晴れ取り戻した地で伸びやかに休息を

■ショートシナリオ


担当:天音

対応レベル:8〜14lv

難易度:普通

成功報酬:4 G 98 C

参加人数:9人

サポート参加人数:-人

冒険期間:09月29日〜10月04日

リプレイ公開日:2008年10月08日

●オープニング

●どうぞごゆるりと
 リンデン侯爵領――そこには王都メイディアから海岸線に沿って北上し、ギルデン川を越えると到着する。三角形を左側にぱたりと倒したような形の領地で、下辺はギルデン川が領地の境だ。上辺はセルナー領と接している。
 この領地を襲っていた謎の長雨は上がった。空は雨で覆われていた夏を取り返そうとでもするように、晴れ渡っている。

「セーファス様直々にですか」
 驚いたように目の前の人物を眺めるのは支倉純也。以前侯爵家のお家騒動に関わった彼は、リンデン侯爵家嫡男の顔を知っている。その青年が侯爵領からメイディアの冒険者ギルドへ訪れたのだ。
「お約束しましたからね。歌姫の療養と皆さんの慰安をかねて別荘を貸し出すと」
 そうなのだ。律儀にも彼はその約束を守るためにメイディアまで依頼を出したのだという。
 依頼の名目は「歌姫エリヴィラの療養旅行の供」。
 彼女自身はもう自分で歩けるほどにまで回復し、侯爵邸を辞してアイリスの街中にあるリンデン幻奏楽団の自室で暮らしているという。
「別荘はゴーレムシップの着く港から少し南へ行ったところにあります。海辺をとの御希望でしたので。みなさんにはゴーレムシップに乗り、港に到着したらこちらの用意した馬車で別荘へと向かってもらいます。私と歌姫は港でお待ちしています」
「セーファス様もいらっしゃるのですか?」
 純也の問いに、セーファスはゆっくりと頷く。
「一応別荘は人を遣って掃除させましたが、何かあったときに施設の説明が必要でしょう。ご心配なさらずとも、用事がなければ私は部屋におりますので、いないと考えていただいて結構です」
 使用人を派遣してもらえればそれで十分のように思えるが、精霊招きの歌姫――彼女を連れ出すには、やはり今はそれなりの者が随伴する必要があるのかもしれない。彼自身は冒険者達を信頼しているのか、彼らの邪魔をしてはいけないと思っているのか、必要以上の干渉はしないという方針のようだ。それにしても自ら使用人のような役目を買って出るとは――相変わらず領主となるには優しすぎるというか甘すぎるというか。

 別荘は海辺の閑静な場所に建てられているという。窓を開ければ海を眺める事ができるようだ。水遊びの季節は雨で逸してしまったが、元々暑い気候のメイである。多少水は冷たいかもしれないが泳ぐ事もできるだろう。
 また、近くには馬場が整っており、乗馬用の馬が数頭いるという。こちらも希望すれば案内してもらえ、そして馬を借りられるとの事。
 ただしメイドが派遣されていないため、食事は自炊となる。近くの町までは少し距離があるので買出しには時間がかかるかもしれないが、皆でわいわいと食材を選び、皆で調理をする。それもひとつの楽しみ。多少料理が失敗したとて構うまい。楽しさが絶好のスパイスと成るはずだ。
 館1階には小さなダンスパーティを行えるホールがあるという。ハープシコードという珍しい天界の楽器も置いてあるとか。皆でドレスに着替えて演奏やダンスを楽しむのも一興かもしれない。
「何か必要なものがあれば、できる限り用意させますから」
 セーファスは柔らかく微笑み、そして依頼金を置いた。純也はリンデンを支配している謎の影、「黒衣の復讐者」についてのその後の情報を尋ねようとしたが、口を閉じた。復旧作業の進み具合や侯爵家の現在の人間関係、セーファスに尋ねれば恐らく最新の情報が手にはいるだろう。
 だが何か事件が起こっていればギルドに依頼があるはず。依頼がないということはまだ大きな動きはないということなのかもしれない。
 この休暇には冒険者に対する今までの労いだけでなく、これからの活躍を期待するという気持ちも込められているのだろう。
「それでは、お待ちしています」
 いつもの優しげな微笑を浮かべ、セーファスはギルドを出た。

