▼作品詳細検索▼  →クリエイター検索


『私と貴方の紡ぐカノン 』
矢野 胡桃ja2617


 追掛けて、追掛けて、これが最後だろうと覚悟を決めた夏を経て。
 再会、それから――




 定住の地を『此処』と決めた彼が過ごす場所へ矢野 胡桃も移り住んで、1カ月と少し経過していた。
 学園を卒業したとはいえ、胡桃は未成年。
 彼女が抱える事情から『就職』はなかなか難しくて、フリーで得られる仕事も限られている。
 今は長期滞在型のホテルで自活しながら、多治見の街で自分に出来ることを探す日々を送っていた。
「ワインフェスタも近い、のよね……」
 カレンダーに目をやり、多治見の恒例行事を思い出す。
 日に日に記憶は欠落していくけれど、残っているカケラもある。
(あのとき『彼』は、この街に居なかったけれど……)
 多治見へ協力するということで撃退士連合へ身を寄せている堕天使カラス――真の名をヴェズルフェルニル。
 彼はかつて多治見近郊にあるゲートの守りを担い、一般人を引きこんではエネルギーを搾り取りきる前に街へ逃すという行為を繰り返していた。
 恨みを買うことを承知の上で、償うために残された時間を、力を、多治見に費やすのだと彼は言った。
(今年は参加、するのかしら?)
 夏のイベントは、胡桃も覚えている。
 完全に割り切れない感情を抱く者もいただろうに、その時間はとても穏やかで――

 ――約束だ、わたしの姫君

(うん、そんなこともあったな!!)
 優しい声色が脳裏によみがえったところで、胡桃は乱暴にランチボックスの蓋を閉めた。




 己が命を賭した戦いの、意味はなんだったのだろう。
 そう問いかけることは、もう止めた。

 岐阜県多治見市に所在する企業撃退士を擁するオフィスで、堕天使ヴェズルフェルニルは仕事をしている。
 緊急時の出動要請は折りこみ済みだが、休日は人並みにある。
 拍子抜けするような、人間らしい生活だ。

 陽が昇り、目を覚まし、食事を摂り、身なりを整える。
 隣に住む上司天使の世話を軽く焼いて自室に戻れば、驚くほど『自由』な時間がある。
「……本でも読むかな」
 人界の知識を集めることが趣味で、1DKの壁の1つに据えられた書棚には古今東西の書籍が詰まっている。
 企業撃退士の一人に薦められ譲られた未読の本へ指を伸ばした時、珍しいことにチャイムが鳴った。
 



「ヴェズルフェルニル、遊びましょ?」
 にっこり。毒気の無い笑顔で、少女がこちらを見上げている。
 手には可愛らしいサイズのトートバッグ。
「だ、だいじょうぶよ、レシピさえあれば、料理は出来る、から!」
「と、いうと」
「お散歩に最適なお天気だと、思わない? 昼食を用意してきたの」
 お弁当を持って、紅葉の綺麗な街を一緒に。
 唐突ながら、胡桃からのお誘いだった。
「……気が進まないかし、ら?」
 黒髪の堕天使は、いつになく思案顔をしている。
 胡桃が身に着けているワンピースは甘さを抑えたピンクで、コルセット風のレースアップがアクセントになっている。ブラウンのカーディガンが秋らしさを出していて、つまり、
「外出用の私服というのを考えていなかったな……」
「……ショッピングにしましょうか……?」


 ――そんなに笑うことは無いだろう。
 彼が憮然とする姿は、なんとも珍しい。
 並んで歩きながら、胡桃は笑いをこらえきれない。
「だって……気にするなんて、思わなかったの」
「今までは必要が無かったからね。わたしの考えが甘かった」
 結局は、いつも通り。
 シャツにスラックス、ネクタイは締めずにジャケットだけ軽く羽織る。
「それじゃあ、これから、は?」
「用意しておくよ」
 どこか悔しそうな横顔に、やはり胡桃は肩を揺らすのだった。




 多治見駅から歩いて30分ほどの距離に、観光名所として知られる寺社がある。

 涼やかな風に、真紅や黄金の葉が揺れる。揺れては池の水面を揺らす。

 色鮮やかな庭園を前に、胡桃とヴェズルフェルニルは暫しの間、言葉を喪っていた。
「すごく綺麗……。この街は移り変わる季節が素敵、ね」
「ああ。冬は、考えたくないな。冷え込みが凄いらしい」
「ふふふっ」
 彼と冬の山は、どうにも相性が悪い。常に生死を賭けた戦いが繰り広げられてきた。
 その時の2人は、敵と敵だった。――それも、今は昔のこと。
 雪山での戦いは壮絶だったが……また違う戦いが、どうやら多治見では展開するようだ。
(不思議)
 胡桃は、自分に残された時間を知っている。
 指の間から『記憶』が零れ落ちてしまうことも理解している。
 けれど、それを悲しいと感じることが無いのだ。
 この先をどうやって過ごすか……どんな楽しいことがあるのか。それを考えるだけで、胸が暖まる。
 限られているからこそ、諦めない。たいせつに、ひとつひとつを過ごしたい。
「今年の冬は、暖かいかもしれない、わよ?」
「どうかな」
「雪が積もれば、カマクラを作れるでしょう? コタツは体験した?」
「……いや」
「それに鍋…… いえ、これは嫌な予感がするから忘れましょう」
「どういうことだい?」
 サッと胡桃の顔色が変わるのを見て、今度はヴェズルフェルニルが笑った。きっと、彼女の賑やかな友人たちとの思い出が絡んでいるのだろうと見越して。


