ウタウモノ

■ショートシナリオ


担当:DOLLer

対応レベル:8〜14lv

難易度:難しい

成功報酬:2 G 49 C

参加人数:10人

サポート参加人数:11人

冒険期間:09月18日〜09月21日

リプレイ公開日:2006年09月20日

●オープニング

「少し強行だったのではないかね」
 男は呟いた。その声はどこか平坦で、張りというものが感じられなかった。
「いえ、そうでもありませんよ。冒険者は排除できましたし、あなたは少ない被害で鬼を倒した英雄です。民のあなたへの信頼は堅くなったことでしょう。ガラシャも消え、頼れる人はあなた一人なのですから」
 楽士は白い糸を壺から垂らし、砂の大地に陣を描いていた。糸? それは夜の空気を甘く蕩かして、この世界を別のものに思わせてしまう様なものであった。
「今更、民の信頼を得てどうするのだ」
「この丹後の大地に陣を書かねばならない。自分たちの手で、この大地に死をもたらすためにね」
「民の死を、神皇様は望ま、ぬ‥‥」
 平坦で力のない言葉に、その一瞬だけ感情の起伏が生まれた。
 やれやれ。これだから、人を信じてやまぬ人間は敵わぬ。もはや楽士が命令せねば自分の考えを持つ様な事さえできぬ人形が、こうして一時でも目を覚ますのだから。
「神皇様をお助けするため、武芸一辺倒のあなたに技芸の粋を授けたのでありましょう? あなたは今文化人としてはもっとも重視されている人です。彼をお助けできるのはそんな力を持ったあなただけです。その為にあなたは魂を売り渡したのではありませんか」
 陣を紡ぐ手を止めて、楽士は甘い声でささやいた。言葉は魔力になり、結集しはじめた男の自我を融解させる。たちまち彼の焦点はぼやけて、諾々と従う人形の瞳に戻っていった。
「契約してもまだ反抗するのですから、末恐ろしい」
 楽士は陣を完成に導きながら、そう呟いた。
 甘く香り立つ糸で紡ぎ上げられた陣は、とても緻密で、複雑な文様を成して、覗く楽士でさえ、心をふるわせた。それはきっとこの陣の裏側で早く開けよと誘惑する亡者達の呼び声が聞こえるからかもしれない。


「それにしても清廉な空気ですね。皇大神社がまだ健在であったら、とてもではありませんが足を踏み込めなかったかもしれません」
 大地に溜まった陰の気は土蜘蛛の減少や神社の崩壊に伴って、蓄積される一方であった。浄化能力、陰陽流転の理がもつ力の限界を超え始めたそれは、少しずつ邪気へと姿を変えているのがどこにいても肌を通じて感じ取れるようになった。
 それは丹後に於いて最も神聖な場所である、霊地天橋立とて同じ事であった。
 一説では海を走る砂の道は天地創造の際、混沌の海であったこの世界に神が降り立ったという。またそれ以後、神が天と大地を行き来するためにこの橋は使われたのだという。
 ここを歩いた者は誰でもそれは間違いではないことに気付かされる。
 果てなく続くその道を歩むと、空気が変わってくることを感じさせられるのだ。次第に本当にまっすぐ歩いているか、どこか騙されて異空間を歩いているのか、先を見つめれば見つめるほどに混濁としてくる。
「それでもなお、魔を寄せ付けぬ力を持っているのですわ」
 ふい、と女の声がした。
「貴方の演る人形劇があまりにも馬鹿げているので、クレームを付けに来ましたわ」
 自分の雇い主に気遣う素振りもせず、シェラは楽士を睨み付けた。そして肩にかけた測量用のロープ、の役割を持っていたウィップを下ろして構える。
「幻術でしか展開できない貴方のドラマには飽き飽きしますわ。私たちはあなた達以上に真剣に生きているんですから」
 そんな言葉に楽士は、物理法則に合わぬような跳躍で距離を開け、ぼぅとした抜け殻の様な男の傍らに楽士は立った。