●今回の参加者

 ea1842 アマツ・オオトリ(31歳・♀・ナイト・人間・ビザンチン帝国)
 ea1856 美芳野 ひなた(26歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea3475 キース・レッド(37歳・♂・レンジャー・人間・イギリス王国)
 ea7641 レインフォルス・フォルナード(35歳・♂・ファイター・人間・エジプト)
 eb0754 フォーリィ・クライト(21歳・♀・ファイター・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 eb3771 孫 美星(24歳・♀・僧侶・シフール・華仙教大国)
 ec0844 雀尾 煉淡(39歳・♂・僧侶・人間・ジャパン)
 ec4427 土御門 焔(38歳・♀・陰陽師・人間・ジャパン)
 ec4666 水無月 茜(25歳・♀・天界人・人間・天界(地球))

●リプレイ本文

●再会の調べ
 空は晴れ渡り、波は穏やかであった。冒険者達を乗せたゴーレムシップも大きく揺れることなく、無事にリンデンの港ファティ港へと到着した。そこで彼らを待っていたのは、侯爵子息セーファスとディアス、夫人に――優しい笑顔で船から下りる皆を見つめるエリヴィラであった。
「エリヴィラ!」
 それに気がついた一同が順に彼女達の元へと駆け出す。一番に到着したフォーリィ・クライト(eb0754)はエリヴィラの両腕を軽く掴むようにして。
「エリヴィラ、体調は大丈夫?」
「ええ。もうすっかり」
「疲れたり、身体が痛むようなら遠慮なく言うのよ。変に気を使ったりしたらそっちに怒るわよ?」
 わかってます、そう頷くエリヴィラの表情は穏やかだ。大切な仲間とのこうした再会はとても嬉しく。
「ティアレアさんもディアス君も来てくれたアルね!」
「妖精さん、誘ってくれて有難う!」
 母親である夫人を安心されるためなのか、しっかりと母親の手を握ったディアスが彼らの同行を提案した孫美星(eb3771)に笑いかけた。夫人も同じ様にして頷く。
「一緒に沢山遊ぼうアルね?」
「うん!」
 美星はディアスの小さな頭を撫でた。こっそり横の夫人の表情を伺うが以前のつんとした様子はなく、落ち着いているようだった。これならば安心だろう。
「皆様、馬車の用意が整っております」
 船着場でたまっている一同に声をかけたのは、全身を白の衣類で固めた女騎士だった。中には何人か顔見知りの者もいるだろう。彼女がリンデンにおけるもう一つの怪異を追っていた騎士、イーリス・オークレールだ。
「ありがとう、イーリス。それでは皆さん、立ち話もなんですから参りましょう。まだまだ時間は沢山ありますしね」
 にこり、微笑んだセーファスに促され、一同は馬車へと向かう。
「エリィ」
 こっそり零された呟きを拾い、エリヴィラは振り返った。その声の主と目が合う。
 絡み合う視線が少しばかりくすぐったい。
 彼女は声の主、キース・レッド(ea3475)にとても優しく柔らかい笑みを向けてみせた。


