●リプレイ本文
その寺はすでに人の住む場所ではなくなっていた。空気は濁り、尼達の死骸が放つ死臭が漂い、その場に近づくことさえも阻んだ。同じ空の下でもこの寺だけは若干暗く感じた。虫の鳴き声一つ鳴かぬ。そんな世界がその寺であった。
「寺の本堂は完全破壊されていた。宿坊なのかな、そっちはまだ健在だったと思う。尼の全部が死人憑きになってるわけじゃない。私が見た時は身動きしないのもいたから」
以前この寺に足を踏み入れていた鷹村裕美(eb3936)が地面に地図を書きながら、淡々と様子を語った。
「お寺に住まわれていた方々はさぞ無念だったのでしょう‥‥。これも何かの導き、彼女達の魂を常世に還す事が出来ればよいのですが」
観空小夜(ea6201)はそう呟くと、目を閉じて、ささやかながらこの出来事に巻き込まれた人々へ冥福を祈った。
「女性のみの寺を壊滅させるとは‥‥何て卑劣な。彼女たちが一体何かしたというのですか‥‥」
死人憑きに出会ったところが×印で示される。それが増えるごとに六条素華(eb4756)は腹の底からやるせなさと腹立ち心で溢れそうになる。
「町で聞き込みをしましたが、地鳴りのような不気味な音が一ヶ月ほど前にあったということを聞きます。鷹村さんのおっしゃる死人憑きの腐敗度合いからするとだいたい一致しますね」
「一ヶ月前‥‥、飛鳥さんは何か思い当たることはありませんか?」
素華が尋ねると、神木祥風(eb1630)からもらった魔よけのお札をきゅぅと抱きしめる飛鳥はちょっとだけ首を上げて、そしてその首を振った。
「飛鳥のお家、お友達(動物)がいっぱいいるから、町には住んでなくて、この辺りにいるんです。地鳴りみたいな音は聞いたことあります。動物さんたち、怖くてすごく大騒ぎしたの覚えているです」
続いて素華は彼女自身と寺とのつながりを聞いたものの、それは分からないと答えた。彼女自身、本当の両親に関する記憶がないのだという。
「とりあえずその地鳴りを起こすような何かが原因で尼寺が死者達の住処になってしまった訳ね。後は中に入ってみないと仕方ないわ」
佐々宮鈴奈(ea5517)は立ち上がって、飛鳥の肩に手を置いた。
「友達を助けたいという気持ちは大事な事だけど、貴方の命あっての話よ? 私達の言う事をしっかり聞いて、無茶な真似はしないように」
「わ、わかったです! だから、あの、ポチを見つけてあげてくださいです!」
飛鳥の声に、一同はそれぞれの態度で応答したのであった。
「けほ、息苦しい‥‥色んなところ行ったけど、こんなに死臭が強烈なとこは初めて‥‥」
テリー・アーミティッジ(ea9384)は派手に咳き込んだ。鼻から空気を吸い込まなくても悪臭が喉元にたまるのがわかった。他の皆も強烈な臭いに顔をしかめている。
「こんなに酷い臭いだとは思わなかった。くそ、戦闘に支障がければいいんだがな‥‥しかし、どこからこんなに臭いが来るんだ。人がそこそこ死んでもこんなに臭わないと思うのだが」
ナノック・リバーシブル(eb3979)はサーコートの端を口元に当てて、臭いを遮断していたが、このままでは戦闘などできそうにもない。臭いの原因を除去できないか、と考えていたところ鈴奈が地面を見て言った。
「土が、腐っているのよ。全部。水も植物も‥‥この様子だとダメね」
僅かながら蓄えていた植物知識からのカンがその結論へ導いた。だが、臭いを除去するといってこの土全部掘り返すわけにはいくまい。
「こ、これじゃ死人憑きだって倒すの苦労しそう‥‥とりあえずポチの行方を捜さないとね。観空さん、『ブレスセンサー』をお願いして良い?」
