●リプレイ本文
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怖れる心忘れまじ、其は見据えたる道なれば
廻れども歩むれば、其は生き往く糧となる
信ずる心篤くあれ、我等が纏う衣と成らん
私が詠う吾が朋は、必ず皆無事還り来る
カンタータ・ドレッドノート(ea9455)は、すっかり秋色に染まった空に向かって歌い、その横ではラシェル・ラファエラ(eb2482)が祈りを添えていた。
「悪魔はもう完全に滅したようね。アンデッドの気配も、なし。魂はちゃんと解放されていればいいのだけど」
ラシェルは秋色が忍び寄る空を見上げてそう言った。悪夢に縛られた人々が笑顔を取り戻していますように。ラシェルは思い当たる関係者の顔を思い出していた。
「解放は、ちょっと辛いかもしれませんね〜。でも、みんな無事に生還できましたし、そのチャンスは巡ってくると思いますよ」
カンタータはもう一度歌を口ずさみながら、天橋立を歩き始めた。架け橋の中央、楽士が黄泉の方陣を起動させた場所一帯だけ樹が枯れ果てている。樹に宿る魂も抜き取ったか。だとすれば楽士が持っていた魂も黄泉に奪われたと考える方が正しい。
その言葉に、男の骸に合掌していた六条素華(eb4756)が、立ち上がった。
「残念なことです‥‥いずれまた、一局指して欲しかった」
素華は国司になる以前に藤孝と将棋を指したことを思い出した。犠牲を多く払って、相手を眩惑させながら、勝機を掴むその指し方は、彼の人生そのものであったのかも知れない。もしかすると、あの一戦も楽士のものであったかもしれないが。
それも気にすまい。今はこの爪跡を癒すことを考えることの方が大切だ。
素華の瞳がほうっと赤みを帯び始めた。
「この辺りで甘露の石版があるとのことです。急ぎましょう。私たちがすべきことはたくさんあります」
玄間北斗(eb2905)の言葉では、城で扱っている可能性が一番高いが、城は広大かつ複雑で、探索しているだけで期間を終えてしまう可能性が高いと言った。だから、この黄泉方陣のために持ってきている可能性を示唆したのだ。
フレイムエリベイションの詠唱が始まる。続いて、パーストの詠唱も。
「神のご加護を」
二つの詠唱を取りなすように、小さくラシェルが祈りの言葉を添えた。
魔力が紡ぎ上げたその世界に、石版は確かに存在した。
残念ながらその石版は甘露の完成とともに砕かれ海に捨てられたようであったが。その文面、そして楽士との会話から、何が必要であったかは十分に押し知ることができたのであった。
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「いったい、なにをそんなに悲しんでおられるのですか?」
レナーテ・シュルツ(eb3837)と十野間空(eb2456)は海の上で咆哮をあげる海竜、豊玉姫と出会っていた。
「テレパシーを使って意思疎通をはかってみます」
空はそういうとやおら詠唱をはじめ、豊玉姫の心に直接言葉を送り込んだ。
『何故、あなたは泣いておられるのです?』
『吾子。吾子がいないの。あの大きな岩に打ち上げられてから、いくら呼んでも戻ってこない』
「私は立岩を探検しました。ですが、貴女の言う子供の姿はありませんでした!」
『おぉぉ、吾子よ。海人の言葉通り、人に食われたのね』
そこではっと気がついた。それで海人族が勢いづいていたのか。いったい何があったのか詳しくない空にレナーテは話した。
「豊玉姫の子供を攫ったのはおそらく海人族でしょう。彼らは豊玉姫を後ろ盾にアジトを調査すればきっと何か証拠があるに違いありません」
アジトの場所も知っていますから、すぐ行きましょうと説得するレナーテに空はにこりとほほえんで、やおら、『イリュージョン』を唱えた。
たちまちのうちに、豊玉姫の鳴き声がぴたりと止む。
彼女には見えている。天への橋を泳ぎ上る吾子の姿が。
アコ アコヤ アナタノホホニ ササヤイテアゲラレヌ ハハヲユルシテオクレ
アコ アコヨ アナタノコエニ オウジテアゲラレヌ ハハヲユルシテオクレ
「後は海人族の仕業であると言いましょう。この悲しいすれ違いに終止符を打つために」
