【お兄様と私】捧がざる愛
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■ショートシナリオ
担当:綾海ルナ
対応レベル:フリーlv
難易度:普通
成功報酬:0 G 65 C
参加人数:12人
サポート参加人数:3人
冒険期間:08月13日〜08月18日
リプレイ公開日:2009年08月24日
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●オープニング
真夏の陽射しの中、まるで陽炎の様に彼女の姿が視界の中で揺らめく。
青い空と濃い緑色の木々の茂る風景の中、浮かび上がる白い服の裾が風に靡いていた。
細い体でしっかりと抱きかかえているのは、1年前にこの世に生を受けた愛しくもかけがえのない命。
親友と彼女の、愛の証────。
案内された家は質素ではあるが掃除が行き届いていて、居心地の良さは以前と少しも変わらないと男は思った。
「お水しかなくてゴメンなさいね」
エレナは申し訳なさそうに微笑むと、男に冷えた水を差し出した。
「ありがとう。暑い時には水が1番美味い」
男は涼しげな笑顔でカップの中の水を半分ほど飲み干すと、しがみ付く様にしてエレナの膝の上に座っているフォルティスを見つめる。
「‥‥大きくなったな」
「ええ、もう1歳になったわ。自由に動き回れる様になったから、目が離せないけれどね」
男の言葉にエレナはにっこりと微笑むと、我が子の柔らかな髪を慈しむ様に撫でた。その顔はすっかり母のそれで、柔らかな逞しささせ感じる。
「困った事はないか? 足りない物があったらすぐに用意するが‥‥」
「ううん、大丈夫よ。レミーさんが色々と送って下さってるから」
フッとフォルティスから離れたエレナの視線の先には、キチンと畳まれた小さな服達が重ねられていた。それらは決して華美ではなく、どれもが素朴で可愛らしい。
「何もお返し出来ないのに、こんなに良くして頂いていいのかしら。この子が大きくなったら少しでも働いてお返ししないと」
「その心配は不要だとフレッドが言っていたぞ。レミー殿は人の世話を焼くのが何より大好きなご婦人故、君が心配する事はないってな」
エレナの杞憂を男は優しく諭すが、その表情が晴れる事はなかった。
元々控えめで自分よりも人の事を優先する優しい性格のエレナは、会った事もないレミーから無条件で与えられる好意に感謝しつつも恐縮してしまっている様だった。
「その様子じゃまだ決め兼ねてるみたいだな。もしあの誘いが迷惑ならば、私から断っても構わないよ」
「いいえ。とても嬉しいし、そうさせて頂けたらって思ってるわ。でも‥‥」
エレナは頭を振ると、ぎゅっとフォルティスを抱きしめた。
彼女の夫にしてフォルティスの父ジェラールは、モンスターに襲われそうになっていた子供を庇って命を落とした。
訃報と夫の最期の言葉、そして『フォルティス』と言う名を届けてくれたのは、彼の同僚であり親友でもある青年フレッドだった。
妻と子供を頼むと言うジェラールの願いを果たす為、フレッドはレミーに『フォルティスと共にエレナを屋敷に住み込みで働かせてくれないか』と頼み込んだのだ。
「フレッドさんは未だ若いし独身でしょう。私みたいな女がこの子と一緒にお屋敷に住んだら、変な噂が立つんじゃないかしら。そうなったらきっとご迷惑がかかるわ」
噂好きの貴族のご婦人方にかかれば、話は様々な尾鰭をつけてあっと言う間に広がるだろう。エレナはそれが怖かった。
「レミー殿の周りにいるのは良識ある方達ばかりだ。下世話な話に興じる様なご婦人はいないさ。安心していい」
エレナを励ましながらも、男は『何も心配する事はない』と言うフレッドの言葉を思い出していた。
恐らくはレミーの交友関係とは関係のない所で噂が広まる事も、その対処法も既に考えてあるのだろう。ロイエル家は全力でエレナ親子を守るつもりなのだ。
「返事はいつでもいいと仰っているのだろう? ならば1度ロイエル家に滞在してみてから決めればいい」
男はそう言うと、エレナの前に一通の招待状を差し出した。
「これは何?」
「フレッドの誕生日の招待状だ。本人には内緒のな。君に会いに行くと言ったらレミー殿に渡してくれと頼まれた」
そこには弾む様な文字でレミーからエレナでのメッセージが記されていた。
