●リプレイ本文
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バルテルス伯爵夫人邸には各所から貴族の夫人やそれをエスコートする男性達が集まっていた。こういう集まりは、昼間のサロンに同伴するのは大抵は貴族がパトロンとして支援している芸術家だったり研究者だったりするもので、男性のほうが若かったりする事も多い。その関係を詮索するのようなことをしては駄目だ、と控え室に一同を案内した蓮が告げた。
「下手に『旦那様』とか『ご主人様』とか声をかけられないのが問題だな‥‥かといって連れを無視すると怒る夫人もいる」
イーリスも溜息をつき、憂鬱そうだ。確かに彼女も騎士の家柄出身で貴族の集まりに出る事は多かっただろうが、まさか自分が『騎士として』ではなくマダムに混ざってお喋りをする機会が来るとは思わなかったに違いない。今にも逃げ出したいといったオーラをかもし出している。
「イーリスのお嬢、こうなったからには腹をくくりましょう。お手伝いしやすんで」
利賀桐真琴(ea3625)に肩をぽんと叩かれ、イーリスは溜息をつきながら頷いた。ここまで来てただをこねるほど、子供ではないつもりだ。
「イーリスさん、俺がエスコートさせてもらってもいいだろうか?」
「え‥‥?」
申し出たのは風烈(ea1587)。イーリスは彼をじっと見つめて、そしてふっと視線を移して。
「そ、そうか‥‥よろしく頼む」
短く、言葉を返した彼女の表情はいかようなものなのか。
「あらぁん、石月ちゃんおひさ〜。んもう、フェロモン満載なあたしなら被検体もバッチ☆コイよぉん」
その微妙な空気を壊してくれたのは、たった今到着したばかりの長曽我部宗近(ec5186)だ。商売道具のメイクボックスを手に、目指すは蓮。
「今晩あたり、小粋にメイクLOVEりながらオトナの実験しない?」
「無理」
即答。そして距離をとる蓮。宗近とて冗談だったのだろう、その様子を見て小さく笑った。
「‥‥いい加減、あたしに慣れて頂戴よぉ石月ちゃん。数少ない同業者なんだし、あたしも石月ちゃんの新作、心待ちなのよぉ」
「まあ、仕事はしっかりこなすと思ってるけど?」
たまに怖いけど――その言葉は飲み込んで。
「さ、定番のオカマジョークはここまで。ここからはプロのお時間よん」
時間は刻々と過ぎていく。遊ぶのだったら依頼終了後に、というわけだ。
「長曽我部の旦那、メイクや着付け、お願いしやす」
真琴が頭を下げるのに倣って、イーリスも頭を下げる。宗近はぽん、と胸を叩いてまかせといて、と笑った。
女性の着替えを覗く気? 男性ははい、あっちね――宗近に追い出された烈と蓮は、続き部屋である隣の部屋に来ていた。宗近も男性なのだが‥‥まあこの場合は「仕事」だ。彼は例外。
「石月さん、また衣装を借りたいんだが」
「ああ、いくつか持ってきたから好きなのを選んで」
元々男性の控え室として使うつもりだったのだろう、この部屋のベッドの上や床には礼服や靴がいくつも並べられていて。どれにしようか迷っている烈をよそに、蓮は一着の礼服を手にとってそそくさと着替え始めた。濃紺色のジャケットにスラックス。そして襟元にはアスコットタイ。シンプルではあるが印象に残るいでたちだ。
対する烈は色だけでも数種類ある礼服選びに戸惑っている。普段あまり着ないものだから、さあどうしたものかと。するとシャツを着おえてタイを結んだ蓮が、見かねたのか近寄ってきた。
「勲章、つけるんだよね?」
「ああ」
烈がベッドの上に並べたのはメイの勲章。精竜金貨章、精竜銀貨章、精竜銅貨章が複数と、第3位から第5位の勲章が揃っている。これをつければ箔がつくと共にマダムの目を引く事は間違いなかった。
