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『海に行きたい』
海原・みなも1252

 救急車のサイレンが聞こえ、海原・みなもはそちらに目線をやった。赤いサイレンの光は、確認できない。
 心の中で「頑張ってください」と声をかけ、みなもは歩き始めた。
(今日は、本当についてない)
 はあ、と大きなため息をつく。
 目覚まし時計の電池切れで朝から学校までのスピード勝負をし、昨晩やった宿題を家に忘れ、放課後は資料作りの手伝いをやらされた。
「海に行きたいです」
 ざざん、という波の音を、みなもは思い浮かべる。
 広くて青くて、落ち着く海。砂浜に打ち寄せる白い波。むせ返らんばかりの、潮の香り。
 もう日が落ちてしまっているから、今から海にはいけない。だけど、あの音とにおいと風景を見たら、今の沈んだ気持ちが浮き上がっていく気がする。

――海に、行きたい。

 みなもがそうはっきりと考えた瞬間、視界がぐにゃりと揺れ、ふっと意識を持って行かれた。
 危ない、とみなもは慌ててその場にしゃがむ。そのまま目を閉じていると、徐々に症状が落ち着く。
「疲れているんでしょうか」
 ぽつりと呟き、ゆっくりと立ち上がる。もう大丈夫そうだ。
 自分の中に溜まっている疲労が起こしていることなのかもしれない。
「クマとか、できていないでしょうか」
 みなもは少し心配になり、近くのショウウインドウに目をやる。
「あら」
 ショウウインドウの向こうに、綺麗な女性が覗き込んでいた。
「ご、ごめんなさい」
 みなもは慌てて視線を逸らす。ショウウインドウの向こうに、女性がいると思ったからだ。それも半裸に近いきらびやかな青いドレスを身にまとった、美しいお姉さま。
(夜のお仕事をされているのかしら)
 軽く頬が熱くなるのを感じつつ、みなもはぱたぱたと手で仰ぐ。
「え」
 その仰ぐ手を見て、気付く。
 手の指には、ラメの入ったマニキュアが塗られており、光を反射して輝いている。
「あたしの、手」
 みなもははっとして、自らの格好を確認する。先程まで着ていたセーラー服ではなく、半裸のドレスを着ている!
 みなもは意を決し、再びショウウインドウに目線をゆっくり移動させる。
 そこには、みなもの動きそのままの姿で立っている、先程の女性がいる。
 認めるべきなのだ。ショウウインドウに映る女性が、今の自分の姿なのだと。
 自覚した途端、かあ、と顔が真っ赤に染まる。
「あれ、ミナちゃん。事故に遭ったって聞いたけど、大丈夫?」
 突如声をかけられ、みなもは振り返る。
 声をかけてきたのは、中年男性だった。いかにも「お金持ち」な雰囲気をまとっている。
「さっきはすまなかったね、急に仕事が入っちゃって。今度また同伴を頼むから。それじゃあ」
 男性はそう言い、路肩にとめていた車に乗り込む。
 与えられた情報を整理し、みなもは考え込む。
 この風貌の女性は「ミナちゃん」で、想像通りの職業で、先程の男性と「同伴」出勤をしていたが、男性が急な仕事が入ったためにそれがなくなり、その後事故に遭った。

――とくん。

 こうして姿は乗っ取られたが、意識は感じられない。それでも、みなもにははっきりと「生きている」と確信できる鼓動を感じられた。
「こういう時、頼るべきところは一つですよね」
 みなもはそう言うと、電話を手にする。相談先は、もう決めていた。