『フォルティスちゃんの柔らかほっぺに触れるのを楽しみにしておりますわ♪』と言う一文に、エレナの顔が微かに綻ぶ。
「去年は驚いたわ。いきなりあなたがやって来て、フレッドさんへのバースデーメッセージを書いてくれって言うんですもの」
「そんな事もあったな。だがフレッドの奴、涙を流して喜んでたぞ」
1年前を思い出し2人は微笑み合うが、男の瞳はある感情に揺れていた。
「さて、そろそろ帰るとしよう。当日はフレッドが迎えに来る筈だ」
それを悟られない様にと席を立ち、背を向けた瞬間。
「────待って、フランシス」
エレナに名を呼ばれ、男は微かに体を揺らした。
染み入る様な、その声に。
「あの人に会って行ってくれないかしら? きっと喜ぶわ」
「‥‥ああ。わかった」
フランシスはフォルティスを抱いたエレナの後に続き、村外れに立てられたジェラールの墓へと向かう。
墓標の下に彼の遺体はない。損傷が激し過ぎてここまで運ぶ事が出来なかったのだ。
「あなた、フランシスが来てくれたわ」
そう語りかける声と横顔は頼りな気で儚い。
フランシスは思わず瞳を細め、抱く事も触れる事も叶わぬ自らの手をきつく握り締めた。
もの言わぬ墓標を見つめながら、そっと印を切った後に心の中で友に語りかける。
(「お前を亡くした後のエレナを見る度に、私が代わりに逝けば良かったと悔やまれてならない‥‥この胸にある想いと共に」)
それは何年も己が胸の中にだけ秘めてきた恋。
2人が恋人となり夫婦となった後も消し去る事の出来なかった、誰も知らない報われぬ想い。
(「ジェラール、すまない。エレナを想いながら彼女の隣に立つ俺を、許してくれっ‥‥」)
彼女が自分と共に人生を歩む事は決してないのだと己に言い聞かせながら、フランシスは何度も何度も亡き友への謝罪を繰り返すのだった────。
●リプレイ本文
●2つの秘密
8月13日────フレッドの誕生日当日。
エレナ親子を迎えに行く準備を終えたフレッドは、驚いた顔で皆の顔を見渡していた。
「今日が俺の誕生日だと覚えていてくれたのか?」
「当たり前じゃない。友達なんだから」
チョコ・フォンス(ea5866)の言葉にフレッドは嬉しそうに瞳を細める。
「皆、ありがとう。優しい友を持てて俺は幸せだ」
「友達以上の関係になりそうな人もいるけどね? 描いて欲しい人が出来たらいつでも言って」
「なっ!?」
小声でそう囁くと、チョコは頬を赤く染め動揺するフレッドに悪戯っ子の様な顔で微笑んだ。
「フレッドさん、また食べたいと言ってくれたアップルケーキを作ってお待ちしてますね。お気をつけて」
妹が何を言ったのか察がついてしまったショコラ・フォンス(ea4267)は、心の中で溜息をつきつつもにっこりと微笑んだ。
「それは楽しみだな。早く帰りたいと気が急いてしまいそうだ」
まるで子供の様な笑顔をラルフェン・シュスト(ec3546)は穏やかな瞳で見つめていた。
(「しかし、本当に奇遇なものだ‥‥」)
ロイエル兄妹とラルフェン達兄妹の誕生日はそれぞれ8月と11月。
奇なる縁を告げると、フレッドは嬉しそうな顔で『少し遅れてしまったが、誕生日おめでとう』と笑顔で祝福してくれた。
「今日はフレッドさんの上に満天の星が輝いて、願いを聞き届けてくれますよ☆」
人懐っこい笑顔を浮かべるのはラルフェンの妹リュシエンナだ。
「女性に変身した時は美人さんでしたけれど、本来のお姿も凛々しくて素敵ですわ」
「そうでしょ? 自慢の兄様なんです♪」
アリシアの褒め言葉にリュシエンナはとびきりの笑顔で微笑んで、大好きな兄の腕に勢い良く抱きついた。
「レミーママにまた会えて嬉しいのー♪ フレッドお兄ちゃんにも、アリシアお姉ちゃんにもー♪」
べったりとレミーに抱きついているラティアナ・グレイヴァード(ec4311)の姿に、兄であるラディアス・グレイヴァード(ec4310)は動揺を心の奥に押し込める。
(「ティーがこんなに懐いているのはそれだけ良くして貰ったって事だろう。ちゃんとお礼を言わなきゃな。でも‥‥」)
ずっと2人で生きてきた家族として、これほどの懐き様を見せられて寂しく思うのもまた事実。
「初めまして、ラティアナの双子の兄でラディアスと言います。妹から色々聞かされています。良くして頂いた様でありがとうございます」
「まあ、あなたがラティのお兄様ですのね。お話の通りにとっても頼もしくて優しそうな方ですわ。それに‥‥若さ溢れる可愛らしさが何とも言えませんわねぇ」