「だったら色は黒がいいよ。勲章が目立つから。それに、パートナーが何色のドレスを着ていても、色が反発しあう事はないから。イーリスのドレスの色って聞いてないでしょ?」
「そうだな」
確かに勲章を目立たせるにもパートナーの衣装にあわせるにしても、黒がよさそうだった。烈は黒い礼服の中から自分に似合うサイズの物を手に取り、そして着替え始めた。
その頃隣の部屋では。
宗近がイーリスの髪をセットしている間に、真琴が香水瓶を手にしていた。
「あなたは普段クールなイメージだから、今日はとことん女らしくしてあげる。でも初恋ってイメージでもないから‥‥」
宗近の言葉を受けて、真琴が手に持つ香水瓶を変える。
「季節はアレだけど、クリスマスブーケなんていいんじゃないかしら。清楚な感じよ」
「ウエディングやブライドは、本番に取っておいたほうがよいでやすしね?」
パフュームorクリスマスブーケを手に取った真琴が微笑んで告げれば、「ほ、本番などっ」とイーリスが反射的に立ち上がろうとする。
「んもう、じっとしてなきゃ駄目」
そこを宗近に椅子に押さえつけられて渋々腰をかける。真琴は蓋を開けて中の液体を手に取ると、イーリスのうなじと手首の内側に塗りながら話を続ける。
「風の旦那はきっとイーリスのお嬢が隣に並んで下さるならお喜びになると思いやすよ」
「‥‥なぁっ、な、なにをっ!?」
本人は気がついているのだろうか、イーリスの頬が彼女の髪の色と同じように紅潮していく。真琴は笑って、そして置かれていたボウルに張られた水で手をすすぐ。
「幸せになってはいけない人なんて、いないんでやすよ?」
その言葉にはきっと、深い意味が込められている。真琴の大切な人は、身分も地位もある人だから。
「だが、私は未亡人で――」
「はい、口を閉じる」
イーリスは19歳の時に結婚したが、一年足らずで夫を亡くしている。それからは『欠落した騎士』である自分を捨てなかった侯爵の為に何とか役に立とうと、必死になっていた。
宗近はパフを取り出し、イーリスにそれ以上喋らせる事はしなかった。彼女の顔に白粉をはたいていきながら、ぽつりぽつりと呟く。
「生身の人間に化粧するのは気分がいいわねぇ。あの地獄ってとこじゃ、あたしは後方で死化粧してたのよ‥‥ずっとね」
蘇生魔法の間に合わなかった遺体をずっと綺麗にしていた、彼はそう語った。だから――と言葉は続かない。生きているという事、その素晴らしさを尤もらしく語るつもりはない。
「女の子はいくつになっても、どこにいても綺麗なのが一番よ。はい、出来上がり」
形の整った唇にルージュを引けば、貴婦人の出来上がりだ。
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「さあ、皆さんご注目ください。今リンデン侯爵領で話題の調香師をお招きしましたわ」
バルテルス伯爵夫人の声を受けて、蓮がサロンへと入っていく。香水を載せたワゴンを押す宗近、香水のモデルとなる真琴、そして烈とイーリスも後からついて行った。宗近にしっかりメイクアップをしてもらった真琴は、胸元が開き、深くスリットの入った大胆なドレスに身を包み、そして大人の女性の魅力を発揮するような香りを身につけている。彼女の手を引くセーファスは、優しく微笑んでいた。
蓮によって香水各種の説明がされ、それぞれ別の香水をつけた真琴とイーリスがエスコートされてマダム達の間へと入っていく。
「まるで全く新しい人間になったような新鮮で鮮烈な感動を味わえますよ。つける香によって、その時の気分も変わるんです」
「まあ、いい香りだこと。でもあなたがつけていらっしゃるの、あそこにあるどれとも微妙に違う気がするのですけれど」
