血の雨(涙)、粛清の嵐

■ショートシナリオ


担当:DOLLer

対応レベル:11〜lv

難易度:難しい

成功報酬:9 G 4 C

参加人数:8人

サポート参加人数:3人

冒険期間:09月10日〜09月15日

リプレイ公開日:2009年09月17日

●オープニング

 その日は今にも降りそうな厚い雲が幾重にも重なり、だけど雨は降らない。重苦しい日だった。
「あら」
 そこで出逢ったのが全ての間違い。
 パリの冒険者にて。地図士シェラは異端審問官ディアドラの視線に気がついてぴたりと足を止めた。軽く会釈するシェラに対して、ディアドラも軽く微笑んでから声をかけた。
「地図士シェラね。もうずいぶん前になるけれど『楽士』を倒したのですってね」
 嬉しいけれど、残念だわ。あれは仇敵だったから。
 ディアドラのその言葉に、シェラはしばし首をかしげた。
「なんのことかしら? 『楽士』は確かに私にとっても浅からぬ因縁はございますが、倒したことはありませんわよ?」
「あなたが『楽士』とシャナを見つけて冒険者と共に倒したことは聞いているのよ」
 その言葉にますます怪訝そうな顔をするシェラ。
「人違いじゃないかしら。私はずっとドーバーで海図作成を行っていましたもの」
「‥‥本当に? 冒険者ギルドではあなたが依頼人だとあったけれど?」
「私を知る誰かさんが騙ったのでは? パリは久方ぶりに戻ってきたことは証明できますわ。審問官殿」
 ディアドラは一瞬凍り付いたように、シェラの前で立ちつくし、失礼、とだけ述べると即座にその権威をもって、ギルド受付員に報告書を提示させた。その顔はまるで仮面のように生きた人間のものではなかった。

 彼女がそこで何を見付けたのかは知らない。
 だが何かがそこで変わったことは違いなかった。

「おはよう。テミス」
 ディアドラは笑顔で、ユスティース領主の従者であったテミスの元に笑顔で訪れた。ようやく精神が復調してきたテミスであったが、彼女の姿を見ると、引きつったように体をすくませた。
「な、なにしに‥‥きた、の?」
「あら、決まっているじゃない。デビルと交渉をもった愚か者を裁く為よ。あなたの裁判は無効となった。
 今日聞きたいのは、あなたの主人。アストレイアよ。彼女はデビルと一度交渉を持った。あなたはそれを知っているわね?」
 身をこわばらせるテミスにディアドラは笑顔のまま近づきその手をつかみ、優しくこわばった指を開かせる。
「し、しら‥‥」
 軽い音が響いた。途端にテミスの目は大きく見開かれ、絶叫が響いた。
「知っているわね? アストレイアが原因不明の衰弱を起こしたのは魂を奪われたから。そのために地獄へ行く方法をあなたは探していた。調べていないと思った? そして冒険者の中にも、デビルと交渉を持った者がいるわよね。そうですと答えなさい。テミス」
 はぎ取った爪を捨てながら、ディアドラは笑っていた。


「ルフィアさんを離してくださいっ!!」
「アンデッドにつかれた予言者気取り。神の名においてこれは許されざることよ。そしてシスターミルドレッド。あなたもご同行いただきたいの。かつての仕えていた家がお取りつぶしになった際にデビルが関与していたことをあなたは知っていたわね?」
 シフールの少女をその手に握りしめたディアドラは、その手にしがみつくシスターにそう言った。
「あなたもデビルと契約しているかもしれないわ。もしかしたらあなたの周りにも。そう冒険者の中にもいるのか確かめないとね」
 怒りと恐怖と封じ込めた悲しみが一緒くたになって、顔を赤くしたり青くなったりするミルドレッドであったが、肝心の言葉は何も出てこない。震える唇は言葉を紡ぎかけたが、彼女はそのふるえを入らない力を精一杯こめて、とどめた。
「そんなことはありませんっ」
「あ゛あ゛あ゛っ」
 ルフィアの、まるで潰れた小鳥が出すような悲鳴が響いた。
 目の前で、シフールのルフィアの口からぼとぼとと血が流れ落ちる。彼女の周りでは、半透明な何かが渦を巻いていたが、ディアドラが纏う黒い光に阻まれてそれは突き抜けることはできず、ただ蠢いているだけであった。
「嘘はよくないことって教えられなかったの? シスター。嘘は人を不幸にするわよ」
「な、なんてことを‥‥」
「答えなさい。そして認めなさい。デビルとの関係を」