最後の一言と怪しげな笑顔にたじろぎつつも、ラティが自分の事をそんな風に思っていた事を知り、ラディは微かに顔を綻ばせる。
「ねぇねぇ、今日はフレッドお兄ちゃんおたんじょーびなの?」
「うん。そうみたいだね」
ラディが頷いた瞬間、ラティはぱあっと顔を輝かせてフレッドに駆け寄った。
「フレッドお兄ちゃーん! 皆でおいわ‥‥むぐぅ」
悪気なく秘密の計画を暴露しかけたラティの口を、間一髪でラディが塞ぐ。
「‥‥皆でお岩?」
「あぁ、気にしないで」
「そうそう! 騎士足る者、細かい事を気にしたらあかんで! それより今日誕生日やんな? おめでとうさん」
首を傾げるフレッドに苦笑するラディを援護するのはジルベール・ダリエ(ec5609)。
「ん? ああ、ありがとな、ジル」
あからさまな誤魔化し方だが、祝福された嬉しさにフレッドの疑念はあっさりと消えていった様だ。
「危なかったわ‥‥」
「ばれない様に頑張れよ」
ジルに頼まれてパーティーで撒く花びらを調達してきたユクセルは、深い安堵の息を吐く友の背をぽんと叩く。
「これをフォルティスさんに渡して下さい」
クリステルは小さな木馬をアリシアに手渡す。
「まあ、とっても可愛いですわ♪」
木馬は怪我をしない用に丁寧に角が取られており、フォルティスの名と幸運を祈って四葉のクローバーが彫られていた。
「皆、本当にありがとな。ではそろそろ行って来る」
「フレッド、いってらっしゃい‥‥」
改めて感謝の気持ちを伝えるフレッドの裾を掴み、ラルフィリア・ラドリィ(eb5357)は可愛らしい笑顔でお見送りをする。
「ああ。いってくる。エレナ達の歓迎パーティーの準備は頼んだぞ」
「‥‥ん。甘いもの、つまみ食いしない様に気をつける」
こくんと頷くラルの頭を撫で、フレッドは門の外の馬車へと歩き出す。
「フレッドさん‥‥」
荷物の最終点検をしているフレッドに、小さなバスケットを持ったアイリス・リード(ec3876)は遠慮勝ちに声をかける。
「拙いものですが、宜しければ旅のお供に‥‥」
「ありがとう。大事に食べさせてもらうな」
差し出されたバノックを受け取ったフレッドの瞳が、嬉しそうに細められる。
ただそれだけの事なのに。アイリスの胸に広がっていくのは、切なくも優しい微熱の様な感情。
「道中、お気をつけて‥‥」
瞳から想いが伝わってしまう事を恐れたアイリスは、お辞儀をした後に屋敷の方へと戻って行った。
(「手作りのお菓子、か。敵いませんわね、やっぱり‥‥」)
2人のやり取りを見てしまったミシェル・コクトー(ec4318)は掌にある桜餅を見つめ、そっと息を吐いた。
「‥‥ミシェル?」
渡さずに立ち去ろうと思った瞬間、フレッドに声をかけられる。
近づいてくる想い人を目の前に、ミシェルは覚悟を決めた。
「誕生日おめでとう。そして‥‥ありがとう」
「えっ?」
「エレナさんと2人で食べて下さいな」
戸惑うフレッドの手を取り強引に桜餅を渡すと、ミシェルは逃げる様に駆け出した。
「ミシェル、ありがとな!」
投げかけられた声に心と体を震わせながら、少女はある決心を固めるのだった。
フレッドの出発を見送った後、すぐに誕生パーティーの準備が開始される。
フランシスは急な仕事で、そしてエイリークは間が悪い事に前日から熱を出し、準備には顔を出せなくなってしまった様だ。
「さあ、二人とも驚かせちゃいましょう♪」
マール・コンバラリア(ec4461)は生き生きとした表情で持参したテーブルクロスを広げる。普通の物より短いのは、好奇心旺盛なフォルティスが引っ張らない様にだ。
青と白で涼しげに会場がコーディネイトされる中、その一角にフォルティスの遊び場が設置される。
「あの子達のお古で大丈夫かしら?」
そこに玩具と綿の小さな掛布団を持ったレミーが現れる。
「わぁ、可愛い♪ レミーさんありがとう!」
「どういたしまして。それにしても、随分と柔らかいお顔をなさる様になりましたのね。もしかしてついに‥‥」
「わ、割れ物や危ない物はフォルティス君の手の届かない所に片付けなきゃ! 怪我をしない様に、家具の角にはクッションを置いて‥‥」
きらーんと目を光らせたレミーに危険を察知したマールは、独り言を呟きながらそそくさとその場を飛び去るのだった。
