●リプレイ本文
●集合
シュクレ堂はまだ暗いうちから動き始める。
朝日が昇る頃には棚に焼きたてのパンが並んだ。次第に朝食を買い求める客でごった返す。
それらが収まった頃、依頼を受けた冒険者達が集まった。休日のシーナも顔を出した。
「まずは食べてもらうのが一番ですね」
依頼人オジフは店番を息子に任せて冒険者達とシーナを厨房へと案内する。
そこには今の所一番柔らかいパンと、蜂蜜で甘みが足されたホイップ済みの生クリームが用意されていた。
「まるで雲をパンにのせて食べてるみたいなのですよ♪」
シーナがパンに生クリームをのせてゆく。
生クリーム付きのパンの試食開始である。
「本当に雲が乗っているみたい。どんな味かしら? ‥‥!!」
リュシエンナ・シュスト(ec5115)は一口食べると隣りにいた兄ラルフェンを見上げた。
「味わったことのない食感だ‥‥」
妹の手伝いとして訪れたラルフェンは一口分を呑み込むと生クリーム付きのパンを見つめる。
「おいしい雲、なのですか?」
エフェリア・シドリ(ec1862)は小さな口で頬張ると瞳を大きく開いて何度も瞬きをする。足下で子猫のスーが鳴いてもしばらく微動だにしなかった。あまりの美味しさに頭の中が一杯になったのである。
「ノルマンにはいろいろな食べ物があるんだね〜。パンも普通に食べるようになったけど‥‥、これは初めてだけど、とっても美味しいな♪」
ジャパン出身の本多文那(ec2195)一気に全部を食べてしまう。隣りにいたシーナも同じで、二人は顔を見合わせて笑った。
「なるほど! シーナさんが一押しなのもわかりますね。より柔らかいパンが欲しいのもよ〜くわかっちゃいました!」
口の端にクリームを残したままのアーシャ・イクティノス(eb6702)は何度も頷いた。
「ノルマンは基本的に硬いパンが主流みたいだけれどね。もし、柔らかいパンがあるとしたら、ルーアンの方かな、と思うのさね」
ライラ・マグニフィセント(eb9243)は冒険者とは別にノワールいうお店を構えているお菓子職人でもある。
各自参加を決めた時点である程度の目星はつけてきていた。探すのは発酵の種の元となるものだ。果物が主な候補だが、その他の食材にもよい発酵の種が潜んでいるかも知れない。
「‥‥どうかみなさん自然によろしくお願いしますね」
オジフが小声で囁いたのは棚の裏からファニーフェイと呼ばれる妖精が現れたからだ。とても恥ずかしがり屋で、感謝されると義務を感じてどこかに消えてしまうらしい。
機転を利かせたエフェリアがテレパシーでオジフの言葉を仲間に伝達した。依頼書にあったが、ファニーフェイのおかげで一晩あれば発酵は完了するという。つまり四日目の宵の口辺りが発酵の種収集の締め切りだ。最終の五日目は試食の時間になる。
冒険者達はさっそく発酵の種集めに外へ散らばるのであった。
●川口家
エフェリアと本多文那はパリに住むジャパンの娘、川口花の実家を訪ねた。
「やわらかいパンを作るのです。ジャパンの食材、少し分けてもらいたいのです」
「醤油とか味噌も発酵で作るよね。干し柿についてる白いのも発酵の種っぽいし。パリで手に入れる方法があったら教えて欲しいんだけど」
二人の話を花は頷きながら聞いてくれた。
「柿と梅ならあるのでお持ちになって下さいね。後は‥‥そうですね。秋頃に市場を覗いたら桃が売っているのを見かけましたよ」
「なるほどね」
本多文那が花に相槌を打つ。
「!」
エフェリアは足首を掴まれて驚く。犯人は一歳になった花の弟、菊太郎である。
「お年玉です」
エフェリアが屈んで熨斗付お年玉をあげると菊太郎は立ち上がって喜んだ。すぐに尻餅をついてしまうが、すでに歩けるようである。
花から柿と梅をもらった二人は、その足で市場へと向かう。
「ちょっと待ってて下さいね。お父様に聞いてきます」
エフェリアが相談すると少女ファニーが雑踏に消えてゆく。彼女の父親は市場でかなり顔が利く人物である。
戻ってきたファニーの案内で二人は様々な食材を購入する。この時期に生の桃や葡萄はなかった。林檎は産地別に一個ずつ購入しておく。
シュクレ堂に戻った二人は支払った金額をオジフから受け取る。
「僕はしばらくオジフさんのお手伝いをするね〜」
本多文那は最終日までパン作りと発酵を手伝うつもりである。
エフェリアは遠くに出かける用意の為に住処へと戻っていった。
●ジョワーズ
「おいしいです〜。大感激ですっ♪」
レストラン・ジョワーズパリ支店。アーシャは林檎が使われた料理に酔いしれていた。
胸元に飾られた赤リンゴのブローチはジョワーズが主催して行われたリンゴ大食い大会で配られたものである。
ウェイターによって運ばれたすべての料理がアーシャの胃袋に収まる。