「これはいったいどういうことですか。ディアドラ」
「地獄への門は閉ざされたけれど、まだその罪の多くは精算されていないということよ。ホーリー」
 ディアドラの根城である教会は怨嗟の声が絶えず響き続けていた。
 テミス、ルフィア、ミルドレッド、セーヌ河で土砂を取り除くボランティアをしていた人々、様々な人が審問に使う牢獄に繋がれていた。
「ホーリー、ところでミーネも探そうと思うの。エウレカもほら、やっぱりデビルとの可能性考えるべきだったと‥‥」
「狂ってる。あなたは、狂っているわ。こんなことをして何もならないことを知っているはずです」
「そんなことない。私も危うく騙されかけていたのよ。冒険者という存在に。虚無からの声を聞いた者、デビルを仲間と思った者、禍根は確実に残されている。私は異端審問官として、絶ってやらなければならないわ。愚かにもデビルと手を組んだような者達を」
 ある種の狂気を秘めた決意のディアドラの頬をホーリーは思いっきりひっぱたいた。
「ディアドラ。あなたにはデビルのささやきに耳を傾ける弱い者を裁く権利はあるのかもしれない。だけど、我らが父は道を踏み外した者に自力で正道に戻る猶予も与えていらっしゃる! あなたのそれは単に自分が裏切られたことに対する癇癪よ。そして権力の横暴! 騒がしき者の為に。あなたを調伏させていただきます」
 ホーリーの言葉にディアドラはしばし俯いていた。
 肩が震える。
 それは段々と大きく。体の芯から大きく揺れる。
「はは。ははははは、あはははははは。良いでしょう。ホーリー。あななたも悪食のエウレカをかくまった罪で断罪してやる。冒険者と共に来なさい。まとめて、煉獄よりもくるしい裁きを与えてあげるわっ。我は騒がしき者のためにっ」

●今回の参加者

 ea0050 大宗院 透(24歳・♂・神聖騎士・人間・ジャパン)
 ea1787 ウェルス・サルヴィウス(33歳・♂・クレリック・人間・神聖ローマ帝国)
 ea3869 シェアト・レフロージュ(24歳・♀・バード・エルフ・ノルマン王国)
 ea5640 リュリス・アルフェイン(29歳・♂・ファイター・人間・フランク王国)
 ea9927 リリー・ストーム(33歳・♀・ナイト・人間・ノルマン王国)
 eb2456 十野間 空(36歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb3583 ジュヌヴィエーヴ・ガルドン(32歳・♀・クレリック・人間・ノルマン王国)
 eb9243 ライラ・マグニフィセント(27歳・♀・ファイター・人間・イギリス王国)

●サポート参加者

ユリゼ・ファルアート(ea3502)/ ラスティ・コンバラリア(eb2363)/ 玄間 北斗(eb2905

●リプレイ本文


「見習いの身ですが、宜しくお願います‥‥」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
 神聖騎士としてはまだ見習いの立場である大宗院透(ea0050)の挨拶に、ホーリーは立場の差を感じさせないような、そしてこれからの作戦にも全く心の揺れを感じさせない女性だった。
「準備は良いか?」
 リュリス・アルフェイン(ea5640)の声にユリゼから記憶の引き継ぎを受けていたシェアト・レフロージュ(ea3869)はうっすらと目を開けてこくりと頷いた。一方、リュリスはラスティから受け取った焼け跡の残る地図を十野間空(eb2456)と共に目を落としていた。
「ディアドラさんは、捕らわれている人と同じ場所にいるようですね。こちらが人質の解放を狙っていることを読んでいるんでしょう」
「だとすると、同じ場所から侵入して役割を分担するしかないな。ま、やること変わらねぇけどよ」
 人質は解放して、あの女は無理矢理にでも連れ戻す。
 その気持ちに多少はあれど、皆同じであった。
「こうまでなさるのは強烈な痛みが内にあるからこそ‥‥許せないのは誰よりもご自身なのですか」
 ウェルス・サルヴィウス(ea1787)の呟きにもそれは感じられる。
「ウェルス。本気であいつを助けたいなら何が何でもあいつを守れ。諦めるな。最後は結局その想い次第だ。気合いれろよ」
「それで、結局はどうしますか? 正面から行くか、ウォールホールを使って直接監獄の中に入るか。一応、見取り図は貰っていますが‥‥」
「正面から道なりに行けば、たくさんの罠が待っていそうです、教会の付近に罠はないことは確認していますから、直接行く方が効率的かと思います」
 透の言葉に皆が頷く。
「ではまずは、人質を解放させるあたし達が後に入らせて貰うのだね。ディアドラ殿と対決する組は先に入って彼女を押さえている間に、ウォールホールで作った穴から人質を解放していく。それが終わり次第、合流、ということでいいのかね?」
 ライラ・マグニフィセント(eb9243)の確認に異議を唱える者は誰もいない。
「それでは行きましょう。まずレジストメンタルをかけますね。黒の魔法の多くは精神系魔法ですからこれだけで随分違います」
 空は一人一人にレジストメンタルを唱えていく。その度に空の体がふわりふわりと銀の色を放つ。
「大丈夫ですか? 魔法の使いすぎでは‥‥」
 心配そうにジュヌヴィエーヴ・ガルドン(eb3583)が空を心配そうに見るが、それに厭う様子もなくモリツの実を使いながらも全員に魔法を施していく。
「できるだけ防げる危険は防いでおければと思っています。ご配慮ありがとうございます」
 魔力を使いすぎたところで気絶するということはなくとも、精神をそれだけ張りつめるわけだからそれなりの疲労はあるはずだ。だが空はそんな様子を露と見せずに微笑みで返した。
「よし、それじゃ、行くぞ!」
 戦乙女のごとき女性に後詰めを頼み一同は、教会へと足を進めた。


