『魔の石拳』

水嶋・琴美（8036）

　夜闇に包まれたショッピングモールの駐車場。
　不穏な気配の揺らめきから一歩、パンツスーツ姿の水嶋・琴美(8036)は遠ざかる。
　長く伸ばしたぬばたまの髪が宙へ流れ、ちりっ。その流麗を乱された。
　風魔法ではなく、土魔法ですね。
　彼女が所属する自衛隊特殊統合機動課は、あらゆる非合法活動を担う非公式部隊である。諜報や潜入はもちろんのことだが、その任務には国土を侵さんと顕われる人外の殲滅もが含まれる。
　しかし、「魔法」と対することのできる隊員は希だ。刃弾と異なる理をもって繰り出される業は、身体能力の優劣とは別の才がなければどうにもできないからだ。だからこそ陰陽師や修験者、密教僧といった者たちがあたるのだが……瑞科に超常の力はない。
　彼女にあるものは唯一であり、無二のもの。
　すなわち、優劣を比べ合う域を超えた戦闘能力だ。

　琴美は視線をはしらせ、駐車場に一般車両が停まっていないことを確かめた。そのあたりは国家権力のほうでうまくやってくれているはずだが、万一のこともある。それに、こうして確かめることではっきりと知れる。前方に蠢く影が敵であることが。
　琴美の上体が前へ傾いだと思いきや、駆ける。わずか三歩で最高速へ達した彼女は、ブーツの踵でアスファルトを蹴り、跳んだ。
　と。その足下で“濁り”が爆ぜる。重力を繰る土魔法だ。それは外へ向かうのではなく、内へ向かって爆ぜ、周囲のものを引きずり込んで押し潰す。
　がくりと下へ吸い寄せられた琴美は上体を伸ばし、前方へ投げ出した。グローブで守られた掌をアスファルトへついて前転、魔法の効果範囲内に残された下体を一気に引き抜く。
「ふっ」
　自らの呼気を追い越して駆けた琴美は、視界の内で色づき、形を成す敵影の正体に口の端を引き締めた。
　全高４メートルのストーンゴーレム。
　ゴーレムとしては小振りな体であるが、理由はおそらく、頭部に人の顔がにじみ出ていることに由来するのだろう。パワードスーツとして自らを鎧い、増強するためのものだとすれば、本体からかけ離れた形やサイズにするほど扱いづらくなる。
「こちらの世界の方でしょうか？」
　琴美の問いに応えることなく、ゴーレムが硬い拳を振りかざす。
　大振りな突き下ろしを横へ跳んでかわした琴美は、着地と同時に体を縮め、反動をつけて後方へ跳んだ。
　ごぶん――たった今、琴美がいた場所が陥没する。案の定、パンチに土魔法をかぶせていたわけだ。拳を強化するのではなく、琴美が避けるであろう方向を大まかとはいえ読んで撃ち出してきたあたり、それなり以上の戦闘練度はあるようだ。
　魔法の残滓と噴き上がったアスファルトの欠片とをくぐり、琴美はゴーレムへ苦無を投じた。
　対してゴーレムは両腕で顔面をブロックする防御姿勢を取った。外殻の硬さにばかり頼らぬ姿勢も評価対象だが。
　苦無が唐突に直進を止めた。横へ流れて軌道をずらし、再びゴーレムへ向かい、腕の半ばへ突き立った。
　タネはシンプルなもので、苦無の柄に巻きつけられたワイヤーを繰っただけのこと。しかし見破られさえしなければ、それはひとつの魔法となる。
　琴美はワイヤーを手繰ってゴーレムの膝へ爪先をかけて跳び、今撃ち込んだ苦無を足がかりに石巨人の頭頂を見下ろし、新たな苦無を突き込んだ。
　ガツリと重い手応えが手首を震わせる。硬いばかりでなく、その硬さが詰まっているのだ。
「そういうことですか」
　うそぶいた瞬間、ゴーレムの腕が横薙がれる。
　琴美はかわすことなく裏拳に足裏を乗せ、遠心力を利して跳びすさった。足を放した途端、裏拳の上で土魔法が炸裂するが、すでに効果範囲からは抜け出していて。
　ゴーレムの拳の甲から割れ散った石片を見やり、琴美は胸中で独り言ちた。
　守りの固さに反してぞんざいな振る舞いではありますね。壊されたくないというのに、壊れてもかまわないとは。
　すでにゴーレムは腕をクラウチングスタイルに置き、守備を取り戻していた。
　それにしてもだ――いや、今はそれ以上を語るときではあるまい。推論はあれど、答合わせをするにはもう少し骨を折る必要がある。