●始まりの調べ
 そこは浜辺に面した大きな館だった。侯爵家の別荘としては豪華さは控えめかもしれないが、お忍びで夏の間のバカンスに使用するそうなので、あまり目立たないようにしているのだろう。だが割り振られたどの部屋からも海が一望できるようにと計算されて作られている。
 さあ、何をおいても食料調達。今晩ホールで予定されているパーティだけでなく、二泊三日の間に使用する食材を手にいれなくてはならない。夫人を筆頭とした侯爵家の人物が三人もいるので料理に手を抜く事はできないが、その点については心配しなかった。なにせ家事や料理に長けた者がしっかりとその任を請け負う予定だからだ。
「新巻鮭とイール、なないろスイカ、抹茶味の保存食を提供します。食材の足しにしてください」
 釣竿を手に、これから釣りに出る予定の雀尾煉淡(ec0844)がまずは、と厨房に持ち寄った食材を置く。
「あたしは釣りに付き合うアル〜♪」
「あたしは買出しに付き合ってから釣りに合流するわね」
 美星とフォーリィはそう自分の行動を決めて。
「頼まれていた鉄板は用意してありますのでご利用ください」
「みなさんの為にひなたも腕をふるっちゃいますよー! まずはお買い物ですねっ。セーファスさん、お暇ならお買い物に付き合ってください。案内お願いします」
 セーファスが用意した鉄板を前にして腕をまくる美芳野ひなた(ea1856)。そこに静かに声をかけたのは、アマツ・オオトリ(ea1842)だった。
「盛り上がっているところ済まぬが‥‥買い物の前に少しばかりセーファス殿と話をしたい。な、紳士」
「そうだな。ミズ・オークレールも一緒にお願いするよ」
「わかりました」
 アマツの呼びかけに答えたキースに、セーファスもイーリスも頷いてみせる。
「じゃあ話が終わるまでは私達も待っていたほうがよさそうね。ひなたとエリヴィラも、美星と煉淡と一緒にちょっと釣りをしていましょ?」
「‥‥釣り、ですか‥‥」
「エリィ、楽しんでくるといい」
 フォーリィの誘いに少しばかり戸惑ったようにしたエリヴィラだったが、キースに笑まれるとそれに頷いたのだった。


●未来への暗雲と懸念の調べ
 セーファスに案内されて応接室へと向かったのはキース、アマツ、土御門焔(ec4427)、レインフォルス・フォルナード(ea7641)、水無月茜(ec4666)とイーリスだった。
「たまにはイーリスさんも休暇をとってもいいんじゃないかと思いまして。是非同行していただきたかったので良かったです」
「今後どうするのかも気になったのでな」
 焔とレインフォルスの言葉にイーリスは「お心遣い感謝する」といつもの硬い調子で頭を下げると、セーファスの座るソファの後ろへと立ったまま控える。冒険者達はそれぞれ空いているソファに腰をかけ、誰かが口を開くのを待った。
「『黒衣の復讐者』のこと‥‥ですね?」
 口火を切ったのはセーファスだった。いつもの優しげな表情のまま、一同を見回す。
「まあ、最終的にはその話になるかな。領地の復旧状況と共に続報も知らせてもらえると嬉しい」
「私も、両方の事件に少しずつ関わってきた者として、気になりますから」
 キースと茜の声にゆっくりと頷き、手を膝の上で組み合わせるようにしながらセーファスは口を開く。
「領地の復旧は順調です。雨が降るとまた止まなくなるのではないかと不安を抱く者もおりますが、それは仕方の無い事。雨が上がってみれば心配のしすぎだ、と笑い飛ばせるほどです。目新しい怪異や被害は、今のところ報告されていません」
 セーファスが確認の意味を秘めて後ろに立つイーリスを振り返ると、彼女は黙って頷いた。
「ここから近いクラウジウス島‥‥そこに不審者が住み付いていると言う話は行ってるかね?」
「ええ。念の為に海側の警戒を強化するようにとの話は耳にしております」
「それなら話は早い。もしリンデンに些細なものでも異変が起こったならば、速やかにギルドへと依頼を提出して欲しい。我々冒険者達はいつでも協力を惜しまない」
 話の主導権はキースが握っていた。セーファスは勿論です、有難うございますと柔らかく告げる。新たな情報を渡せない事を申し訳なく思っているようだ。
「(セーファスさんが音楽会社のプロデューサーさんに見えてきた‥‥緊張しちゃうなぁ)」
「‥‥君、茜君」
「は、はい!?」
 じーっと固まったようにセーファスを見つめていた茜だったが、キースの呼びかけで我に返る。セーファスは「どうかしましたか?」とでも言いたげに小さく首を傾げていた。
「何か他に、君から伝える事は?」
「あ、特にはない‥‥です」
 今はまだ人魚の少女ディアネイラのことは秘密だ。だとしたら特別話すような事はないと思えた。
「あちらが動かねば尻尾をつかめぬか‥‥。イニシアチブを握られているようでいい気分ではないな」
「そうですね。被害が出てからしか対処できないのは、私としても辛い事です」
 不機嫌そうに呟いたアマツの言葉にセーファスが顔を曇らせる。民を思う領主の顔だった。
「イーリスさんの追っていた『上位のカオスの魔物』と今まで侯爵家に付きまとっていたカオスの魔物の上位種は同じ存在か近い関係にあると思います。できる事ならば、イーリスさんと侯爵家との情報交換を密にした方が」
「心配ない」
 焔の心配に凛と答えたのはセーファスの後ろに直立していたイーリスだった。その瞳からは忠誠心が感じ取れる。
「私はリンデン侯爵家に仕える騎士だ」
 その一言で全てを済ましてしまえる、そんな真っ直ぐな忠誠心には彼女の纏う『白』が似合う。
「ふむ‥‥では今日のところは、ゆっりの羽根を伸ばしておくほうがよさそうだな。また敵が動き出したら、それどころではなくなるだろう」
 折角の楽しい機会を暗い気分で過ごすのはもったいないというアマツの言葉に異を唱える者はいなかった。会議はここまでとし、一同は釣り組と合流する事にする。