三十代位のマダムに訊ねられ、真琴は少し首を傾げる。確かに蓮の作った香水を使ったはずなのだが。
「失礼、マダム。私がご説明しましょう」
「セーファス様!」
真琴の隣に座っていたセーファスが、彼女に目配せをする。今やリンデンの産業となった香水について、彼は学んでいるのだろう。
「香水は器に入っている時こそ同じ香ですが、つけるとその人の体臭と混ざってまた違う香へと変化するらしいのです。ですから、色々とお試しになってご自分だけの香りを探すのも一つの魅力かと思います」
蓮の受け売りだろうが、マダムはさすが侯爵のご子息ね、と満足そうだ。
「それでは違う香りもご覧に入れましょうか?」
「ええ、待ってるわ」
真琴はセーファスに目礼をし、席を立つ。違う香水をつける時は前の香りをしっかり落として、香のついた衣装も着替えなければならない。大変だが、それが今回の仕事でもある。すると、そのままマダムと歓談を続けるものと思われていたセーファスが、サロン入り口で彼女の耳元に囁いた。
「侯爵夫人になるには、領内の産業の勉強も必要ですよ」
「!?」
真琴は慌てて振り向いたが、セーファスはすでにマダム達の方へと踵を返してしまっていて、表情を覗う事は出来ない。
(「今のは‥‥?」)
一体どういう意味なのだろうか――嫌味を言うような人ではないと解っているからこそ、その言葉の真の意味が気になって仕方がなかった。
「では、冒険者でいらっしゃるのね?」
「しかも国からそんなに勲章を戴いているなんて、すごいですわ!」
サロンの片側では、烈がマダムたちの目を惹いていた。精悍な体つきに整った目鼻立ち。その上国から勲章を貰っている冒険者ときたものだ。彼が自分達の取り巻きに加わればさぞかし自慢できるだろう――そんな事を考えている人達もいるかもしれない。
「お連れ様はどなた? とても美しいご夫人」
自分が注目されないでよかった――それでは駄目なのだがそう思ってほっと息をついていたイーリスにも火花が飛んで、彼女は慌てて微笑を浮かべる――固い。
「彼女は、大切な人です」
「ちょっ‥‥!?」
真顔で言ってのけた烈の顔をソファの上から見上げ、イーリスは戸惑う。だが次の瞬間、それはマダム達の追求から逃れるための方便だろうと納得した。
「ところで‥‥この様な席で持ち出す話かどうか判断がつきかねるので無作法でしたら申し訳ない。この中に、ジェトと縁の深い方はおられますか?」
烈の言葉にマダムたちがお互いを見合わせる。顔を繋ぐ為の場でもあるので特に気分を害した様子の人がいないのが幸いだと烈は胸をなでおろした。
「私の夫が、ジェトへの航路警備の海戦騎士団に顔が利きますけれど‥‥何か?」
小さく手を上げたのは、奥の方に座っていた50代位の夫人だった。
「お名前を聞かせていただいても?」
彼女の座る椅子に近づいて傍に膝をついた烈に、彼女はカトリーン・エレットと名乗った。メイの貴族、エレット伯爵夫人であった。
「お試しになります?」
蓮とワゴンの傍で香水のアピールを続ける宗近は、自身の培った勘で上手い事香水の量を調節し、嫌味にならない程度を維持する。
「あら奥様、御髪が」
一筋、纏め髪から伝った髪を発見した宗近は、その夫人の耳元で囁いて。よろしければお直ししますわ、とメイクルームへと案内する。大体の夫人は自宅で支度を整えて来るため、お抱えのメイドなどを連れてきている者は少ない。彼の気遣いとその腕に感激したマダムは、サロンに戻ると彼の素晴らしい手際を他のマダム達に伝える。女性の口コミの力が凄い事は、宗近や蓮など女性向けの商売をしている者はよく知っている事だった。
「ねえ石月ちゃん、お金の報酬は要らないから、代わりに現物支給を考えてくれない?」