満足したアーシャはウェイターに頼んでコック長を呼んでもらう。
「林檎の仕入先はどこですか?」
「うちで使っている林檎はパルネ領からまとめて仕入れたものです」
コック長によればパリから馬車で三日半かかるパルネ領の林檎園から取り寄せたものだという。
パルネ領はアーシャの知るトーマ・アロワイヨー領の東に存在する。
(「途中でライラさんにもらったパリジェンヌのお菓子を食べたりして、行ってみようかな」)
アーシャは考えた。コック長に頼めば林檎の一つや二つは譲ってもらえるはずだ。しかしパルネ領の果樹園を回って林檎を手に入れるのが理想だろうと。
ペガサスで飛んで向かえばそんなに時間はかからないと踏んだアーシャだ。
「また食べに来ますからね〜」
瞳を輝かせながらアーシャはジョワーズを後にするのだった。
●林檎と葡萄
「やっぱり林檎が良さそうかな?」
リュシエンナは荷物持ちの兄ラルフェンとパリ市内の様々な場所を回る。市場や、四つ葉のクローバー店などに立ち寄って買い集めてゆく。
手に入れたのはやはり林檎が多かった。
この時期まで持つ果物は種類が限られている。手に入れた食材は干し葡萄のように乾燥させたものや、蜂蜜漬けや塩漬けが多い。
日が暮れてから立ち寄ったのはジョワーズだ。アーシャとは別にリュシエンナは住み込みで働いている女性料理人ティリアを訪ねた。
「あちらでも葡萄を発酵させた種でパンを作ることが多いですよ。生葡萄もそうですし、干し葡萄も使われてますね」
「明日からエフェリアさんとワイン作りで有名なところに出かけるんです♪ 林檎はそれなりに集めたし、次は葡萄を集めてみますね」
リュシエンナはティリアにお礼をいってからシュクレ堂に戻る。
「わぁ、おっと‥‥」
本多文那はラルフェンから食材の入ったカゴを受け取ってよろけた。
「発酵の種にするのは任せてくださいね♪」
本多文那はさっそく用意を始める。頭上でパニィーフェイが嬉しそうに飛び回っているのが微笑ましい。よいコンビのようだ。
リュシエンナはラルフェンと話しながら家路を辿るのであった。
●ルーアン
二日目の朝、ライラはルーアンの街を散策していた。
昨日のうちにアーシャから借りたベゾムで到着したのである。
「ノワールのライラさんですか。パリに立ち寄った際、買い求めましたよ。美味しかったのを覚えています。こちらにお座りになって下さい。お茶でも出しましょう」
ライラは仕入先の伝手で教えてもらったルーアンのパン屋を訪ねた。店主でもあるブーランジェが快く迎えてくれる。ブーランジェとはパン職人を指す。
パン店の名はムワッソンといった。
「実は相談に乗ってもらいたいんだ。柔らかいパンを作るつもりなのだけど――」
ライラはこれまでの経緯を店主に話した。すると店主はいくつかの種類のパンをライラに試食させる。
「これが柔らかくておいしいさね」
ライラは柔らかいパンの発酵の種を分けてもらえないかと店主に頼んだが断られた。ただ、どうやって発酵の種を手に入れたかは教えてくれる。ルーアン郊外の果樹園で穫れた林檎から手に入れたという。
ルーアンが属するヴェルナー領では葡萄より林檎の方が盛んに栽培されていた。土壌が林檎の木に適していたからだ。
それからライラはルーアン周辺をベゾムで飛び回り、果樹園を営む農家の元を訪ねた。
当然ながら秋のうちに収穫は終わっていて木になっている林檎は一個もない。それでも余裕で生の林檎は手に入った。長期保存可能なのが林檎の特徴である。
林檎は一個ずつ小袋で区分けしておき、入手先を明確にしておく。将来の仕入れの時に役立つかも知れないからだ。
ライラは三日目の夕方まで林檎収集を行い、四日目の朝にルーアンを後にした。
●サロンテ
二日目の夕方、二つの影がサロンテの住む村に到着する。
エフェリアはドンキー・プルルアウリークス、リュシエンナは愛馬・シルヴィさんに乗っての来訪である。
エフェリアの背中の袋からは子猫のスーがおとなしく顔をだしていた。
「お手紙は届いているわ。どうぞ、お上がりになって」
家を訪ねるとサロンテはエフェリアとリュシエンナを笑顔で迎えてくれた。事情はすでにラルフェンからシフール便で伝わっていたのである。
「ふわふわパンを作るので、ぶどうが欲しいのです。今だと、干したぶどう、でしょうか?」
「葡萄が無理なら、別の食材でも構わないので教えてもらえると助かります」
エフェリアとリュシエンナはさっそくサロンテに相談する。
「この時期だと生の葡萄はどこにもないと思う。それとワイン用とそのまま食べる葡萄は品種が違うのよ。この村ならどちらの葡萄も干したものがあるから、まずはそれね。あとは‥‥ラヴィッサン、何かいいのある?」
「そうだね。料理用の葡萄の葉の塩漬けとかあるけど、発酵の種としてはどうなのだろうか」
