【微睡みの終焉】目覚めは愛憎と共に
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■イベントシナリオ
担当:綾海ルナ
対応レベル:1〜5lv
難易度:やや難
成功報酬:0 G 40 C
参加人数:16人
サポート参加人数:-人
冒険期間:09月03日〜09月03日
リプレイ公開日:2009年09月12日
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●オープニング
時は満ち、闇は光を飲み込まんと動き出す。
「午睡を楽しんでいる奴らから花を奪って来るよ」
「お供できないのが残念でなりません。彼は引き離しておきますので、ご安心を‥‥」
甘い微笑を残して、彼の人は大空へと飛び立った────。
●愛深き咎人
出仕するモルを見送り、朝食の片づけをするクレアの顔色は冴えなかった。
(「モル坊ちゃま、どうかご無理はなさいませんよう‥‥」)
先日、南方遺跡群から帰還したモルは酷い顔をしていた。
しかし顔色の悪さは単に疲労だけではなく、その心を揺さぶる何かがあったのだろうとクレアは思う。それを問う事は出来ないけれども。
最近のモルは早朝から王宮へ赴き、帰ってくるのは夜遅く。それから深夜まで書斎で調べ物をしていたり、時には帰ってこない時もある。
(「坊ちゃまは頑張っていらっしゃるのに、それを寂しいだなんて思ったら、罰が当たりますね‥‥」)
クレアは口に出せない想いを飲み込む。寂しさも気遣いも子を想う母のそれであった。
────コンコン。
食器を洗い終え居間に戻った時、遠慮がちにドアがノックされた。
「はい。どなたですか?」
「何か‥‥食べ物を下さい」
聞こえてきたのは弱々しい少年の声。
そしてドアを開けたクレアは、その姿に目を見張る。
「余り物でも構いません。お願いします‥‥」
違うのは声音とおどおどした口調だけで、少年は幼い日のモルとそっくりだった。
身に纏っているボロボロの服が、2人で逃げ続けたあの日々を思い出させる。
「シチューで良ければ。さあ、入って」
懐かしさと愛しさに胸がいっぱいになるのを感じながら、クレアは少年を招き入れる。
「ありがとうございます」
少年は遠慮がちにモルの屋敷へと足を踏み入れた────かの様に見えた。
扉を閉め終えた後、その幼い相貌が醜く歪む。
「‥‥随分と無用心だね、クレアさん」
先程とは全く違う声音に振り返ったクレアを、少年は面白そうに眺めていた。恐怖に彩られていく、その顔を。
「この姿で来たのは正解だったね。こんなにあっさりと2人きりになれるとは思わなかったよ」
「あなたは‥‥誰ですか?」
震える声に答えず、少年は唇の端をニッと上げる。
「僕ね、知ってるんだ。君の過去も、犯した罪も」
「っ!!」
その一言にクレアは真っ青な顔でガタガタと震えだす。
「なのに母親面してモードレッド君に愛されてるだなんて‥‥罪深い婆さんだね」
心を抉る一言にクレアが崩れ落ちたのと、少年がスリープを唱えたのはほぼ同時だった。
「君が彼の憎しみの元凶だって知った時は、面白くて堪らなかったよ」
涙を流しながら眠りの縁に引きずり込まれたクレアを、少年は喉を鳴らしながら見下ろした。
市場の視察も兼ねて買い物を終えたケイは、遠くに見知った後姿を発見し足を止める。
「あれは‥‥モル?」
勤務時間内にふらふらと出歩くとは、後でたっぷり説教をしなければなるまい‥‥と、付きそうになった溜息は途中で飲み込まれる。
進行方向を変えたモルが、クレアを抱きかかえているのだと気づいたからだ。
遠くから故くわしくは分からないが、その顔はいつもより血の気がなく見える。きっと心配で仕方がないのだろう。
「医者に診せに行く途中でしょうか。全く、仕方ありませんね‥‥」
そう呟いた後、ケイは再び市場へと踵を返した。
●罪過を問うよりも
それから数刻後。
「遅かったじゃないか‥‥って、先生っ!?」
仕事後に屋敷を訪れたケイと目が合った瞬間、モルは慌てて胸元まで開けたボタンを留め始める。
「家でどの様な格好をしようともあなたの勝手ですが、だらしなさ過ぎます」
「す、すみません‥‥」
項垂れるモルを一瞥し、ケイはクレアのお見舞いにと買った果物入りの包みを手渡す。
「ところで、クレアさんはどちらに?」
包みを大事そうに抱え、モルは苦笑する。
「まだ帰ってきてないんです。買い物に行っていると思うのですか」
帰って来たのは予想もしない答えだった。ケイの頭の中に鳴り響く警鐘が、不吉な予感と共に日常の綻びを告げる。
