拳も、どんなによく表情を変えたにしても日常の中でいつでも見られるものではないでしょう。その希少な一瞬をゆっくりと時間をかけて堪能するのがいいのよ』

 希少な一瞬。めまぐるしく変わるその一瞬の表情を切り取り永遠に止めおく事に意味がある。こんないつでもどうぞ、みたいな準備された表情のティレイラをオブジェにしたところで胸躍るものには仕上がるまい。切り取るべきは据え膳された姿ではなく自然なものでなければ意味がないのである。笑顔でも動揺でも、そのどちらであっても、どちらでなくても、だ。
 好きにしてくれなどとまな板の鯉の如くどんと構えたティレイラなんて求めていないのである。それでは、その辺に転がるどれだけ見ていても飽きる事はないが【ただそれだけ】のオブジェと同じではないか。
 そう、今現在シリューナが求めているのは、恋い焦がれているのは、この欲求不満を解消できるのは、ただの飽きないオブジェではなく【潤い的な何か】という付加価値のついたオブジェなのである。
 呪術をかけられる事に対する自然で純粋な反応。それが重要なのだ。それを楽しみたいのだ。
 とはいえ、取引をしてしまった以上ティレイラは常にいつでも来いの状態に突入してしまっていた。
 ううむ、いかがしたものか。
「あの、お姉さま?」
 突然無言でティレイラを凝視しながら考えこみ始めたシリューナに不安げにティレイラが声をかけた。
 シリューナが制するように片手をあげる。
「少し待ってちょうだい」
「はい…?」
 オブジェにされる事は了承している。どうなっちゃうの、という疑問が生じ得ないのだから、それによってもたらされる動揺はない。今からこれからとわかっているのだから、突発的意識の隙をつくのも難しい。
 とすればいつもと違うエッセンスが必要か。
 そう、たとえば自分がどんな風にオブジェにされていくのか事前に知るというのはどうだろう。既に不意打ちが消失しているのだから、とことん逆をいってみるというわけだ。
 どんな風にオブジェになり、どんな風に愛でられるのか知り、自ら想像する余地を与える事によって、これまでない別の反応が見られるかもしれない。
 もちろんそれには条件がある。初めての呪術でなければならないという事だ。経験済みであれば想像と事実が一致してしまうからである。
 いや、その点は問題ないか。
 振り回された日々に対する対価として姫が置いていった魔法道具があった。どんな魔法道具かは知らないが同好の士の置きみやげとなれば間違いなくそれはそうなのだろう。きっとそうに違いない。
 かくてシリューナは工房に魔法道具を取りに行った。


