香りとお湯でリラクゼーション

■イベントシナリオ


担当:天音

対応レベル:8〜14lv

難易度:普通

成功報酬:0 G 83 C

参加人数:16人

サポート参加人数:-人

冒険期間:01月29日〜01月29日

リプレイ公開日:2009年02月06日

●オープニング

「温泉に入りたいな」
「‥‥‥温泉、ですか」
 向かいのソファに座った調香師石月蓮を見て、セーファス・レイ・リンデンは困ったように首を傾げた。
「そう。ハーブを使った温泉。リラクゼーション効果があるんだ」
「はぁ‥‥」
「温泉、ない?」
 リンデン侯爵家に雇われている身分なのに不躾にも程があるが、彼はこういう性格だ。
「温泉というのは地面から湧き出していて、集団浴場みたいなものですよね? そもそもアトランティスでは無闇に穴を掘ることは禁止されていて‥‥あ」
 困惑顔のセーファスはふと、何かを思いついて。
「昔、ドワーフの方に別荘作りを頼んだ事があります。地下室の作成も頼んだのですが、その時に穴を掘ったらお湯が出てきたとかでその土地に別荘を建てるのはやめたという話が‥‥」
「それだよ、それ。何とか整備して、露天風呂にならない?」
「‥‥まあ、できない事はないですが」
 整備するにも時間とお金がかかるのだが、蓮は既に出来上がったときのことを考えている。
「まずはラベンダーとカモミールを考えているんだ。うっすら紫に近い水色のお湯になるはずだよ。とてもいい香りがしてね、日々の疲れが吹き飛ぶ事には間違いないね」
「‥‥はあ」
「ためしに冒険者を呼んでみてさ、感想を聞いてみるといいよ。評判がよければ、一般公開すればいいんだし」
「‥‥そうですね」
 そんなこんなで蓮のペースで話が進み、ひそかに露天風呂が着工されていたのである。
 そしてそれが出来上がると、ギルドに依頼が並んだ。

 露天風呂モニター募集。

●今回の参加者

伊達 正和(ea0489)/ 風 烈(ea1587)/ アマツ・オオトリ(ea1842)/ ルイス・マリスカル(ea3063)/ キース・レッド(ea3475)/ 利賀桐 真琴(ea3625)/ シャクティ・シッダールタ(ea5989)/ レインフォルス・フォルナード(ea7641)/ ルエラ・ファールヴァルト(eb4199)/ 門見 雨霧(eb4637)/ リュドミラ・エルフェンバイン(eb7689)/ 雀尾 煉淡(ec0844)/ ベアトリーセ・メーベルト(ec1201)/ アルトリア・ペンドラゴン(ec4205)/ 土御門 焔(ec4427)/ 村雨 紫狼(ec5159

●リプレイ本文

●空と同じ色の
 その温泉は岩で囲まれていて、急いで作ったにしてはよく出来ているといえた。湯煙がもくもくと立ち上る中に、ラベンダーとカモミールの良い香りが漂っている。
 湯の色はハーブの色が出ているのか、晴れ渡った空が映っているのか、うっすらと青空の色をしていた。
 気になる事といえば男湯と女湯の間の仕切りの薄さだか‥‥まあ、わざわざ覗き見るほど命知らずな者はいないだろう‥‥と思う。