(「最近気を張ってばかりだからなぁ‥‥ちょっとだけゆっくりして充電、かな」)
リース・フォード(ec4979)は心の中でそう呟いた後、楽しそうに準備に励むアリシアに近づく。
戦いの連続で休まる暇がなく乾いてささくれ立ち始めた心に、彼女の花の様な笑顔と愛らしい笑い声が瑞々しく染み入っていく様な気がした。
「必要な物の買い物に‥‥アリシア、一緒に行こ」
「はい。喜んで」
そして何より触れ合い伝わる熱が心地良く、リースはアリシアといると癒される自分に気づき始めていた。
一方アリシアは想い人の誘いと手を繋げる事が余程嬉しいのか、想いを隠す事なく幸せそうにリースを見つめている。
(「傍から見れば恋人同士やなぁ」)
ラルフェンが持ち込んだケーゲルシュタット・セットをアレンジしたフォルティス用の木の玩具を作りながら、ジルは親友の恋路を微笑ましく見守る。
「サプライズにしたいようだしね。準備の手伝いに専念しますか」
何故か執事服姿のマナウス・ドラッケン(ea0021)は、何故か典雅な動作でてきぱきと準備を進めていく。
「執事おとーさん、格好いいの‥‥」
「本番はもっとカッコいいぞ」
「楽しみ‥‥でも、あんまり女の人にベタベタしちゃだめ」
にっこり笑顔で釘を刺すラル。将来有望である。
「僕、飾り付けのお手伝いするの‥‥甘いものの誘惑に負けない。失敗しないよーに、頑張る‥‥」
大好きなマナウスの前で張り切るラルが厨房から漂ってきた甘い匂いに気を取られ、盛大に花瓶をひっくり返すのはお約束である。
今度はラティが転んだ拍子にレミーのスカートを掴み、人妻の脚線美が露になると言う嬉しいのか良く分からないハプニングが起きた、そんな準備2日目。
「随分と客間が騒がしいな」
「いつもの事ですよ。賑やかなのはいい事です」
ドジっ娘な妹が何かやらかしたのではないかと気が気でないラディの隣で、野菜スープの味見をするショコラは貫禄すら漂う余裕の表情だ。
厨房に立つ2人は客間で展開されるドタバタに巻き込まれる事なく、終始和やかに料理の下準備に励むのだった。
「よーし完成っ♪」
満足げな表情で立ち上がる彼女に、アイリスとミシェルが駆け寄る。
「とても可愛らしく仕上がりましたね。素敵です」
「ええ。頑張った甲斐がありましたわ」
アイリスが手がけた『フレッドさん誕生日おめでとう!』と『エレナさん、フォルティス君、いらっしゃい!』と言う装飾文字は目を惹く華やかで、ミシェル作のメルドンを背景にした皆の笑顔の似顔絵はそっくりで心温まる色使いだ。
「心尽くしの手作りの会‥‥彼は本当に愛されているな」
後回しにされがちな雑用を黙々とこなていたラルフェンは、装飾用の花を手にぽつりと呟く。
「ラルフェンさーん! ちょっとこちらを手伝って下さらない?」
いつもよりワンオクターブ高いレミーの声に振り向けば、ぶつかるのは熱視線。
「足元が不安定で‥‥あ〜れ〜!」
「‥‥おっと」
苦笑しながらも手伝ってくれる優しさに漬け込み、ハプニングを装って思いっきり抱きつくレミー。
そんな悪どさにも穏やかな笑みを絶やさないラルフェンであった。
●繋がる幸福の縁
そして3日目のお昼前、エレナ親子は無事にロイエル家へと到着した。
全員に挨拶をした後に通されたレミーの自室の光景に、エレナは目を見張る。
「すごい数のドレスですね‥‥」
「この中から1番似合うドレスを着てパーティーに参加しましょう。テーマはお姫様よ♪」
サマードレスの胸元にアーモンドブローチをつけ、指には純血の花を嵌めたマールのポニーテールが、髪に結ばれたブルースカーフと共に涼しげに揺れる。
「お、お姫様ですか?」
「うん。お姫様だよ‥‥ってレミー、俺は着ないからね?」
唖然とするエレナに優しく微笑んだのも束の間。自分を見て微笑むレミーにリースはじりじりと後ずさりをする。
「‥‥ちっ。残念ですわ」
レミーは舌打ちをするとにっこりとエレナに微笑む。
「お好きな色はございますか? お好みのドレスの形があれば仰って下さいね。もちろん、お任せも大歓迎ですわ」
嬉々とした表情と俊敏な動きでドレスと小物を組み合わせて行くレミーを、エレナは戸惑った顔で見つめていた。
「緊張もしなくていいし畏まらなくってもいいんだと思うよ? レミーってそう言う人だから」
「そう言う人、ですか?」
「うん。これから毎日一緒にお喋りすれば分かるよ♪」
