悪魔に魅入られた彼女(ミスティック)

■ショートシナリオ


担当:DOLLer

対応レベル:5〜9lv

難易度:普通

成功報酬:4 G 12 C

参加人数:6人

サポート参加人数:1人

冒険期間:10月14日〜10月24日

リプレイ公開日:2006年10月23日

●オープニング

「アストレイア様。お加減いかがですか?」
 まだ慣れない礼をして部屋に入ってきた少女は、ベッドから身を起こして迎え入れる主の顔色を窺った。
 また白くなった。この人は雪のようになり、この冬を越せば淡く溶けていくのではないか。そんな風にも思えた。
「また、煉獄の夢を?」
「生きて灼熱に身を焼かれるよりはマシでしょう。これくらいの痛み耐えられなければ、人の痛みを知る事なんてできません」
 アストレイアの言葉はいつもそうだ。昨日のセリフは、職も飯も与えられない不遇の人よりは遙かにマシ。そして一昨日は、高みへ目指すためのタロン様の試練よ。だった。
 これがタロンの試練なら、私はセーラ様にこんな不条理なことがあってたまるか、と泣きついているだろうと思うのだが、あいにく主は必要最低限にしか頼ることをしらなかった。
「悪魔は退治されたのでしょう? どうしてアストレイア様は今も苦しまなくてはならないのですか」
 騎士見習いの少女は今日思い切って不思議に思ったことを口にした。
 アストレイアの魂は悪魔によって切り刻まれ、あまつさえ、その一部を奪われてしまった。その為に、病弱になってしまったのだ。今でも鍛錬はかかさないが、その衰えぶりは明らかであった。
 しかし、つい最近、悪魔を打ち倒したという報が届いた。それでアストレイアも救われるはずだった。涙をこぼして喜んだのに。
 だが、現実は悪夢に苛まされる日々の始まりであった。毎夜毎夜、煉獄をさまよい歩くのだという。その心的苦痛はいかばかりか。精神的圧迫に耐えかねてやつれた顔がその片鱗を物語っていた。
「多くの人が救われる時、少なからず犠牲は生じるものです。むしろ私がその犠牲になれたことは喜ばなくてはなりません」
 笑顔と強い光の籠もった瞳をもってそう言われると、少女はもう何も言えなかった。
 よほど悲しそうな顔をしていたのか、少女の顔を見て、アストレイアは笑った。
「心配してくれてありがとう、テミス。実は私も少し現状のまま何もしないでいるのは皆に悪いと思っています。だから、薔薇の泉に行って清めを行おうかと考えているの。良かったら、お手伝いをお願いしてよろしいでしょうか」
 薔薇の泉。それはバラ色の水がわき出すと言われる、不思議な泉のことであった。逸話ではその水は生命力に富んだ魔法の泉であり、目に一滴垂らすだけで失明を回復し、傷口にかければたちどころに癒えるという。
 さすがにそんな伝説的な力はないが、それでもその泉を守る妖精達はたくさんいるというし、巡礼者がそこに訪れて、その水で穢れを落とすこともあるという。
「で、でも、薔薇の泉って往復1週間はかかりますよ!? 準備や清めの儀式などの時間も考慮すると10日になります。体が‥‥」
「別に死ぬわけじゃないのだから、気にすることはありません」
 他にも心配事を並び立てたテミスであったが、薔薇の泉で身を清めること自体が無意味であると否定されなくて良かったと当の本人は笑い飛ばしたのであった。


「それで、護衛を?」
「はい、そうなんです。アストレイア様はほんとに頑固な方で‥‥」
 アストレイアが騎士をしていた時、従者であったテミスはもうその堅物ぶりをよく知っていた。思わず冒険者ギルドの受付カウンターでも、そう言っては溜息を漏らしてしまう。
「何よりも怖いのはアストレイア様は悪魔に魂の一部を奪われているということなんです。泉を守る妖精達がそれを知ったら、悪魔の手先か、唆されている者かもしれないとして排除してこないかと。伝説でも薔薇の泉には悪い人や悪魔が寄りつかぬようにしていると話もありますから‥‥」
 体力の落ちた女の護衛で、しかもそこの泉の番人から攻撃される恐れがある、と。厄介なことこの上ない。その上、番人である妖精の方が正当性があるから排除しにくいし、なによりそこまでやって確実な効果を得られる可能性は低い。受付員は依頼をとりまとめながら頭を悩ました。