 下調べの、そして魔法の力は確かだった。
 数回目の『ウォールホール』は、人質の、そしてディアドラのいる部屋へと繋がっていた。
 まず透が弓を構えつつ素早く部屋に入り、様子を確認する。
 数十人がまとめて入れるような空間にところどころしか灯りはなく、ぼんやりと人影が浮かんで見える。その数はかなりの数で、歩くのにも困難を極めるほどであった。その人影達はまるで闇に繋がれているかのように、ことごとく手や足のどこかに鎖で繋がれていた。
「ようこそ。待ちくたびれたわよ。デビルの手先達」
「ひどい言い草です‥‥。客観的に判断して誤っているのはあなたの持つ、黒の教えの解釈の方です」
 透は構えていたフェアリーボウで抜き打った。群衆の中であったが、透の実力を持ってすれば誤射などあり得ない話であった。
 だが。
 一本は黒い障壁に阻まれて吹き飛んでしまい、力を失って落ちた矢はその場にいた無関係な人間を傷つけた。もう一本は威力を落としながらもディアドラの元に向かったはずだったが、それもディアドラに当てる前には消え去ってしまっていた。
「目的のためには味方も気にしないのね。ふふふ、デビルの手先らしい暗い性格だわ」
 迂闊に手が出せない。だが、目的はただディアドラを倒すことではない。
 透の端正な顔が渋い色を見せる間にも、リュリス、ウェルス、シェアト、そしてホーリーが進み出してくる。
「皆さん、道を空けてください!」
 ホーリーの朗々とした声が響くと、何が起こっていたのかと呆然としていた人質達も正気に返ったのか、慌てて冒険者達の為に、鎖が自由を許す範囲で道を空ける。
 その真ん中をリュリスが走った。盾を掲げると同時にリュリスの分身が生まれ、見る者を幻惑させた。そしてそのままディアドラへと迫り、手に持っていた杖をたたき落とし、胸を槍の石突きで強打した。
「ラスティからの返答だ。ゴミの仲間扱いされるとは心外です、だとよ」
 肺を強打され、返答の言葉も出ないうちにリュリスは言葉を続けた。
「オレ達はお前を裏切ってもデビルに手を貸してもいねえ! 信じろ! 向き合え、自分の闇と! その闇こそお前の仇敵だ!」
「闇と向き合うのはどっちかしら。笑わせてくれる」
 ぼそりとそういうと、ディアドラはリュリスの槍を掴み、そのまま手を突き出すと、リュリスの中に激痛が走ると同時に、力が急速に抜けていくのがわかった。耐え難い脱力感から槍を持つ手からも力が抜け、思わず手を離してしまう。
「リュリスさんっ」
 飛び込んできたウェルスに肩を借りなければ満足に立ってすらいられない。それでも槍を放した手は今度はディアドラの法衣の裾を掴んで離さない。
「しつこいわね。大人しくくたばればいいものをっ」
「ディアドラさん、楽士はどうしたら悦ぶと思いますか? 楽士が見ていたら、特にあなたに何かあったとしたらさぞ愉しんだことでしょう」
 ウェルスの語りかけにディアドラは激高した。
「そうだわ。悦ぶでしょう。声を上げて笑うでしょうよ。お前達もそうやって笑っていたのでしょう! 断罪してやる。全てを終わりにしてやるっ!」
「弱さも愚かさも影も常に全ての人の内に在ります! それを全て断とうとするのは神と等しいものになろうとすること。あなたほどの方ならよくご存じかと」
「自分達の愚かさを棚に上げてそれを言うかっ」
 まだ執拗にくらいつくリュリスを殴りとばし、ウェルスに魔法をたたき込もうとするがリュリスの力は思ったより強く、それについてもディアドラは怒りをましましているようであった。
「ええい、放せ、放せっ!! デビルの手先共がぁっ!!!」
 それは激怒の言葉というより、どうしていいかわからないほとばしりの悲鳴のようにも聞こえた。