リースの優しさに緊張の意図が解れたエレナは、微かに顔を綻ばせる。
「ただ一つだけ忠告しておくと‥‥レミー奥様は人で遊ぶのがお好きだから気を付けてね」
「リース? 私の悪口を吹き込んでるんじゃありませんわよねぇ?」
「や、やだなぁ、レミーみたいな完璧な奥様の悪口なんか言うわけないじゃないか。着替えも始まるだろうから俺は失礼するよっ」
びくっと体を震わせた後、脱兎の如く退散するリースだった。
一方、フレッドは遅れてやって来たフランシスと共に、用意された王子様風の衣装を呆然と見つめていた。
「‥‥これを着るのか?」
「だろうな。着なければ女装させられるかもしれん」
フレッドはいつかのパーティーを思い出しながら、煌びやかな衣装を手に取った。
「悪夢だ。いっそ、今日も仕事ならば良かった‥‥」
フランシスは額を押さえながら、キラキラとオーラを放つ衣装を見つめる。
準備に顔を出せなかったのは仕事が入っていたからなのだが、実はフレッドへ回る筈だった仕事を本人には内緒で肩代わりしていたのだ。
これもフレッドやエレナの為と腹を括ったフランシスは、パーティーが行われる客間の前でドレスアップしたエレナと遭遇する。
「フレッドさんは普段から王子様みたいだから違和感はないけど‥‥あなたも意外に似合っているのね。素敵だわ」
褒められているのに、フランシスは返事すら出来なかった。エレナの美しさに言葉を失っていたから。
「さあ、パーティーの始まりですわよ」
そんな2人の様子に微笑みながら、レミーは客室の扉を開ける。
しかしあるのは真っ暗闇だ。
「これは一体‥‥」
フレッドがそう呟いた時だった。
閉まっていたカーテンが一斉に開かれ、無数の花びらがあちこちから舞い上がる。
『エレナさん、フォルティス君、いらっしゃい!』
『フレッド、お誕生日おめでとう!』
皆の祝福の声を聞いたフレッドとエレナは互いに顔を見合わせた。
「今日のパーティーの目的は1つではありませんのよ。さあ、こちらから中にお進み下さいな」
アリシアが微笑むのと同時に、まるでアーチの様に幸せを呼ぶ福虹が────二連の虹がラルのファンタズムで出現する。
「3人の幸福を願って、私達から歌のプレゼントをさせて頂きますわ♪」
ミシェルの号令に全員は立ち上がる。そして演奏と歌声が重なり始めた。
『おめでとう 大切な貴方に祝福を
出会えた奇跡に 共に過ごせる幸福に心からの感謝を
貴方と出会えて良かった
愛してます 貴方と貴方をとりまく全てを
叶うならば捧げ尽くせぬこの愛で ずっと貴方を守りたい』
「今年もこの様な会を開いてもらえるとは思っていなかった‥‥」
「私の歓迎会をやって下さるだなんて‥‥」
心の籠もった歌に感激した2人は、2つの垂れ幕を目にし顔を綻ばせる。
「今年も腕によりをかけて作りましたよ。たくさん召し上がって下さいね」
「手伝いに専念しようって思ったけど、折角だから得意料理を振舞わせてもらうよ」
そこにショコラとラディが料理を持って現れ、会場に美味しそうな匂いが立ち込め始める。ラルが提供した新巻鮭とお餅を使った料理はボリューム満点の見た目だ。
「料理のサーブはお任せを。他にも何なりとお申し付け下さいませ」
長い髪を纏め仮面で素顔を隠した執事は、典雅な動作で取り分けた料理を次々とテーブルの上に置いていく。
まるで薔薇の花びらを撒き散らしそうなエレガントな立ち振る舞いをする執事に、フレッドは恐る恐る声をかける。
「マナウスだよな? どうして仮面をつけてるんだ?」
「余り目立つつもりもないので仮面つけてひっそりこっそりね」
「いや、寧ろ目立ってると思うのだが‥‥」
「気にするな! ははははは!」
高笑いを上げフレッドの前から立ち去るエレガント仮面執事ことマナウスを、うっとりとした目でラルは見つめていた。
「やっぱりおとーさんはカッコいいの‥‥もきゅもきゅ」
大好きな甘いお菓子をほっぺ一杯に頬張りながら。
「フォルティスさんは大きくなられましたね。抱かせて頂いても?」
「はい。お腹が一杯で寝ちゃってますから、暴れる心配はありませんよ」
ショコラが作ってくれた離乳食にご満悦の寝顔は、とても愛らしい。
悲しみから立ち上がり前に進んでいるエレナを‥‥母の強さを尊いと感じながら、アイリスはフォルティスの小さな体をそっと抱きしめた。
「あの絵はとても素敵ですね。温かくて、優しくて」