●大漁の調べ
「ディアス君、引いてるアル!」
「え? これ、どうしたらいいの? た、助けてー!」
 美星がディアスと共に竿を支えるも、シフールと子供の力ではたかが知れている。竿を引く魚の力は強く、今にも二人は引き込まれてしまいそうだ。
「エリヴィラ、この竿を頼みます」
 それを見て煉淡が自分の竿をエリヴィラに預け、ディアスの竿を後ろから支える。
「え‥‥?」
 咄嗟に受け取ったも、エリヴィラには釣りの方法を知らない。ふと隣のフォーリィを見ると、彼女は笑って「引きが来るまでは辛抱強く待つのがいいわよ」と言った。
「ディアスさん、美星さん、しっかり竿を持っていてくださいね」
「う、うんっ」
 煉淡の助けを受けて何とか岩場から海への転落を免れたディアスと美星。竿を引く魚と格闘だ。
 一方――
「エリヴィラっ!」
「え?」
「引いてる引いてる!」
 ディアス達の様子を眺めていたエリヴィラの預かった竿がくいくいと揺れている。フォーリィはそれを見て慌てて自分の竿を置いてエリヴィラの竿を支えて。
「た、大変ですー」
 後ろから眺めていたひなたも慌ててそれを手伝って。
 丁度外に出た時に遠目に尋常ではない様子を見て取ったのだろう、セーファスと会談をしていたメンバーが慌てて走ってくる。だが釣りメンバーにそれを見ている余裕は無い。
「釣れたっ!!」
 海からぴょんと飛び出した大きな魚を見てディアスが嬉しそうに声を上げたのを、丁度到着した一同は眩しい水しぶきと共に見つめたのだった。