「モル。あなたは今日どちらにいましたか?」
「王宮で執務に就いてましたが‥‥」
「ずっとですか?」
「はい。急にどうされたのですか?」
長い息を吐いた後、ケイは怪訝そうなモルをジッと見つめた。
「落ち着いて聞きなさい。今朝、私は町中でクレアさんを抱きかかえ歩いているあなたを‥‥あなたの姿をした何者かを見かけました」
「えっ‥‥」
モルの腕から包みが落とされ、瑞々しい果物が鈍い音を立てて床へと転がった。
「恐らくは誘拐されたのでしょう。どこかにきっと、犯人からの手紙が・・・・」
身代金目的の誘拐ならば、無闇に命を奪われる心配はないだろう。ケイは冷静にそう分析するが‥‥
「‥‥待ってろ。今、助けに行く‥‥」
「モルっ!」
ケイの言葉がまるで耳に入っていないのだろう。
そのまま家を飛び出そうとするモルの腕を掴み、ケイは手袋を嵌めた手でその頬を思いっきり叩いた。
「あなたが取り乱してどうします! クレアさんを救いたかったら冷静になりなさい!」
「せん、せい‥‥」
ジンジンと熱い頬を押さえケイの顔を見つめるモルの視界に、床に落ちた1枚の羊皮紙が飛び込んできた。
急ぎそれに駆け寄り、騒ぐ胸で文面に目を走らせる。
「そんな‥‥どうして、クレアが‥‥」
震えるモルの手から羊皮紙を奪ったケイは、それを見た瞬間にぐしゃりと握り潰した。静かなる怒りの炎、そのままに。
「クレアを返して欲しければ、南方遺跡群のあの神殿跡に来い‥‥これは、ルーグと言うデビルの仕業ですね?」
ケイの問いにモルは力なく頷く。
「あいつに仲間にならないかと誘われ、それを断りました。だからクレアがこんな目に‥‥僕のせいでっ」
「敵は明らかにあなたを狙っています。それを知った以上、この場所に行かせる訳にはいきません」
モルの背中にケイが投げかけるのは、無情とも言えるべき言葉。
「円卓の騎士ケイ・エクターソンとして、王宮騎士モードレッド・コーンウォールに自宅待機を命じます」
胸中の想いは語らず、ケイは絶対の命令を下す。
「そんなっ! 僕が行かなければ、誰がクレアを助けるんですか!?」
「私の部下を向かわせます」
「ですが!」
「これは命令ですよ、モードレッド。逆らう事は許しません」
まるで縋る様な青い瞳から視線を逸らし、ケイはモードレッドの屋敷を後にする。
「先生っ! 先生っ!!」
自分を呼ぶモルの声に痛める胸は、父親のそれに似ていた。
その夜の内に数人に騎士によるクレア救出隊が結成され、彼等はすぐさまキャメロットを発った。
しかし宵闇に紛れ、郊外にある屋敷から飛び出した影がひとつ────。
翌朝、モルが屋敷にいない事を知ったケイは眉をひそめた。
「命令無視に見張りに就いた騎士への暴行‥‥帰ってきたらそれ相応の罰を受けてもらいましょう」
冒険者ギルドにモル追尾の依頼を出したケイは、去り際にこう付け足す。
「王宮騎士モードレッドを無事に連れ戻す為、彼の護衛も怠らない様に」
再びギルドカウンターに背を向けたその顔は、ほんの一瞬だけ複雑な感情に歪められる。
決して他人には語らぬ、モルへの想いと苦悩がそこにはあった。
●リプレイ本文
●合流−デビルの思惑−
モードレッド追尾の依頼を受けた冒険者達は、彼が向かっているであろう神殿跡への2つの道に別れ先を急いでいた。
迂回ルートである森の中を進む道は視界が悪いが、鬱蒼と茂った木々のお陰で上空からデビルに見つかる可能性は低い。
「謹慎を破って家出とは‥‥他人の為、ようやるであるな」
ヤングヴラド・ツェペシュ(ea1274)はペガサスのホワイトベースの上で深い溜息を付く。
デフィル・ノチセフ(eb0072)のユニコーンに同乗させてもらっているディーネ・ノート(ea1542)は、八重歯を覗かせて明るく微笑む。
「騎士の世界では問題行為でしょーけど、好感が持てるわ。同じ状況だったら私も同じ事するもの♪」
モルに自分を、クレアに銀髪の恋人を当てはめているのだろうと思い、デフィルは唇に淡い微笑を乗せる。
強がりながらも恋人に『無茶はダメよ』と念を押していた所を目撃してしまったとは、口が裂けても言えないけれども。
「モードレッドさんにとってクレアさんは他人ではないのだと思います。血の繋がり以上の深く強い絆があるのでしょう」
「うん。騎士としての自分を忘れるくらい、大切な存在なのでしょうね」
公を取るか私を取るか。
立場により左右される事が多々あるだろうが、最終的に決めるのは自分自身。
その人物の本質や本当に守りたいものがわかる、残酷な選択でもある。
「何にしてもこの国の騎士達は皆、家出ばかりであるな」
