『道』を行く者

■ショートシナリオ


担当:DOLLer

対応レベル:2〜6lv

難易度:普通

成功報酬:2 G 3 C

参加人数:8人

サポート参加人数:6人

冒険期間:05月14日〜05月19日

リプレイ公開日:2006年05月22日

●オープニング

 今日の都の中心部。一般の民は入ることを制限されるそんな場所で茶会が催されていた。色彩豊かでありながら、落ち着いた風合いの庭を眺めながら、二人の男は茶の香りを楽しんでいた。否、彼らにとって茶など口実。二人が顔を合わせることに意義があった。
 上座に座る男は体格が大きく、巨大な岩のような雰囲気を持っていた。静かな空気に刃のような冷たさを作り上げるこの男は器に注がれたお薄(茶席に出るお茶の一種)に視線を落としていた。

「丹後の日和落ち葉がまた手のひらを返すようだな‥‥」
「大殿の元から去ってまだ10年にもなりませんな。そして虎長殿が暗殺されるとしるや、次は五条の宮殿でございます」

 向かいに座るのは茶を点てる男。上座の客よりはいくらか小柄だが、一般男性にすればまだ筋骨逞しい姿がうかがえる。無骨な手は剣術を長らく堪能してきたもので、厚い手の皮はその熟練を窺わせた。彼が新当流の免許皆伝の腕前とは聞いていたが、その手が優雅に茶を点てられるものなのかと客人は内心少し驚きを覚えていた。

「虎長もあの日和見具合には、辟易としておった様子だ。上州が穏やかだったなら先に落ち葉狩りをしていたやも、しれん」

 茶筅を置いた茶人はその言葉には応えず庭を眺めた。
 青々とした竹が立ち、サラサラと音を立てている。苔むした岩の間を清水が流れ、小さな池の中に注ぎ込まれていた。池の中には紅葉のような色映えのする恋が泳ぎ、小さなさざめきを作っている。松は高く陽光を適度に遮り、飛び石に陰陽をまばらに色づけている。
 客人は常日頃から忙事を過ごし、心を休めることは難しかった。だが、東に立って、この国を見据える客人はそれで仕方ない、とさえ思っていた。だが、今この瞬間、この美しさには心がいやされる。

「見事な庭だな」
「生きているからでございます」

 茶人はゆっくりとほほえんだ。

「左様にございます。緑には緑のルールがございます。これを『道』と申します。『道』の上にある者は光り輝いて生きるのでございます。『道』を踏み外したものには輝きはなく、また次へと繋がりませぬ。『道』を知りてこそ緑は美しく、また明くる季節、明くる年も輝きを放ち続けまする。緑も人も同じでございますな」

 客人は頷いた。茶人は話題に上るすべてに答えた上で、さらに客人の先を見越して述べたのだろう。茶人が持つ穏やかながら深い黒の瞳はそう語っているように思えた。
 その瞳に、癒しの気持ちを捨てた。今この瞬間からは茶人と客人ではなく、主と従の関係だ。

「藤孝よ。おぬしの慧眼をもって、日和落ち葉は『道』に適っているか見極めてほしいのだ」
「御意に」

 藤孝は拳を畳について、ゆっくりとした動作で頭を垂れた。
 源細藤孝。源氏の血を引き主上とも遠からぬ縁を持つ男。剣と弓馬に優れ、御所においては多少ながらも軍事の一翼を担う官位を有する。歳は今50の盛りを過ぎたが、近年において茶を始め、歌曲舞踊文学雑事にも優れた才能を見せ始める異能の男であった。主でなくとも京都においてこの人あり、と思わせた。
 藤孝は頭を垂れたまま続けた。

「その件につきまして、冒険者に依頼をしたいと存じておりまする」
「任せる」

 その所信を求めることもなく主は頷いた。藤孝が簡単に都を離れるわけにはいかないのは明かであったし、日和落ち葉、一色義定とも主の元で面識があった。そんな関係にあって義定がすぐに手の内を読ませるようなことをしないのも明かであった。

