●リプレイ本文
●笑って。でもどうすればいい?
うう‥‥ひっく。ぐす‥‥うっく。
「おい‥‥そう泣くなよ」
泣き続ける大空昴(ea0555)に困ったように貴藤緋狩(ea2319)が声をかけた。もう半刻は泣き続けている。
「何て、何ていい子なんでしょう! 一番辛いのは自分の筈なのに‥‥私、感動しましたっ!」
昴の瞼裏に焼きついたのは、青ざめ細くなった三郎。今回の依頼対象の少年である。
傍らにいたシャラ・ルーシャラ(ea0062)がくいと袖を引っ張った。
「三郎くんは、シャラと、そんなにかわらないのに‥‥いなくなる、ですか?」
純粋な少女に見つめられ、再び昴の目が潤む。シャラを妹のように可愛がる里見夏沙(ea2700)が肩に手をかけた。
それを見て、妹を持つ南天輝(ea2557)も辛そうに唇を噛む。もし、妹が病気で死を迎えるとしたら‥‥考えるだけで、ぞっとする。
仲間達が言葉を無くす様子を見て、エルフのグラス・ライン(ea2480)が口を開いた。
「うちはまだ子供でも僧侶やから。何となくこの依頼、わかる気がするんよ」
三郎の気持ちが。笑って眠りたいと思う少年の気持ちが。
クゥエヘリ・ライ(ea9507)が心配げにグラスを見つめている。
サアア、と細い雨が降ってきた。傘には誰も手をつけない。雨宮零(ea9527)が雨音だけの中で呟いた。
「不器用な僕でも‥‥役に立てればと思います」
目を細めてグラスのインドゥーラから来た時の珍しい話を聞き入っていた三郎が、ふと苦しげな顔を見せた。グラスが慌てて布団を掛け直す。
「へい‥‥き、面白、から‥‥」
「疲れとらん? 大丈夫? 無理したらいかんよ当分うちおるしな。ゆっくり話ししょうな」
そっと枕元に口を近づけ、囁くグラスを見て、背後でクゥエヘリが心配げに眉を顰める。
見るからに三郎の死は近い。親代わりに見守ってきたグラスが深入りして泣く未来を憂い、黙って二人を見守った。
「まずは綾取り!(しまった不器用!) 正月といえば独楽! ていっ!(額にぃっ!) 次、剣玉! うおりゃー!(玉が吹っ飛んだ!) 次です、次! 百人一首!(はっ、読めない!) 折り紙! 鶴を折りましょう‥‥できました!(芸術万歳!) 囲碁、将棋!(ルール知らなっ) こうなったら凧! ‥‥って、家の中でできるか!」
ぜえっ、はあっ。
肩で息をつく昴を見て、三郎も笑うというより困っている。
必死に笑わそうとして空回りをしている昴を見かねて、ついに母親が怒鳴った。
「三郎は今病気なんです、なのに安静に出来ない事を勧めてどうするんですか!? 全く‥‥冒険者なんかに頼むんじゃなかった!」
昴は俯き、己の不甲斐なさに黙って唇を噛みしめた。
「今迄で一番楽しかった事は?」
緋狩が問い掛けると、三郎はしばし黙考した。
自分も死んだ姉を想い、彼女と過ごした穏やかに日々を思って笑みを浮かべる。想い出話には自然と人を微笑ませる力があるのだ。だから、楽しい想い出を聞いた。
「夏祭り‥‥出店を回って、ヒヨコを買って‥‥お父さんもお母さん、も。お兄ちゃんも笑ってて‥‥ああ、でもそのヒヨコは死んじゃった‥‥」
ヒヨコと自分を重ねたのだろうか。三郎は落ち込んだ。緋狩が違う、と心の中で叫ぶ。
「別れの時酷く悲しいのは、そいつとの想い出の中にたくさんの笑顔が詰まってるからだよな。だからだろ、胸を痛めるばっかりじゃなしに、そうして笑顔で話せるようになったのは」
三郎の目が緋狩を見た。緋狩も真っすぐ見つめ返す。
幼い三郎に、皆の悲しみの内側にある物に気付いて欲しい。いつか三郎の周囲の人々も悲しみを乗り越えて、想い出話を咲かせて笑い合う日が来るからと。
「きっとそのヒヨコも悲しんで貰えて嬉しかったろう。喋れたら『有難う』と言ったんじゃないかな」
そう、三郎の家族も、きっと悲しむだけじゃなしに、お前と出会えた事を喜ぶ筈だ。
───参ったな、どうしていいか正直分かんねぇ。
夏沙が枕元に座ると、三郎が少し笑った。その弱い微笑みに親しかった人達を一手に失った事を思い出す。
「俺さぁ、料理好きなんだけどな。でも職業柄、台所には大っぴらには立ったらいけないんだよな。ちょっとつまらん」
他愛無い話をしつつ、三郎の心の声に耳を傾ける。
なぁ、三郎。今、どんな事を考えてるんだ?