 ぽつり。空から雨粒が落ちた。
 海からの風が強くなる。ああ、これは時化るな。シェラの脳裏でそんなどうでもいいことが頭をよぎる。
「非常に気持ちの良い言葉ですね。ですが、少し詰めが甘いようです」
「そうかしら? これでも、直感力は優れていると自負しているのよ」
 そんな中、もう一度シェラは、不敵な笑みを浮かべた。そして同じように楽士も目を細める。
 楽士は男の刀をス、と抜きその胸の位置を確認もせずに突き刺した。何の抵抗もなくそれは男の体を貫通し、ぐり、と抉ればまるで噴水の様に高く血を吐き出させた。
「!!!」
「英雄は三界を渡り。気高き香りは三千世界を繋ぎ。天の橋、堕ちて三途の橋となり、生者、亡者、これ別無きことよ」
 溢れ出す血が、大地に描かれた陣を赤く染めていく。
「できれば丹後全てに布陣してから、使いたかったものですけれど。まあこれでも国の半分は飲み込んでくれますよ。神の力が働くこの地の力を借り、英雄の血の力を借りて、そして、あなたが必死になって集めたこの甘露の力によって、増幅されていますから」
 さて、それではお望み通り、戦いましょうか。他に気を取られていてはいけませんよ。楽士は楽器を構えて、笑った。
「あなたを倒せばいいだけのことよ」
 そうは言ってみたものの、シェラには不安による汗が滝の様に流れ出していた。
 男は倒れ伏し、言葉もなくただ方陣に血を与え続ける。
 方陣は血を吸収し続け、赤く染まっていく。それと同時に異臭があたりに漂いはじめた。怨嗟の声も聞こえてくる。風が生暖かくなり、肌に当たる雨は滴る血なのではないかと思うほどの悪寒にさいなまされる。
 だが、そこに混じる足音をシェラの長い耳が捉えると、恐怖心も僅かに和らぎ、楽士に対して言い返す強さも取り戻すことができた。
「でも、貴方が逃げてくれなくて本当に良かったですわ。お引き留めすることはちゃんとできたのですから!」
「シェラさん、貴方はとても良くできた人ですね」
 !?
「さきほど、謳ったでしょう? 英雄は三界を渡り。血がこの力を解放を手伝ってくれています。そして。英雄は別にこの男だけではありません。精々、英雄方には血を流さない様に気をつけるように言ってあげてください」
 どこまで出し抜くつもりか。歯ぎしりを立てそうになりながら、それでも負けてはやらぬと、気持ちを奮い立たせた。

 そして、楽士とシェラが待望する、『あなた』が、この地に足を踏み入れた。

●今回の参加者

 ea0696 枡 楓(31歳・♀・忍者・人間・ジャパン)
 ea6354 小坂部 太吾(41歳・♂・志士・人間・ジャパン)
 eb1528 山本 佳澄(31歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 eb2456 十野間 空(36歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb3503 ネフィリム・フィルス(35歳・♀・神聖騎士・ジャイアント・イギリス王国)
 eb3600 明王院 月与(20歳・♀・ファイター・人間・華仙教大国)
 eb3834 和泉 みなも(40歳・♀・志士・パラ・ジャパン)
 eb3837 レナーテ・シュルツ(29歳・♀・ナイト・人間・フランク王国)
 eb3936 鷹村 裕美(36歳・♀・浪人・人間・ジャパン)
 eb3979 ナノック・リバーシブル(34歳・♂・神聖騎士・ハーフエルフ・ノルマン王国)

●サポート参加者

カシム・ヴォルフィード(ea0424)/ 伊東 登志樹(ea4301)/ カンタータ・ドレッドノート(ea9455)/ 橘 一刀(eb1065)/ 明王院 未楡(eb2404)/ ラシェル・ラファエラ(eb2482)/ 南雲 紫(eb2483)/ チサト・ミョウオウイン(eb3601)/ 備前 響耶(eb3824)/ ヒューゴ・メリクリウス(eb3916)/ 王 小龍(eb5553