「落ち葉が人として、武士として、治める者として、今いかなる態度でいるか、しかと見聞するのだぞ」
 そして主は畳から立ち上がった。

●今回の参加者

 ea7578 ジーン・インパルス(31歳・♂・ウィザード・人間・イギリス王国)
 ea8755 クリスティーナ・ロドリゲス(27歳・♀・レンジャー・ハーフエルフ・イスパニア王国)
 eb0764 サントス・ティラナ(65歳・♂・ジプシー・パラ・イスパニア王国)
 eb3601 チサト・ミョウオウイン(21歳・♀・ウィザード・人間・イギリス王国)
 eb3979 ナノック・リバーシブル(34歳・♂・神聖騎士・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 eb4756 六条 素華(33歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 eb4840 十野間 修(21歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb5087 ライクル(27歳・♂・カムイラメトク・パラ・蝦夷)

●サポート参加者

カシム・ヴォルフィード(ea0424)/ 四神 朱雀(eb0201)/ ケント・ローレル(eb3501)/ 明王院 月与(eb3600)/ 備前 響耶(eb3824)/ 鷹村 裕美(eb3936

●リプレイ本文

●冒険者ギルド
「イシキヨシサダ? 誰だそりゃ?」
 ジーン・インパルス(ea7578)は依頼受領後の感想がそれだった。まあ丹後、京の真北にある海に面した一地方の代官であることは聞いてはいたが、有名所でもない人間を渡海してきたジーンがしるはずもなかった。
「丹後の代官だな、キョーヤの話では血筋は立派なようだが‥‥」
 ナノック・リバーシブル(eb3979)はギルドにある資料をざっと眺めながら呟いた。たしか大本をたどれば源徳と血筋が同じであるようなことを言っていたと思う。
「へぇ、そりゃ驚きだね」
 驚き、と言っても感慨とかそういうものは無い。血筋が立派だからといって人格が立派であると限らない。そんなものよりもっと大事なことがあることをジーンは痛いほどよくしっている。それはジーンが纏うオレンジのローブの背中に描かれた『R』の文字がそれを意味する。手を差しのべられる限り、1人の命も奈落へ落とさせたりしない、救援の証。
「俺は丹後に行って、様子を見てこようと思う。丹後の一番の障碍といえば、やはり土蜘蛛だからな。戦いに関する教育や訓練などがどれくらい充実しているかは重要だろう」
「なるほど、そりゃ大切だ」
 だが市民が怪物と戦わなくちゃならない現実っていうのはどうだろうな。
 ジーンは微かに渋い顔をした。
「こっちはもう少し、調べられること調べてみっか。色々依頼も出してるみたいだしな」
 ナノックを見送ると、ジーンは報告書の保管室へと向かっていった。

●丹後国内
「活気‥‥」
 ライクル(eb5087)は丹後の中心部、宮津城を中心に栄える城下町を眺めていた。海を背にするこの町は漁業が中心のようで、遠くから眺めるライクルにも磯の香りが届いてきた。建物こそ石や木を組み合わせたジャパン特有のそれであったが、どことなく故郷のアイヌに通じる何か、を感じていた。
 素朴、というか自然に近いところで生活している雰囲気が似ているのだろうか。
「ここは他の邑とは少し違うようだな。人の無機質な文化の香りがしない」
 自然の中で生きようとしている、そんな感じがした。
 ライクルがアイヌから神都に至るまでの経験から言えば、この手の香りがするジャパンの町は大別して二種類ある。
 自然と共に生き、ジャパン文化を発展させずに今まで過ごしたか、遙か昔に栄えたが今は自然の驚異に飲まれて斜陽を迎えているか。だ。
「答えは人の顔が物語っているだろうな」
 ライクルは凹凸の多い山の斜面を身軽な動作で駆け下りていった。