2度目の溜息の後、愚痴を言っても事態は好転しないとヴラドは周囲に目を光らせる。
モルを発見し強制的にキャメロットに連れて帰るとしても、彼は絶対に納得しないだろう。
彼を探している者は皆、クレア共々救出しようと思っていた。
表情だけでなく纏う空気をも変わったヴラドに倣い、ディーネとデフィルも些細な物音さえも聞き洩らすまいと神経を集中させ、デビルの急襲に備える。
「まったくモルくんは。狙われているのは判っているだろうに、これは会ったら拳骨だね」
アルヴィス・スヴィバル(ea2804)は、殴られた時のモルの表情を想像し、にやりと唇の端を上げた。
ちなみに彼こそがディーネに心配されている果報者である。
「ったく、無謀っちゃまには困ったもんだね」
気だるげに呟く閃我絶狼(ea3991)だが、モルの事を親しみを込めて『モルモル』と呼んでいたりする。
「普段は偉そうに余裕ぶってるくせに、根っこの部分は青臭いんだから性質が悪い」
「まあ、そんな彼だからこそ友達なんだけど」
「あれで少しは可愛い所もあるし、悔しいがほっとけないよな」
そう言い微笑み合う彼等は気づいていない。
人騒がせなモルについ構ってしまう自分達が、優しい人間である事を。
「騎士として褒められた行為ではない。が、欠けてはならない重要な何かを持っていると思う」
ルザリア・レイバーン(ec1621)は、今まで見てきたモルの様々な表情を思い浮かべ、優しい瞳で呟く。
「それに放ってはおけないよ‥‥ってなんだ、その目はっ!?」
素直な気持ちを口にしたルザリアは、フォーレ・ネーヴ(eb2093)とカジャ・ハイダル(ec0131)がニマニマとした顔で自分を見つめている事に気づく。
「ルザリアねーちゃん、随分とモードレッドにーちゃんがお気に入りみたいだね?」
「姉さん女房か。いいんじゃないか?」
「ちっ、違う! モードレッド殿は弟の様な友の様な存在で、決してそんな風には‥‥」
からかわれたルザリアが必死で否定をしている最中、先頭を進んでいたディーネとデフィルが血相を変えて3人の元へと向かってきた。
「デビルが出たわ!」
「私達が食い止めている間、救出をお願いします!」
「わかった。モードレッド兄ちゃんも見つかったんだね」
フォーレの言葉にディーネは頭を振る。
「見つけたのはクレアさん救出隊の騎士達よ。とにかく急いで!」
絶狼のブレスセンサーに反応があり急行した所、下級デビルの群れに襲われている騎士達を発見したと早口で告げた後、ディーネはデフィルと共に走り去った。
急ぎ3人が駆けつけた時には森の中は戦場と化し、冒険者と騎士達が共闘し敵を退けていた。
「怪我人はいないか?」
「ああ。奴等の戦い方は妙なのだ。恐らくは本気を出さずに我等を足止めしていたのだろう」
「なるほどな。雑魚に構ってる暇はないんだ。さっさと通らせて貰うぜ!」
敵の思惑を知ったカジャは、ローリンググラビティーを唱え敵を次々と地面へ叩きつけていく。
「さすがルーグくん。何もかもお見通しって訳か」
アルヴィスはアイスブリザードの中で凍りつく敵を見つめながら、小さく舌打ちをする。
デフィルにバーニングソードを付与された前衛組の働きにより、下級デビルの群れはあっと言う間に殲滅された。
「救援、感謝する。貴殿達は冒険者の様だが‥‥」
「いかにも。ケイ殿の依頼を受けてモードレッド殿を連れ戻しに来たのである」
モルがケイの命を破って単身でクレアを救いにこの南方遺跡群の地を訪れているとヴラドが説明すると、騎士達は困惑した表情を見せた。
「私達はモードレッド殿だけでなくクレア殿も救いたいと思っている。良ければ共に行かないか?」
またデビルに襲われるかもしれないと付け加えるルザリアに、騎士達が出した答えは‥‥
「そうして頂けると心強い。共に参ろう」
安心した様な笑顔での快諾であった。
こうして冒険者とクレア救出隊は合流し、神殿跡を目指す。
「どうしてこっちの迂回路を進んでたんだ?」
「もう片方の道は崖に挟まれているし手勢も決して多くはない。左右からデビルの大群に挟み撃ちされたら、クレア殿を救出する所ではなくなってしまうと思ったのだ」
モルが姿を見せるまで、ルーグはクレアに手荒な真似はしないだろう。
それに森の中の方が姿を隠しながら進める為、敵との遭遇率は低いと読んだらしい。
速さよりも確実さを選んだ作戦であったが、思った以上に時間を消費してしまったと唇を噛み締める騎士の背を、絶狼は慰める様に叩く。
しかしデビルの襲撃はその後も続き、一同は小規模の戦闘を繰り返す事となるのだった。
●決壊−想いの雫−