●リプレイ本文

「これで役者が揃いましたね」
 楽士は衣の隙間からのぞかせるその深遠なる瞳を愉快そうに微笑ませて、そう言った。
 枡楓(ea0696)、小坂部太吾(ea6354)、山本佳澄(eb1528)、十野間空(eb2456)、ネフィリム・フィルス(eb3503)、明王院月与(eb3600)、和泉みなも(eb3834)、レナーテ・シュルツ(eb3837)、鷹村裕美(eb3936)、ナノック・リバーシブル(eb3979)。
「ああ、勢揃いさ。三文芝居の劇場も今日が千秋楽ということで、舞台監督にもステージに上がってきてもらおうじゃないのさ」
 ネフェリムの言葉に、冒険者達は一斉に戦闘態勢に移行した。ある者は武器を抜き放ち、ある者は魔法の詠唱に入り、ある者は道具を取り出し念じはじめた。
「あなたの紡ぐ物語、ここで終わらせてみせます」
 そして戦いの幕を切って落としたのは、みなもであった。十人張の弓を引き絞る。通常の弓では明らかに射程外だが、その弓と、直前まで修行を重ねていたみなもの熟練技術によって、それは非常に正確に、楽士の胸を狙う。
 だが、その瞬間、楽士の姿が黒く霞んだ。いや、楽士だけでなく、その周囲自体が急に僅かな光でさえ通さなくなり、真闇の世界を作る。
「くっ」
 矢は放たれた。楽士のいたところに矢は飛び込んでいくが、正確に射抜いたかどうか、まるで判断が付かない。
「闇ごと引き裂きますっ」
 佳澄はそう言うが早いか、突き出したその手から雷光を発した。雷の龍は闇に向かって走り、食らいついた。
「その通りじゃ! 志の火。邪を祓う大火と成りて、闇を振り払わんっ!」
 太吾がそう叫んで、前進した。迷いは楽士の思う壺だ。炎を纏った木刀を妖気を放つ方陣に向けて突きだした。
 雨脚はますすま強くなってくる。雷が轟きはじめた。