●結びの調べ
「お肉と、お野菜とスパイスと‥‥」
「鶏ガラと麺と蛸と蜂蜜も欲しいアル」
 近くの街へ馬車で到着した時には丁度夕市が立ってた。さすがにメイディアやアイリスほどではないが、それなりの品が並んでいる。
 ひなたと美星が料理に使う食材を検分して購入の手続きをしていく。荷物持ち兼お財布係のセーファスは厭な顔一つせずに彼女達について回った。
「魚類は煉淡さん達が釣ってくれるアルし‥‥後は」
「『たこやき』を作るなら小麦粉や卵も必要だって茜さんが言ってましたね」
「じゃあ、それも買うアル」
 果たしてセーファス一人で持ちきれる量なのか難しいところになってきたが、馬車まではともかく馬車に運び込んでしまえば後はどうにでもなる。遊ぶ時間を確保するためにも、買い物はできるだけ済ませておきたいところ。
「エリヴィラ、どうしたの? 疲れた」
 あっちの店こっちの店を人の波に揉まれながら進む三人を追っていたフォーリィだったが、えとエリヴィラが足を止めたのに気がついて彼女の元まで戻る。そこは地面に敷物を敷いてその上に木の実や流木を加工して作ったアクセサリを売っている露天のようだった。
「いいえ‥‥あの」
「何? この店が気になるの?」
 人の波を抜けて足を止める少女二人に、店主であるのだろう若い女性が「いらっしゃい」と声をかけてきた。
「これ‥‥二つください」
 エリヴィラが指したのは木の実などに穴を開けて皮紐を通したブレスレットだった。所々に挟まっている赤い実が視線を惹く。
「お揃い? キースに?」
 手渡されたブレスレットを手に、エリヴィラは小さく首を振る。そして片方を目の前のフォーリィへと差し出した。お揃いといっても同じ様な木の実を使って似せているというだけなので完全に同じ品ではないのだが、エリヴィラとしては似ているものを選んだつもりだ。たしかに一見では同じものに見えるだろう。
「フォーリィさん、こういうのはお嫌いでしょうか?」
 心配そうにフォーリィを見つめるエリヴィラ。フォーリィはくす、と笑みを浮かべてそれを受け取った。
「ありがとう。嫌いじゃないわよ」
 明らかにほっとした様子でエリヴィラが微笑む。
「フォーリィさん、エリヴィラさんー?」
 雑踏にまぎれて遠くから二人を呼ぶひなたの声が聞こえた。
「いこう」
 フォーリィはエリヴィラの手をとり、人の波を掻き分けて声のした方へと走り始めた。
 その腕にはお揃いのブレスレットが、しゃらんっと彼女達の動きにあわせて揺れていた。


●融解の調べ
「お食事、とても美味しく戴きましたわ」
 険のある表情の消えた侯爵夫人に褒められたのは、野外で鉄板を使って豪快に焼いた肉と野菜と魚。美星が仲間に教わったという焼き蕎麦に茜の知識を元に作られた『たこやき』。幼いディアスなどは野外で食べる食事に大はしゃぎだったが、上品な夫人に口に合うかどうかが懸念事項だった。だがそれはひなたや美星の料理の腕がカバーしたのが大きかったのだろう。
「御口に合ってよかったですー」
「今では侯爵夫人として貴族の立場にいるけれど‥‥私、19で侯爵に拾われるまでは身分のない町娘だったのよ。だからこういう形式の食事も大丈夫。‥‥以前の私だったら、文句を言ったかもしれないけれども」
 ひなたの言葉にさらりと漏らされた夫人の過去。それは驚くに値する内容だった。以前の、ということはセーファスとの和解が進む前の――カオスの魔物に心揺さぶられていた頃のという事だろう。恐らく貴族の妻の座を得たという事により貴族であろうとする心、そしてその地位を失いたくないという気持ち、子供を失った事の悲しみ、もう何も失いたくないという気持ちが負の方向に働いて、彼女を意固地にしていたのかもしれない。
「夫人は‥‥強くなられましたよね?」
 煉淡の言葉は褒め言葉というよりも確認。彼は二度に渡り夫人がカオスの魔物に唆されるところを見てきている。その言葉に夫人は、今まで冒険者達には見せたことの無いようなくつろいだ表情を見せた。
「‥‥そうね。立派な息子が二人もいてくれるから」
 その言葉に目を見張ったのはセーファス。彼と夫人の確執を知っている者達は、二人を温かい眼で見守った。