 ▽▼▽


 残されたティレイラはとりあえずソファーに座って落ち着かない様子で視線をきょろきょろさせた。一体、お姉さまは何をするつもりなのだろう。いつものようにオブジェにされるのだろう事は想像に難くないティレイラである。
 しかしいつもと様子がおかしい気がするのだ。しばらく考えていたが結局出ない答えに匙を投げた。
 どうせすぐに知れるだろう。
 程なくシリューナが戻ってきたのでティレイラは今度こそかと立ち上がったが、シリューナはそのまま窓辺へ向かい小鳥を呼び始めた。
「何をしてるんですか?」
 尋ねたティレイラにシリューナは手の平を広げて見せる。
「これよ」
 その手の中に乗っているのは。
「ビー玉ですか?」
 透明なガラス玉のように見えた。ただ、その中に雪の結晶のような白いものが炎のように揺らめいている。
「ちょっと違うわ。見てなさい」
 シリューナはそう言って手の平の玉を小鳥の背中に落とした。見た目ほどの重たさを感じさせずそれは小鳥の背中で小さく跳ねて割れる。中から飛び出した白いものが小鳥をゆっくりと飲み込んでいった。
 やがて秒針がきっかり1周するほどの時間をかけて白い像が浮かび上がる。
「小鳥の…オブジェですか?」
 ティレイラが尋ねた。自分ではなく小鳥のオブジェを一緒に愛でようとでもいうのか。益々、シリューナの意図が見えない、と。
「いいえ。小鳥のマシュマロよ」
 シリューナが首を振るのにティレイラは「え?」と白くなった小鳥をまじまじと見やる。
 シリューナは小鳥の羽の部分をそっとちぎってみせた。ちぎったところは瞬きするほどの間に元通りに復元されている。ちぎられたそれを手渡されてティレイラは弾力の羽の形のそれを指でふにふにと弄び、意を決して口の中に入れてみた。
 甘く溶けるそれは間違いなくマシュマロだ。
「美味しい!」
 ティレイラは思わず両手で頬を押さえた。ほっぺが落ちそうなという形容がぴったりの味だった。先ほどのテクテクのチョコレートも美味しかったが、このマシュマロのふわふわな食感はまた違った味わいがあるのだ。
「もしかして、このマシュマロ食べ放題なんじゃっ!!」
 ちぎっても復元されるならそういう事になるのでは、と思ったのだ。満面の笑顔でシリューナを振り返るとシリューナは「そうね」と目を細めた。
 それから。
「ふふ。ティレはどんな味になるのかしらね」
 と楽しそうに言った。
「あ…え?」
 ティレイラはシリューナを何とも言えない表情で見返した。そうだった。そういう話だった。そういう話の途中だったのだ。あまりにマシュマロが美味しかったから忘れていた。マシュマロと小鳥のオブジェを2人で堪能する、という選択肢はないのか、やっぱり。
「えぇーっ!!」
 反射的に不満の声があがったのは美味しいマシュマロを前に自分では食べられないという現実に向けてだろう。食べられても本体には影響がないらしい事は小鳥を見ていればわかる。だから、そういう恐怖はなかった。ただ。
「ずるいですっ!」
 ティレイラは頬を膨らませる。とはいえ、マシュマロになった自分自身を食べるのは至難であろうか。ううーんとしばし考えてティレイラは不承不承折れる事にした。
「じゃぁ、後でちぎったの残しておいてくださいねっ!」
「わかったわ」
 シリューナが請け負う。
「では、どうぞ」
 ティレイラは腰に手をあてて仁王立ちになった。
 シリューナが魔法道具の玉を構える。それをティレイラに向けながらシリューナが呪いの代わりに呟いた。
「でも、どんな風にマシュマロになっていくのかしらね」
 わざとなのかそうではないのか。独り言のようなシリューナの言にティレイラもふと考えた。小鳥を飲み込んだあの白いものは一体何だったのだろう。まるでメレンゲのようにも見えた。気持ち悪くないといいなと思う。小鳥は1分程だったが、サイズ的に自分はもう少し時間がかかるかもしれないのだ。そう思うとちょっとだけ暗澹とした。
 一方で、マシュマロになった後、意識はあるのだろうかと考えた。お姉さまに舐められたりかぶりつかれたりするのだろうか。そんな事を想像したら今度は頬が赤くなって、何を考えているんだと両手で頬をぺちぺち叩いていた。
 蒼くなったり赤くなったり忙しいティレイラをシリューナが楽しげに見ている。完全に遊ばれているようだ。
「もう、早くして下さいっ!!」
 ティレイラは、もはやいいのか悪いのかわけがわからなくなって今にも泣きそうな顔でシリューナを見上げた。
「わかったわ」
 どこか満足げなシリューナが魔法道具の玉をそっとティレイラに投げる。
 ティレイラの頭上でそれは弾け、白いものがティレイラに降り注いだ。見た目は本当にメレンゲか何かのようだ。冷たくて、それは髪を覆い肩を覆い体を覆っていく。
 そういえば昔、白い世界という絵本の中で飴にされた時の事をティレイラは思い出した。あの時は本来のドラゴンの姿であったが。水飴がねっとりと気持ち悪かったような遠い記憶。
 今、白い泡は服の中まで染みてどこかひんやりとまとわりつくそれは心地よくさえある。だが、時間をかけてそれが肌の中まで染みてくる感触に何とも言えない気分になった。

「!!」


 △▲△


 そうしてティレイラは自分で自分を抱きしめるようにして、泣き笑いのような表情で真っ白なマシュマロ像になった。
 一見、石膏像のような肌理と白さにシリューナはうっとり見とれる。光が作る複雑な陰影に艶めかしさが相まってシリューナを惹きつけ止まなかった。
 更にはティレイラの何ともいえず曖昧な表情が愛らしいくて、シリューナのこれまでの溜まりに溜まった鬱憤を晴らしてくれるようだった。
 何を想像していたのやら、涙をため込んだ目尻から頬へと指でなぞる。マシュマロの弾力なのか本物の弾力なのか柔らかく、噎せ返りそうなほどの甘い香りがシリューナをも包み込んでいく。
 可愛らしくも美しいその肢体に一瞬でも綻びを作るのは惜しまれて、たおやかな髪の先を少しだけちぎって頬張った。
 小鳥の羽はティレイラしか食べなかったから。
「本当に、美味しいわね」
 シリューナは嬉しそうに微笑んで、それから随分と長い間、そうしてティレイラのマシュマロ像を愛で、これまでのストレスを十二分に発散したのだった。





■大団円■
PCシチュエーションノベル(ツイン) -
斎藤晃 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年03月16日

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