テリーの声に、小夜が頷き、荷物からスクロールを取り出すと、その巻物を読み上げた。
「‥‥本堂の奥に呼吸反応があります。犬くらいの大きさですから間違いないと思います。死人達は呼吸をしないので反応しないのが難点ですね」
「場所だけでもわかれば、楽になるよ。ポチともうすぐあえるからね」
明王院月与(eb3600)は飛鳥にそう言うと、月桂樹の木剣と聖騎士の盾を構えた。死人憑き、そして怨霊達の怨嗟の声が風に乗ってか細く届いてくる。生の臭いに感づいたのだろうか。
「行きましょう。前進あるのみ、です」
素華の言葉に皆は頷くとかけだした。
●黄泉街道
「仏法に六大あり。火大とはこれ変転するもの。清浄へと導くもの!!」
神木の作り出した白い光が、死人憑きを包み込み、まるで焼き焦がすかのように輝いたかと思うとそのまま動かなくなる。その隣では、怪骨と鷹村が対峙していた。
「もたもたしてる暇はないんだ‥‥」
怪骨の振りかざした腕を、風の勢いをやりすごす柳の如く鷹村は体をひねってその攻撃をかわす。そしてそのひねりが戻る力を最大に利用して、ホムラを叩きつけた。
め、シャ‥‥っ
砕けたような音がしたのは一瞬だった。霊刀はひびの入った骨組織の隙間を滑るように走り、一刀両断する。
「死人憑きの腐敗状況は骨になりきっているものか、存分に腐敗しているかのどちらかね。骨になるほどの時間を持ってしても心残りになることがあったのかしら」
鈴奈は何度目かになる、『ピュリファイ』を放ち、浄化された死体を見つめた。もう何体も死人達を倒しているが、その死体は尼達のものだけではないことが段々分かってきた。恐らく、彼女たちの手によって手厚く葬られた人々の死骸も起きあがっているようなのだ。
「‥‥。怨霊達も思い残すことがあって出たという感じではありません。無理矢理目覚めさせられたような‥‥現世に迷い込んだような、そんな感じがしますね」
神木は再び常世へと旅だった霊を慰めるために、弥勒への祈りを捧げた後に鈴奈に向かってそう言った。
怨霊達は虚無へと向かいながらもまだ叫び続けている。だが、その言葉にメッセージらしき単語は一つもなく、ただ嘆き悲しんでいるようであった。
「魔法、でしょうか。黒魔法のような‥‥」
「それとも違うわ。彼ら、明確な目的を持っていないもの。生者を見つければ本能のままに襲いかかることもあるようだけど、でもこの寺の外には出ようとしないし。だからといって、ここのどこかを守っている様子もないもの」
小夜の言葉に鈴奈は首を振って、その意図を述べた。
「‥‥多分、この人達も被害者なんだよ。もう苦しまなくていいんだよ、後の事は任せて安らかに眠っていいんだよ」
怨霊を切り払い、虚空に消え去った跡を眺めて月与が言った。その姿はどこか悲しそうであった。彼女にはどこか既視感のような気持ちがわき起こっていた。そんな月与の言葉に鈴奈が顔を曇らせた。
「黄泉の国から無理矢理連れてこられたというの? それじゃあ天に還してあげるには‥‥」
死人がこの世に止まるにはそれなりの理由がある。その根本解決をしてあげることこそが本当の浄化と考えていた鈴奈にとって、それは信じがたい話であった。
「この一帯の土や水が腐っていることも関係ありそうだな。理由はまだわからんが‥‥、それよりも先にポチとか言う犬を探す方が先決だろう?」
犬がわざわざ危険を冒してでも行ったその行為の理由がそこに潜んでいるはずだ。
「確かにあまりのんびりしていられないみたい。怨霊の声を聞きつけて、死人憑きがまたやってくるよ」
「そうか、じゃ急ごう‥‥犬の安全が最優先だし、ここからはもう止まらないようにしないとな。‥‥私が先陣を切る」