空の言葉にレナーテは静かに首を横に振った。
「豊玉姫は人も海人族も恨んでいたりしません。きっと子供を帰してほしかっただけだと思います。彼女を煽るとそれはきっとまた多くの人を悲しませることになるかと」
あれがきっと母の愛というものなのだろうな。
レナーテは空に向かって、じっと祈る豊玉姫の姿に、もう水の流れに乗せて苦しみも悲しみも押し流して、澱みを洗い流そうとしているように思えた。
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「婆様、お久しぶりです」
和泉みなも(eb3834)とチサト・ミョウオウイン(eb3601)は伝承と陰気の浄化を目指すために、丹後ではもっとも詳しいとされるパラの婆のところまでやって来ていた。
「おや、この前の。またお探し物かね?」
「はい、陰の気を循環させる手段の復活を考えているのです」
この地は楽士という悪魔によって神社も土蜘蛛も浄化に至るほどの力を失ってしまったのです、と付け加えた。
「マッパ・ムンディなどの本と陰陽寮の文献と照らし合わせてみたのですけれども、全く資料が揃わなくて‥‥」
チサトは深く沈んだ声でそう言った。マッパ・ムンディではこの気に関する話題はほとんど触れられていなかったし、十野間修が陰陽寮で得ることのできる情報をかき集めたものの、ほとんど肝心な部分は得られなかったのだ。
婆はしばらく二人の顔を見ていたが、ふと、みなもの付けた指輪を見つけて微笑んだ。
「おや、おめでたいことが?」
「え? あ、いや。その」
みなもは顔を真っ赤にして、慌てて首を振った。脳裏では、橘一刀の「夫婦になってくれ」という言葉が鮮やかに再現される。
「よい。おめでとう、じゃな。幸せな家庭を作るのじゃぞ」
「え、みなもお姉ちゃん結婚するんですか!?」
まったく知らされていなかったチサトは目を白黒させながら尋ねた。そしてすぐに温かい笑みでおめでとうと言った。
「さて、主はいずれ母になろう。子に衣を作り、飯を作り、愛を注いでいくことじゃろうな。子が病に罹ればきっと癒すことに躍起に成るじゃろう」
婆はニコニコと笑いながら、そう言った。真っ赤になって、そんなまだ早いですよ。とか慌てふためくみなもの横で、チサトは少し目を細めた。婆の目は笑っていない。あれは母子の関係を取って、大地と人との関係を説いている。
「それが子を思う気持ちというものだ。だがね、子はちゃぁんと母の苦労を知っている。だから、無理をして欲しくないと願うものじゃ。余所から見ればなんてマセた子じゃと言われるがの。互いを思い合う気持ち、それが愛というものじゃよ」
婆は呪術を知っていても教えるつもりはないのだろう。
都が在る限り、丹後はその陰の役目を負い続ける。それを大地に任せっぱなしにするのは忍びない。この丹後に生まれ、丹後で死する者だからこそ、共にその運命を受け入れたい。
婆はそう言っていた。そしてそれ以上、二人に解決の手段を教授することもなかった。
みなもはひたすら冷やかされていたが。
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「大変な時こそ、一時の気晴らしが大切なのだ。物は試しで来て欲しいのだ」
北斗の呼びかけはたちまちのうちに丹後中に広まっていった。そこには素華による丹後国内の連絡網形成による効果も大きかった。
人々は最初不審の目で冒険者達の呼びかけを聞いていたが、「隣人に成り済まし、疑心暗鬼で惑わす魔性は倒された。もう、互いを不審の目で見る必要はない」という北斗の力強い言葉に、少しでも覗いてみようか、という人々が増えていった。
そして何よりも決定づけたのは、
「皇大神社を再建するのだぁ〜。お給金も出るし、炊き出しもあるのだ」
仕事にあぶれる者は多かった。他人の誰を信用することもできなかったが、明日食べる飯の心配は自分の心配である。その言葉に仕事にありつけるのなら、集まった人間が多かったのだ。
「随分と集まったものだな」
明王院浄炎(eb2373)の言葉はさて、人間に対してのものだったのか、それとも浄財に対するものだったのか。