一方、最短ルートを進む冒険者達の旅路は不気味な程に静かであった。
「デビルの反応はありませんわ」
デティクトアンデットで索敵を終えたクリステル・シャルダン(eb3862)の報告に、一同は表情を曇らせる。
「モードレッドさんの姿も見当たらないね」
「卿の性格を考えると、この最短ルートを通っている事は間違いない。一刻も早く合流したい所だが‥‥」
遥か彼方まで続く様な一本道を、瀬崎鐶(ec0097)とグラディ・アトール(ea0640)は逸る気持ちを抑えて見つめた。
「こんだけ殺風景やと、モルさんの赤毛が栄えるってもんや」
デビルとの戦闘はおろか遭遇すらない事態に不安を煽られながらも、ジルベール・ダリエ(ec5609)はペガサスのネージュでゆっくりと飛行し眼下に目を凝らす。
緑のない乾ききった台地には岩が転がるばかりで、人影はおろか動物の姿さえも見当たらない。
それでも根気良く視線を彷徨わせていると、日陰を進む1頭の馬影を発見した。
「あれは‥‥」
よろよろとした足取りの馬の首にしがみ付いている人物の髪は、燃える様な赤色。
それがモルであると確信したジルは、安堵の息を漏らし彼に近づく。
「見つかったか。良かった‥‥」
その様子を目撃したラルフェン・シュスト(ec3546)は、モル発見を告げる為にペガサスのシルヴァーナを駆り仲間の元へと戻った。
「モルさん、探したで」
聞き覚えのある声にモルはビクッと体を揺らした後、ゆっくりと振り返った。
そして砂埃に塗れた疲労の色濃い顔で、ジルを驚いた様に見つめる。
「‥‥お前、どうしてここに?」
「皆で連れ戻しに来たで。でもまずはこれを食べや」
ジルの答えを聞いたモルは、ふいっと顔を逸らす。
「クレアを救い出すまで、僕は帰るつもりはない。先生にそう伝えてくれ」
「相変わらず勘が鋭いなぁ。せやけど‥‥」
「僕に構うな! さっさとキャメロットに帰れ!」
探しに来てくれた嬉しさを押し殺し、モルは声を荒げる。甘えそうになる自分に、皆を巻き込んで迷惑をはいけないと言い聞かせながら。
「私達はあなたを連れ戻しに来たのではありません。クレアさんの救出にご一緒させて頂けませんか?」
そこにペガサスのスノウに乗ったクリスが現れる。
寝る間を惜しみ走り続けクレアを失う不安と戦ってきたモルは、彼女の言葉に心がぐらつく己を感じていた。
だが頼ってはいけないと心とは裏腹の拒絶の言葉を口にしようとした瞬間、
「モルさんっ!!」
フライングブルームから降り立ったカメリア・リード(ec2307)が物凄い勢いで抱きついてきた。
「いっぱいいっぱい心配したですよ!」
「は、離せっ!」
「離し、ませんっ! きちんと話を聞いてくれるまで、絶対に! です! モルさんのしたい事は何ですか!? その為にすべき事は何ですか!?」
しがみ付くカメリアの力が思いのほか強い事に戸惑いながら、モルは身を捩るのを止めた。
「僕はクレアを救いたい。その為にルーグの元へ行く」
「‥‥独りでか?」
ラルフェンの問いにモルは静かに頷く。
「1人で暴走するより、皆で協力した方が上手くいくって‥‥もう、モルさんはとっくに知っているでしょう?」
「これは僕個人の問題だ。お前達は関係ない」
「関係なくなんかないです! 私達は皆、貴方が大好きです! 力になりたいって思ってます!」
誰かに好かれる事に慣れていないモルは、複雑な表情でカメリアを見つめる。
おっとりとしたカメリアがこんなに感情を露にする事を、誰が想像しただろうか。
姉の様な想いを抱く彼女をそっとモルから離した後────グラディは分からず屋な少年を思いっきり殴り飛ばした。
受身すら取れず砂埃を上げて倒れこむモルは、唇の端に滲む血を拭いグラディを睨みつける。
「心配して駆けつけてみれば、その態度はなんだ!? いい加減、素直になれよ!」
「説教ならたくさんだ。お前達に構っている時間などない」
そう言いフラフラとした足取りで愛馬に向かうモルの胸倉を、グラディは掴み上げる。
「そんな体で何が出来る!? 冷静さを失えば奴の思う壺だと前に言った筈だ。大切な物を守りたいなら、少し頭を冷やせ!」
投げつけられる言葉の刃は容赦なくモルの心を抉る。
しかし真心の籠もった叱咤に傷つく必要がどこにあろうか。
「俺にも大切な家族が居る故‥‥卿の気持ちは痛いほど良く解る」
それまで黙っていたラルフェンは、静かに口を開く。
「残酷な選択を迫られた時、俺は家族の命を優先するだろう。だがその結果、家族の心を殺す事になるのだ」
「お前の言っている事は良く解らないっ!」
いつもならば己が心を隠して『下らない』と鼻を鳴らし、小馬鹿にする事で押し殺せたであろう感情の発露も。