●男湯
「地獄の番犬との戦いで傷を負ってしまったぜ」
 湯治ついでという事で伊達正和は岩に身体を預けてのんびりと湯につかっていた。傷に湯がしみるが、そればかりは仕方があるまい。良薬は口に苦しというのと同じだろう。
「ルイス君、おめでとう」
「ありがとうございます」
 キース・レッドにワインを差し出され、ルイス・マリスカルは律儀に礼を言って一杯頂く。
「何? 何がおめでとうなの?」
 聞きつけて湯の中をすーいと進んでくるのは門見雨霧。
「ルイス君はミレイア君と婚約したんだよ」
「ミレイアって‥‥へー、おめでとう」
 確かギルドで温泉の宣伝をしてたあの女の子だよな、と雨霧はその姿を思い浮かべて、少し沈黙を挟んで。
「なんですかね、その沈黙は」
 苦笑したルイスに問われれば、「いや、深い意味はないよ」と答えるしかあるまい。
「女の子はうちのふーかたんみたいに可愛くなくちゃな〜ろりぺたぼでーに癒されるぜ」
 板張りの向こうの女湯にいるであろう自分のエレメンタラーフェアリーに思いを馳せる村雨紫狼がぽろっと零した。
「あ、勘違いすんなよ、俺はロリっ娘を愛でるのが好きなのさ! 幼女に真顔でプロポーズとかしねーって!」
「「‥‥‥」」
 それ、禁句。愛があれば年の差なんて、ですよ。種族の差さえ越えようとしている人たちもいるのですから。
「まあ、ミレイア君との年の差は時間が解決してくれるさ」
 フォローをするようにキースがルイスのコップにワインを注ぐ。大人の余裕で戯言を交わしたルイスはそれを飲み干して「さて」と湯から上がる。
「もう出るんですか?」
「この後の展開によっては、『妻』に怒られそうなので」
 雨霧の問いににっこりと笑うルイス。さすがに二年近くの付き合いだけあって、良く性格を判っているらしい。
「そこの髭の楽士殿!」
「はい?」
 突然声をかけられたルイスが入口を振り返れば、誰かに似た男性が立っている。誰だろう?
「私はアマツ・オオトリの双子の兄『ハヤテ』だ」
 なるほど、禁断の指輪を使ったアマツだ。だがある程度は湯煙が隠してくれるとはいえ、男性が大量に裸でいる場所に乱入とは随分と勇気がある。
「愚妹共々祝福を送ろう。ふ、何とは言わん。ただし!! 淑女の扱い、忘れるでないぞ」
「‥‥ありがとうございます、でいいのでしょうかね」
 祝福されるのはいいのだが、何となく気恥ずかしいルイス。アマツの指先が自分から移ったことを確認して、そそくさと男湯から退散。禁断の指輪で男になっているとはいえ、女性と共に風呂場にいたと知れたら、もしかしたら雷が落ちるかもしれない。
「愚妹が嘆いておったぞ。貴様は盛りのついた馬か? 歌姫殿を愛する意味、しばし考えよ」
「く‥‥言われなくとも」
 アマツの指先はキースに移っていた。その間に雨霧は洗い場に移動し、巻き添えを逃れようとする。
「ここで会ったのも何かの縁だ、背中の流し合いでもしようぜ?」
「ああ、いいですね」
 いつの間にか洗い場にいた正和と、背中の流し合いが始まる。侯爵家管理の温泉というだけあって、石鹸も良く泡立つ上等なものが用意されていた。
「侯爵家子息‥‥はここにはおらぬか」
 言うだけ言って気が済んだのか、ふう、と息をついてアマツは湯につかる。
「ああくそ、美人揃いなのにこりゃサギだぜサギ! 覗きしたくても女子連中、腕っ節強いしなぁ」
 紫狼の呟きに、キッとアマツの視線が刺さる。加えて木の板の向こうから――
「温泉にでなく棺桶の中にようこそ、されたい方はどなたですか?」
 トントントン‥‥自身のスキルを駆使して女湯側から仕切りを補強しながら歌うのはルエラ・ファールヴァルト。
「げっ‥‥」
 女性陣の中でも屈指の腕前を誇るルエラの声に、紫狼が固まる。
「ちなみに許す気は? NO、NO、NO、NO、NO♪」
「いやしない、覗きはしないぜっ!」
 笑顔で額に怒りマークを浮かべているルエラの姿が声音から容易に想像できて、紫狼は仕切り板から離れて湯船の端まで遠ざかった。
 状況が分かっているのかいないのか、女湯にいる彼の精霊達がキャッキャッと笑っているような声が聞こえた。


●女湯
「こうしてのんびり湯につかるのもいいもんでやんすねぇ〜」
 利賀桐真琴は土御門焔と並んで湯につかっていた。自然、話題は共通の故郷ジャパンの温泉の事になる。
「まさかこの世界で温泉に入れるとは思いませんでした」
「そうでやすね〜。こっちは穴掘り禁止でやすから」
 豊かな胸が湯で浮いて肩が楽になったなどと談笑しながら、湯の香りをかいだりして楽しむ二人。ちなみに穴掘りは禁止だが、必要な際はドワーフに頼めば大丈夫だったり、温泉はあらためて掘るより自然に湧き出したものを利用する事が多いという。
「わぁ、不思議な格好のおねーちゃんだ!」
「エルファス、失礼ですよ」
 天界の水着を着用して湯につかったシャクティ・シッダールタを見て、リュドミラ・エルフェンバインが呼んだエルファス少年とその姉二人が弟をたしなめる。ちなみに一番上の姉は嫁に行っている為不参加だ。
「申し訳ありません、お許しください」
「いいんですのよ。稚児の言う事ですし、この格好が珍しいのは事実ですから」
 エルファスの姉の言葉に、シャクティは笑顔で答え。タオルで身体を隠しているエリヴィラを湯へと導いた。
「やっぱり着たまま湯につかれる湯着も必要でやすね」
 真琴はその様子を見て、出たら作成にかかろうと頭を回転させた。
「またお会いできて嬉しいです。温泉、一緒に楽しんでいただけたら幸いです」
「この様な形で再会できるとは思わず‥‥ありがとうございます」
 リュミドラは姉達と挨拶を交し合う。裸での再会とは、少しばかり恥ずかしい。
「その後いかがですか?」
 問われ、姉達はエルファスもすっかり元気になって、落ち着いた暮らしをしていると告げた。当のエルファスは温泉が珍しいのか、それとも女性ばかり沢山の中でドキドキしているのか、落ち着かない様子。
「もう少し大きくなったら、こちらには入れなくなります。今のうちに存分に甘えておくのが良いでしょう」
 覗きには容赦しない構えのルエラの言葉に、一同から笑みがこぼれた。
「何で僕は女の人と一緒に入れるの?」
「男の人の方に一人で入れるようになったら、一人前という事です」
 笑んで告げたリュミドラの言葉に、エルファスは不思議そうに首を傾げた。