集まった人間の数は数百にも上り、冒険者同士のカンパニア(カンパのこと)は1200G以上も集まっていた。ちょっとした公益事業なら十分に行える金額である。この大資金と多数の労働者を切り盛りするのは彼とその妻の明王院未楡(eb2404)の夫妻だ。
「とりあえず破壊された資材を除去して、使える木材は再利用する。この中に建築に詳しい者はいないか?」
「建築関係はしたことなけれど、あそこの図面はうちの村の宝物庫にあったよ」
そう名乗りを上げたのは女であった。彼女の姿を見てラシェルが、あら、と声を上げる。
「確か、病気になった娘さんの‥‥」
確か楽士がジャパンで最初に姿を現した村にいた垣根村の人間であった。女もラシェル存在に気がついたのか、この前はどうも、と声をかけた。
「娘さんは元気?」
「残念ながら、夏になる前に逝っちゃった。あの神社の甘露は施餓鬼の為にあったみたいでさ、甘露をなめた人はみんな餓鬼に取り憑かれたみたいになってね」
女の顔に一瞬寂しそうな色が浮かぶ。悲しみの狂気に彩られた、そんな顔。でも、それもすぐに持ち前の明るい顔に戻り、にっと笑った。
「まぁ、あの子のことを忘れないために生きることが一番の供養になるんだ。精一杯働かせて貰うよ。この前の恩返しもまだしてないしね」
女の言葉に、おぅ! と勢いよく上がる声があった。垣根村の面々だ。きっと声を掛け合い、村人総出で来たのだろう。
「主らは自立自尊の民。互いを信じ、苦難すら笑い飛ばす強き者達と聞いておったが間違いないようだな。専門がいなくてもそれで構わぬ。人々の真心があれば神はきっと受け取ってくれるぞ」
浄炎の言葉に人々はおーっ!と声を上げた。
「そりゃ、行くのじゃ〜。うちは太鼓で応援するのじゃーっ!!」
枡楓(ea0696)が太鼓を力強く叩き、腹の底に響くような音をきっかけに皆を動き始めた。
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「甘露は実現不可能、ですね」
井伊貴政(ea8384)はカンタータからもらった手控えを確認して、溜息をついた。その横では奇面(eb4906)も仏頂面で手控えの写しを見つめていた。
甘露の製法は確かに印されていた。細かな分量や精製手段については研究の余地があったが、それも試せばいくつかはできるはずであった。
だが、材料には存在しない物や、理解しがたい物があり、それを作成するのは今現在では輸入に頼ってでも不可能であろう。
「だいたい、この『神の慈悲 一滴』というのはなんだ」
「何かの比喩だとは思うんですが、香料の類もインドゥーラ原産のものですねー。元は向こうの名産なんでしょーね」
貴政は原料を何度も眺めながら、それがどんな味を作っていくのか想いをはせていた。
「奇面さん。甘露を香に変えた研究をしていたそーですけど、その時見た甘露はどんなものでした?」
「色は乳白色。乳と水を半々で割ったような感じだ。ややとろみがあった。蜂蜜ほどではなかったが。香りは少し酒のようだったぞ。果実のような甘いにおいだったが」
奇は自分の研究メモを取り出して、事細かにそれを伝えていった。以前甘露を入手したとき、存分に研究をしていたのが幸いとなった。
それを聞いて、貴政はうん、と膝を叩いた。
「少し材料は異なりますが、似たよーなものならきっと作れますよ。丹後は幸い海も山も平地もありますし、材料を集めることはそんなに不自由はしないと思うんですよねー」
「本当か!? よし、ではわしが集めてくる。甘露を作れる。ふふふ、楽しみだなぁ」
「神の慈悲っていうのが一番再現に悩みますが、お神水(こうずい:神仏に供えた水のこと)にしておきましょっかー」
柔らかい笑顔を作りながら、奇に必要な事項を書いて渡す。料理人として達人の中の達人になっていなければ恐らく推測すら難しかっただろうが、彼の深い知識は甘露を独自に定義し直すことを可能にしていた。
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千々に千切れた宮津の民の
心をつなぐか太鼓の囃子
沈める土地へ響けよ響け
清めの音撃(おと)を叩き込めーーー!
