●リプレイ本文
●夜道
物部義護(ea1966)は食い倒れに挑戦するべく、『黒陽』へと向かっていた。
「海のような胃を持った輩は、俺よりたくさんいるだろう。その為には、ちょっとでも腹を空かさねばならぬからな」
京都からの道すがら、運動や訓練を交えながらの旅は、腹を空かせるには十分すぎる効果があった。物部が今回の依頼のために用意したもう一つの作戦に使う『道具』にどれだけ手を付けようかと苦しい思いもしたが、今はその空腹も峠を超えて、研ぎ澄まされた感覚だけが残っている。
「こんなに夜というのが騒々しいものだとは思わなかったな」
鋭い感覚は、虫の音、風の音、獣の遠吠え、水のせせらぎ、それら全てを確実に捉え、身に付き刺さるように感じることができる。
耳もそうだが、目もそうだ。月明かりがとてもまぶしく感じる。
「これが戦の前夜であればよかったのだが‥‥」
そう呟きながら、物部は夜空を見上げた。そして破軍の星として、武士の守護とされる北斗星が目に飛び込んでくる。彼の星は、明日の食の戦でも輝いてくれるだろうか?
「あれは‥‥?」
そこで、物部はふと気がついた。
「あそこに斯様に明るく光る星なぞあった‥‥か?」
不思議に思った物部が目をこすると、そこにその星はもう存在していなかった。
空腹による目のかすみか?
しかし、はっきりと見えたと思ったのだが。
●店内
「‥‥何かしていないと落ち着かないのだ、見返りはいらないから手伝わせてくれ」
『黒陽』の店主にそう進言したのは、特に食い倒れのための前準備など図ることのない手持ちぶさたなセシェラム・マーガッヅ(eb2782)だ。
そんな彼が厨房に入る姿を見て、彼を応援しに来た所所楽柊は、セシェラムの手料理だと言って喜んでいる。
しかし、彼女の期待に応えられそうにない。セシェラムがそう結論づけたのは厨房の光景がはっきりと目に飛び込んできてまもなくのことだった。
今日の大食い対決の為に仕入れられた食材は、店の保管許容量を遙かにオーバーしており、作業台や足元に乱雑に積み上げられている。収穫の季節ではないこの季節に仕入れた食材は、一見しただけで四季をほとんど無視したような並びになっている。ほとんど捨て値で売り出している一体何年前のものかも分からない味の保証など付けられるはずもない塩漬けの食材達。冬の野菜もあるにはあったが、ほんの僅かでクズばかりだ。
「不味いが安くて腹一杯食える店、というのは分かるが‥‥」
これでよく文句をつけられないものだとセシェラムは冷たい汗が背中に流れるのを感じた。
これを力ある限り口にしなくてはならないのは、他でもない自分達なのだから。
●掃海
大食いバトル直前、明王院浄炎(eb2373)は店に入ってきた小男を見た。
やはり違う。
明王院は己が抱いていた危惧が、この男が有しているとは考えられなかった。
「おや、私の顔に何か付いていますかな?」
「いや、食い倒れで名を上げる男だと聞いていたから、どんな大男かと想像していたが、随分違ったようだ」
明王院はここに来るまでに掃海についての噂を集めていたので、掃海という男が小柄であることは知っていた。ついでに難波の飯屋のドラ息子であることも聞いていた。だが、心中の懸念を打ち明ける必要がないと悟った明王院は普段余り使わない方便を用いて、これにあたった。
「あまりそれらしい体つきをしていると最初から睨まれるでしょう?」
自分を知ってくれているのが嬉しいのか、掃海は嬉しそうに笑ってそれに答えた。そして、掃海は食い倒れの挑戦者ですね? とニマリと笑って明王院に語り返してきた。
「ああ。俺もできうる限り食べられるように腹を空けてきたつもりだ。良い勝負ができればいいな」
「ふふ、楽しみですね。食い倒れの他にも、体の半分は胃でできていると呼ばれるなどという二つ名をいただいている私ですから。楽しませてくださいよ」
それは二つ名ではなくて、単なるあだ名か、憎まれ口かのどっちかだろう、と非常にツッコミを入れたいところだったが、当の本人はすっかり悦に入っていて、耳を貸してくれそうにはなかった。
●食い倒れバトル
「さぁさ、店内店外の皆様方。お立ち会い、おたちあーい。今から始まるは世紀の食の大決戦! 人の体に米一俵が飲み込まれるのはこれ不思議。彼ら彼女らの胃袋は大海の如く、すべてを飲み込んでしまう。さあさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい。手料理をぺろっと平らげてくれる旦那がいる奥さんの喜びをみんなでわかちあおうじゃないの!! おたちあーい、おたちあーい」
そんな口上が、店の軒先から聞こえてくる。
しかしこの人里離れた飯屋の軒先で一体誰が集まってくるのだろうかと参加者はやや首を傾げたかったが、霧島小夜、緋宇美桜を始めとして数人がこのバトルの前途を見守っていた。