「ミーは海の向こうから来たジプスィーでアル♪タンゴについて教えてホスィアルね?」
 自分達で立ち上げた医療局から害虫用忌避剤『ガイチュ〜ウゲ〜ウゲ〜』を挨拶がてらに丹後国民に配布したサントス・ティラナ(eb0764)はすっかりタンゴレディが作る井戸端のスターになっていた。
 サントスはタンゴマダム、名前だけを聞けば、タンゴを踊る有閑婦人、を探していたのだが、その実、井戸端でせっせとお仕事するのは、実はその娘達、タンゴレディだったのだ。丹後の人々は骨太で小柄、海の強い日光で焼けた肌、精悍な顔つきは女子供でもそこらの男より男らしい。
「丹後についてねぇ。って言っても何もないよ、ここ。山は土蜘蛛と鬼、海は海人族で、毎日戦ばっかりだし」
「オォーノー。それは悲しいことアル。戦いに出たらワイフやチルドレンどうなるアルぅ」
 さめざめと泣いてみせるサントスだが、タンゴレディ達は何とも感じていない様子だ。
「どうなるって、父さんや旦那いなくたって、やることはたくさんあるし。網のほころび直したり、銛作ったり、土蜘蛛用の馬防柵作ったりさ。飯に洗濯でしょ。あたい達も戦ってるんだからさ」
 レディーファーストではなくて、男女ビョードーアルね。仕方ないとはいえ残念アル。
「セニョール義定はどうアルね? マイホームパパだったりするアルか?」
「せ、せにょぅる? えぇっと代官様かな。あの人結婚してたっけ?」
「大昔に嫁を取ったとかいう話あったじゃん。その後はあんまり聞かないけどねぇ」
「子供も聞かないよね」
「あの人、仕事人間だもん。多分養子取るんじゃない?」
 タンゴレディの話をまとめると一色義定は仕事人間で家庭はほとんど顧みていないらしい。体力の続く限り戦う人らしい。仕事を依頼する人にとっては良いかもしれないが、サントス基準からすれば、大問題人間だ。
「これは少しお仕置きが必要ですね。ムーフーフーフーフー」
 サントスのインパクトのある笑みがタンゴレディをヒかせたのは言うまでもない。
「そうだ、せっかく害虫駆除剤いただいたし、お昼ご飯くらい食べて行ってよ」
「オーゥ、レディの気持ちとても嬉しいアル〜」
 サントスがタンゴレディの誘いを受け手て、一軒のお宅にお邪魔したところ、そこにはすでに先客がいた。
「丹後の名物はバラずしだそうだ。新鮮なネタのバラずしはなかなか美味。この邑は、良い邑だ、な。うむ、美味い」
 ライクルがまくまく口をせわしなく動かしていた。


●城内
「戦への力の入れ具合は相当なものだな」
 ナノックは宮津城の中を見回してそう呟いた。城ができた当初はまだ財政に余裕があったのか風雅な面構えをしていた。が、一歩足を踏み入れれば練兵場がそこかしこに設置されており、訓練は間断なく行われている様子であった。
「鎧はほとんど見なかったな。ドウマルアーマーが今のところ最大の防具だっったようにみえたが」
「山や海での戦いが多いためでしょう。機動性が重視されているようですね」
 十野間修(eb4840)はナノックの横に付き添うようにして同じ光景を眺めていた。そして、彼らをここまで案内してくれた侍が、主が来るまでの間の接待役として武具などの説明を行っていた。侍の服装もどことなく着古した感じで、一色が財政事情を火の車にさせないために率先して清貧を行っているという噂は間違いないようであった。
「ところで、一色様はどのような方でございましょうか。いえ、領民の為にと土蜘蛛討伐を依頼されたという噂を聞きましてね、どんな人柄かと思いまして」
 十野間の問いに対して、侍は笑顔で答えた。
「勤勉なお方ですよ。丹後のことを誰よりも考えておられます。丹後は畿内では貧弱な国であります。怪物や鬼が跋扈し、作物も満足に育ちません。ですが、一色様は北に開けた海の治安を強化し、この地に光明を見いだしました。今は3万石ですが、以前はこの半分程度だったのですよ」
「へぇ、それは凄い」
 城を見る限り、以前は余裕があった。それを清貧を誓わなくてはならない程にして、増やした石高が1万かそこら。誰でもできる範囲でしょう。誉めるべきは海に光明を見いだしたところぐらいじゃないですか。
 そう言いそうになった十野間だったが、さすがに口にするのは止めた。これからその勤勉なお方と会わなければならないのだから。
「さて、そろそろですね‥‥ナノックさん?」
 突如、白い魔力光に包まれたナノックを見て、十野間は驚いて彼の方をのぞき見た。
「デビルが‥‥いるぞ‥‥気を緩ませるなよ」
 ナノックの手の平で石の中に埋もれた蝶が、ゆっくりと羽ばたいていた。


