●リプレイ本文
●前日
「あれ、執事の人が取りに来るんじゃなかったっけ?」
冒険者の酒場シャンゼリゼのとある卓に茶色の巻き毛のお姉さんがニコニコして座っているのに対して、同じテーブルに寄り集まった人々はそれぞれ疑問に満ちた視線を送っていたが、にこにこ笑顔のお姉さんことエカテリーナは動じる気配もなく、線の細い声でさらりと詠う。
言の葉の 枝はしらんや 旅人よ
「その詩を詠む人がどんな人かわかりもしないのに言葉だけ受け取っても仕方ない、というところでしょうか」
まさか詩でやってくるとは思わず面食らう冒険者の中で、十野間空(eb2456)が即座に理解を示した。さすがジャパン人の中でも高い教養を誇る陰陽師。
「おおー、十野間さんナイス通訳です。というか、打合せまで詩でやりとりするのですかっ。ぐぐぅ。これは大変‥‥」
業(なりわい)の 手強さ実感 いと弱り
それでもさらっと今の気持ちを出すあたりノルマン屈指のバード、クリス・ラインハルト(ea2004)である。そんな言葉に思わず同業のガブリエル・プリメーラ(ea1671)もシェアト・レフロージュ(ea3869)も納得顔。
とりあえず やってみようよ 歌会を なれてしまれば 良い案出るよ
「なんてことない普通の台詞も案外まとまるものですね。これは驚きました」
明王院月与(eb3600)の詩にアニエス・グラン・クリュ(eb2949)が小さく拍手。驚き、という表現を使いつつも、表情のそれは感心のそれ。それからあまり気付かれないように、今の自分の考えていることなどを同じように繰り返している。しかし、思ったようにはいかないようで、準備した木版と見比べては首をかしげている。そんな姿をエカテリーナはまた嬉しそうな顔をしてみつめて言った。
「詩を交わせる方がこんなにいらっしゃるなんて本当に幸せなことですわ。ましてやノルマンの未来を想う人達なのですから」
そんなやりとりを聞いて、依頼主であるエカテリーナはころころと笑う姿を見てセイル・ファースト(eb8642)はほんの僅かに眉をひそめて、彼女に問いかけた。
「おまえの近くには、こんな風に詩を詠む奴はいないのか?」
「国を憂う人も詩を詠む人も多いですけれど、両方を兼ね備える人材は少ないもの。どれだけ豊かな詩を詠んでも国を想う気持ちがなければ国を繁栄させることはしないでしょうし、国を憂いても詩も満足に作れないほど現実に追われている人では豊かな未来は描けない。私はノルマンは心豊かで穏やかで優しい国だと思いますわ。その国風を維持していくためにはそういう人を育てなければと思いますもの」
この依頼。単なるウィリアム王に対するあてつけと、真意を探りたい野次馬根性からかと思いきや。詩を通して未来のヴィジョンを提供しつつ、もしかしたら今後のために人材捜しまで兼ねていて。思わず言葉をなくす冒険者達を余所に、エカテリーナは、それに、と言葉を続けた。
「うふふ、街に酒場に一人の人間として出入りさせてもらえる機会なんてそうはありませんもの。お父様が最近うるさいからいちおう執事がいくことにはしていましたけれど‥‥。一度飲んでみたかったの。古ワインくださいませ〜♪」
本当に嬉しそうにオーダーする姿に、皆顔色をかえてメニューを見たり、カウンターの奥に並んだ銘柄を見てみたり。誰も威圧感あふれるウェイトレスのアンリの笑みは見ないようにしている。
古ワイン 出しても出しても 古ワイン 新しいものも 古くして出す 字余り
「アンリちゃんまで詩を詠むとは、こりゃ本当に詩人業ピンチね」
ぼそっというアンリの言葉にガブリエルはふかーく考えていたが、そんなに悠長に構えられる人材はそう多くない。セレスト・グラン・クリュ(eb3537)とアニエスの母娘コンビはさっとオーダーをあげる。