「エリヴィラさん。貴女の事が羨ましいですわ‥‥。わたくしもディアネイラさんも、愛する殿方の子を授かる事が出来ません」
「‥‥‥」
 足が濡れるとひれに戻ってしまうマーメイドのディアネイラは温泉の外で待機だが、シャクティのその言葉にエリヴィラは考えるように視線を空色の水へと落とす。
「愛する殿方の気持が自分と違うと思われるなら、お互いに腹を割ってお話しましょう。うふふ、可愛い方ではないですか」
「‥‥私は、ロシアという所の出身で‥‥」
 微笑むシャクティの横で、エリヴィラがぽつり、低い声で呟いた。
「‥‥祖国はハーフエルフ至上主義です。‥‥エルフと人間とハーフエルフの間の異種族婚も認められています‥‥でも」
 ぽちゃん、湯と一緒にエリヴィラの瞳も揺らいで。
「この国では私は迫害対象です‥‥もし子供を設けたとして、自分と父親は人間なのに、母親だけどうして違うの? そう聞かれた時に納得の行く答えを出せる自信がありません。自分のせいで迫害される人が増える事を、私はまだ恐れています」
 男湯との覗きについてのやり取りに、エリヴィラの言葉は消えて行った。
「多少の悪戯は大目に見ようと思っていたのですが」
 呟くアルトリア・ペンドラゴンに対し、ルエラの答えはNO。
「だから覗きはしないぜー!」
 そんな声が男湯から聞こえて。精霊達と無邪気に遊ぶミレイアの声が、女湯に響いていた。


●東屋にて
「混浴でしたら一緒に入れましたのにね」
「‥‥苦労かけてすまねえ」
 シャクティは怪我をしている恋人、正和を介抱していた。
「温泉とハーブティで傷が治ればいいんだが」
「わたくしが介抱して差し上げますわ」
 己の膝に正和の頭を乗せて膝枕をするシャクティを見て、彼女に呼ばれたディアネイラはなんとなくお邪魔な気がして。
「‥‥あの、私はお先に失礼しますね?」
「あら、そんな気を使わないでも宜しいですのに」
「いえ、お二人でゆっくりと楽しんでください」
 気を使わないでと言われても、ラブラブっぷりを見せられたら気を使わないわけにもいくまい。
「何かあったらいってくださいましね。お力になりますわ」
 シャクティの言葉に礼を言って、ディアネイラは頭を下げた。


「本格的に集客を目指すなら、やっぱり湯着は必要でやす。可能ならお土産のお菓子、浴衣や団扇、刺繍入り手ぬぐいや下駄などあるといいでやすね」
 湯上りほくほく浴衣姿の真琴に、セーファスが冷たいハーブティの入ったコップを手渡す。
「真琴さんの故郷では、温泉は観光地なのですね」
「そうでやすね。お土産に温泉饅頭なんてのもありやす」
「饅頭‥‥確か甘いお菓子でしたか」
 ほのぼのと、故郷の話が始まる。セーファスはそれに優しく頷き、聞くに努めていた。
「後で衣類は試作品を作ってみやすね」
「それは楽しみですね」
 にっこりと微笑まれれば、ぽう、と頬が朱に染まる。それを温泉のせいだと言い聞かせて。
「後で侯爵家の方々もお呼びしてはどうでやすか? 勿論、魔の影を払ってからになりやすけど」
「そうですね‥‥落ち着いたら皆で、というのも魅力的ですね」
 その時は真琴さんも一緒に――それは魔物退治に尽力している者として誘われているのか。それとも――。