●円舞曲と歌曲の調べ
 ハープシコードの不思議な音が別荘のホールに響き渡る。その奏者は焔だ。この楽器に興味のあった彼女は最初は恐々とではあったがその鍵盤に触れ、音の出し方が分かるとたどたどしくではあるがゆっくりとメロディーを紡いでいった。
 皆の邪魔になるからと食後は部屋に引き取ろうとしていた夫人を引きとめたのも彼女で、自身のカウンセリング技能を駆使して夫人の心を開こうとした。夫人は今、焔のたどたどしいワルツに乗って、セーファスと踊っている。
「足を踏む事だけは無いアルから安心してアル☆」
 ホワイトプリンセスに身を包んだ美星は、しっかりと礼服に身を包んだ小さな紳士――ディアスと共に手を繋いで踊っていた。ワルツではないがここは正式な舞踏会ではないし、この位自由度が高いほうが息抜きにはふさわしい。
「(彼女の笑顔をもう二度と、曇らせたりはしない)」
 エリヴィラとステップを踏みながら、キースは心に誓っていた。彼は様々な事を学んだはずだ。大事に思うのと大事にするのは違う事。全てにおいて一方通行では成り立たない事。
「エリィ」
「‥‥はい?」
 他の者に聞こえぬようにそっと呟いたキースの声に、エリヴィラは不思議そうに顔を上げる。彼は彼女をそのまま抱きしめたくなるのを堪え――
「『黒衣の復讐者』を討ち果たし、リンデンに真の平和を取り戻せたその時、君に結婚の申し込みをしたい」
「‥‥‥」
「だから‥‥それまでは唇を重ねるだけで我慢して欲しい」
 キースの背でエリヴィラの姿が見えなくなるほんの一瞬に、彼はエリヴィラの唇に自らのそれを重ねた。
 先に呟いた言葉は彼女への願いではなく、自らへの戒めに近い。彼女ではなく自分が、我慢できなくならないように――。

「壁の花、よね」
 三つ編みに伊達眼鏡、サンライズドレスで普段と違った格好に着飾ったフォーリィはふう、と小さく溜息をつく。
「まあ、そう言うな」
 苦笑するのは特に着飾るでもなく場の雰囲気を楽しんでいるアマツ。ロマンスガードとセクシーパラダイスに身を包んだひなたと茜も、着飾ったはいいがどうしたらよいのかと迷うばかりだ。
「あれ、レインフォルスさんは?」
「先ほど私がオークレール殿に伝言を伝えた後に彼女と何か話していたが‥‥姿が見当たらないな」
 茜の言葉に会場内を見回したアマツが呟く。
「私は家事の方が性に合っています〜」
 むずむずとひなたの家事魂がうずいていた。先ほどの夕食の洗い物がまだ残っているはずだ。
「お嬢様方、私で宜しければお相手しましょうか? 慣れてはおりませんが」
 そんな女性陣を見かねて苦笑しながら口を出したのは煉淡。エスコートする男の絶対数が足りないのだから、ここで見て見ぬ振りをするわけにもいくまい。
「おねーちゃん!」
 その時走りながら声をかけてきたのは美星と踊り終わったディアスだった。彼は足を止めると、侯爵子息らしく優雅に一礼して手を差し出した。
「三つ編みと眼鏡が素敵なおねえちゃん、僕と一曲お相手願えませんか?」
「え、あたし?」
 手を差し出されたフォーリィは、驚きながらも小さな紳士の手をとったのである。一番見る目があるのはこの小さな紳士かもしれない。
「セーファス殿も戻ってくるようだ。これで男手は足りるな」
 くす、とアマツが口元に笑みを浮かべる。
 いつの間にか曲は変わり、エリヴィラがハープシコードの側でその歌声を披露し始めていた。


 ダンスミュージックに乗せた歌声が、開かれた窓を通してバルコニーへも響いていた。
『青空に差し込む光
 花や海達は輝き踊り
 命の煌きを帯びた
 はじまりを謳う風は
 私を吹き抜ける』