「が、ガブリエルさん、そんなこという前にっ。は、蜂蜜クレープお願いしますっ」
「私はアペリティフをお願いできるかしら」
二人の素早いフォローで、依頼主のエカテリーナに銀のトレイが飛んでくることは避けられた。
そして和やかな雰囲気の中で歌の発表がすすめられ、エカテリーナはそれぞれを陛下に奏上することに決まった。
●後日
「それで、奏上はどうでしたか?」
再び同じテーブルに一同が集まったのは、前に彼らが集まってから1週間後のことだった。前回で若干学習したのかグレープオレを頼んだエカテリーナにシェアトが尋ねた。
言の葉の 根まで知りうる 頬のしわ
「‥‥陛下には今更な感じでしたわ」
そういいつつ、少し苦笑いにもにた困ったような微笑みにできる、口元に生まれた小さな皺を細い指先で指し示した。それがエカテリーナのものであると同時に、ウィリアム王が玉座で浮かべたものと同じであることに直感として気付いたセレストはくすり、と笑って詩の意味を口にした。
「何度となく言われ続けたことを繰り返されて、十分承知している、と顔ににじみでていたのかしら」
その言葉に他の一同も顔を見合わせて少しだけ口元をゆるめた。自称ヨシュアスとして何度となくこの酒場に足を運んでいるのだから、そりゃどんな人であるかエカテリーナが語る前に、顔も声も浮かんでくることが二つ三つとあるかもしれない。浮かぶ冒険者の顔から、具体的にどうよ? と言われもしたら、顔が少し引きつるのも仕方ないことかもしれない。
にしても、ポーカーフェイスも技術といわれる王宮の中で、そこまで読み取るエカテリーナの鑑識眼もたいしたものである。書庫だけで一つの館を持っていると噂される彼女だが、きっと書斎からこの国を眺めることが十分にできるのだろう。
「それで具体的にはどんな返歌があったの? ノルマンに骨埋める予定の者としては、聞きたいことだけれど」
ガブリエルの言葉に、エカテリーナは目で合図をした。つまりは詠って。と。
それに従い、ガブリエルはよく響く声にのせて、自分の作った詩を披露した。
花園に 咲き誇る花 数あれど 胸震う香は 在りはしないか
「そういえば木版に香水つけてましたね。出逢ったときに心をくすぐる香り‥‥女性には最大の美辞麗句ですね」
触れずとも言葉をかけずとも漂う香りだけで男の心を揺るがすなんて。騎士を目指すアニエスには自分にそう讃辞を受けることはないと思いながらも、どこかちくりと心を刺激する風にも感じる。ガブリエルは曖昧に微笑みながら、相づちを軽くいれると言葉を続けた。
「自分の感情でどうこうできる立場じゃないのはわかるけれども、気になる人はいるのか‥‥それともただ国のためにってなっているのか。聞いておきたいかな、と」
そうしてガブリエルはエカテリーナに視線を返すと、エカテリーナはゆっくりと息を吐いて、陛下が返した歌を詠んだ。
花あれば 人恋しくなる 風吹きて 行きたち帰る 香の在処
エカテリーナの詩を聞いて、月与が少し顔をほころばせた。
「花あれば人恋しくなるってなんだか可愛らしいね。いじらしいっていうか。みんないい人ばかりで、あれこれと迷って選べない感じかな?」
これは困ったな、と皆が困ったように笑顔をむけあうなか、シェアトだけは少し深く考えていた。その姿に、クリスが気付いて声をかける。
「どうしたのです?」
「花あれば人恋し。という詩を聞いたことがあります。もしかしたらその文字をとったのかな、なんて‥‥確かその詩は病苦や両親の死別に心疲れた人が芸術を、また自然に癒しを求める心を詠っていたと思いますが」
「そうすると、詩の意図はまるで異なってきますね。結婚をするにはご自身の病魔や、争いごと、過去の‥‥ローマ帝国の侵略など気がかりなことがやってきたり、過ぎ去ったと思ったらまた同じ悩みが繰り返されたり、とてもじゃないが選び得ることができない、という感じになりますね」
