『Papilio protenor IF -2-』

水嶋・琴美（8036）

　


　その名を知らない者はないほどの大企業、小さくは身の回りの日用品から大きくは宇宙開発までその経営は多岐に渡るホワイトカンパニー。
　その企業のトップに君臨する一族が住まう豪邸の一室でテレビが昼間のハイウェイでの“玉突き事故”のニュースを流していた。
　部屋の主の一喝でテレビが沈黙する。
「それでだ、頼めるかな？」
　主は目の前に立つこの家のメイドに尋ねた。
　昼間、彼はハイウェイで襲われた。相手はパラライズガンを使っていた事から推察するに殺害ではなく拉致が目的と思われた。そもそも殺害するだけなら事故死の方が都合がいいだろう。大企業に於いてそのトップが死んで利を得られるのは同社内に於けるクーデターぐらいのものだからだ。また、福祉にも多大に力を注いでいる事から多くの人々がその恩恵を被っている、感謝こそされ殺されるほどの恨みを買うような心当たりもない。
　それよりも。
　あんな大仰に拉致を敢行したのは同業他社と考えるべきだった。経営は多岐に渡ってはいるが営利誘拐に見せかけて交渉したい事があるのだとすれば最近開発された新技術の特許権に関する事だろう。
　ならば黒幕の正体は容易に想像がつく。
　問題は、今回の誘拐を彼らが失敗したという事だ。次に狙われるのはもっと易い身内の誰か。息子の家族、娘の家族、孫たち……その都度退ける事は難しくはないが別々の場所で同時多発的に起これば、手に余る事もある。ならばこちらから２度と手を出さないようにお灸を据える方が得策といえるだろう。
　当然、一家を守るために仕えている琴美（PC8036）に否があろうはずもない。主の命は望むところでもあった。
「仰せのままに」
　琴美は深々と頭を下げ主の書斎を後にした。
　自室に向かう足が思いの外軽やかになってしまうのは、任務に対する高揚感故か。昼間の連中もそこそこ出来る傭兵部隊だった。それを殲滅してみせたのだ。相手も大層慌てている事だろう。ならば“的”の本拠地では“返礼”に備えて相応の準備を整えているに違いない。どんなもてなしがなされるのか想像するだけで昂らずにはいられなかった。
　自室で服を脱ぎ捨てベッドの上に腰を下ろす。こちらも相応の装いをしなければなるまい。膝上まであるニーソックスにしなやかな足を差し入れ、ガーターベルトの釣り紐とソックスを繋いでいく。皺を伸ばして指を離すとソックスの端が白い肌にほんのり食い込んだ。後ろの釣り紐に付けられたホルダーに得物を愛しげに仕込んで、ベッドから立ち上がると腰の括れを更に際だたせるコルセットを巻いた。ウェストラインを美しく見せるためのものか、チタン鋼の糸で編まれたものだが、防御の目的でその力が発揮された事はない。
　ボリュームのあるチュールレースのペチコートを履けば太股に出来る絶対領域にちら見えするガーターベルトが艶めかしい色香を放ち、ツンと上向きに丸みを帯びたヒップラインが愛らしく跳ね、世の男共を誘惑する小悪魔たらんとせしめていた。
　衝撃吸収素材が仕込まれたメイドのワンピースを身につける。長い髪を左肩の前に寄せ背中のファスナーをあげるとボディラインにフィットしたそれが彼女の豊満な胸を強調した。それは上から白いミディアムエプロンをかけても何ら損なわれる事はない。
　長い髪は両脇の髪だけツインテールにし、レースのあしらわれたカチューシャをはめる。細く白い項にスクエアネックを巻き、両手にはグローブ。最後にロングブーツの紐を膝まで編み上げれば完成か。
　そして琴美は夜陰に紛れて目的地へ向かった。
　ターゲットとなるライバル企業のトップが住まうのは広い庭のある洋館だった。表向きには今時レトロな軍用犬。だが、そこここに監視カメラと赤外線探査装置が張り巡らされている。