●そして、本人
 一色義定は丹後の国民らしく、骨太で日に焼けた体が印象的な武人系の男であった。その目は鋭く、抜き身の刃の如しといえる。
「丹後ってトコは、土蜘蛛トカが有名ダケど、名産トカ有名なトコロとかはあるノかい?」
 ジーンはアクセントをわざと変え異国の旅人を装って、代官に尋ねた。
「名産といえば魚かね。都への献上はかなりのものだろう。有名なところなら、天橋立だな。聞いたことはないか?」
「あー、海を縦断するようにデキタ砂の道ミタイな奴ダナ。旅してる時にチラリとダケ。そういえば、土蜘蛛や鬼トノ戦い、傷つく人多いだろうケド、ドウシテル?」
「医術やそれに類する魔法を使える者を各村に配置しておる。といっても専門の者ではないので追いつかぬことも多いが、怪我や戦での死亡は高いが、病気などで死亡する率は他よりかなり低めであろう」
 へぇ、意外な話だ。悪い人間じゃなさそうだな。外国人の俺でも蔑視する様子も十分合格ラインだぜ。
 感心しきりのジーンの横から、チサト・ミョウオウイン(eb3601)が口を挟んだ。
「領民の皆さん‥‥気に掛けてくださってる事は喜んでいられましたわ。ただ、中々御互いの気持ちが伝わりあっていないような気がします‥‥」
「ある程度は仕方のないことだ。丹後は元々栄える要素が少ない。しかし国は国として国家全体を助けなければならぬ責務があるのだ」
「そうですね‥‥」
「そして国家全体を助けることができるからこそ、この国は一つの国として認められ、助けてくれるのだ」
 そう語る横で、十野間は冷ややかに微笑んだ。
「なるほど。兵の数は国の規模以上なのに、土蜘蛛退治を依頼してくる理由がようやくわかりましたよ」
 外に目を向け過ぎて、国内の問題を二の次にしているのだ。依頼金と天秤にかけても、軍備拡充と土蜘蛛退治にかけるお金は随分な開きがあるだろう。
 要するに、丹後が一つの国として認められるために、外交重視で内政を疎かにしたのだ。
 選択自体は悪くない。外交を強め、援助で内政を強化する政策ももちろんある。だが、その構図が明らかになると、どうも情けないとしか思えなかった。
 所懐が交錯する何とも言えない空気が取り巻く中、クリスティーナ・ロドリゲス(ea8755)が立ち上がった。ちょっと頭から湯気が出ている。
「だぁっ。あたしにゃ良くわかんねぇ! あたしは政治ってのは苦手(だめ)なんだ。あんた武人なんだろ。ぐだぐだ言うより、お互いが理解できる一番の方法があるだろっ」
「ふふ、そちらが望むならお相手いたそう。冒険者の実力というものも、この目でみておきたかったからな」
 一色義定もクリスティーナの挑発に乗るようにして、立ち上がった。戦いを受けて立つその目はまさしく、戦士のそれであった。

 戦いは、一瞬だった。
 クリスティーナの放った必殺の一撃は一刀の下にたたき落とされ、次の瞬間にはもう義定の木刀がクリスティーナを襲っていた。
「やるね‥‥」
「先の部屋でも良かったのだがな。家臣が勘違いするとかなわんからな。はっはっは」
 クリスティーナは自分が、無理、無茶、無策、無謀と自負するところはあったが、このおっさんもそれに近い性格をしているような気がした。戦場が自分の居場所なのだろう。
「それでは、もう一戦、先ほどの部屋でお相手願えますでしょうか」
 六条素華(eb4756)は作法に則った丁寧なお辞儀をすると、理知的な茶色の目をまっすぐ義定に向けた。
「ほう、そちも武人か?」
「いえ、棋士でございます」