疲れたのかゆっくり瞼が下りる三郎の額を撫で、夏沙は心で呟いた。
シャラが三郎の傍に近寄った時、家族の瞳はもう濁っていた。だから、『それ』はきっとシャラのせいではないのだ。
「えと、三郎くん。三郎くんがげんきだったころのおもいで───いまはおもいだすのも、つらいことなのかもしれないけど。けど、そのしあわせなおもいで、おしえてください」
「お前、何言ってんだ!」
最初に爆発したのは一郎だった。目は充血して真っ赤だし、寝ていないのか顔も青白い。それでも、言葉は激しかった。
「そんなの、コイツに聞くことじゃないだろ! どうしてそんな無神経なこと言うんだよ!」
激昂する一郎につられたのか、次郎が涙を流してシャラを睨みつけた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、でも───」
「やめてよ、そんな話させないで! どうしてそんな酷いこと言うの!? どうして───!!」
堰を切ったように母親が泣き出した。父親がその肩を抱く。
その激しい慟哭に、シャラが透明な雫を流した。
「ごめん、なさい───」
一郎が部屋を飛び出し、その後を追い駆けるように輝も他の冒険者に目で合図を送って飛び出した。昴は昨日から帰ってはいない。
シャラがぺこりと頭を下げて部屋を出た。そのすぐ後を夏沙と緋狩が追う。開いたままの襖から冷気が入り込み、クゥエヘリが黙って閉めた。
部屋の中には泣き続ける母親とその肩を抱きしめる父親。畳を叩きつける次郎とそれを悲しそうに見つめる三郎。
最悪な状況に零は今の自分に何が出来るだろうか、と必死に言葉を探した。
やがて疲れたように三郎が目を閉じた。その青白い横顔に刻々と死が迫っている事を嫌でも実感させられる。
「誰にも必ず訪れる‥‥遅いか早いかの違い。出来ることは今在る時間を大切な人達と共に、大切にすることなんだ‥‥きっと」
再び激しく降り出した雨音を耳に、零が呟く。家族の肩が動くのが見えた。
零はここに来てから未だに一度も三郎が微笑んだ所を見たことがない。冒険者に見せてきた微笑は全て気遣いからのものだ。きっと家族しか本物の微笑を引き出すことは出来ない。
「微笑みを絶やさない生活。それが今の三郎君にとって一番の幸せです。悲しむ時は今ではありません。三郎君も悲しくなってしまいますよ」
穏やかに告げる零の言葉。クゥエヘリも親としての立場から、口を挟んだ。
「うちはあの子の親みたいな者です、ですからあの子が冒険者で危険に身をさらすようになってからはうちは何時も怪我をしてないか泣いていないか心配で時には行動を共にするんですよ。けどな、うちは不安な顔見せたら如何のです。あの子は一生懸命生きてる、そしてその時を大事にしている。三郎君も同じですよね、多分」
輝が雨の中、嗚咽を漏らし泣く一郎を見つけたのはそれからすぐの事だった。すぐさま駆け寄り、無理やり立ち上がらせる。
自分も妹達の兄貴だ、辛い気持ちはわかるが、だからこそ一郎には強くなってもらいたい。
「兄貴だろ! 影で悲しめ俺達は兄や妹に不安な顔を見せては駄目だ。弟達は頼りにしているんだ、どっしりとしてな」
一郎が涙と雨でぐしょぐしょになった顔を上げた。
そうだ、顔を上げろ。お前は兄貴なんだ。
「元気な間は何所で遊んでいたんだ? 教えてくれ、俺は三郎と其処に行こうと思う」
昨日零やクゥエヘリがかけた言葉が効いたのだろうか。輝は両親に三郎を外に連れ出す許可を貰い、外へ出た。