疲れた顔で鷹村が指し示されている方向に向かって動き出した。それを月与呼び止める。
「あ、鷹村お姉ちゃん‥‥あの、転ばないでね」
「‥‥わかってる!!!」
転ぶ前から心配されるとなんだか腹が立ってしまうのは何故だろう。鷹村はいらだちながら、走り、そしてやっぱり、こけた。
●ポチ
「熱源を感知、この奥です」
小夜の言葉に、テリーがまずシフールの体を活かして、瓦礫の奥を覗き込んだ。
テリーはポチの姿を即座に見つけることができた。血まみれになりながらも戦闘態勢を維持する赤毛の犬はこの死人だらけの中ではよく目立っていた。だが、ポチに相対する存在もまた犬の姿をしていた。
「あれ、犬が二匹。手前のがポチだよね‥‥」
戦っているのだろう。赤毛の犬の向こうには黒毛の腐肉にまみれた犬が左顔面が腐り落ちた姿で立っていた。
そんな血に濡れた赤い瞳がギロリとこちらを向いた気がした。
「わっ、全てを縛る大地の見えざる鎖よ!!」
反射的にテリーは『アグラベイション』を唱えて、その行動の抑制を行った。それと同時に応対していたポチがその側面から噛みつく。
そんな隙間をぬって、テリーは一行のところに戻ると、声を張り上げた。
「ポチがいたよ! もう一匹、ズゥンビになった犬と戦ってる!!」
その言葉に即座に反応した素華が瓦礫を一気に駆け上がり、声を上げた。
「近接戦闘をするには瓦礫をどかさなければなりません。僧侶の方支援をお願いします! 戦士の方は僧侶の護衛をっ!」
素華の言葉に、僧侶達はそれぞれの神に祈りながら、魔力を練り上げていった。
「仏法に六大あり、地大とはこれ固きもの。全てを止め縛るもの!」
鬼の動きを封じた神木の法力は、ズゥンビドッグを押さえるに十分足るものであった。神木のコアギュレイトがズゥンビドッグを見事捉え、がちりと動きを止める。
「犬まで‥‥あの黒い犬、ポチとよく似ていますね」
「兄弟か何かだったのでしょうか。ポチが危険を冒してでもここに入ったのは、彼を救うためだったのでしょう」
憐れむような瞳を向けて、僧侶達は祈った。
願わくば、彼の魂が迷わず神の慈悲に抱かれて、幸せの野に旅立つことを。
「仏法に六大あり。水大とはこれ流転するもの。あるべき姿を教えるもの!」
鈴奈と小夜の放つ『ピュリファイ』が重なって、ズゥンビドッグに光を与えた。それが浄化され消えるまで光は輝き放ち続ける。苦悶の声は聞こえることはなかった。
「ポチ、大丈夫だった? 飛鳥ちゃん、ポチ大丈夫だよ!」
瓦礫を乗り越えた月与がリカバーポーションをポチに使いながら、飛鳥に声をかけた。テリーはポチが霊に憑かれていないかと、保存食を与えながら、心配そうに眺めていたが、酷く消耗していた以外はおかしな点はなかった。
「大丈夫、ポチ、ちょっと疲れているけど元気だよ」
「ぽち、ぽちーっ!!! ふぇぇぇぇ」
その言葉に飛鳥は涙で顔をぐずぐずにして抱きつきに走った。
が、
「わぺしっ!?」
だが、ポチは飛鳥に抱きかかえられる前に体を動かすと、ズゥンビドッグの構えていた場所の向こうに歩いていった。哀れ、飛鳥は再会の抱擁をできず、瓦礫の中に顔を突っ込むことになった。
「‥‥これは、方陣‥‥?」
素華はポチのしゃがんでいる場所に近づいて、そこに何かが描かれていることに気がついた。詳しい知識はないが、それは明らかに陰陽師か、西洋の魔術師達が使うような陣であることは十分理解できた。
「あっ」
一瞬素華の方をちらりと見たポチは、その次の瞬間、方陣に足を踏み入れ、そしてそれを踏み荒らした。
途端に息の詰まるような空気が、蓋が開いたかのようにフッと抜けるのが分かる。