 六条は先ほどからの話を頭の中で繰り返していた。そしてギルドでちらりと聞いた話も。一色義定は外交を重視し、改善の余地がある内政を後回しにしている。丹後の典型的な武人タイプ。何でも受けて立とうという人柄。そして、鞍替えを繰り返す性格。
 つまり、目前の対応は得意だが、大局を見るのが苦手なタイプ。六条はそう結論づけていた。
 基盤の上でもその性格は如実に表れていた。
「なかなか力強い将棋をなされますね」
 多少の駆け引きを物ともしない。そして機動力に富んだ桂を中心に攻めを立て続けに行う戦法。これほど正直な将棋を指す人間も少なかろう。
「月与お姉ちゃんの作ってくれたお弁当‥‥持ってきて良かったです‥‥」
 六条は一手が長目なのでお弁当をしっかり食べながら観戦しているチサト。十野間も嬉しそうにお弁当を頬張っていた。お弁当が美味しいのか、チサトが隣にいてくれるのが嬉しいのか、端から見ると勘違いされそう。
「これで、どうじゃ!!」
 パシンっ!
 意気揚々と竜を押し出した義定は鼻息荒くそう行った。
「‥‥‥詰みにございますね」
 六条はやんわりとそう言った。それと同時に歩を繰り出す女棋士。彼女の言葉通り、この後、五手で義定の手詰まりとなって、一戦は閉じられた。
「良い戦いであった! 次は負けぬように修練しておくぞ」
 義定は笑っていっていたが、まだフレイムエリベイションの切れていない六条は心静かにして頭を垂れるだけであった。
 三手先までしか読めないようでは、次はないでしょう、と心に思い浮かべながら。



●総評
武人としては立つが、為政者としては並。大局を読めないところがある。
勤勉で任務には忠実。その点は民にも理解されているようだが、仕事ばりで家庭を顧みない節がある。防衛意識は高いが使い方に狭さを感じる。
国としては逼迫した状態がかえって国民を強くさせていると感じられた。


●余録
「デビルという存在に気を払っていたが、その後はどうだったのだ」
 ライクルの言葉にナノックは小さく首を振った。
「つかず離れずといったところだ。様子を覗ってたんだろうな」
「それを早くいうアルよ。セニョールナノック! ミーも一緒にデビルをサーチするアル」
 といいながら、立派な鼻を動かせるサントスはしばらくするとジーンの元にたどり着いた。
「むむむ、セニョールジーン。虎の褌を召しているアルか!」
「まてぃ。おれはフンドシなんか持ってねぇ!!」
 サントスが素敵な方向にレベルアップするのを真っ青になりながら、同僚のジーンは見ることしかできなかった。
「まあ丹後にデビルが潜んでいることは分かったんだ。一段落したら調べにくることもできるだろう」
「ああ、そうだな‥‥」
 ナノックは虚空を見つめていた。布を巻き付けた楽士の姿と、今も悪夢のように蘇る遙か昔の光景が‥‥。
 近々、また楽士を追うことができそうな予感がナノックはしていた。

●余録2
「ほう、将棋、とな」
「はい。是非一局、お願いします。敵うとは思っていませんが良い勉強になりそうですので」
 そういう六条の瞳をしばし見つめると藤孝は問うた。
「そなたは、棋士か?」
「はい」
 それだけ聞くと藤孝は将棋盤の前に座ったのであった。

 そこから2時間もかからなかったのではないだろうか。六条は藤孝の駒を多く有した。角が二枚、銀、香車、歩が3枚‥‥だが、それでも六条は詰まれていた。途中までは義定と同じように見えた。駆け引きを物ともしない強引な攻め。
 それを逆手に取ってやろうと駒を回し始める時にはもう身動きがならなくなっていた。遙かに優位であったはずなのに、気がつけば絡め取られて動けなくなっていた。
「ま、参りました‥‥。私はどこで失策を犯したのですか?」
 全然包囲網ができていることに気がつかなかったのだ。ここまで完敗するのも珍しいことだと思いながら、六条は藤孝に問うた。それに対して、藤孝の答えは実に簡単であった。
「勝負を挑んだ瞬間(とき)だよ。棋士殿」