空の解釈に、一同は静まりかえった。同じ歌でも解釈によってこれほど違いが生まれるとは思いもよらない。
「今現状、選び得ないというところだけは間違いないようだけれど‥‥」
「結婚に対して色んな思惑や問題が飛び交っていて、感情を入れるにせよ、国のためだけと考えるにせよ、一筋縄ではいかないという見方でいいんじゃないか? 好きで人を選ぶには、自分のもっている病がある。国のために選ぶには貴族達の思惑がからむ。どっちも簡単に解決できない問題で‥‥別の理由にしても選べない」
セイルの言葉に、ガブリエルはそうね、と呟いた。
「色んな事情で決めかねるのは分かったわ。自分の気持ちも含めていろいろ考えてはいるけれど、答えが出ないっていうニュアンスだけは掴めたわ。じゃ次、クリスね」
さっぱりとした顔で、ガブリエルは頷くと、クリスに目を向けた。
「あ、はい。ボクはですね。純粋に励ましたいなという気持ちからつくりました」
そういうと、クリスは胸に手を置いて、一呼吸。
王が持つ 君影草を 捧ぐ淑女(ひと) 王が心の 支えとならむ
酒場の天井目指して放たれた明るい声が響いた。
「どんな人でも心の支えになってくれますよ〜、とそんな気持ちで作ったのです。あ、スズランも届けてくれたのですよね?」
クリスは木版と一緒に詩にも含まれている君影草、つまりスズランを届けていた。そこにはもう一つ、今も彼女の胸にある小さなスプーンと合わせて別な思いも含まれてはいるのだけれど。
「木版と一緒にお届けさせていただきましたわ。そして詩もちゃんと」
エカテリーナはそういうと、詠いだした。
雄牛して 花添えしは 君影草
「雄牛‥‥騎士のこと? えーとブランシュ騎士団やヨシュアス隊長からも‥‥ってえええええーっ!!」
「ショッキングな話題になっちゃいましたね‥‥」
薔薇ライクな想像に、皆しばらく騒然。ま、まさかここまで某亭の影響が及んでいようとはっ。
「なわけないでしょ。クリスがこのスズランの花を差し上げる人が誰であろうともあなたの支えになってくれますよ。という意味だから、ヨシュアス隊長からしてスズランを添える=幸せがあるように願っている、また支えになってくれています。そしてこの花を贈ってくれたあなたもそうなのですね。ありがとう。という感じに取るべきじゃないかしら」
セレストがため息混じりに、騒ぐ皆をなだめるようにしてそう言うと、少しそっち方面の世界を見聞きしてきた人たちもようやく平静を取り戻して、改めて詩を考え直してみる。
「あー、なるほど。ボクの返歌として考えるとヨシュアス様みたいな人も一般の冒険者も、みんな支えになってくれていることがわかって幸せ。っていう感じですね。雄牛っていう文字を使うあたりやることがまっすぐすぎるって嫌みにも聞こえなくないんですが‥‥むー」
「そういう人が身近に感じるっていう感じにもとれるよな。組み合わせで詩の印象も変わるんだから本当に難しいな」
クリスもセイルも納得半分、言葉の迷路から抜け出せずにただ口をへの字にして考え込むばかり。
「でもなんで雄牛なんでしょうね」
「これってクリスの『王が待つ』っていうのに韻をあわせていますね。意外と自分のこと指しているのかも。雄牛と、王になって、と、大きくなってあたりが重なっていそうです。陛下も幸せを誰かに贈りたいと思っている‥‥うーん考えすぎですかね」
空はまとまり切らない考えを述べるが確かに一理ありそうで、皆一様に首をかしげる。
「でもそれだと、なんかクリスお姉ちゃんの詩の返歌とはちょっと違うような気がするなぁ、何かもう一つ、隠れていそうな気もするんだけど‥‥?」
月与の言葉はその通り、見回せば誰もが喉に小骨をひっかけたような不機嫌そうな顔をしている。その空気を入れ換えるように、シェアトが口調も少しだけ明るめにして皆の顔を見回した。