「どちらを選んでも助けられないと言うのか!? どうしてそんな残酷な事を言って僕を苦しめるんだ!?」
本心をぶつけてくれる皆の優しさで壊された理性の堤防では、防ぎ切る事など到底出来なかった。
「教えてくれ、僕は‥‥僕はどうしたらクレアを救える? どうしたら‥‥お前達に迷惑をかけずに済む?」
「本当の意味で助けたければ協力は不可欠だ。こうして駆け付けてくれる人々もいるのに、独りで抱え込み無茶をする選択は最善じゃない」
穏やかな声音でモルの苦悩を受け止めながら、俯く彼の足元に吸い込まれていく煌きの粒にラルフェンは気づく。
「‥‥答えはシンプルだよ。皆で一緒にクレアさんを助けに行く。ボク達は迷惑じゃないし、甘えて欲しいって思ってるから」
髪に降り積もった砂埃を優しく払い落としてあげながら、鐶は微かな微かな笑みを浮かべたが、それを誰かが目にする事はなかった。
迂回ルートを突破した一同は、神殿跡が前方に見える岩陰にて最短ルートの仲間と合流を果たした。
モルの姿を目にし誰もが初めに安堵の息を漏らしたが、そこから先の行動は人それぞれである。
「一刻も早くクレアの元に行きたかったんだ。救出隊と遭遇したら実力行使しかないと思っていた」
モルの言葉に盛大な溜息を付いた後、絶狼はその頭を思いっきり引っ叩く。
「待機命令なんぞぶっちぎって屋敷を飛び出したのは良し、むしろ褒めてやる。だがその足で何故冒険者ギルドの扉を叩かなかった!」
「‥‥そこまでは頭が回らなかった」
「大切な人が攫われた、手を貸してくれ、と一言言うだけの事が何故出来ん? 何でもかんでも一人で抱え込む様な悪い所ばっか円卓の‥‥」
そこまで言いかけ、絶狼はぎょっと目を見張る。
モルが無言で抱きついてきたからだ。
「心配をかけてすまん。それと、助けに来てくれて感謝している‥‥」
「何だよやけに素直だな。調子狂うっつーの」
鼻声には気づかない振りをしつつ、絶狼はモルの背をぽんぽんとあやす様に叩く。
「なあ、モル。ケイが弟子可愛さだけで自宅待機を命じたと思うか?」
まずは拳骨の1発でもくれてやろうと思っていたカジャは、予想外に素直なモルの頭をわしゃわしゃっと撫でる。
「クレアが人質なら、お前が行くまでは無事だ。だが、お前が捕まった後は用済みになる。何が最善か良く考えろ。ま、心意気は認めるけどな」
「‥‥先生を気安く呼び捨てにするな。だがお前の言う事は尤もだと思う。すまなかった」
可愛いのか可愛くないのか良くわからない態度に苦笑するカジャの横で、アルヴィスは笑顔のままいきなりモルの頭に拳骨を振り下ろした。
「〜〜っ!」
あまりの痛さに蹲るモルを満足げに見下ろし、アルヴィスは再びイイ笑顔で微笑む。
「あれこれと言いたい事は今の1発に籠めておいたよ。海よりも深く反省したまえ、モルくん」
ひらひらと手を振って去っていくその背中が何故か優しく見えて、モルは涙目で微笑んだ。
「モードレッド殿‥‥」
おずおずと声をかけてきたルザリアに気づき、絶狼とカジャはさり気なくその場を離れる。
「お前も来てたのか‥‥ありがとな」
「放っておけなかったからな‥‥」
モルの無事に気が緩み、零れ落ちた自らの言葉にルザリアはあたふたと慌てだす。
「いや、そう言う意味ではなくてな、一団を率いた時に今回と同様に冷静を無くされると部下が苦労するから、だから『放ってはおけない』のだぞ?」
「解っている。僕は頼りない騎士だからな」
いつもならば「僕に惚れたな?」と不敵な笑顔を見せるモルは、自嘲的に笑い遠くを見つめていた。
ルザリアの戸惑いはそのままに、休息と準備を整えた一同は神殿跡へと向かう。
その道すがら、モルは不安と緊張に押し潰されそうな己を心の中で必死に奮い立たせていた。
●聖女の真実
夜の帳が下りる頃。
藤村凪(eb3310)とシルヴィア・クロスロード(eb3671)は、リランが拠点とする教会を訪れていた。
「私も同席させてもらうわ」
フレイは2人に只ならぬ決意を感じ、そう断った後でリランの私室の扉を開ける。
「お会いできて嬉しいです。先日はお世話になりました」
窓辺に佇むリランは茶色の髪を風に揺らし、素朴な笑顔で2人を迎え入れる。
(「彼女は始まりを知っている。終わりの鍵も彼女の手の中のあるのかもしれない‥‥」)
首飾りがルーグにより奪われていた時、彼女は誰とも会いたがらなかった。
しかし今は以前と同じ様に微笑んでいる。
首飾りが持つ意味に想像を巡らせながら、シルヴィアはリランへと歩み寄る。
「突然の訪問に加え、これから不躾なお願いをする非礼を、先に謝らせて下さい」