「姿が見えなくとも判別する手段はある」
 手に石の中の蝶を持ったナノックがそう言った。闇へと近づけば近づくほど、蝶は羽ばたきを増していた。あそこにまだ隠れているのは間違いない。
「ムーンアローを打ちます。そこに楽士がいるはずです。闇の中でもおおよその位置は推測できるでしょう。‥‥降り注ぎし月光よ。楽師・迦楼夜叉と呼ばれし魔性本体を射よ!」
 力ある言葉に応じて、月明かりの様な淡い光の矢が空の上空に生まれ、一直線に闇の中へと襲いかかった。それはそれきり音も立てなかったが、その射線をつぶさに見ていた楓は叫んだ。
「ど真ん中じゃ。一歩も動いておらぬようじゃな」
「よし、行くよっ」
 その言葉に応じて、楓、ネフェリム、鷹村、ナノックが闇の中に飛び込んだ。
 闇の世界は胸を圧迫した。一歩その効果範囲に足を踏み入れれば視覚は完全に奪われ、言いようのない不安が心の片隅で騒ぎはじめる。闇をおそれる人間の本能か。
「俺達は横一列に並んでいる。武器を振るうときは気をつけろよ」
 ナノックの言葉が闇の中に響いた。
 ああ、でももし誰かに憑依していたら?
 鷹村にそんな迷いが生じた。自分は中心にいたから闇の一番深いところを歩いているはず。だけど、研ぎ澄ました感覚には仲間の吐息ばかりがひっかかる。
 楽士は確か同士討ちが得意と言ってたっけ。戦力を下げるには一番強い人を操ればいい。
 闇の中心が過ぎたような気がした。しかし不安があたりを覆う闇の様に体の隅々を怪しくなでる。
「楽士がみあたらぬのう。がっくしー‥‥」
「楽士は憑依している‥‥」
 そう言い出すと、鷹村はホムラを振り回した。やられる前にやらなければという気持ちが支配する。
「な、無闇に武器を振り回しちゃ、ぐっ!!!」
 ネフェリムは慌てて隣で暴走をはじめた鷹村から距離を置こうとしたが、どこからどう飛んでくるのかわからない斬撃をかわせず、腹を切り裂かれた。
「し、しっかりするのじゃ! ああー、お先真っ暗じゃ!!」
 楓も慌てて止めようとするが、どこが手で、どこに本人が居るのかまったく分からない。
「つまらんことを言うな。とりあえず闇の中から出るんだ! このままでは同士討ちだ!!」
 ナノックは苛立ちを込めてそう叫んだ。憑依して『囁いた』に違いない。その言葉に皆我に返り、闇の中から四散する様にして飛び出てきた。
 様子をうかがっていた空は飛び出てきた鷹村を取り押さえようとしたが、疑心暗鬼にかられた鷹村は軽く身をよじっただけでそれをかわした。
「憑依されているのはあなたなんですよ」
「私の中にいるって言っても。じゃあどうすればいいんだ!!」
 自分が取り憑かれているということに頭をかきむしりながら苛立ちを爆発させる。元から後始末を任されるような苦労性ではあるが、楽士が中にいるという恐怖は耐え難いものがあった。ましてや、仲間が油断なく武器を構えていると、共々に葬り去られるのではないかと思わされる。
「これじゃぁ、どついても楽士にダメージはいかないだろうねェ」
 ネフェリムは鷹村の様子を窺いつつ、そう言った。直接攻撃をせず、人を操ることをしかしてこない楽士の戦いは、回避主体の戦術を根本から見直すことを要求された。
「ホーリーでもあれば楽士にだけダメージを与えられるのだがな‥‥」
 そんな言葉にいち早く反応したのは鷹村本人であった。
「それだ。ホーリーじゃないけど、あの黄泉の方陣なら、楽士にもダメージを与えられるんじゃないか?」
 なるほど。それもあるかもしれない。
 そう皆が思った瞬間にはもう包囲網を突破して鷹村は走っていた。その瞬間に楓が気付く。
「しまった! あれも楽士の仕業じゃ!」
「どうして?」
「あやつが転ばずに走れるなどとは楽士が操っているせいではないのか?」
 トンデモ理論だが、確かに走っても転けない鷹村の姿は楽士のコントロールによるものかと思ったのであった。