運がいい。昨日まで泣くように降っていた雨がからりと上がり、久しぶりに太陽が拝めた。
輝は軽すぎる体を背に乗せ、反応が返らない三郎に話しかけた。
「三郎、兄貴達や親は好きか? 今は甘えてもいいんだぞ。俺にも妹がいてな、昔な小さな妹が病気になったのを見て悲しんだもんだ。だがな、俺を頼ったりしてな嬉しかったよ」
今までのように返事が返ってこない。湧き上がる不安を抑え、輝は言葉をかけ続けた。
●笑って。残るのは悲しみだけじゃない。
五日目。既に何を話しかけても返事をしなくなった三郎を前に、家族や近所の人間、冒険者八人が三郎のいる部屋に集まった。
一度爆発したせいか、冒険者にかけられた言葉のせいかは不明だが、家族は黙って三郎を見つめている。笑え、と冒険者に言われたが、どうしても三郎を前にすると笑うことが出来ないのだ。
その中で、何かか細い音を耳が拾った。ささやかな歌声。
ふ、と家族の顔が上がる。一人、また一人。少女の澄んだ歌声に、ゆっくりと。
誰もが泣き疲れた顔。その全ての人に、シャラはイリュージョンをかけた。三郎は幻覚を見ていないが、あまりにも綺麗な歌声に弱く瞼を開ける。
「‥‥きもちはつながる、どんなときにもどんなところにも。かならずこころはかえってくる。三郎くんは、きっとごかぞくにかえってくるんです」
まだ子供だけど。日本語も拙いけれど。歌声に乗せた気持ちは届く筈だから。
元気だった頃の三郎の笑顔が脳裏に蘇った。それは現在のものではないけれど──疲れきった顔の筋肉が緩んだ。それはやがて笑顔となり、三郎は涙の滲んだ顔に穏やかな笑顔を見た。両親の、兄の、自分を愛してくれた全ての人たちの。
それを見て、三郎の顔にもようやくかつてのような笑顔が浮かんだ。
良かった、みんな笑ってる。泣いてない。疲れた顔じゃない。
「‥‥あり、がと」
大好きだったよ。だから、みんなは幸せになってね。
「ありがとうございました」
シャラと昴を怒鳴りつけた母親が、礼を言った。決して儀礼的に言ってる言葉じゃなく、心から真実の。
「あの子が安心して逝けたのは、貴方達のおかげです」
そう言う両親の目にはまだ涙が光っていたけれど、口元は笑顔が浮かんでいる。せめて笑って逝かせられたのが幸いだと気付いたのだ。
一郎も次郎の肩を抱き、しっかりと冒険者を見上げていた。
「良かったです‥‥本当に良かった!」
三郎の家からの帰り道、昴が涙ながらに同じ言葉を繰り返した。三郎と出会った後に流した涙とは違う、喜びの涙。
「シャラさんに助けられましたね」
零が穏やかにシャラの頭を撫でた。
シャラは首を振る。
「‥‥シャラひとりじゃ、だめ。みんながいなかったら、きっと‥‥だめだったの」
「そうだな‥‥成長したじゃねぇか、シャラ」
くしゃくしゃっと髪を撫で、緋狩が笑った。
「でもほんま良かった! あの子ちゃんと最後に笑えて‥‥うちらええ仕事出来たな!」
グラスが嬉しそうにくるりと回って冒険者の先頭を歩いた。
「もう、心配ばっかりかけて‥‥親泣かせな子やわ」
浮かれるグラスにクゥエヘリが溜め息を吐いた。その彼女に、何を思ったか夏沙が頷く。
「全くだな。‥‥その道は江戸を出るぞ」
え、と全員がグラスの足を運ぶ方向を見た。
「なるほど。グラスについて行くと俺達は全員迷子になるらしい」
輝がそう言って笑った。グラスが慌てて軌道修正しているが、既に背後の冒険者は爆笑の渦。
依頼を受けたのがこの八人で良かった───誰しもそう思いながら、冒険者達は一つの依頼を終えた。