壁に飾られたロイエル家4人家族の肖像画を見つめるエレナに、チョコは照れ臭そうな笑顔で声をかける。
「ありがと。実はあたしが描いたんだ。今度、エレナ達も描かせてね」
「ありがとうございます。あの額縁も素敵ですね‥‥」
「あれはジルが作ってくれたの。彫刻されてる葡萄の葉と蔓と実には『信頼・思いやり・親切』って花言葉があるんだって。ロイエル家の皆にぴったりだよね」
チョコの言葉にエレナは笑顔で頷く。
「今日はフレッドさんが王様やで、何でも言うてや」
「それは嬉しいが、この派手な冠はどうにかならないか?」
「外したらあかん。主役の証やからな」
ジルに諭され、ゴールドクラウンを外すのを諦めるフレッド。恐ろしいほどソレは似合っていた。
「よろしくね。今日から君の友達のリィだよ♪」
リースは満面の笑みでフォルティスをぎゅっと抱きしめた。
食事が一段落ついた頃から始まった『フォルティス君に遊んでもらおう』の会では‥‥
「だぁだぁ♪」
「ぬいぐるみ気に入ったのならあげるね☆」
「暑くても‥‥がんばる」
フォルティスは片手にラティのうさぎだか犬だか分からない不思議なぬいぐるみを、もう片方の手でまるごとくまさんを着たラルを掴んで離さないでいた。
「ああっ、髪を食べちゃダメですわ!」
「無理に引っ張ったら余計に興味を持っちゃうわよ。他の玩具で気を逸らさないと」
そうかと思えばミシェルの髪を涎塗れにし、マールが差し出したジル作の木彫りの動物を口に含んだりとやりたい放題だ。
『可愛い〜♪』
しかしそんな暴挙も許せてしまうほどの愛らしさに、一同は顔を緩ませる。
「ルールは以上だ。上位3名にはお菓子のご褒美を、下位3名には罰ゲームを用意した」
ケーゲルシュタットの経験者であるラルフェンは分かりやすいルール説明の後、テーブルの上にお菓子達と袋入りのお茶を出し始める。
「罰ゲームってこのお茶?」
「ああ。色んな意味で凄まじいぞ」
不安げなラディにそう答えながら、ラルフェンは初めてこのお茶‥‥迷茶「ムーンロード」を口にした時の事を思い出していた。心なしか遠い目で。
ラルフェンの忠告を聞いた一同の胸に去来するのは、勝利を望む『絶対に負けられないっ!』と言う切なる思いか、好奇心に負けた『あのお茶、ちょっと飲んでみたいかも‥‥』と言う無謀なチャレンジ精神のどちらかであった。
そしてその思いが勝敗を決した‥‥。
「苦いの‥‥不味いの‥‥」
「なんちゅう不味さや。一瞬意識が飛んだで‥‥」
「でも癖になる不味さですわ。もう一杯!」
劇的に苦くて不味いムーンロードの威力に、ラルとジルはぐったりとし、何故かミシェルはおかわりを頼んでいた。
「手加減無しの全力投球だったな」
「ああ。こう見えても負けず嫌いなんだ」
「あのお茶が飲みたくなかっただけだったりして」
様々なお菓子を堪能しながらマナウスの問いに答えるラルフェンだが、マールのツッコミにぐっと喉を詰まらせる。真相は彼のみぞ知る、である。
「フォルティスさんをあやしていてあまりお料理が進まなかったでしょう。私が抱っこしてますから、このスープを食べて下さい」
いつもより林檎を増やしたアップルケーキに夢中になっているフレッドに微笑んだ後、ショコラはエレナに野菜スープを勧める。
「嬉しい‥‥私、野菜スープが大好きなんです」
「お口に合うといいのですが‥‥」
フォルティスを抱き上げながら、ショコラは穏やかな顔でスープを口に運ぶエレナを見つめた。
「この味‥‥母さんのスープの味と似ています。素朴だけど優しくて、ホッとする様な味‥‥」
スープを一口飲んだエレナの目から、ぽろりと涙が零れ落ちる。
「ゴメンなさい。お祝いの席なのに泣いちゃダメですよね」
「いいえ。他の方はお喋りやジルさんが持ってきてくれたお酒に夢中になってますから、大丈夫ですよ」
「ありがとう、ございます‥‥」
ショコラの優しさに憚る事なく流される涙。
エレナは小さな声で「母さん」と呟くと、ゆっくりとスープを口に運ぶのだった。
「まずは僕からだね。フレッド、誕生日おめでとう」
パーティーが終わりに差しかかった頃、皆からフレッドへの誕生日プレゼントが手渡され始める。
「急な事でろくなモノが用意出来なかったんだけど‥‥良かったら使ってくれ。騎士は危険な場所へも良く行くだろうしね」
ラディからは手作りの身代わり人形が。
「フレッドおにーちゃん、お誕生日おめでとーなのー♪」