「もう少しです!」
 轟雷がひっきりなしに続く。雨はもはや土砂降りの中、レナーテが皆にそう声をかけた。彼女の言葉通り、方陣から漏れる妖気もとぎれとぎれになり、破壊が間近であることを知らせていた。
 頭上では炎の化身となった太吾が炎が大気を焼く音とともに気合いに満ちた声を上げた。黄泉の空気は攻撃を行う者の生命力を削っていったが、それでも攻撃を手を緩めるには至らない。
「こいつを壊して、大切なモノを取り返すんだ。ハッピーエンドに続く幸せの歌を!」
 月与が仏剣を振り上げた瞬間だった。
「うわぁぁぁぁぁっ!!」
 陣の中に一陣の風となった鷹村が飛び込んできた。魔性の空気は強い酸のように身を焼き、あまりの苦しみに転がり回る。
「!! 裕美お姉ちゃん!」
「‥‥! 楽士っ」
 鷹村の背から、羽化した蝶の様に人影が生まれる。それは確かに楽士の姿であった。
 その一瞬を狙って、火の鳥となった太吾が上空から襲った。楽士は避けようともせずそれを見つめるばかりであった。
 神秘的な瞳が太吾と一瞬交錯する。
 しかし、火の鳥の突撃は止まらず、楽士を焼いて突き抜けた。着地地点で炎はかき消えてその人本来の姿を取り戻す。
「ふん。混乱させようとしたか。しかし、志の火を持つわしにそのようなものは通用せんっ。もはや貴様の逃げ場は無いと知れぃ!」
 たたらを踏む楽士にレナーテの剣が続いて襲った。聖剣アルマスは防ごうとした楽士の腕を深く切り裂き、続いて月与の一撃が胸を突いた。それも決して浅くはない傷だ。
「あなたのために人生を狂わされた方々のためにもここで止めさせていただきます」
「もう、これ以上勝手はさせないよ」
 そんな魂の言葉に楽士はため息をつきつつ言った。
「やはり冒険者にはかないませんね。まあ良いでしょう。人はいずれその本性故に悪魔(わたし)を呼び、業によって殺し合うのです。己を人を愛という名で執着する限り」
 言い終わるのが早いか、大地が変形するのが早いか、楽士の周りが蒸気で満たされたかと思うと、次の瞬間、赤熱した溶岩が彼の身を焼いた。
「貴方には判らないかもしれませんね。愛するが故に愛する者の命を奪う事を選ぶ‥‥その想いを」
 『マグマブロー』の力を使ったのは空だった。寂しそうな、悲しそうな目で楽士を見つめた。楽士の色とりどりの衣はことごとく焼かれてその姿を現していた。
 それは月与や楓の見たときの様なクセのある青髪ではなく、レナーテのように長い黒髪であった。もの悲しい瞳に雷雲に溶けてしまいそうな白い肌。それは黄泉に最も近くなったこの場所で楽士の美しさはそこでこそ花咲く様な幽幻なもの
 そんな楽士の姿に真白い珠が取り巻いて、神秘さをいやがおうにも感じさせる。
「楓さんっ」
 空が叫ぶよりも早く楓は走っていた。あの白い珠こそ魂の欠片。
 だが、楓は走りながら、悩んでいた。たくさんありすぎてどれを取ればいいのか分からない。あの悪魔いったいどれだけの魂を保持していたのか。とりあえず、手近なものを両手に一つずつ、奪ってはそのまま陣の外に移動した。
「これでよいのか?」
 楓が掴んだ白い珠はそのまま二つとも空中を遡る様に天へ天へと登っていく。一体誰の魂かは見当も付かなかったが既にこの世の人ではないのだろう。
 残った白い欠片は次第に勢いを無くして地面に舞い落ちて、淡雪の様に溶けていく。
 そんな大地を真黒いブーツが踏みしめる。銀色の髪が暴風の中でなびかせながら、ナノックの助走をつけた一撃が襲いかかる。
「貴様の喰らった悲しみは無に帰す事で償え」
 突き出された槍を脇腹に受けながら、ほとんど下がらずに立ち向かう。勢いが乗り切らなかったか。心の中で舌打ちするナノックは楽士に不吉な影が漂っていることに気がついた。
「悲しみ? 喜びの間違いでしょう。皆望みを叶えられたのですから」
 ナノックやネフェリムが対悪魔の加護を得ている様に、楽士は楽士で神の使いからの攻撃を軽減しているようであった。
「違うね! あんたは、あんたのやってきたことの報いを受けるのさ! 命を奪った相手からね!」
 ナノックの攻撃に引き続いてネフェリムが武器の重量まで総て織り込んだ強打を放つ。そのスピードに楽士はついていくこともできず、真正面からその攻撃を受けて膝を折った。
それでも奴は生きている。
「逃げ場はないぞ」
 他の者からの攻撃を考えながらナノックは距離を保ちながら、構えた。
 だが、他の者からの攻撃がない。背に一筋雨粒が流れたような気がした。
「か、体が言うこときかない‥‥」
 レナーテは剣を構えたままぼそりとそう言った。悲鳴だったのかもしれない。だが、それにしては力なく、今にも消え入りそうであった。
 月与もすでに言葉なく、太吾も足は完全に止まっていた。
「‥‥方陣のせい、だよ」
 ネフェリムも苦しげに息を漏らした。ナノックもようやく、自分が蝕まれつつあることに気がついた。
 気がつけば黄泉の吐息は周囲一帯に広がっていた。それも止まることを知らず広がっていく。
「保持していた魂の中にどうやらそこそこ英雄はいらっしゃったようです。まさしく英雄不滅なり、ですね」
 血にまみれながらも楽士は笑った。