「‥‥? なんだか、空気が軽くなった‥‥?」
他の皆もその異変に気がついたのか、辺りを見回す。あの腐ったような臭いはまだ一面漂っていたが、確かに空気の質が変わったことは誰もが感じていた。
●魂よ
それからの掃討にも随分時間はかかったものだが、それほど苦となるできごとは何一つなかった。
掃討も終わりに近づいた頃。鷹村は一人浮かない顔をしていた。
「なぁ、もうほとんど討ち取ったし、引き上げないか‥‥この先には、死人はいない‥‥」
小夜のもう最後の一仕事だ、という言葉に反対の言葉を細々と上げたのも鷹村だった。
「何を言ってる、死人達は動くんだぞ。前回見ていなかったといって今回もいないとはかぎらんだろう。それに建物の破壊はそうとうな力を加えられているし、なんだかよく分からん陣もこれだけの結果を生み出したとすればよほどの力を持ったものだろう。完全に確認する必要がある」
ナノックも鷹村の言葉にやや不審な顔をしていた。なぜなら少なくても手を抜くような女ではないことは十分に知っていたからだ。
「カガリさんが、そこにいるのですね‥‥」
見透かしたように神木の言葉に一瞬彼女の肩が震えたのを誰もが見過ごすことはなかった。
「死人はそのままでは、苦しみもがかなくてはなりません。鷹村さん、私たちは心を鬼にしてでも浄化させなければならないのです‥‥」
静かに語る小夜の言葉に鷹村は何も言えず、その場に立ちつくしたままだった。
西門には門壁に叩きつけられて、潰された女の死骸が伏していた。それは無惨に手足をもぎ取られ、ちらばった五体はその辺りにうち捨てられていた。
そして鷹村の言葉に反して死人は一体だけ存在した。
その死骸の乳房に今でもかじりつく、小さな小さな死人。もうその赤子には肉はついておらず、骨だけの姿だけではあったが。それは確かに乳を求める子のようであった。
「‥‥その子、知っているんだ。私は。鬼退治をした時にさ‥‥その子鬼に捕まってて。助けるのが遅くて、餓死して」
赤子はこちらを振り返ろうともしない。ただ、ただ乳房にかじりついて、乳どころか、血も出ない、崩れ落ちた乳房に抱きついて離れない。
そんな様子を見ることもできず、一瞬だけ震えた肩はもうとまらずぶるぶると震えたまま鷹村は語った。
「この子はお腹すいているだけなんだ。母さんに抱かれたいだけなんだ‥‥」
「鷹村さん‥‥」
そう語る彼女のすぐ前で、透明感のある鈴の音がした。
神楽鈴を持った小夜がそこに立っていた。
「気持ちを察するには、あまりあることです‥‥」
そうして、一端言葉を切った小夜はゆっくりと鈴を水平にまで持ち上げた。
「ですが、悪霊と化した御霊たちの無念の思いを受け止め、罪無き魂達が凶行を起さない為にも、心は鬼にしなければなりません。成仏させます」
「なっ」
「あの子は母の元に辿り着いたのでしょう? あのまま浄化すれば、きっとお母さんと一緒に天に帰れるわよ。それは悲しいことではないわ」
慰めるように鈴奈が鷹村の肩を叩いて、微笑みかける。
今日は寺にて神楽の音する。
カンララ、コンララ。カラコルラム。
コンララ、カンララ、コルランカム
鈴の音に導かれ、旅立つ人達。
カンララ、コンララ。カラコルラム。
コンララ、カンララ、コルランカム
晴れてくれよ、幸せの日。
カンララ、コンララ。カラコルラム。
コンララ、カンララ、コルランカム
父さん母さん 吾子も揃うた
晴れてくれよ、幸せの日だ。
鈴の音に導かれ、旅立つ人達。
今日は寺にて神楽の音する。
カンララ、コンララ。カラコルラム。
コンララ、カンララ、コルランカム