 リュリス達がもみあっている間、空達は人質の救助に尽力をしていた。
「大丈夫。すぐ解放してあげるのだね」
 人質達をつなぎとめる鎖に向かってライラが剣を叩き付けると、恐怖の涙と血を吸い続けた鎖は難なく潰れた。
 その横で、ジュネが傷をついた人々を癒していく。
「もう大丈夫ですよ。傷がひどい人がいるなら教えてください」
 骨折をしている人は何人かいたが、想像しているような残酷な拷問の痕を見受けられるような人は全くと言っていいほどいなかった。が、癒されそして脱出する機会を与えられたにも関わらず、人質達の目つきは恐怖に打ち震えており、逃げようと積極的に声を上げる者はいなかった。死ぬような傷はきっと与えても魔法か何かで治して心に深い爪痕を残したのだろう、ジュネは直感した。
 回復魔法が拷問道具になるその光景が頭をちらりと過ぎり、ジュネは寒気を覚えた。
 何故この様な事を。噂に聞く限り、苛烈では有るけど、理性的な方だと思ったのですが。それだけ裏切られた事に深く傷付いた。それだけ深く冒険者の事を信頼していたと言う事なのでしょうね‥‥。
 ぼんやりとそんなことを思いながら、治療できる人間がいないかと探し回っていると、ライラから声がかかった。
「ジュヌヴィエーヴ殿っ、あそこっ」
「ルフィアさんっ」
 ライラが指し示した方向に、小さな人影をみつけてジュネは思わず叫んだ。それは確かにあのルフィアの姿であった。他の人質と違い、彼女だけは手ひどくダメージを受けており、そして亡霊キロンの蠢きも感じない。
 ライラが鎖から彼女から解き放つと、ジュネがリカバーで傷を癒した。
「大丈夫ですか?」
「キロン様が消えちゃった‥‥あの人に‥‥」
 彼女の感情もまたか細い。だが、そこに微かな悲憤が含まれていることをジュネは見逃さなかった。
 ジュネはしっかりとルフィアを抱きしめると、優しく、そして強く言った。
「彼女は信じたものに裏切られたと感じた事で、深く傷付き悲しんでいます。そしてその痛みを、デビルとそれにまつわるものへの憎しみへと変える事で己を保っているのでしょう。
 信じたものを失い、もう一つの信じるものの狂信に陥った彼女を救う為、貴方の力を貸して下さいませんか。キロン様の様な可哀想な方を増やさない為にも」
 しばらくの沈黙の後、ルフィアはこくりと頷き、ジュネに囁いた。
 ジュネはその言葉を聞き、立ち上がり、周りの様子を改めて確認した。
 それが伝えられそうなのは。
 ジュネはシェアトの元へと走った。