楓の太鼓の音に合わせて、人々は歌い踊る。
「こりゃあ情熱的なダンスだな! 一緒にタンゴを踊る美女も探すぜぃ!」
ケント・ローレル(eb3501)は祭の人混みの中、美女を捜し求めてさまよい歩いた。まずパッと見つかるのが、巫女装束の黒髪のべっぴんさん。と思ったら、見返り美マダムの未楡だった。丹後の人間どころか旦那持ちじゃないか。
続いて、目に映ったのはその横にいるみなも。
「子供はちょっとなぁ」
「いいんです。私には彼がいますから‥‥っ!」
指輪を大事そうに抱き締めるみなも。チサトじゃ親子になっちまうし、楓は太鼓に夢中。ラシェルは民に対して教え諭しているし、レナーテと素華はなにやら話し込んでいる。
‥‥いない。
「ちくしょーっ!? クー! メリッサー!!」
それは確かに女だけど、馬だ。華麗に舞い踊るサントスのおっさんまで、丹後のレディと仲良くしているっていうのに!!
「どうしたの?」
そんな時に後ろから声をかけたのは明王院月与(eb3600)であった。手からは貴政と奇、そしてカンタータの合作である、保存食の甘露アレンジが香ばしい匂いを漂わせていた。
「イヤ、ちッと人生の不条理ってヤツを味わってたんだ‥‥」
不思議そうな顔をしながら、月与は、あ、そういえば、と言葉を続けた。そこにはどこか意地悪な笑みが浮かんでいる。
「お兄ちゃんに会いたい人がいたから連れてきたよ」
「ダレだよ。そんな奇特なヤツぁ」
ちょっとひがみに入ったケントは月与の指し示す方をげんなりとした顔でみた。そして、その顔がぴたりと止まる。
艶やかな黒髪は風を纏って緩やかに流れる。流れるような曲線の腕が水干から覗き出ていれば、細い月の眉に、伏し目がちの目を彩る長いまつげ、透き通るような雪化粧の肌は艶めかしく、紅をつけた唇は少し動くたびに、ケントの心を惑わした。
「夫が、言っておりました。まだどうしても約束を果たせていない大切な御仁がいるのだと」
白磁の手がそっと伸びて、ケントの手を引く。
「ハハ、そーだぜ。話したいこともイッパイあンだぜ? タダオキ、じゃねェやテンジュにも話してやろうと思ったんだ。エドにいる浪人でエド一の舞姫に惚れちまってよー! 押しの一手でエド一の舞姫をゲットしたんだと! まったく俺様周りはこんなヤツばっかだゼ」
笑みをこぼしながら、ケントは語る。
「ほらほら、もうすぐお姉ちゃんの舞が始まるんだよ。どうせなら一緒に踊ってきたら? みんなを元気づけてあげようよ」
月与は二人をぽんと仮設の舞台へと押し出した。
皆歌い踊っている。月与は一人泣いていた。
楓の太鼓に合わせる、あの舞歌は。
ああ、『彼女』も歌っている。
丹後の皆で歌っている。希望の歌を。