跪き騎士の礼を取った後、シルヴィアは決意を込めた瞳でリランを見つめる。
「私は貴方が何者でどんな宿命を背負い、何に苦しんでいるのか知りません。これからお願いする事は、貴方にとって酷く辛い事かもしれません。それでも‥‥どうか貴方が知る事を教えて下さい」
「あなた、何を言っているの? リランは‥‥」
「いいのです、フレイ。最後までシルヴィアさんのお話を聞きましょう」
慌てて口を開くフレイを、リランは静かな声音で制する。
「この南方で多くの悲しみが引き起こされています。巻き込まれ苦しむ人が大勢居ます」
そっと瞳を伏せるシルヴィアの隣で、今度は凪が口を開く。
「ルーグの為にこれ以上、心を踏み躙られる人増やしたらあかん思うんよ。リランさんもそやろ〜?」
南方遺跡群の地で見てきた悲しみや絶望、そして消えて行った命達に心を痛め、1つでも多くを救って行きたいと願う気持ちは凪とて同じ。
「ゆーの辛いかもしれへんやろけど、あんさんの知ってる事を話して貰えへんやろか? まだ話せへん事情もある思うから、せめてヒントだけでも教えてんか?」
知りたいと願いながらもリランを思い遣る凪の優しさが、
「この事件を終わらせるどんな些細な手がかりでも欲しいんです。信じて下さいとは言えません。それでも、どうかお願いします」
この地の安息を心から願うシルヴィアの強い意志が、リランの胸を打つ。
「私の想いを託せる方はどなたかお1人だけと思っていましたが、それは思い違いの様ですね‥‥」
リランは慈愛に満ちた瞳で微笑み、フレイに視線を移す。
「この地の為に力を貸して下さる冒険者の方々になら、いいですよね?」
その問いにフレイは長い息を吐き、優美に微笑んだ。
「私はあなた方とは違う時を生きる者。そしてこの首飾りを身につけている間だけ、私は『リラン』で居られるのです‥‥」
するりと首飾りを外したリランの体は、淡い銀色の光を発し始める。
優しくも温かいその光が月明かりの如く和らいだ時、そこに2人が知るリランの姿はなかった。
「私の本当の名はエフネ。月の女神と呼ばれています」
波打つ銀色の髪のその人は、美しい顔で寂しげに微笑んだ。
容姿は見る影もなく変わってしまったが、瞳が湛える慈しみの色だけは変わらない。
「人の姿を取り名を偽りながら、私はずっと見守ってきました。この地に住む人々の平穏と、邪眼のバロールの眠りを」
エフネが自らの役割を告げた時。
体の芯を揺さぶる様な地鳴りの後────4人は窓の向こうに、天に突き刺さる巨大な炎の柱を見た。
●人と言う名の玩具
時は遡る。
暮れ始めた空の下、一同は神殿跡にてルーグと対峙していた。
「随分とお仲間を連れて来たね。1人で来いとは言わなかったけどさ」
まるで想定済みとでも言わんばかりに、ルーグは楽しそうに喉を鳴らす。
「約束通りに来てやったぞ。クレアを返せ」
ここに辿り着くまでの恐れや体の震えは、ルーグの顔を見た瞬間にぴたりと治まった。
代わりに沸き起こるのは腸が煮えくり返りそうな程の、激しい怒りだ。
「君、自分の立場がわかってる? そんな偉そうな所を屈服させるのが楽しいんだけどねぇ」
ルーグがスッと片手を上げると、数匹のインプがその足元に広がる布を持ち上げて飛び去る。
「────っ!!」
そこにはぐったりと動かない、血塗れのクレアが横たわっていた。
それを目にした瞬間、モルの全身を怒りと絶望が駆け巡る。
「君さえ誘き出せれば、この婆さんの生き死にだなんて僕には関係ないからね。脆くて玩具にもならなかったよ」
ルーグの言葉に保とうとしていた理性が崩壊の音をたて、モルは憤怒の形相では腰のレイピアへと右手を伸ばす────が、それは彼の足を思いっきり踏みつけた鐶によって阻止された。
「クレアさんの胸元を良く見て。微かだけど息はあるよ」
その囁きに目を凝らせば、頼り無げな呼吸に気づく。
「‥‥此処で相手の術中に嵌ったら駄目。今はクレアさんを助ける事に集中しないと」
クレアが生きている事に安堵するのと同時に、彼女をここまで痛めつけたルーグに対する怒りの炎がモルの中で燃え盛った。
それを必死で押さえ込もうと息を吐き握り締めた両拳に、柔らかな温かさが触れる。
「頭にきて行動するのも判るけど今は冷静に、よ?」
右手を包むディーネがそう言い聞かせれば、
「ディーネみたく激情に駆られると、取り返しの付かない事になっちゃうよ?」
左手を包むフォーレは冗談交じりにそう口にする。
「‥‥う。何も今、そんな事を言わなくてもいいじゃない」
「緊張感のない奴等だな。だがお陰で冷静になれた」