　琴美はインターフォンを押した。門前払いは百も承知で。“的”の慌てっぷりを楽しみつつ、開かぬ門を蹴破ってみせる。彼女のブーツの先端と靴底には金属が仕込まれその一蹴は重い。
　駆けてくる犬をひと睨みで止めて、琴美は堂々と玄関を進む。
　彼女を阻むように警備員がそれぞれに立ち塞がったが琴美の敵ではなかった。
　エントランスホールに屈強な男共が立ちふさがった。庭にいた警備員とは纏う空気が違う。
　琴美は匂い立つような笑みを湛えた。
　誰も銃器を持っていないのは、琴美には当たらないことを理解しているからか彼女を囲んだときの同士討ちを避けたものか。
　どちらでも構わない。スカートの下から得物を抜き取り２振り。
　男共が間合いを詰めるように琴美に向かってくる。最初の男の一撃を右で受け止め、同時に凪いだ左腕を止められる。交錯する視線に琴美は笑みをこぼした。小気味よいリズムで繰り返される攻防、勿論それを最初に崩したのは琴美の蹴りだ。傾ぐ男の体を鞭のようにしならせた琴美の回し蹴りが後方で構えていた男ごと柱まで吹っ飛ばす。
　だが息もつかせず別の方から巨漢が雄叫びをあげて琴美に巨大な銅のオブジェを投げつけてきた。８０キロ近くあるそれを軽々と投げつける豪腕だ。さすがに受け止めるわけにもいかずに飛び退く。それを見越していたのだろうそこに巨漢の拳が襲いかかった。琴美はその眼前に得物を突き出し扇を開いて面食らわせると、巨漢の膝をブーツで蹴り砕く。痛みをこらえるためか巨漢の咆哮が地軸を揺るがすほどに轟いた。追い打ちをかけようとした琴美の手が止まる。膝をついたまま巨漢がパンチを繰り出したからだ。上へ飛んで避ける。それを追うように巨漢が琴美の足へ手を伸ばした。琴美が扇で風を起こす。上昇気流を足場に更に上へ飛んだ。掴み損ねた巨漢の手が空を掻く。
　琴美は自由落下のまま得物を構えて巨漢の頭上に降り立った。
　巨漢が頭から血を流しどうと音を立てて倒れる。
　エントランスホールを照らしていた光がスポットライトのように琴美に降り注ぎ、その凄艶な姿態を浮かび上がらせていた。ここまで汗一つかいていない。
　トップの２人が倒されたからか他の男共は琴美を囲んだまま気圧されたようにその場に立ち竦んでいた。
　琴美はわずかに肩を竦めて１歩、エントランスホールの奥へと足を進めてみせる。それを合図に一斉に男共が襲いかかってきた。
　琴美は小さく屈んで両手の扇を開く。風の渦に乗るようにして、琴美の旋風脚が男共を大輪の花弁が花開くように周囲に吹っ飛ばした。
　満足のいくおもてなしか、いつの間にやら荒く熱くなっていた呼吸に胸元を押さえる。任務達成の高揚感に眩暈すら覚えながら琴美は奥へと進み“的”へ２度と主の一家に手を出さないという言質をとってその館を後にした。
　今回の任務もとても楽しい時間を過ごす事が出来たろう、だが無意識に求めてしまうのはもっと強い敵であったか。
　自分を満足させるような敵とはどれほどのものであろう、まだ見ぬ敵に思いを馳せる。
　それでも、たとえどんな強敵が現れようとも、この身に触れる事さえ出来ないに違いない。いや、それを成し得るほどの強敵でなければもしかしたら自分を満足させる事は出来ないかもしれぬ。ならば永遠に満たされることになってしまう。
「本当に加減とは難しいものですわね」
　月明かり夜の風が琴美の傍らを涼やかに吹き抜けた。





　END


━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
ありがとうございました。
楽しんでいただければ幸いです。

東京怪談ノベル(シングル)

斎藤晃

東京怪談

2020年03月23日