「とりあえず、次いってみませんか? 皆さんそれぞれにいただいた返歌を集めてみると何か見えてくるかもしれません」
そういうと、シェアトはセイルにそっと目配せをした。その視線に気がついてそれぞれセイルの顔を見ると、居心地の悪そうな口調で「俺か」とつぶやくと。詠った。
七色の 花を植えにし その前に 御身の庭に 土は撒きしか
「花の色にも似た恋を育もうとするその前に、御身の気持ちを打ち明け想いを相談できる土壌たる誰かはおられるでしょうか? ってそういう感じだ」
どこかでみつけてきたスズランの茎をくるくると指の中で回しながら、セイルは語った。
種よりも 土掘り返す 苦労かな
「これは‥‥すばらしく端的なお答えですね」
エカテリーナの詠う様子は俯き加減でどこか元気がない。それが玉座の上の君が全く同じ顔をして詠んだのかと思うと、冒険者達は吹き出しそうになるくらい笑いそうになった。
「王宮内にある庭はきっと扉を開けても先が見えないくらいの土が用意されているのね。それどころか扉を開けた本人に土砂崩れみたいに埋めてしまったりして」
ガブリエルはけらけらと笑ったが、それは何も彼女に限ったことではなく。半分くらいは同じようなものであった。残りの半分はどちらかというと気の毒そうな顔である。
「陛下もさぞげんなりされていたのでしょうね。それに自分が撒いた土はあまりなさそうな感じよね。狭い王宮の中でみんながそれぞれにウィリアム王のことを考えて努力しているのでしょうけれど、周りの人たちが良く気が回りすぎるのも困りものね」
困ったような笑みを浮かべるセレストに残り半分の面々もこっくりと頷く。
「言われたエカテリーナさんもショックでしたでしょうねー」
「陛下をよくご存じの王宮の方々が口々にそうしてお節介を焼かれるということは、聞く以上に陛下のお人柄を拝察することができるわけですから、私は良かったと思えましたわ。人を放っておかせない子供のような心をお持ちなのかもしれませんわね」
アニエスのちょっと気の毒そうな顔にも、エカテリーナはけろりとしてそう答えた。本当に落ち込んだり悔しさをにじませないあたり、問いかけたアニエスもなるほど、と返すしかない。
「よくそんなに人のことがわかるんですね」
「書物のおかげですわ。私はその先人の知恵をほんの少しお借りしているだけ。おかげでちょっぴり目が悪くなってしまいましたの。この距離でも実は皆さまの顔はっきり見えませんもの」
もしかして、いつもニコニコしているのは単に見えていないだけ? とはアニエスの顔が物語っているけれども、エカテリーナはやっぱり気付いていないようだ。
「外見にとらわれないことは悪いことではないと思う。戦いでも視覚にばかり頼っていては気付かないことも多いしな」
セイルの言葉に、エカテリーナは、まあ、それじゃ私、妹と同じようにオーガーをばったばったと〜、などとのたまったが、その辺は余談として聞き流し、落ち着いたところで次の詩を発表することになった。立ち上がったのはシェアトである。
君が庭 植えし花の 種何処 比翼連理も 求むればこそ
「セイルさんの詩が素敵だったのでそれを受けて連作風にして詠ってみました。比翼草はそのお庭に植えるは民草と逃げられそうですが、望まなければ訪れないものです。諦めずに何かを望んで欲しいと‥‥」
シャンゼリゼで出逢った姿を思い出すのか、目を少し細めながら大ホールの扉をみながらシェアトは説明した。
「比翼連理。仲良く連れ添う意味だよね。ガブリエルお姉ちゃんの詩に近い感じ?」
「私のは気になる人がいるの? とか、誰がために結婚するの? がメインだけど、シェアトのはそもそも結婚する気があるかどうか確認してる感じよね」