「‥‥あれは偽らざる僕の本心なんだがな、気が逸ったのは認めるよ」
 東屋の中で、隣に座っているはずなのに少しばかり二人の間に開いた距離。キースとエリヴィラの間には不思議な距離が出来ていた。
「しかし‥‥風呂上りの君もいいな」
「‥‥‥」
 だから、話の順序を間違えると、益々誤解を招きすよ?
「じゃなくてだ! 互いの考えもちゃんと話さないとな」
 格好悪い部分も、隠さず素直に晒していかないととは思うものの、中々言葉にしにくい。
「‥‥‥家族を早くに失った貴方には、家族を求める気持ちが強いのはわかります。‥‥けれども、あまりにも最近の言動が‥‥私を『家族を作る道具』と思っているように思えて‥‥」
 エリヴィラが珍しくはっきりと自分の意見を言った。もしかしたら、最近そばについているアナイン・シーの影響かもしれない。
「それは‥‥」
 キースは彼女の誤解を解くべく、言葉を捜すのだった。


 髪をアップにして乾いたタオルで留めているから、一瞬誰だか分からなかった。けれどもその膝に猫を乗せていることで、彼女がユリディスであると認識した雨霧。持ち込んだお酒とコップを二つ、手にして東屋へと入る。
「ユリディス先生とリリィも温泉に入ったの?」
「猫は水が苦手なのよ。だから私だけ」
 差し出されたコップを受け取り、ふふ、と妖艶に笑む彼女。うなじの後れ毛についつい目が行ってしまうのは男の性か。
「一度、聞いてみたいことがあったんだけど」
 こぽこぽこぽとコップに酒が注がれる音にあわせて、ユリディスがなぁに、と問い返すと。
「総勢10名のゴーレムニストを育てた感想。そういえば、最初の授業はリリィ捕獲だったんだよね〜懐かしいなぁ〜」
 乾杯、と軽くコップを合わせて飲み干す。湯上りの一杯はやはり格別だ。
「そうね‥‥楽しませてもらったわよ。正直、エリート職だなんだといっても色々と厳しい世界だから、どうなるか不安もあったけど」
 不安? と雨霧が聞き返すと、似合わない? とからかうように彼女は笑った。
「ま、俺としては先生が師でよかったと思うけどね」
「そういわれると、嬉しいわね」
 トンッ‥‥ユリディスの膝の上からリリィが飛び降りた。何かを見つけたのだろうか、茂みのほうへ走っていく。どうせすぐに戻ってくるだろうから、とユリディスも雨霧も追わなかった。
「そういえば以前伴侶が欲しいって言っていたけど」
「そうね」
「まだ募集中なら立候補」
 これはリリィが与えてくれたチャンスだろうか、さりげなく大胆な事を言った雨霧を、ユリディスはいつもの艶然とした笑みで見つめて。
「そこに含まれる半分の冗談が全部本気になったら、考えてあげてもいいわ」
 お見通しのようである。


「ミレイアたん、ありがとうな〜!」
 精霊をミレイアから受け取った紫狼は、湯上りの精霊の姿を携帯電話のカメラ機能で激写している。ミレイアは浴衣に半纏、下駄を履いてアップにした髪にかんざしを挿して、きょろきょろと辺りを見回し。
「ルイス!」
 恐らくもう大分前から待っていたのだろう、東屋に婚約者の姿を見つけて駆け寄る。
「似合う?」
「似合いますよ」
 どれも彼からのプレゼント。彼女の相変わらずの行動力には驚いたけれど、若女将代わりの仕事で呼ばれたといわれればまあ納得できる。物珍しさにつられただけといっても納得できるところがなんともいえないが。
「しかし、何気に新婚旅行になるんでしょうか」
「し、新婚!?」
 ルイスの言葉に、隣に座ろうとしていたミレイアが軽く腰を浮かせて。
「結婚式もまだなのに?」
「結婚式、したいのですか?」
 くす、思わずルイスに笑みがこぼれる。やはり結婚式といえば女の子の憧れなのだろうか。
「そ、それはぁ‥‥」
 照れるように俯くミレイア。
「そんな事いうと、ルイスの家に引っ越しちゃうよ?」
 そういわれると、初めて会った時のことが思い出される。
 これまでも、これからも。
 こんな感じでドタバタ何かが起こるのが二人らしいといえば、らしいのかもしれない。
「後で蓮さんに香水を作っていただけないか、お願いしてみましょうね」
 そう言ってルイスは、ミレイアの小さな肩を抱き寄せる。ふわり‥‥髪に宿った石鹸の香りが、鼻腔をくすぐった。