モルの怒りが治まったのを敏感に感じ取り、アルヴィスはルーグへと近づく。
「やあやあルーグくん、また狡い事を考えたね。動物の血を塗りたくって傷だらけに見せるだなんてさ」
「へえ? 良く解ったね。じゃあ今度は君の血を使ってみようかなぁ」
「それはご免被るね。生憎、痛めつけられて喜ぶ趣味はないんだ」
アルヴィスが竦めた肩を下ろす、それが合図だった。
「よし! 白だ!」
アースダイブで地中に潜り、クレアの目の前で顔を出した絶狼は素早く聖水を彼女へと振りかける。
「油断大敵、ってな!」
そして傷を負わない────つまりクレアがデビルの化けた偽物でないと確認し終えた後、同じ魔法で姿を現したカジャは高速詠唱でクレアにもアースダイブを付与し、その体を地中へと引きずり込む。
「お前の負けだ、ルーグ。この地での悪巧みもここまでだったな」
怒りを孕んだ声で剣を抜くグラディに、ルーグは声を上げて笑い出す。
「何が可笑しい!?」
モルが苛立たしげに叫びレイピアを構えた時、背後からクリスの悲痛な声が響く。
「クレアさんは無傷です。ですが‥‥回復魔法が効きませんっ!」
繰り返しリカバーを唱えるものの、クレアはぐったりと動かず虫の息だ。
「コレがなんだか解るかな?」
ルーグがマントの下から取り出したのは、10cmくらいの白い玉。
「瀕死状態まで奪った婆さんのデスハートン玉だよ。取り戻して飲ませるしか、救う方法はないよ?」
悔しそうに唇を噛み締める一同を見渡し、ルーグは唇を歪める。
「いいねぇ、その顔! 最高だよ!」
恍惚の表情で絶望を貪るルーグを、ヴラドは忌々しげに睨み付けた。
「モードレッド殿が目的とは言え、こうも人の命と心を弄ぶとはっ!」
もはや実力で奪い取るしかない。
誰もがそう思い戦闘体勢に入ろうとした時、ルーグはデスハートン玉をマントの下へと隠す。
「いくら僕でも君達全員が相手じゃ分が悪いなぁ。もしも攻撃を仕掛けてきたら、その瞬間に透明化してコレを持ったまま何処かに行っちゃうよ?」
力なく武器を下ろすしかない一同。
だが、誰もが諦めたくないと願っていた。
「ふうん。まだ希望の光とやらを探してるの? じゃあ僕がとっておきの秘密を教えてあげる」
ルーグはモルの近くに歩み寄り、その眼前にデスハートン玉を付きつける。
「婆さんの過去と罪を知っても愛し続けられるか‥‥試させてもらうよ」
残酷な笑みの後、それ以上に過酷な真実をルーグは嬉々として語り出す。
●世界は愛に揺れ、憎しみに歪む
「彼女は昔、大事な家族をモードレッド君の祖父に理不尽な理由で殺されていてね、コーンウォール家に復讐する為に素性を隠して侍従になったんだ」
戦う術を持たない女の細腕で果たす復讐として、クレアは一家崩壊を目論んだ。
結婚したばかりの娘が親の決めた婿に不満を持っている事を知ったクレアは、娘が他の男と恋に落ちる様、手引きをした。
「そして娘はアーサー王と運命的な出会いをし、瞬く間に恋に落ちた。逢瀬を重ねる内にモードレッド君を身篭ったって訳さ」
金髪碧眼の両親に対して、生れた赤子は赤毛に青い瞳。不義の子である事は明らかだった。
「この婆さんの復讐の為にモードレッド君はこの世に生を受け、家族の誰からも愛されずに育った。なのに母親面してこんなに大事にされてるだなんて、罪深い上に偽善者だよね?」
冒険者達がクレアの過去と罪をどの様に受け止めているのかは、本人達しかわからない。
だがモルは俯きながら、微動だにしなかった。
「‥‥どんな事があろうとも、モルさんとクレアさんの絆は誰にも壊されへん」
ジルはモルの両肩を掴み、俯いたままの青い瞳を覗き込む。
「悪魔の言う事に耳貸すな! あの人の真心は本物やったやろ?」
伸ばしかけた手を引っ込め、ルザリアは表情の見えないモルをジッと見つめた。
「憤るのはクレアさん自身から直接真意を‥‥全てを聞いてからでも遅くないと思うぞ」
モルは2人に短く「ありがとう」と答えると、ゆっくりと顔を上げた。
「‥‥言いたい事はそれだけか。そんな瑣末な事で僕の心を揺さぶろうとは、随分と嘗められたものだな」
ルーグを見据える視線は強く、そこに揺らぎはなかった。
「クレアの過去や罪がどの様なものであっても、彼女が僕にとって大切な人である事に変わりはない!」
父は自分を愛してくれないと思い込み、寂しさを憎しみにすり代える事で自分の心を守ってきた。
そんな弱い自分を、ありのままの自分を受け入れてくれたクレアの愛情は本物だと信じられるから。
彼女の過去や罪を前に、自らの愛情が霞む事はない。
「‥‥君には見込みがあると思ったのに。興醒めだよ、モードレッド君」