「まあ‥‥キミがそれでよいなら。それより呼んでるよ。顔を売ってきたら?」
蓮が顎で示した先には、髪を直してあげたマダムを中心に何人かがこちらを向いていて、手招きをしていた。
「じゃあ、また後でねぇん」
宗近はメイク道具を手にしてマダム達の間に身を投じて行った。
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夜になり、立食形式の夕食が供されると共にダンスパーティが始まった。
「真琴ー!」
さすがにサロンはまだ早いという事でパーティから合流する事になっていたディアスが、ホールに真琴を見つけて駆け寄る。
「ディアスぼっちゃ‥‥っと」
駆け寄ってきたディアスを受け止め、真琴は微笑む。一時期より格段にディアスは元気を取り戻しているようだった。それが何より嬉しい。
「真琴、長い髪、可愛い」
今の真琴は長い黒髪のカツラをつけて、清楚なドレスに身を包んでいた。香りも、大人っぽいものから少女向けのものへと変えてある。
「褒めてくださりありがとうごぜえやす」
くすぐったそうに微笑む真琴を見て、ディアスが続けて口を開いた。
「真琴っ‥‥その言葉遣いを直したら、僕のお嫁さんにしてあげてもいいよっ!」
「‥‥へ?」
思わぬ言葉にぽかんと口を開けてしまった彼女。困ったようにセーファスを見ると、彼は弟の突然のプロポーズに苦笑を浮かべていた。
子供のいうことですから――なんて言えばディアスが反発する事は目に見えているので、セーファスは何もいえないようだった。
烈はイーリスをエスコートし、ダンスホールの中をゆっくりと踊っていた。二人の間には、何とも言えぬ空気が漂っている。お互い心の中で思うことはあるのだが、なかなかその一言が紡げない、そんな。
(「もしもイリースさんのような素敵な女性が好きだといってくれたら2つ返事で答えるが、勘違いの可能性もある。一般的に好意を持っていると言っても友人と親友と恋人は違う。空回りしないようにしなくては」)
一見ポーカーフェイスを装っている烈の心は揺れていて。一歩踏み出して勘違いだったらどうしよう――そんな想いが胸を占める。
「魔王と戦う方がまだましだな。敗北しても後を託せる仲間がいるが、この勝負には負けるわけにはいかないしな」
「え‥‥?」
下を向いたままで烈と視線を合わせないようにしていたイーリスは、彼の言葉を半分聞き流してしまった。だから、意味が解らない。烈は困惑して顔を上げたイーリスの手を取ったまま、バルコニーへと引いて行く。曲はまだ途中だ。
「烈殿、一体‥‥」
バルコニーに誰もいないのを確認し、烈はそのまま手摺にイーリスの背中を押し付ける。そして――強く抱きしめてその首元に顔をうずめた。香水とイーリスの香りが混ざって、扇情的に馨っている。感情が、香りに掻き立てられる。
「!?」
彼女の身体が硬直したのがわかる。だが、烈は力を緩めない。そのまま耳元で、囁いた。
「綺麗だ」
「せ、世辞は‥‥」
「嘘は言わない事は知っているだろ」
僅かに力を緩め、彼女の顔色を覗う。戸惑うように、迷うように、彼女の瞳は揺れていた。
「イーリスさんは堅物で融通が利かないことを気にしているようだが、俺は、だからこそそんな人の好意を受けられれば幸せだと思う――いや‥‥」
烈は軽く頭を振り、頭の中で言葉を組み立てる。
「イーリスさんが好きだ」
遠回しではなくはっきりと。瞳を見つめて。
「サロンでの、大切な人というのは方便で――」
「本心だ」
「私は未亡人で――」
「支障はない」
色々と並べ立てられる彼女の言葉を烈は全て斬り捨てていく。欲しいのはただ一言。それだけを待つ。
「――私も、好きだ」
泣きそうな顔をして、彼女が漸く言った。
月精霊の元、白銀が光った。