 再び手にした杖の先がウェルスの腹を突き刺し、意識をほぼ失って、衣をしがみつくだけになったリュリスをそのままにディアドラは足を進めた。
「さあ、早く逃げてください。彼女は、ディアドラは私たちが止めますから」
 遅々として進まない人質達の脱出に空は叫んでいた。
 そんな空に、静かな、とてつもなく冷たい声が響いた。
「十野間。お前は楽士の今際の言葉を囁かれたのでしょう? あなたも楽士に操られているのね。お前を止めて、楽士の計画もこれでおしまいにしてあげる」
 空がはっとしてみれば、もうディアドラとの距離はほとんどなかった。
「楽士に操られているのはどちらです? 人々を悲しみのうちにたたき込んだあなたの方こそが‥‥」
「いいえ。あなたのその選択は、多くの人を不幸にする。貴方は今不幸の元凶なのよ。死すべきだわ」
 ぞくり。空の背筋が凍った。
「貴女がどう思おうと私は操られてなんかいない。私は私の意志、で、こ、‥‥」
 黒い光がディアドラから発せられると急に空の息が詰まり、言葉を紡ぎ出せなくなる。
 皆さん。早くこの場から逃げて。
 だが、もうその言葉すら紡げない。
「お前が死ねば、アストレイアは怒るかもね。でも安心しなさい。すぐ裁いてあげるから」
 複雑な感情が空の心を駆けめぐっていたが、それもすぐに静かになった。
 どんっ。
 静けさは訪れない。
「人を裁く前に己を裁く事を忘れています」
 ディアドラの体が小さく揺れた。脇腹に真鉄の矢が突き刺さっていた。空に近づいた分だけ、透との距離も狭まった。空に向かって魔法を唱えている間なら、矢をはじかれずに済むという考えは正しかった。
 透は続けてすばやく召喚したジニールによってリュリスの体を引き離すと、それをジュネに預けた。
「やってくれるわね。くく、男の割に人を悩ませないように女装? 存在自体が罪なのね。あなたは」
 矢を引き抜くと血が僅かに吹き出たが、それも少しだけのこと。
 代わりに、近くにいた人質が絶叫を上げる。
「生命力はいくらでも、吸い取れる。魔力も。ここの皆を皆殺しにするまでやり合う? 罪人同士が私を通じて殺し合うようなものだから私は気にしないけれど。ふふふふ」
 ディアドラは透に笑ってそう言った。
 彼女がその人だまりの中にいたのは最初からそれが目的だったのだ。逃げる意欲すら失った人間すべてを糧にして冒険者を殺しにかかるのだ。
 透の手がわずかにゆるんだ瞬間、不意に歌声が響いた。
「ようやく動いたわね。カタリベ」

♪聞こえるか 衣擦れの音
 薄絹の嘘 錦の虚勢 木綿の偽善
 色を纏い 衣を重ね 埋もれたまことは幾重の遥か 
 延ばす手は虚空を切り
 絡め取られし己が定めを知るには時遅し
 孤独の道は何時か見た道…

 薄く微笑みを浮かべながら、歩み寄るシェアトに、ディアドラは吐き捨てるようにしてそう言った。その顔は鬼の形相にほど近い状態で、シェアトへと迫ってくる。
「楽士め‥‥!」
「この程度で揺れるとは。あなたは楽士の何を見てきたのですか?」
 ぱしゃん。とディアドラの顔に冷たい水がかけられた。
「楽士はもう何年前に滅びたと思っているんですか。そのデビルが今もなお続く罠をしかけているとでも? 今生きている人たちを操っていると考えているんですか?」
 呆然とするディアドラに、シェアトはぴしゃりと言った。
「全て、あなたの心が生んだまやかしです。裏切られたと思うことも、敵だと思うことも。貴女のその想いが変わることで、全部が変わっていくこと、まだ気づけないのですか? 過去に縛られているのは貴女の方です」
 少し、自分にも言い聞かせるところがあったけれども。
 楽士の闇に恐れる自分と決別するためにも、シェアトはあくまでも凛とした顔つきでディアドラに対峙し続けた。
 その後ろからジュネに助けられたリュリスが立ち上がり、そして近づいてくる。
「私は、私は‥‥違う。お前達はデビルに唆されて」
「わかってんだろ。オレらは仲間割れを利用しただけだ。最終的には偽シェラも消す。それを勝手な解釈でキレられてもうぜえ」
 棒立ちになるディアドラにリュリスは全身の力を込めて、ディアドラの顔を殴りつけた。



 ディアドラの魔力には驚かされた。空もリュリスもウェルスも、彼女の魔法一つで全快をみせた。
 その後で、ディアドラは皆の前に立った。
「ディアドラ殿、これ‥‥良かったら飲まないか。色々話をしたいのだが‥‥あなたには本当にお世話になったのだよ」
「世話をやいてくれた側に、世話になったと言われちゃ、言葉が出ないわよ」
 ディアドラはくすりと笑って、その酒を手に取った。
「それからシェアト。忘れ物」
 私に? と驚く、シェアトにディアドラは梅の飾りがついたかんざしを手渡した。
「あの現場にいったら落ちてたわよ。ずっとシャナ、懐に入れてたんでしょうね」
「シャナさん‥‥」
 思わず気持ちがあふれ出しそうになってシェアトはかんざしを持つディアドラを抱きしめた、
「これから、あなたはどうなるのですか?」
「ノルマンにおける黒の信教は今回の件を通じてますます辛い立場になってしまった。きつい処罰が下るでしょうね。しばらくお酒にも無縁な生活になりそうだから‥‥その日が終わった後にいただく楽しみの酒にさせてもらうわ」
 ディアドラはそう言うときびすを返して去っていった。

「私たちの行く道に栄光あらんことを。過去の因襲から解き放たれ、偉大なる父よりさらなる祝福おおからんことを」
 それがディアドラの去るときの言葉であった。