 庭園をじっくりと巡った後、敷地から続く公園へと向かい昼食を摂ることにした。
 見ごろの季節ということもあって、地元や観光で訪れる人々も多い。
 賑わいの中では、彼らも『その他大勢』と同じ。誰の目を気にするでなくひとときを過ごす。
「これはご馳走だね」
「栄養バランスは、大事ですから」
 定番の出汁巻き卵と鶏の唐揚げはおさえつつ、ホウレン草の胡麻和えや煮物など、ちょっとした量でも野菜を忘れない。
「それで、そちらは?」
「わ、わたしはこれで、じゅうぶんなのっ」
 ヴェズルフェルニルへは手の込んだものを用意しつつ、胡桃自身は――……
 苺にブドウなど、フルーツを詰め込んだ小さな器。
「たしかにビタミンは摂取できそうだね」
「でしょう?」
「でも、量が足りないなぁ」
「しないから! 『あーん』はしないからぁ!!」

 観光客で賑わう公園の中では、彼らも『仲の良い恋人同士』……に見えるかどうかはさておいて。




 帰り道。
 とある陶器店で、香箱座りをする猫の焼き物を見つけて胡桃が座り込んだ。
 看板猫の隣には、味わいのある食器が並んでいる。
「胡桃は、どれが良い?」
「え」
「コーヒーカップよりティーカップが良いのかな」
「え」
「わたしの部屋は殺風景でね、君をもてなせるようなものもないから」
「そ、それは」
 いわゆるマイカップというやつでは
「……もしかして今朝のこと、気にしているの?」
「していない」
「そういうことにしましょう。そうね、それじゃあ……」
 ふふっと微笑し、胡桃はアップルグリーンのカップを指した。


「それじゃあ、ここで」
「送っていくよ?」
「いいの。ここで」
「……。胡桃、今はどこで生活を?」
 駅に着いたところで、別れを告げる胡桃をヴェズルフェルニルが訝しむ。
「だいじょぶ、やましいことはないわ。住むとこ探してるし、ちゃんと……」
「探してる、とは」
 親御さんに承諾を得て、多治見へ来たのでは?
 学園卒とはいえ未成年、とはいえ稼ごうとすれば手段のある撃退士、不安に思うことは無かったが……胡桃の対応でヴェズルフェルニルの中に嫌な予感が湧きあがる。
「胡桃」
 金の眼が、真っ直ぐに少女を見下ろす。
 耐えきれず、長い長い沈黙ののち、胡桃は現状を伝えた。
「……君は、女の子なんだから」
 そして同じくらい長い沈黙ののち、ヴェズルフェルニルはその場に崩れ落ち、少女の両肩に手を置いた。
「無理はしないで。頼ってくれていい。独りにしたいわけじゃないんだ」
「でも」
 自分の足で、生活しないと。
 こういうところは、筋を通したい。
 というのと、
「ワインフェスは、成人してから……一緒に参加、したい、わ」
 今は未だ『子供』だから。子供なりに、足掻きたい。そうして大人になりたい。
「……ほんとうに、君は」

 胡桃は、自分が決めた道を決して曲げない。

「信じるよ。それから、ワインも楽しみにしている。待っているから」
 困ったように笑い、ヴェズルフェルニルは立ち上がる。長い指の背で、胡桃の頬に触れた。
「今日はありがとう。とても楽しかった」
「ええ。私もよ、ヴェズルフェルニル」

 ――それじゃあ、また



 他愛ない約束の言葉。
 それが、どれだけ2人にとって尊いものか……知るのは、当人たちだけ。

 


【私と貴方の紡ぐカノン 了】


━ORDERMADECOM・EVENT・DATA━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・

登┃場┃人┃物┃一┃覧┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
【ja2617 / 矢野 胡桃  / 女 / 18歳 / ヴェズルフェルニルの姫君】
【jz0288 /カラス(ヴェズルフェルニル)/ 男 / 28歳 /多治見の堕天使】

ラ┃イ┃タ┃ー┃通┃信┃
━┛━┛━┛━┛━┛━┛
ご依頼ありがとうございました。
よもや、こんな日が来るとは……。平穏な秋の一日をお届けいたします。
楽しんでいただけましたら幸いです。
シングルノベル この商品を注文する
佐嶋 ちよみ クリエイターズルームへ
エリュシオン
2017年11月24日

投票はログイン後にできます。

ログインはこちら












©Frontier Works Inc. All Rights Reserved.