「門が、開かれていく‥‥」
 みなもは離れた位置から呆然とその光景を見ていた。先程までは嵐の中でぼんやりと光っていた方陣であったが、急に勢いを拡大させはじめた。このままではこの位置も危ないかもしれない。
「楽士を攻撃できればいいのですが」
 佳澄はライトニングを放つために狙いを絞るが、今でもナノックとネフェリムを撃ってしまいかねない。陣を狙うにも倒れた人を思うと確証をもてない。
 一か八かを狙うか、そう考えていた佳澄にふと人の気配がした。誰もいないはずの真横に。
 そこにいつから居たのか女が居た。赤子を抱いた女は、佳澄に優しく微笑むと、すい、と上空を指さした。
「あれを撃て、と?」
 ちょうど方陣の真上で小さな輝きが浮遊していた。ゆらゆらと。それは嵐の中で灯台の様な灯りであった。何かを導くために灯された輝きだ。
「みなもさん、あれを‥‥」
「小さな珠のようですけど‥‥私が狙ってみます。佳澄さんはその直後にライトニングサンダーボルトを多少ずれても矢が誘導してくれると思います」
 かくいう自分もあそこまで小さい珠を当てる自信はなかったが。
 弓を大きく引き絞り、みなもは神経を集中させた。同時に佳澄も雷撃のための詠唱を唱える。


「く、そ‥‥」
 攻撃を重ねるもだんだんと槍が重くなり、ナノックも次第に抜け落ちる体の力に耐えかねて、片膝をついた。
「詰めが少し、甘かったようですね」
 楽士も血を吐きながらそう言った。傷は決して浅くない。だが、これ以上の致命傷を負わせる者はもう誰もいなかった。シェラも遠くで藤孝を助けているが魂のほとんどを持って行っていたのだ。助かる様な生命力など残ってはいない。
 まどろむ意識の中で、月与は少しずつ記憶を遡っていた。そんな中で明確に聞こえるものが二つ。ここに来る途中にラシェルから言われた神からの祝福の言葉。それと忘れまじとしていたミーファの歌だ。
「さて、ここいらでお暇致しましょう。英雄が黄泉の鎖に縛られる姿はあまりにも‥‥」
 その言葉の途中で何かが爆ぜる音がした。陣の中央で上がった音は、つむじ風を呼んで狂おしい死の空気を振り払った。
 門が壊れたのだ。
「先にこれを壊せば良かったんだ。私と楽士が途中で乱入してきたから混乱したんだな」
 ゆらりと立ち上がったのは鷹村であった。傍にはポーションの小瓶が落ちている。
「おや、起きあがってくれるとはありがたいですね。少し体を動かすのに不自由な思いをしていたところです。あなたの中はなかなか心地よいですよ」
 させるかっ!
 そんな気持ちではいたが、いつ憑依されたのかもわからない。自分の思考でさえ信用できないあんな思いに抵抗する方法は、鷹村には思いつかなかった。
 楽士の手が伸びる。

 その瞬間、空が真白く輝いた。

「当たってっ!!!」


 矢が吸い込まれるように輝きにあたり、貫いたそれに魔法の雷撃が誘導された。
 高所を浮遊する雷の球体は、暗雲に溜まった雷電を雲の中から誘導し、空気の壁を壊して真下に走らせた。

 もうもうと煙があたりを漂う。
 黒い塊になった方陣の欠片がまず姿を現し、仲間達が姿を現す。そして最後に、炭の柱と化した楽士だったものが見える様になり、最後には打ち当たる強い雨粒に押されて崩れ去っていった。

 嵐が去っていく。
 蝕まれた大地の刻印は雨に流され、彷徨する邪気は暴風が吹き飛ばした。
 静寂の大地が今本来その姿を思い出すかのようにそこにある。

 命あるもの全てに狂気を歌わせる楽士はもういない。
 『あなた』の力に屈したのだ。

 『あなた』
 それは最も強き人の心である。