ラティからは愛らしい笑顔と全力の抱擁と共に泰山府君の呪符が。
「改めて、お誕生日おめでとうございます。2年目のお祝いを申し上げられます事、心より嬉しく思っております」
アイリスからは『いつも他者を守る為に戦うフレッドの守りとなれば』と言う願いの込められたローゼンクランツが。
「おめでとう、フレッドさん。質のいい睡眠は大事よ。彼女達の為に元気でいてね♪」
マールからは意味有り気な言葉と共に安眠羽毛枕が。
「誕生日おめでとう。フレッドに精霊の加護があります様に」
リースからは祈りと親愛の思いが籠められた精霊のナイフが。
「フレッドさん、誕生日おめでと。自分に何かあったら、俺も女の子らも悲しむって事、覚えといてや」
ジルからはお守り代わりの剣士の守りとイドゥンのりんごが。
「誕生日おめでとう。アリシアとお揃いで持っていてくれ」
ラルフェンからはシンプルながらも温かい祝福の言葉と八重紫の勾玉が。
「フレッドおめでと。これ、たんじょーびプレゼント♪」
ラルからは『マナウスの様に勇気のあるいい男になる』様にとブレイブ・サーコートと、もう1つ。
「‥‥にあってるの」
しゃがませたフレッドの頭に袋詰めした甘いクッキーを隠したねこさんキャップを被せ、ラルはそのほっぺにちゅっと祝福のキスをする。
これに淡いヤキモチを妬く乙女2人と、激しい怒りの炎を燃やす男が1人‥‥。
「フレッド‥‥後で屋敷裏に来い」
マナウスに呼び出されたフレッドがどうなったのか、敢て語るまい‥‥。
●愛の痛み、そして喜びを
誕生会から2日間、一同はロイエル家で思い思いの時を過ごしていた。
「若さとはそれだけで眩しい程の力となる。本人の自覚する所に関わらず人の耳目を集めるものだ。その人柄や立場も加われば尚更な」
中庭で紅茶を飲みながら、ラルフェンはフレッドとフランシスに語りかけていた。
「目を凝らし耳を澄ませ、より多くの人と心に触れて己を高めていって欲しい。悪しき思惑に輝きが曇らぬよう強く、また決して折れぬ様しなやかであれ」
2人の若い騎士の姿に思い出すのは、過去の自分。
感傷故のお節介と知りつつも、言葉は静かな熱を帯びていく。
「そうでありさえすれば、周囲の心ある者達は自立と誇りを持ちながら君達を頼る事もできる。そして君達を愛する人の為に先ず自らが幸福であって欲しい‥‥どうか皆と共に良い人生をな」
ジッと自分の話に耳を傾ける2人に、ラルフェンは年長者の顔で微笑んだ。
「あの、ええと‥‥アゼルとお付き合いする事になりました」
その頃、レミーに捕まったマールは恋人が出来た事を白状させられていた。
「まあまあ、おめでとうございますわ♪ で、式はいつですの?」
「っ! レミーさんってば、気が早過ぎ!」
恥ずかしさで混乱しかけのマールは、真っ赤な顔で飛び去っていく。
そんな彼女を心の何処かで羨ましいと思いながら、ジルは思い切ってレミーに相談を持ちかける。
「レミーさん、異種族婚てどう思いはります?」
その問いに暫し瞳を閉じて考え込んだ後、レミーはジルの顔を強い眼差しで見つめた。
「あの子の為に1日でも1秒でも長く生きる事。子が生れたら愛情と責任を持って育てる事。あとは‥‥」
そこで言葉を区切り、レミーはにっこりと微笑んだ。
「愛があれば大丈夫ですわ♪」
その笑顔でちらりと視線を送った先には、フォルティスを抱きしめながら転寝をしているエレナの姿を遠くから見つめる、フランシスの姿があった。
「何故人は、叶うべくもない想いを抱いてしまうのでしょうね‥‥」
その視線に込められた意味に気づいてしまったアイリスは、佇む背中に声をかける。
「けれどかの人がそこに在る、そのひとつ事が嬉しい。それがいとおしいという事であるならば、愛とは何と尊いものかと‥‥巡り合えたと言うだけで、奇跡の様に思えるのです」
愛故に苦悩も憎悪も当然に抱く己を今は知っている。痛みを伴う愛は辛い。けれども‥‥
「幸せでございますね、わたくし‥‥達、は」
その笑顔が向けられる先にフレッドの姿がある事に気づき、フランシスは息を呑む。
「益体もない独り言でございました。お聞き流し下さいませ」
「種族を言い訳に身を引くと言うのなら、それはあいつにも彼女にも失礼だ。何より‥‥自分の心に」
立ち去ろうとするアイリスの胸に、フランシスの言葉が突き刺さる。非難ではない、同じ痛みを知る者の優しさが。