□ □ □

「本当に、海原なんだな」
 みなもの隣にいる男が感心したように言う。草間興信所所長、草間・武彦。興信所と言いつつ、入る依頼は怪奇寄りだ。
「あり得る事象だって、草間さんは知ってますものね」
「ありがたいことにな」
 眉間にしわを寄せつつ、煙草を口にくわえようとする。が、それをみなもに取り上げられる。
「だめですよ、草間さん。今から病院に行くんですから」
「そうか」
 草間はみなもから煙草を返してもらい、元に戻す。
 みなもから連絡を受け、伝手を辿って得た情報から、今のみなもの格好が「海野・ミナ」という水商売の女性だということが分かった。
「瀬戸内の島育ちらしいな。親に連絡がいったみたいだが、すぐには駆けつけられないと」
「島育ち……それなら、海が恋しいでしょうね」
 みなもはそう言いつつ、あ、と口にする。
「あたし、海に行きたいって思って」
「同調したか」
「多分ですけれど。それに、今日はどうもついていなくて、そういうのも影響したのかもしれません」
 同伴出勤にかこつけたのに、急にキャンセルになってしまったのだ。さぞがっかりしたことだろう。
「事故に遭ったのは、夕方だ。ちょうどお前が言っていた店の近くだな」
「あの時、救急車のサイレンを聞いたんです」
「それだろうな。事故に遭ってすぐだから、その場に残る意識も鮮明だっただろう」
 草間はそう言い、ぴたりと足を止める。目の前には、ミナが運び込まれたという病院だ。
「あと、これだ」
 草間はそう言い、スーツの上着をみなもにかぶせる。むわ、と煙草の匂いが立ち昇る。
「消臭スプレー、した方がいいですよ」
「うるさい。その格好だと目立つから、それで隠しておけ」
 みなもは「はい」とあきらめたように返事をし、草間と共に病院へと入っていくのだった。


 病院では、拍子抜けするほどあっさりと病室までたどり着けた。
「悪い事はしていませんよね?」
「俺の人徳だな」
 絶対違う、とみなもは思いつつ、病室のドアを開ける。ベッドで横になる女性を見つけた。
 ミナだ。
「ミナさん、つきましたよ」
 みなもはそっと、目を閉じたままのミナに話しかける。取り付けられている呼吸器が、一定速度で曇っている。
「今日は、散々でしたね。あたしも散々で海に行きたくなりました」
 ぴく、と指先が動いた。
「ここは海から遠いですよね。潮の香りもしないし、波の音も聞こえないし、広がる青も見えません。だけど心と体が一つになっていたら、海に行くことはできます」
 みなもは、きゅ、とミナの手を握る。傍から見ると、ミナがミナの手を握っているかのようだ。
「だから、ミナさん。自分に戻ってください」
 みなもは問いかけ、ちょっとだけ赤くなりながら「この服、ちょっと恥ずかしくて」
「……一張羅なのに」
 くぐもった声が、室内に響く。みなもがはっとして声のした方を見ると、ミナの目が開いている。
 そして、みなもも元のセーラー服に戻っている。
「あたしを、連れてきて、くれたのね」
「あの、あたし」
 慌てるみなもに、ミナはくすくすと笑う。
「大丈夫。覚えてる。ありがとう」
 ミナの言葉に、みなもはほっとする。覚えているという言葉も、目が開いたミナも、戻った自分も。
「あたし、覚えてる。おんなじだなって思ったの。あたしと、おんなじで、ついて無くて、海に行きたくて、名前も似てて」
「海野・ミナと、海原・みなもですものね」
 二人は笑いあう。二人の様子を見て、草間は「じゃあ」と言って口を開く。
「俺は看護師に意識が戻ったことを伝えに行く。その間、海に行く計画でも建ててればいいさ」
 ひらひらと手を振る草間に、みなもとミナは「いい考え」と笑いあう。
「水着、一緒に買いに行っちゃう?」
「いいですね。ただ大胆なのは、ちょっと」
 頬を赤くするみなもに、ミナは悪戯っぽく笑う。
「似合うよ。だって、あたしの格好をしてたんだし」
「恥ずかしかったんですよ!」
 みなもの言葉に、ミナは笑った。
 ついていなかった気持ちを払拭する笑顔だった。


<波の音を心待ちにしつつ・了>

━あとがき━━━━━━━━━━━━━━━━━…・・
お久しぶりです、こんにちは。霜月玲守です。
この度はシチュエーションノベルを発注いただきまして、ありがとうございました。
少しでも気に入ってくださると嬉しいです。
東京怪談ノベル(シングル) -
霜月玲守 クリエイターズルームへ
東京怪談
2020年08月12日

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