「一番手は、今回の紅一点にして執拗なる赤兎と名高い、伝説の侍、天螺月律吏(ea0085)〜っ!!!」
なんだか、この紹介のされ方は不本意な気がする。天螺月ははにかんだ表情を浮かべて、観客に応えた。
「二番手は、京都局地戦にて先陣の功を上げた物部義護〜っ」
赤ら顔で陽気に応える物部。酒の匂いが非常に強くするので、観客は不安げだが、もはや物部には届いていない様子だ。酒の勢いでかきこむ。これが物部のもう一つの作戦であったのだ。
「三番手にして、観客予想ではその見かけから大本命、強い父、といえばまずこの人、明王院浄炎〜」
もうすこしまともな紹介はできないのか‥‥と心の中で呟く明王院。
「四番手は、家事の達人にして、料理に対する含蓄の深さはメンバー随一!! セシェラム〜っ!!」
セシェラムはそんなアナウンスにも答えない。これから始まる不幸に耐えうる精神力を練っているのだ。真実を知ってしまった苦痛は遙かに重たいような、そんな気がしていた。
「そして、五番手〜。食い倒した店は数知れず、底なし胃袋の代表、食い倒れ、掃海〜っ」
「ふふふ、食い倒してみせます」
余裕の笑みを浮かべる掃海。そのアルカイックな微笑みは、あんまり一般受けはしそうにない。
そして開始ぃっ!! という言葉と同時に、各人がオーダーした料理が運ばれてくる。天螺月と明王院が野菜物、物部が丼物、セシェラムと掃海は揚げ物から開始だ。
「なんだこれは‥‥」
天螺月は思わず呻いた。出てきた『野菜物』こと野菜の煮付けは、調味料ですっかり色が変色してしまっていた。そして煮付けと言うには少し意義を申し立てたくなるような姿。見た目で言うなら漬け物という方がまだ近いかもしれない。ただし、大皿に乗って出てきたそれは確かに、『黒陽』では一品料理であるらしかった。
「野菜には、体調を整え、食欲増進効果があるというが‥‥」
見た目からして食欲を萎えさせるのはいかがなものかと天螺月はつくづく思う。
巨大な器に盛られた物部の丼物も余り大きな差はないようだ。酔いの赤ら顔がどんどん醒めていっているのがよくわかる。揚げ物は衣で覆われているためか、幾ばくかはマシなようであったが、食材の原型を止めているためか箸でつまんだは良い物の口に持って行くまで相当の抵抗があるようだった。さすがの掃海もここまでひどい料理が出るとは思っていなかったらしく、とまどいを隠せていない。
南無三。
参加者の誰もがそう感じた。
そして意を決したように、目の前に出されたそれを口へと運ぶ。
不味い。
ためらいもなく、誰もがそう思った。野菜物と揚げ物は味が極端に濃く、丼物は半分粥のようになって味も風味もまったくない。
「ぐ‥‥」
一斉に手も顎も動きが止まってしまったが、真っ先に動き出したのは、天螺月であった。考える前に食べたが勝ち!! 味わう意味が丸でないと分かった以上、それはもうかきこむしかないと彼女は真っ先に判断を下したのだ。
続いて、仕事だと割り切った物部が動き出し、勝利への執着心が人一倍強い掃海が続いた。明王院、そしてセシェラムがそれに続く。
「店長、死人が出るぞ‥‥この料理は。せめて、調味料のバランスくらい考えるべきだと思う。量を水増しするにしてももう少し方法が、あると思うぞ」
「安心してくれ。今のところ死人は出てない」
今のところは、って、フォローにあんまりなっていないと思うセシェラムであった。
それでもなんとか、全員揃って一品目を食べ終わり、二品目へと続く。汁物が明王院とセシェラム、肉物が天螺月と掃海、野菜物が物部だ。
「店長。それは汁椀ではないだろう」
汁物として運ばれてきたのは、鍋釜であった。汁物はまだひどい匂いはしていないものの、その横幅は明王院とあまり変わらない。
「店長、これは何の肉だ?」
続いて運ばれてきた挽肉の塊に天螺月が問うた。その量はざっと見積もっても軽く1キロは超えている。
「はっはっは、それは企業秘密ってやつですよ」
「はっはっは、野菜と肉は交互に食べる。これがセオリーという奴だな」
聞かなきゃ良かったとばかりに、天螺月はヤケになって笑い飛ばし、肉に怒りをぶつけるかの如く切り刻んでは口に放り込んでいった。
横では汁物組が大苦戦。
「さっきの野菜が辛かったから、汁を選択したのは間違いではないが‥‥」
この量は多すぎる、というのが明王院の正直な感想であった。
そして皆なんとかクリアし、3品目に入る。天螺月は漬け物で一服、物部と掃海は量を一気にこなすべく麺類に手を出す。明王院とセシェラムは一転して身のある物をということで肉物だ。
「掃海殿、顔色が悪いぞ。大丈夫か?」
素材が不明である物の、味の良さではずっとマシな肉物を口にしながら、これ一本で普通の麺の一玉はあるだろうという極太の麺をすする掃海をちらりと見た。彼の最初の威勢はどこへやら、既に真っ青になりつつある。確かに体格の割には異様な食欲ではあるものの、限界はほど近いようであった。