サロンテの恋人のラヴィッサンも二人と一緒に考えてくれた。
エフェリアとリュシエンナは三日目の夕方までサロンテに紹介してもらった村の家々を訪ね回る。少しずつ干し葡萄をもらうと、お礼にオジフが持たせてくれたシュクレ堂の焼き菓子を置いていった。
夕食の時間にはエスカルゴの話題で盛り上がる。
「助かったのです。サロンテさんとラヴィッサンさん、ありがとうなのです」
「たくさんの種類の干し葡萄、ありがとうございました♪」
四日目の朝、エフェリアとリュシエンナはサロンテとラヴィッサンに別れを告げて村を去るのであった。
●くたくた
「こんなにもたくさん、ありがとうございます」
四日目の宵の口、閉店後のシュクレ堂に冒険者達が集まる。大量の発酵の種用食材を前にしてオジフが感激していた。
「アーシャ殿がまだようだね」
ライラが気がつく。
その場にいたのはオジフ、ライラ、本多文那、エフェリア、リュシエンナ。加えてパニィーフェイ。アーシャの姿はどこにもなかった。
「た、ただいま、戻り‥‥ま‥‥。疲れたぁ〜」
倒れ込むように扉を開いて入ってきたのは話題のアーシャである。
本多文那が椅子を持ってきてアーシャを座らせてあげた。
「あんなに遠いなんて思わなかったので、油断しました‥‥。でもちゃんと手に入れて来ましたよ」
アーシャの背中の袋にはたくさんの林檎が詰められていた。
ペガサスで飛んでもパルネ領はとても遠かったとアーシャは語る。現地で林檎を探した時間は半日にも満たない。すぐにとんぼ返りである。一直線ではなく、目印が乏しい為に遠回りせざるを得なかったのが大きな要因であった。
パリに近づいた際、アロワイヨー領主の管理する森の集落に立ち寄るのを思いだしたアーシャだ。ちゃんと森の集落で穫れた林檎も手に入れてきた。
「発酵の種への仕上げは僕に任せて下さいね〜」
本多文那は集まった食材を予め用意しておいた容器の中に入れてゆく。薄めた蜂蜜に浸かることによって発酵が促進されるらしい。
その様子をパニィーフェイはまじまじと見つめていた。
●試食の時
五日目の午後。
昼の客がいなくなった頃、冒険者達はシュクレ堂に再集結した。ちゃっかりとシーナとゾフィーの姿もある。
ライラは考えがあったので本多文那と共に朝からシュクレ堂に籠もっていた。
オジフがパンを厨房の小さなテーブルに並べてゆく。ホイップした蜂蜜入り生クリームをパンにのせて試食が始まった。
大抵の場合、一つのパンをちぎってみんなで頂く。そうしないとすぐにお腹が一杯になってしまうからだ。
同じ発酵の種から出来たパンでも、焼きたてと熱が抜けた状態とでは味が変わる。熱が抜けた状態でのパンで試食となった。
意見は滅多にばらけず、三種類の候補が残る。
アーシャが持ってきた林檎から作られたパンは一番柔らかいパンに仕上げる。ただし冷めた状態ではほとんど香りがなかった。
ライラが持ってきた林檎からのパンは柔らかさは程々だが、冷めていても鼻に抜けるようなよい香りを持つ。
エフェリアが持ってきた干し葡萄から作られたパンは柔らかさと香りがアーシャとライラの中間だ。このパンはリュシエンナの手柄でもあった。
オジフは悩んだ末、三種類とも採用した。しばらく三種類で続けてみて一番売れるものを残すつもりのようだ。
「釜を借りて、パイ生地を伸ばして重ねたものを焼いてみたんだ。これも生クリームをつけて食べてみて欲しいさね」
ライラは自信作のパイを持ってきた。
「柔らかいパンにつけても美味しいし、パイにのせても美味しい〜♪」
アーシャは右手に柔らかいパン、左手にパイを持って食べ比べる。
「スーさん、ちょっとなのです」
少しだけ子猫のスーに生クリーム付きパイをあげたエフェリアである。パンと一緒にスケッチもしておいた。
「美味しいは幸せ。笑顔と元気のもとよね♪」
「そうなのです〜♪」
リュシエンナはシーナと一緒に口の回りを白くする。
「どうぞ♪」
本多文那はパンをさらにちぎってファニーフェイにあげる。小さな身体で美味しそうに食べるファニーフェイであった。
「このパイの食感もいけるわね」
すぐにクリームをのせたパイを食べ終わるゾフィーだ。
「主人殿、このパイと生クリームの組み合わせ、ノワールで商品化してもいいかな?」
「ええ。こういうものはみんなで盛り上げないと浸透しませんし。こちらからもお願いします」
ライラはオジフから許可をとっておいた。
「どちらも大ヒット間違いなしなのです〜♪」
ライラとオジフの会話を聞いていたアーシャは大喜びであった。
●そして
最後に追加の報酬がオジフから冒険者達に贈られる。
エフェリアはクリーム付きパンと焼き菓子をオジフから余分にもらった。帰りに川口花の実家に持ってゆく為である。
手を振って別れる冒険者達は誰もが笑顔であった。