「お久しぶりです。この度は温泉という貴重な場所を用意して頂きありがとうございました」
 焔は感想を聞きに来た蓮を呼び止め、頭を下げた。
「礼はいいよ。感想は?」
 こういう言い方をされるのも慣れているから気にしない、気にしない。紅茶入りクッキーを差し出しながら素直に感想を述べる。
「とてもよい香りで、身体も温まり、リラックスできました」
「そう、ならよかった」
 そして差し出されたのはロイヤルキルト。不思議そうにそれを受け取って、彼は首を傾げて。
「何?」
「リンデン家のお偉方と交渉する際の礼服としてでもお使いください。お役に立てれば幸いです」
「ふぅん‥‥ありがたく受け取っておくよ」
 いつ見ても態度がでかい男だが、彼女は気にしない。
「何かあれば必ず助けに行きますから、必要でしたらいつでもお呼びください」
 その言葉にはもしかしたら深い意味が込められていたのかもしれない。けれども残念ながらその意味に、蓮が気づくことは無かった。


●ゆっくりと
 デオ砦までイーリスを迎えに行っていたベアトリーセ・メーベルトと風烈は、皆が丁度上がった頃に温泉へと到着した。
「しかし‥‥」
「なに気にすることはない。デオ砦を離れたのが問題になったら、俺のせいにでもしておけばいいさ」
 主の許可無く持ち場を離れた事に困惑を見せるイーリスに、烈が笑った。
 普段通りに見えるイーリスが状況の変化に動揺している可能性がある。生真面目なところが美点とはいえ、張り詰めた糸は切れやすい。故に多少強引にでも彼女を連れ出したかったのだ。
「そうですよ、息抜きも大事です」
 ベアトリーセにも言われ、そしてもうここまで来てしまったのだからあーだこーだ言ってもしょうがない。
「わかった。それではゆっくり休ませて貰おう」
「そうしてくれ」
「あ、烈さんは男湯ですよ」
 分かっている、と苦笑して烈は男湯へと行く。ベアトリーセはイーリスと連れ立って女湯へと向かった。同い年ということで仕事のことやその他の話に二人は花を咲かせた。蓮に品評してもらうつもりのハーブエールも、ちょっぴりだけ開けたりして。他の人がいないで貸し切り状態の湯船で、のんびりと日頃の疲れを癒す。
「邪魔をする」
 断って湯船につかった烈。湯船には雀尾煉淡と一人の少年が入っていた。ディータというその少年は、親しい人を次々と亡くしてしまい、心沈みがちだったが煉淡と話をするごとにだんだんと元気を取り戻してきたようだった。
「これからも頑張って生きていくことが、きっと先に逝ってしまった人達への何よりの餞となりますから」
「‥‥うん。頑張るね」
 煉淡は頷いたディータを洗い場へと促した。今だけは兄のように、背中を流し、頭を洗ってあげよう、と。
「っと、セーファスさんに蓮さん」
 物音を聞いて烈が顔を上げると、そこにはセーファスと蓮の姿があった。どうやら空いてきたので入ろうということになったらしい。
「今回は貴重な体験と思い出を有難うございました」
「気にすることは無いよ。感想さえ教えてくれれば」
 煉淡に礼を述べられ、それでも別にたいしたことじゃないからという顔をする蓮。どちらかというとここはセーファスが受け答えするべきなきもするが。
「セーファスさん、デオ砦にいるイーリスさんには情報が入りにくいだろうから、何とか情報の共有化が出来ないだろうか」
 ざぶん‥‥二人の人間が新たにつかったことで湯があふれ出した。セーファスは「そうですね」と考えるようにし、後で検討してみます、と告げた。彼もそれは気になっていたところらしい。
「は〜‥‥やっぱり温泉はいいね。ラベンダーとカモミールの香りも落ち着く。次は何にしようかな」
 蓮は一人で岩にもたれ、湯と同じ色をした空を眺めた。


●モニターを終えて
 お酒の設置、湯着や浴衣や下駄、お土産用品などの配置も検討され、リンデン侯爵家の方で前向きに取り組まれることになった。
 香水に続き、上手く軌道に乗れば環境産業として悪くは無いだろう。これもモニターを勤めてくれた冒険者達のおかげ。
 モニターのお礼に、と冒険者一同には蓮の作った香水が配られたという。