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『氷の完全生命体』
イアル・ミラール7523

 魔本。
 それは人が入り込む事の出来る、物語の書物である。
 そして入り込んだ人間が必ず再び外へ出られる、とは限らない。
 出て来られたとしても、現実世界と魔本の中の区別がつかなくなって心を病んでゆく者が、後を絶たなかった。
 だから、鏡幻龍の王国においては製作は無論、所持も禁じられていたものだ。
 禁じられていたが故に、黒魔術師あるいは賢者たちの手による同人魔本が、闇社会において1つの市場を形成してしまう事になる。
 影沼ヒミコが今、両の細腕で抱えているものが、そうして出回った魔本の1冊であるのかどうかは不明だ。
「ママ見て、面白そうなもの見つけた!」
「ちょっとヒミコ、どこでそんなもの……」
 イアルは絶句した。
 恐らく、押入れの奥にでも放置してあったのだろう。
 魔本の製造手段は、すでに失われている。魔本を、破壊する手段もだ。
 かつて自分が入る事となった、この魔本をイアルは1度、火に放り込んでみた。長剣で、切り刻んでみようとした。
 駄目だった。火は通らず、鏡幻龍の力を宿した刃も通らず、魔本は今もこうして存在している。
 十把一絡げの同人魔本とは、どうやら違う。強力な魔導師によって作り出された、本物の魔本だ。普通の手段で、破壊する事は出来ない。
 当然どこかへ捨ててしまうわけにもいかない。どうにか自分の手で、この魔本を、この世から消し去らなければ。
 イアルがそう思案している間にしかし、それどころではない様々な事が起こって、魔本は完全に失念・放置されていた。
「異世界系の書物よね。ママは読める? ね、一緒に解読してみましょう」
「駄目、やめなさいヒミコ……」
 イアルは、強く言う事が出来なかった。
 ヒミコの力で、魔本を消滅させる事が出来るかも知れない。そんな事を一瞬、考えてしまったからだ。
 その一瞬の間に魔本は開かれ、ヒミコもイアルも呑み込まれていた。


 腐りやすい食べ物を、凍らせて保存する。長持ちさせる。
 この私が数百年間、若さと美しさを保ってきたのは、要するにそういう事だ。
 美しさというものは、放っておけば腐ってゆく。老いとは、すなわち腐敗だ。
 得意とする氷の魔法で、私はずっと腐敗防止に努めてきた。
 その魔法の余波で、私の住まう地域は常に寒波の吹き荒ぶ氷原・雪原となった。人死にも随分と出たようだが知った事ではない。
 いつしか私は『氷の女王』と呼ばれるようになった。この美しさが保たれるのであれば、氷の女王だろうが死の女王であろうが私は一向に構わない。
 誰もが私を憎み恐れ、同時に私の美しさを誉め讃える。
 だが、私にはわかっていた。私自身にしか、わからぬ事だ。
 氷の魔法で若さと美しさを保つのは、もはや限界である。
 この白い肌の下で、私の肉体は確実に老いつつある。老いという名の腐敗が、進行しているのだ。
「だから私には、お前が必要なのだよイアル・ミラール……不老不死の姫君よ」
「何……何を、言っているの……?」
 王女イアルが、怯えている。怯えながらも、私に向かって言い放つ。
「とにかく氷の女王よ。自分1人の美しさを保つために、大勢の人々を苦しめるのはやめなさい。凍死者が、どれほど出ていると思っているの」
「お前は、自分が老いさらばえても同じ事が言えるのか……!」
 私は、イアル王女の髪を掴んだ。
 若々しい美貌が、苦痛に歪む。
 欲しい。この若さが、欲しい。
 渇望の念に突き動かされるまま、私はイアル王女の唇を奪っていった。


 熱さと冷たさが、同時にイアルを襲った。
 熱さはイアルの理性を溶かし、冷たさはイアルの肉体を凍りつかせてゆく。
 凍りついた肉体の中で、ある一部分だけが熱い。氷の女王の魔力で凍結する事もなく、熱く隆々と屹立している。
「これ……これなのだよイアル姫。お前の持つ、不老不死の力の源泉」
 イアルの唇を解放しながら、氷の女王は言った。
 冷たい繊手が、イアルのその凍結を拒む部分を優しく握り、弄ぶ。
「お前は、全き人間だ。全能ゆえに神の怒りに触れ、男と女という不充分なものに分かたれてしまう前の完全生命体。それがお前なのだよイアル・ミラール」
 冷ややかで優美な五指、だけではない。
 言葉を紡ぐ唇が、豊かな胸が、イアルの熱くおぞましく膨張した部分を吸い嬲り、包み込む。
 冷たく凍結した肉体の中で、熱い欲望と快楽が猛り狂った。
 猛り狂ったものが迸り、噴出する。
 それを全身に浴びながら、氷の女王が恍惚としている。
「完全なる生命……不老の力……」
 陶然と何か言っているようだが、イアルはもはや聞いてはいなかった。


 暗黒色の甲冑が、桃のような尻と形良い胸の膨らみを包み隠している。
 優美にくびれた胴と、スリムに伸びた左右の太股は完全に露出しており、頼りない事この上ない。
 右手には長剣、左手には不気味な人面の盾。黒髪は、魔獣の頭蓋骨で出来た兜によって禍々しく飾られている。
 魔本に入り込んだ、その瞬間から、影沼ヒミコはこんな格好で戦い続ける羽目になった。
「……ママを助けるため、だものね」
 己に言い聞かせながらヒミコは踏み込み、長剣を振るった。
 暗黒の斬撃が、氷の魔物の巨体を両断する。
「お前……お前は……!」
 魔物に護衛されていた氷の女王が、狼狽している。
「黒騎士ヒミコ! この世界で最も禍々しい者が、私からイアル姫を奪いに来たのか!」
「私からママを奪ったのは、お前……絶対に、許さない」
 吹き荒れる冷気の魔法を、人面の盾で蹴散らしながら、ヒミコは長剣を一閃させていた。
 真っ二つに叩き斬られた氷の女王が、ドロドロと腐敗しながら崩れ落ちてゆく。
 凄まじい悪臭が漂うが、それを上回る臭気を発するものが、そこにあった。
 白く濁った生臭いものを全身で凍りつかせた、イアル・ミラール。その美貌は、快楽にとろけた表情のまま冷たく固まっている。まるで臭い液体を凍らせて、それを彫り込んで女人像を作り上げたかのようである。
「ママ……」
 ヒミコは、歩み寄って行った。
 一箇所だけ、凍りついていない部分を熱く固く屹立させたまま、イアルは佇んでいる。
 その部分を、ヒミコは己の太股に押し付けて行った。
 その部分以外は冷たく凍り固まったイアルの身体に、細腕を絡め、胸を押し付ける。
 そして、ヒミコは囁きかけた。
「私が、ね……温めてあげる……1つになろう? ママ……」


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登場人物一覧
【7523/イアル・ミラール/女/20歳/裸足の王女】
【NPCA021/影沼・ヒミコ/女/17歳/神聖都学園生徒】
東京怪談ノベル(シングル) -
小湊拓也 クリエイターズルームへ
東京怪談
2017年10月30日

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