「今後どうするんだ?」
 月精霊の明かりが差し込むバルコニーで、レインフォルスは隣に立つ女性へと声をかけた。彼女は非公式の小さな舞踏会だというのに遠慮してか、着飾らずに白を中心としたいつもの『騎士』の格好のままだ。
「‥‥侯爵から新たな命があればそれに従うまで」
「どこまでも忠誠を誓っているという事か」
 当たり前のように答えた彼女、イーリスの言葉に彼も静かに言葉を返す。
「侯爵は、役立たずになった私を切り捨てずにいてくれた。その恩は忘れない」
 風が二人の髪を撫で、月精霊かイーリスの端正な横顔を照らすのをレインフォルスは黙って見つめていた。

『優しい色を纏う景色
 目を伏せたまま過ごしてきたけれど』

「だが」
「‥‥?」
 不意に切られた彼女の言葉を不審に思ってレインフォルスが視線を揺らすと、振り向いたイーリスと目が合う。
「侯爵や亡き夫の両親に、再婚も考えるようにといわれた。まだ若いのだから、と」
「年は?」
「年が明けると22になる」
「‥‥‥‥‥」
 確かにイーリスは20代前半には見えていたが、それほど若かったとは。
「相手は?」
「いるわけがない」
 レインフォルスの言葉にふっと笑むイーリス。それまで何かに追われるようにして、何かを背負うようにして動いてきた彼女が見せた、優しい笑みだった。

『さあ 顔を上げて
 世界と歌を交わし合おう
 空も水も海も大地も一つになる
 大きくその手を広げ
 抱きしめたその場所は
 いつものみんなの陽だまり
 かけがえのない暖かな 宝物』

 ホールからはエリヴィラの歌が聞こえてくる。
 二人は黙ったまま、夜空を見上げて風に包まれて時を過ごした。


●駆け行く風の調べ
 今日はナイト役を君に譲るよ――そんなキースの言葉をありがたく受け取って、フォーリィは馬場へ愛馬のドラグノフを連れて訪れた。
「こちらをご自由に」
 セーファスにより管理者に紹介され、そして自由に走り回る許可を得る。
「さて、エリヴィラ。乗ってみようか?」
「‥‥はい」
「怖い?」
 ふるふる、とエリヴィラは首を振ったが、フォーリィは彼女の手をとり、愛馬に触れさせる。
「ドラグノフは大きいけど言う事聞くから安心してもらって大丈夫だから」
 手から伝わる体温に安心したようなエリヴィラに満足したフォーリィは、彼女が鐙に足をかけて騎乗するのを手伝い、そして自らは前へと乗った。後ろに横座りをしたエリヴィラの手が、恐る恐るフォーリィの胴体に回される。
「最初はゆっくりと歩くけど、もっとしっかり掴まっていて」
「はい」
「そう、そんな感じ」
 ゆっくりと、愛馬を歩かせる。最初は胴体に回されていた手にも力が込められていたが、段々と馬の歩くリズムに慣れてきたことで余分な力が抜けていくのが分かる。
「ちょっぴり走ってみましょ」
 それを確認したところで歩調を速める。後ろではっとエリヴィラが息を呑むのが分かった。
「普段と違う視点と速度、面白いでしょう?」
「は、はいっ!」
 やや興奮したような彼女の声に、フォーリィにも笑みが浮かぶ。二人は最速ではなく少し走っただけ、という速度ではあったが、風の中を走る。この楽しさをエリヴィラに教えたかったのだから。
「どう? 楽しかった? この後海で遊ぶ予定だけれど、体調は大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
 エリヴィラが馬から下りるのを手伝いながら尋ねたが、彼女の顔色は良く、嘘をついているようには見えなかった。それじゃこの次は皆と海水浴だ。
「あ‥‥セーファス様」
 後方を見るエリヴィラと、馬の足音につられてフォーリィがそちらを振り向くと、セーファスが華麗に白馬を操って障害を越えさせて走っていた。
「‥‥意外とやるじゃない、あのおぼっちやんも」
 後で聞いた話によると、どうやら鍛錬を続けていたようで、ただ馬に乗るだけからそこまで走らせられるようになったのだという。継続は力なり。