「ついでに結婚を軽く押している感じがします。誘導尋問みたいですね」
「い、いや、そんなつもりは‥‥ちょっとはありますけど」
アニエスの言葉に苦笑いを浮かべつつシェアトは頷いた。
今もして くすぐる鼻の 花何処
「なんだか脈ありっぽい感じだね。良い香りがするんだけど、それはいったいどこにあるんだろうっていう感じだよね」
「でも、具体的な感じではない、ですよね。この言葉の感じでは」
月与の言葉にアニエスがその裏を読もうとして、真剣な顔で呟いた。何しろ今までの歌もずっと意味深なものばかりなのだから。そう簡単に真正面から受け取ってはいけない。
「でも、少し安心しました。ちゃんと探していらっしゃるんだなって、そういう気持ちは伝わってきますし」
「探さないとならないことはわかっているし、自分でもいい人がいればと思っている。だけど、実際問題上、障害が多くてそれをクリアできる人となると〜という感じかしら。今までのまとめだと」
ある程度の詩が出そろったところで振り返ってみたセレストの言葉に、他の一同も頷いた。ウィリアム陛下の真意は遠からずその言葉にかかってはいるはずだ。
「そういうセレストさんはどんな詩を詠まれたのでしたっけ?」
「私?」
さざれ石 想ひ集いて のしかかる 君の幸せ 我等が幸せ
さらりと詠うセレストの詩に、ガブリエルはまたくすくす笑った。
「さざれ石も集いては巌となりて。王様って本当に大変だわ。土だけじゃ足りなくて石まで含んで‥‥土石流になっちゃっているのね」
「正しく災難ですね。しかも天災」
「周りの援助があったにしてもローマからノルマンを奪還した英雄だもの、天才には違いありませんね!」
空の言葉の上にクリスが言葉を重ねて、笑いが零れた。
ああ、王様って本当に大変なんだ。そんな思いが顔に浮かんでいる様子をみながら、エカテリーナは会話が落ち着くのを待って、そしてセレストへの返歌を詠った。
川の瀬の 浄き流れに さざれ石 汚れ淀みも 洗わるるかな
「またこれは意味深な‥‥」
「直訳すれば‥‥川の瀬の綺麗な流れには小石や砂利です。川の汚れも淀みも石や砂利で洗われるんですよ‥‥?」
シェアトが言葉を直すが、どう考えてもセレストの詩と繋がりがないようにも感じるのだが。
その謎かけのような詩に応えたのは、それを詠ったエカテリーナだった。
「川の流れは、世間やまた時の流れも表しますわね。セレスト様が、君の幸せ、我らの幸せと詠ったからこそ、陛下はそれ以上にきっとそう思うこと、活動することすべてが、あなたに、また世間に良い影響も与えるのでしょうと考えたんじゃないかしら。どうせならさざれ石をセーヌ川に投げ捨てたい気持ちもふんだんにお持ちのようですけれど」
「オレたちの行動で世の中も変わっていく、ということか。なんだか重荷を一緒に背負わされたような気分だな」
エカテリーナの言葉を聞いて、セイルは皮肉をこめたような言葉を漏らした。
「次は‥‥あたいでいいかな。あたいも見守っているよっていうつもりで、詠ったんだけど」
続いて月与が立ち上がり、詩を詠み上げた。
菩提樹の 陰で交わせし 言の葉を ただ見守るは 月の雫と
「菩提樹‥‥夫婦愛という花言葉ですね。月の雫というのは‥‥ブリッグルのことですか?」
「そそ、あの広場のをちょっと思い出しちゃって」
あの広場、というのは一部では知られているブリッグルが住み着いているという噂が絶えない場所で、今回の参加者の何名かもその場所に縁がある。ああー、と何人かがその広場を思い描く中で、月与は少々照れつつ詩の背景を披露した。
「その木陰は、悪意から二人を守り、想いを通わせ約束を交わすに相応しい場所で、夜の帳が優しく二人を包み隠す中で月明かりがそっと温かく見守っている。なんて言えればいいかなって。あはは、ほとんど空お兄ちゃんに旧聖堂で教えて貰ったことほとんど受け売りになっちゃうんだけどね」