そっと胸元で光るローズブローチに触れ、アイリスはこれをフレッドに手渡された時の事を思い出す。
「いつか誕生されるでしょうそれぞれのお子さんのお誕生日を祝福し続ける事が出来たなら‥‥本当に、幸せでございます」
ほんの僅かの嘘が隠された本心に、ただフレッドは微笑んでいた。
「アイリスに似合いそうだと思ったら、いつの間にか買っていた。よかったら受け取って欲しい」
そう告げる顔はどこまでも優しかった。
「祝福を、汝の行く先にいつも暖かな太陽がありますよう」
沈み行く夕日を1人眺めていたフレッドの隣に立ち、マナウスは祝福の言葉を口にする。
「汝の眠りは月によって守られ、汝の誇りは火の如く燃え盛る。水は汝の心の渇きを癒し、風は汝の不安を拭うだろう。大地は全ての礎として此処にある」
それは世界の中で自分が一人じゃない事を自覚する為の、小さな呪い。
「汝は決して孤独にあらず、周囲に耳を傾けよ。騒がしき守り手は、常に汝の傍に在る‥‥なんてな」
だけれども1人でない事はこんなにも温かく、心強い。
肩を叩き去っていくマナウスの背に、フレッドは小さな声で「ありがとな」と呟いた。
「よく似合っているよ」
リースはアリシアの胸元で光るピンクサファイアの首飾りの首飾りを、瞳を細めて見つめた。
着けてあげた時に人目を気にした自分に、少しだけ戸惑いながら。
「すごく綺麗。リィ、ありがとうございます」
「これならいつでも‥‥いや、季節を問わず付けられるかなって」
前に贈ったシルバーコートは季節が限られてしまうから‥‥そう言い微笑むリースに、アリシアはある首飾りを手渡した。
「これは‥‥ロイエル家の紋章?」
「はい。これからも戦い続けるリィのお守りになればと。受け取って頂けますか?」
「ありがと。じゃあ交換こだね」
紋章の首飾りを異性に手渡す事。
その意味を深く考えない様にしながら、リースは優しい顔で微笑む。そんな筈はないんだと自分に言い聞かせながら。
「メルドン以来‥‥ううんもっと前からずっと悩んでましたの。強くも優しくもない自分に何ができるのかって。自分を誰かと比べるなんて愚かしいと思うんですけど」
夜の庭園で、ミシェルはフレッドに自らの悩みを打ち明けていた。
「それに、妬んだりとか、焼きもちを焼く自分も赦せなくて、少し持て余してたと言うか‥‥でも、漸く自分の気持ちに素直になれそうですわ」
月明かりに揺れる瞳を見つめながら、ミシェルは自分の剣をフレッドに差し出す。
「前に進む為に、一度今までの自分から離れようと思ってるの。だって守りたいのに、甘えてしまうもの」
「この剣は預かっておく。代わりにこれを持っていてくれないか?」
剣を受け取った後、フレッドは懐からシルバーナイフを取り出す。
「自分を変えたいと思うのは悪い事ではない。だが、今の自分を‥‥甘えたいと思う自分自身を嫌いにならないで欲しい。俺で良ければいつでも‥‥っ」
言い終わらない内に、ミシェルはフレッドに抱きついた。ふわりと舞った金の髪が、フレッドの頬を掠める。
「ズルい人ね‥‥でもとっても優しい人。そんなあなただから、私は‥‥」
そう呟いた後、ミシェルはフレッドに手紙を押し付ける様にして去っていった。
自室に戻ったフレッドは、そこに書かれた言葉に目を見張る。
愛しいという気持ちを教えてくれて、ありがとう────想いの込められた、ただ一言に。
「やーっっ! 帰るのやーなのっっ! レミーママともっと一緒にいるぅぅぅ!!」
依頼最終日の朝、ラティはレミーにしがみつき、大声で帰りたくないとだだをこねていた。
「ティー、ダメだよ‥‥何時までも迷惑かけられないだろ?」
普段は聞き分けのいい妹が見せる必死の我侭に、ラディの胸はズキンと痛む。
「やっぱり、両親が居ないのが寂しかったんだな。ゴメンな、ティー‥‥」
背中からラティを抱きしめながら、ラディは至らない己を悔しくて仕方がなかった。
「あなたさえ良ければ‥‥2人とも私の子供になりませんか?」
「えっ?」
驚きと共に顔を上げると、優しいレミーの瞳とぶつかる。
それは指し示された新たな道であった。
「血、繋がってなくても、想いがあれば、家族‥‥」
マナウスの背で揺られながら、ラルは幸せそうな笑みを漏らす。
叶うならば、私に与えられる幸福をあなたに。
そしてあなたを襲う苦しみは私に。
あなたが笑顔でいられるのならば、この痛みさえも愛しい────。