●波音と幸せの調べ
 きゃあきゃあきゃあ。
 女性達の嬌声と波の音が響く。
「美しい女性達のあんな姿を独占できるなんて、なんと言ったらいいのだろうね」
「‥‥楽しそうでいいのではないか?」
 波間で楽しそうに遊ぶ女性達を砂浜で静かに見守るのはキースとレインフォルス、そして煉淡。
「キースさんはエリヴィラと二人で遊ばなくてもよいのですか?」
「今女性達の邪魔をするは無粋だろう。後で君の申し出をありがたく受けて、二人で空中散歩させてもらうよ」
 煉淡にペガサスでの空中散歩を提案されたキースは、それをありがたく受けるつもりでいる。だが今彼女は他の女性達と楽しそうに水遊びに興じている。そこを連れ出すほど彼も野暮ではなかった。

「アマツさん、その格好は‥‥!」
 茜がアマツの格好を見て目を見開く。地球製の水着に身を包む者が多い中、アマツは胸にサラシを巻き、六尺褌姿である。
「はっはっは、天界の怪しげな衣は性に合わぬ!」
「で、でも女性なのですからっ」
 地球人の茜には、どうしても女性のそんな姿に抵抗が残る。
「まあまあ。ご本人が平気と仰っているのですから」
 ジャパン出身の焔がそれをとりなして。
「我がオオトリ家の源流は東方ジャパンのもののふ。故に我が身は騎士であり武士なのだ」
「まぁ‥‥ご本人がいいのなら‥‥」
 よく分からないけれど本人が大丈夫というのなら大丈夫なのだろう。
「美星、泳ぐ時は羽根に頼っちゃ駄目。もっと力を抜いて。あ、エリヴィラもね」
 かたやこちらではフォーリィによる水泳指導が行われていた。
「んー、ウォーターダイブのスクロール使ったら駄目アルか?」
「使ってもいいけど、それじゃ泳ぎは巧くならないと思うけど」
 確かにフォーリィの言うとおりだ。美星は大人しく言われた通りにぱしゃぱしゃと泳ぎの練習をする。
「一緒に、頑張りましょう‥‥?」
 その傍らにはエリヴィラ。泳ぎ慣れていない者同士、特訓中だ。
「みなさーん、お弁当持ってきましたよー!!」
 その時館の方角から響いてきたのはひなたの大声。彼女とそれについてきているセーファスとディアスの手には、バスケットが握られてる。
「ご飯アル☆ おやつにはクーリングのスクロールを使って氷を作って、削って蜂蜜をかけて食べようアル〜♪ ディアス君とかっこいいお城を作るのもいいアルね〜」
 じゃばっ‥‥水から飛び出して濡れた羽根を羽ばたかせながら美星が一目散に飛んでいく。
「あ、美星っ!」
 フォーリィの制止も聞かず。
「ご飯が終わったらみんなでビーチバレーをしましょう。ビーチボール膨らませておきますね」
 茜がにこりと微笑み、アマツと焔と共に砂浜へと上がる。
「一旦休憩、ですね‥‥」
 くす、と微笑んだエリヴィラに、フォーリィは仕方ないわねとわざとらしく溜息をついて見せた。砂浜では既に男性達の手によって食事が広げられ始めている。
 暖かい砂浜に足を乗せる。砂に足跡がつき、濡れた足に砂が絡まる。何度波打ち際で洗い流してもつく砂の感触に慣れずにいたちごっこをしているエリヴィラの前に、いつの間にやら影が立っていた。
「‥‥‥?」
 彼女が顔を向けると、その人影は皆の元にいたはずの煉淡だった。彼は優しい表情で、彼女に問う。
「今、貴方も中にいるこの光景は、貴方が待ち望んでいた光景ですか?」
 その問いは、いつか彼が掲げていた『目標』に対する問いで。
 その意図を解したエリヴィラは、風に流される髪を片手で押さえながら、はっきりと答えた。

「はい、勿論です‥‥!」


 冒険者達の長くて短い休日は、まだまだ続くのであった。