「な、なんのなんのこれしき‥‥と、ところで一服しませんかな?」
「俺も同じ事を考えてた所だよ‥‥」
口がまだ勝ち気なことを言うようだから、あと一品くらいは持つかもしれないが、それが限度だろうな、とセシェラムは敏感に感じ取った。自分もあまり代わりはないだろうが。
そしてこれも皆クリアして、4品目。今度はセシェラムと掃海が一服に入り漬け物、明王院は一気に鍋物へと手を出す。物部は揚げ物、そして、天螺月が丼物を頼んだ。
「へーい、おまちどぉっ」
本命に突撃した天螺月と明王院であったが、料理がお盆ではなく、二人がかりで運ばれてきた小型の御輿にのって運ばれてくるのを見て、思わず目が点になってしまった。
「て、店長? さっき別の者が頼んだものより器が一回り大きくなっている気がするのだが‥‥気のせいか?」
「おうさ。こっちも持てる食材全部使って勝負をしてんだ。気合い一発平らげてくれよな。他の奴らのもどんどんでかくなるぜっ」
確かに、漬け物も最初は小皿山盛りだったのに、今食べているのは、明らかに普通のサイズの皿に山盛りだ。
これで味が良ければもう少し楽しめるのになー。天螺月は苦笑しながら、玉子とじの丼物に手をつけた。
「店長。醤油はあるか? 少し味が薄い」
「ふふふ、お客さん。そいつは混ぜて食べるものですぜ」
不思議に思って少しかき混ぜてみると、底の方から醤油がにじみ出てくるではないか。ただ単に飯の量が多いだけかとうんざりとしていたところだが、ちょっとした仕掛けに気持ちが揺さぶられる。
「混ぜるごとに少しずつ濃淡の違った味が楽しめるのか。これはいいな」
「へっへっへ。目の付け所が鋭いでしょ?」
得意満面に笑う店長に対し、天螺月は飯を混ぜながら言った。
「うんうん。しかし、最後にどうしようもなく辛くなるということは考えていなかったのか?」
「‥‥‥‥えーと」
そのツッコミに答えられなかったところを見ると、本当に思いつきらしい。
全員がなんとか食べ終わって、次の品に移ろうとした時であった。明王院がうなだれながら手を挙げた。
「すまん、限界‥‥だ」
汁物と鍋物で強烈に濃い調味料の料理群を難なく退けた明王院であったが、水物が思ったよりもお腹に溜まってしまったのが原因であった。それでも大きい物を先に平らげたので、それでも現状は、掃海よりも食事量では勝っていた。
「ふ、ふふふ。私はまだ行けますよ」
威勢だけはまだ何とか意地はしていたものの、動作が最初に比べて相当緩慢になっているところを見ると、もう動くのも辛いようだ。もう一押しだぞーと応援が飛んでくる。
そして次のメニューである。天螺月が麺、物部が汁、セシェラムと掃海が鍋と水気の物が全員で揃う。この途中で天螺月がリタイアを表明し、体を椅子に預けた。
「後二人‥‥ま、負けませんよ‥‥う、げふっ」
鍋物を必死に攻略しようとする掃海。具を平らげ、最後に汁をすすり始める。
「く、負けぬぞ‥‥」
物部も最後の汁を流し込みように器を傾けた。
押し入る鰹だしの汁に負けたのは、掃海の方であった。汁が溢れているよ、と観客から注意が飛んだ矢先、彼はそのまま背中から崩れ落ちてしまった。最後には持ち上げていた器の土鍋を頭から被って倒れる壮絶な最期であった。
「掃海破れたりーっ!!!!」
紹介をしていた男がそう大声で叫ぶと、周囲から一斉に歓声があがった。特に飲み干し勝負をしていた物部には熱い声援が送られる。物部はその歓声をその身に受けながら、天井を見上げた。
「我が人生に一片の喰い残し無し‥‥」
最後の一滴の汁をすすると、そのまま物部は器に顔を突っ込むかのようにして前のめりに倒れていった。壮絶な最期である。
「ということは、この勝負は‥‥」
そう一人、淡々と食べ終わり、次のメニューをどれにしようかと悩んでいるセシェラムが食い倒れキングに決定したのであった。
●その後
食事量だけでは、セシェラムが頭一つ抜くかのように一番を取り、つづいて天螺月、そして掃海、物部、明王院となっていた。
「うう、食い倒れで敗北するとは上には上がいるものですね。この掃海、慢心を反省いたしますよ‥‥とほほ」
「まぁ、楽しめたからいいよ。な、あんず。まぁ、あんまり人を困らせないようにな」
セシェラムは肩に乗せた子猫の頭を軽く撫でると掃海に笑いかけた。
「はい‥‥セシェラムさんとはいずれまた食い倒れキングの名をかけて戦いたいものですな」
「ああ、しかし結局店の食材を全部食い尽くすには至らなかったから、食い倒れキングじゃないさ。まあ次やるとしても、『黒陽』だけはゴメンだ」
幸い腹をこわす者はいなかったが、また是非また来たいとは誰も言えないのは同じであった。