「いえ、その代わり私はリースの編み方をほとんど教えて貰いましたし」
照れる月与に、空はやんわり微笑んで、彼女の後ろめたさに通じる恥じらいを優しく包み込んでいるようであった。
「なるほどねー。そう聞くとなんかアダルティね。月夜の逢瀬、みたいな感じかしら。王様はどんな感じで受け取ったのかしら?」
菩提樹で 静かに得たる 悟りかな
ガブリエルの言葉に対して、やや伏し目がちに今にも嘆息を吐き出しそうな顔つきのエカテリーナはそう詠い返した。
「あれ? それってインドゥーラの聖者の話ですよね? これもまた意味深‥‥」
「いやぁ、そんなに深い意味はないと思うぞ。多分、そっと見守ってくれるだけでよくて自分の心で決めたいという意思の表れじゃないか。と、いいながら今この瞬間まで結局何も決定されていないからこうして悩んでいるわけなんだが」
セイルの言葉に皆一様に苦笑い。
「あれですね。私塾の先生に出された宿題を、やれやれって母親に言われるのがうるさくて一人にしといてくれって言いつつ、結局一人になっても宿題は後回しっていう気持ちの表れですか」
「クリス。それすごくピッタリ!」
クリスの非常にわかりやすいたとえに皆が指さして、同意の言葉を口にする。
「陛下の気持ちといえどもこれは受容できませんね」
「うん」
本当にそれで決めてくれるなら構わないが、選ぼうとする素振りが今まで見えてこなかったのも事実。陛下、今件についてはほとんど狼少年扱い。
「それでは私の詩はどうでしたか?」
気を取り直して、アニエスがエカテリーナに問いかける。
「ええと、青い鳥の方でしたかしらん?」
「ち、違います。そっちは練習用って念押ししたじゃないですかぁ!! 矢車草つけた方ですっ」
思わずテーブルに乗り出さんばかりの勢いで、抗議するアニエスにエカテリーナはあらあら、そうでした。とすっとぼけたような答え方をする。
口止めしている方を本当に奏上したんじゃないかと疑わしい視線を投げかけるアニエスを母親のセレストが、大丈夫よ。と娘を宥め落ち着かせ後、改めて詩の発表がなされた。
幸(さち)たるは 花咲く大地(くに)に 享(う)けし生 喜び響け 君の足許(もと)へと
「これまた、いい詩ですねぇ。本業で使えそうなのです」
クリスがアニエスの詩を聞いてほーっと惚けた顔をする。騎士の嗜みとしてちょっとは文学や詩に触れる機会はあるとしても、本職をうらやましがらせるとは相当に勉強したことがうかがえる。
そんな周囲にどうした顔をしていいものやら、アニエスは感謝の言葉を手短に述べて、それから詩の解説を述べた。
「一番幸せに思う事、それはこの国に生まれた事に他なりません。ノルマン王国を心から愛し、護る事を誓い。それが出来る喜びを心より謳歌します。そしてそれが陛下、少しでも貴方様に伝わったらいいなと思う、ということなんですけれど‥‥陛下はどう返されましたか?」
王国に 咲いては誇る 花卉(かき)花弁
「色んな花がこの国には咲いている‥‥ということですか?」
「咲き誇るっていわずかに、咲いては誇るっていうところにメッセージ性がありそうだなぁとあたいは思うな。みんなが王国内の一輪の花としてさ、矜持をもって活きているんですねーっていう感じに聞こえるかな」
月与の顔に、ああ、なるほどとアニエスも納得する。
「ノルマンで喜んで生活してくれていることは見ていて嬉しいという心の表れかももしれませんね。他の詩に比べると、少し控えめな表現ですが、きっと君の足許へと〜というのが、アニエスさんが喜びを響かせに行きますよ、という決意表明に思えたからじゃないですかね」
「そういうつもりは無かったんですが。うーん、詩って難しいですね。私の詩がそう捉えられるとは思いもよりませんでした」