　ゴーレムの拳が唸り、アスファルトを抉る。
　琴美は次いで爆ぜる土魔法に吸い寄せられぬよう大きく間合を開き、棒手裏剣を投げ打った。ワイヤーの繋がっておらぬ極軽量の刃は、投じた内のいくらかは重力に吸われて墜ちたが、残るいくらかは外殻の表面へ突き立つ。もっとも刺さりが浅く、振り落とされずに済んではいるがダメージを与えているようにはとても見えない。
　しかしかまわず、琴美は文字通りのハンマーパンチを避け続け、投じ続けた。そればかりか。
「捕まえてくださらないようですので――こちらから参ります」
　ゴーレムへと駆け、蹴りを打つ。ただ、反撃に対するためか踏み込みが半歩浅く、踵は体表ならぬ自らが打った手裏剣の先を叩くのが精いっぱいだ。
　ゴーレムはいぶかしむ。あの女が無意味な攻めを繰り返す意義はなにか？　いや、意味はあるはずだ。そうでなくば、逃げもせずこの場で闘い続ける意味がない。
　答は知れぬが、ともあれこちらに不利益をもたらすものではあるまい。早々に不安の種を潰し、時を待たねば。
「ずっと考えていたのです」
　また蹴りを打って跳び退き、琴美は語る。
「魔道の者がただひとつの業を振るうばかりであることに、いったいどのような理由があるものか」
　地をこすって伸び上がったアッパーカットをスウェーイングでかわし、拳上で爆ぜた土魔法を前方へ転がり込んで置き去ってゴーレムへ接近。蹴りを打って、跳び退く。
「守るべき箇所の優先度がちがうのは当然としても、守りの軸である腕を損なうような真似を平気でしてみせる理由はどこにあるものか」
　言いながら苦無を抜き出し、ワイヤーを解いて構え。
「私の導き出した答はこうです。魔力の多くを別のことに使っていればこそ、魔法を絞らざるを得なかった。ただしそれを成すには、本体の収納箇所を一定時間守り抜ければいい」
　駆け込み様、苦無を投じる。突き込むのではなく、ゴーレムを取り巻く弧を描かせて。
「ゴーレム使いが今さら魔獣を召喚するとは思えませんし、考えられる可能性はそう、時を稼いでより強力なゴーレムを起動させること」
　苦無のワイヤーが、絡みつく。幾度とない蹴りに打ち込まれ、より深く潜り込んだ数十の棒手裏剣へ。
　意図を読まれたこともそうだが、蹴りの意味をようようと知った己の愚鈍さに、ゴーレムの内の魔道師は奥歯を噛んだ。このままでは、あとわずかで到来する時を待つこともできぬ！
「邪魔をするつもりはありません」
　絡んだワイヤーが張り詰めたことを確かめ、琴美は言った。
「ただ、このままでは待ち時間が増すばかりですので、お手伝いを」
　なに!?　驚く間も与えられぬうち、ゴーレムの石体を強烈な振動が押し包んだ。
　それは古流武術に云う“通し”。敵の体内を激しく揺らし、臓腑を破壊する技によるものだ。琴美はその震動をワイヤーに伝え、増幅させながら手裏剣へ流し込んだのだ。
　果たしてゴーレムの石体は、道路工事のブレーカを喰らわされたかのごとく砕け落ち……頭部と胴の上部ばかりをアスファルトの上へ転がすこととなる。
「さあ、次の器を見せていただけますか？」
　艶然と笑む琴美へ陰鬱に煮えた視線を返し、魔道師はそれを呼ばわった。

東京怪談ノベル(シングル)

電気石八生

東京怪談

2020年03月31日