ルーグは覚めた目で腕を振り上げ‥‥
「だから壊して終わりにしようか」
クレアのデスハートン玉を思い切り地面に叩き付けた。
「止めろっ!!」
その瞬間、全員の意識はデスハートン玉に集中し、それが壊れてクレアの命が失われる恐怖に慄いた────心の隙を生んでしまった。
身を投げ出し寸での所でそれを両掌で受け止めたモルが、絡みつくルーグの視線に気づいた時には既に時、遅く‥‥
「‥‥本当に君は哀れなくらいお馬鹿さんだね」
呟きの後に唱えられたのはフォースコマンド。
『クレアを』『殺せ』と言うただ2言の残酷な命令が、モルから自由を奪っていく。
「さあ、最愛の人をその手にかけて、底なしの絶望に沈んでしまいなよ。傷心の君は僕達が優しく慰めてあげるから」
ルーグの誘いに応えるかの様に、モルの足はゆっくりとクレアの元へと向かっていく。
カメリアはレイピアを持つ右手に、頭を振りながらしがみ付いた。
「モルさん、絶対にダメです! どうか耐えて下さいっ‥‥!」
無理な願いあるとわかりつつも、誰もがそう願わずにはいられなかった。
「‥‥大丈夫だ」
モルはカメリアの体を左手で押しやり、未だ目を開ける事すら出来ないクレアを見つめた。
「クレアのいない世界だなんて、僕には意味がないっ!」
愛される喜びを教えてくれた彼女を失う事は、モルにとって自身の世界を失う事も同じであった。
叫びのままに振り下ろされた腕を、血飛沫と共にレイピアが貫く。
気の遠くなる様な痛みさえ、クレアを失う痛みとは比べ物にならない。
「自身を傷つければこの魔法の戒めは解かれる‥‥貴様が使いそうな手だと思い、解決策は調べておいた」
苦痛に顔を歪めるモルの腕から、赤い血が滴り落ちる。
それが血溜まりになった時、ルーグはぺろりと自身の唇を舐めた。
「美味しそうな血だね。きっと『彼』も喜ぶだろう。最高のご馳走だよ」
モルの足元に広がる血溜りは見る見る内に地中へと染み込んでいき────地の底から激しい地鳴りが聞こえ始める。
「こんなにも読み通りに動いてくれるとは驚いたな。君のお陰で『彼』の‥‥邪眼のバロールの復活が果たせそうだよ。目覚めには尊い血が必要だったからね」
「なん、だって‥‥」
その場に崩れ落ちるモルをカメリアが抱きしめた、その刹那。
神殿跡の中央に突如として巨大な火柱が出現し、熱を伴う強風に一同は成す術もなく吹き飛ばされる。
「僕の予言通り、君のせいでこの国は滅びる。君はその婆さんの為に国中の人々の命を捨てたんだ!」
燃え盛る紅蓮の柱の向こうで、ルーグは狂った様に笑い始める。
「あの影が‥‥バロール!?」
叩き付けられた木に寄りかかりながら、デフィルはゆっくりと姿を現す巨影を呆然と見つめていた。
まるで塔の如きあの巨大な敵と、人々は戦わねばならぬと言うのか。
「クレアに、飲ませてくれ‥‥」
誰よりも絶望的な思いでバロールの姿を目に焼き付けたモルは、自身を抱きかかえるラルフェンにクレアのデスハートン玉を託し気を失った。
ラルフェンは目覚めの後に彼を襲う様々な苦難を思い、固く瞳を閉じる。
(「彼の強さはクレアあってのものだったのか。何と儚く脆い少年なのだろう‥‥」)
一途な愛が齎した悲劇に軋む、自らの胸の音を聞きながら。
『人間共め、許さんぞ‥‥この地を汚しただけでなく、我が愛しい娘にまで手を出すとは‥‥返せ、娘を返せ‥‥』
バロールの目覚めの声は静かでありながら、激しい怒りと憎しみに満ちていた。
「お父様‥‥」
それを耳にしたリランの呟きに、シルヴィアと凪は蒼白な顔で振り返る。
「どう言う事なん?」
「もしや、あなたはバロールの娘さんなのですか?」
2人の問いにエフネは頷き、震える唇で必死に言葉を紡ぎ出す。
「お父様が封印されたあの日から、私はずっとその眠りが安らかであるよう見守ってきました。ですがルーグがこの地で暗躍し、嘘を吹き込んでお父様を憎しみの内に目覚めさせてしまった‥‥」
首飾りは恐らくその嘘に利用されたのだろう。
再びシルヴィアと凪が窓の外に視線を移すと、炎の中の蠢きは必死にエフネを探している様にも見えた。
「お父様、この様な事態を防げなかった私をお許し下さい‥‥」
エフネは悲痛な面持ちのまま、2人を見つめた。
「どうかお力を貸して頂けないでしょうか。父を‥‥討つ為に」
その願いに込められた決意は、憎しみを植えつけられ無理やりに起こされた父バロールへの愛と哀しみに彩られていた。
この夜、南方遺跡群の地にて邪眼のバロールが永き眠りから覚めた。
それは新たな戦いの始まりであり、多くの者の運命を飲み込もうとする悲劇のうねりでもあった────。