空の言葉に、少し眉根を潜めるアニエス。詩は人に取り方によって違うからとは承知の話だが、まさかこちらから投げかけた詩に対してもその可能性を秘めていることはわかっていながらも気づき切れていなかったように思う。
「でも、我が娘ながら本当によくできた詩だと思ったわよ。私、負けたかしら、なーんちゃって少し思ったところだもの」
「むむむ。でも、伝え方では母様には勝てませんでした」
少し母娘の視線の間にちらりと火花にもにたものが散ったようにも見える。
そんな中に空はそっと割って入り、笑顔でエカテリーナに尋ねた。
「最後は私の詩ですね」
金色の 麦穂祈りし 民人の 安寧祈る 君の隣に
「良き施政者の慶事は、領民達の希望や夢。民人は、王を慕い純粋に幸せを望んでおります。王にはすでに重責に疲れ苦しむ時、それを分かち合う得難い輩をお持ちでしょう。それでも尚、己が半身とも言える良き妃を。苦しみも悲しみも分かち合い、共に領民の幸せを祈り、親身になれる良き方と結ばれる事をお祈りいたします」
空の詩にこれまたシェアトがほーっと感心のため息をつく。
「本当にみなさんお上手ですね。人々が喜んでいる姿を想像できるようです」
「うふふ、そうですわね。陛下も嬉しそうな顔をされていらっしゃいましたわ」
「へぇ、陛下の心を揺さぶるとはさすがだな。で、どう返歌されたんだ?」
エカテリーナの言葉に、少しばかり目を丸くしたセイルが問いかけた。
絢爛の 祭のあかり 眩しかり 影も然りし 踊りゆかんぞ
「嬉しそうな顔の割には、『影も然りし 踊りゆかんぞ』というのは少し不吉な感じがしますね」
「みんなが踊る姿が影になって映る姿のことを指していればいいんだけど‥‥」
シェアトと月与が顔を見合わせる中、セイルは前向きにした体を再び椅子の背もたれに戻し、静かに言った。
「光強ければ影も強し。祈り願いが強ければ、不安焦りも強し。改めて言われたなって感じじゃないのか?」
「なるほど、でも、これで陛下の本音はなんとなーくですけれども見えててきた感じですねっ」
静まりかえりそうになるテーブルでクリスはにっこり笑ってそう言った。
詩一首ごとに一喜一憂があって、それも本心なのか上辺なのか、事実なのか架空の話なのかさえも曖昧模糊とはしているが、どことはなく見えてきた感じはする。これをどう扱っていくのかはこれからだが、それなりに収穫はあったといえるべきだろう。
「あ、お待ちくださいな。まだ一首残っていますのよ」
「え、あれ、でも、これで全員分‥‥」
皆が首をかしげる中で、エカテリーナは歌い始めた。
「一経ちて 種を蒔きたり 十経ちて 樹を育てし 後如何せん」
「1年先の幸せを考えるなら幸せの種蒔き雑草を刈る。10年先を考えるなら樹が育つような大地を作り山森を拓く。100年後を考える人はさて、何を育てるべきなのかしらね。そう問いかけましたの」
「陛下はなんて?」
「残念ながら、時間切れでしたの。『人』とだけは答えてくださいましたけれど」
人を育てる。そう答えるのは確かだ。
だが、人を育てるにはどうすればいいか。何を手本としてあなたは人々にしてみせなければならないか。そして今ここにその可能性を示すとしたら?
細かく問いつめ続けると、やんわり微笑むエカテリーナに逃げられない智の迷宮に放り込まれていただろうが、彼はうまく逃げおおせたらしい。
優雅に詩の韻律に乗りては飛び交う思惑と本音。
とかくこの世は難しい。
しかし、依頼主のエカテリーナはほくほく笑顔でグレープオレに口を付けた後、立ち上がって優雅に一礼した。
「でも、皆様のおかげで、私も素敵な一時をいくつもちょうだいできましたわ。皆様のお知恵に感謝と敬意を。そしてまた楽しい時間をちょうだいいたしたいものですわ」
そして冒険者の見守る中、彼女は酒場から姿を消した。