「ご迷惑申し上げますが、どうかよろしくお願いいたします」
 深々と頭を下げるテミスを見て、ああ、こんなときこそ神のご加護がありますように。という、あの決まり文句は生きてくるのだな。そんなことを想いながら、出口でもう一度礼をする彼女を見送ったのてあった。

●今回の参加者

 ea1787 ウェルス・サルヴィウス(33歳・♂・クレリック・人間・神聖ローマ帝国)
 ea5227 ロミルフォウ・ルクアレイス(29歳・♀・ファイター・人間・ノルマン王国)
 eb2456 十野間 空(36歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb3512 ケイン・コーシェス(37歳・♂・ファイター・人間・イギリス王国)
 eb3600 明王院 月与(20歳・♀・ファイター・人間・華仙教大国)
 eb4906 奇 面(69歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)

●サポート参加者

十野間 修(eb4840

●リプレイ本文

「定常にして癒しの光 慈悲深き我らが母よ」
 ウェルス・サルヴィウス(ea1787)の祈りの言葉が小さく漏れる。ウェルスは小さな礼拝堂で片膝をつき、両手を固く結んで深く祈りの世界に埋没していた。
 全ては祈りの世界の出来事。それで全てが救われるわけではない。だが、祈りは少なからず現世に影響を与える。だからウェルス達クレリックは敬虔な祈りを捧げる。一人の人間ができる、万民を助ける無二の手段であるからだ。
 そうこうしている内に祈りの世界は輝きの世界へと帰り、静寂の闇が辺りを包む。
 ウェルスは祈りの締めの言葉を囁いて立ち上がった。
「私たちの行く先に、加護あらんことを」

 ウェルスが礼拝所の扉を開けると、朝の輝きがウェルスを眩惑させた。秋の身をぴりりと引き締める清涼感に溢れた空気が祈りに徹していた彼の体を優しく癒す。
 今日は薔薇の泉への出立日であった。どうしても祈りを捧げてからにしたいという彼の希望により、集合場所は目の前であった。
「よう、祈りは終わったか」
 ケイン・コーシェス(eb3512)は引き連れてきたまだ若い戦闘馬のウマの背を撫でながら、扉を開けて眩しそうにしているクレリックに手を挙げて呼びかけた。
「これで四人。後は幌を取りに行っている月与と空だけだな」
 ケインは辺りにいる、依頼主と同行者、そして仲間達の姿をもう一度確認した。ケインの側には、その横ではどことなくそわそわとしている騎士風の衣装に身を包んだ少女テミスと、その後ろで小さなセキを繰り返すアストレイアの姿が。そんなアストレイアを気遣うように優しく背をさすりながら励ましの言葉をかける女性、ロミルフォウ・ルクアレイス(ea5227)、礼拝堂の壁にもたれかかり、じっと動かない仮面を身につけた奇面(eb4906)がそこにいた。
「けほっ、けほけほ」
「大丈夫ですか? お水を飲まれてはいかがかしら? 口を濡らす程度でもだいぶん変わってくると思いますわ」
 先ほどから咳の止まらないアストレイアに、自らの腰に付けた水袋を差し出したロミルフォウは、アストレイアの顔をじっと見た。家事に慣れている、
「ありがとうございます。でも、それほど気にすることはありません。いつもこんな感じですから。ご心配をおかけして申し訳ありません。私自身気をつけるようにしたいと思います」
 彼女の容態は確かによろしくない。健康状態の悪い彼女の体は、恐らく完全に力が入らず何をするにも不利益を被るだろう。
 そんな姿を見て、ロミルフォウは胸が痛くなった。
「降りかかる災いを、試練として受け入れ、立ち向かうお姿。高潔さ故に、痛ましいものですね‥‥。いつか、その試練を乗り越えられ、貴方が想い、想われる方々と幸せな日々を送ることができるように…この日が始まりとなればと、心より願いますわ」
 これから向かう薔薇の泉で穢れを払うことができたらいいのに、そんなようにふと思いながら、彼女は秋晴れの空を眺めていた。
 その視線の向こうから、音を立てて幌馬車がこちらに向かってくるのが見えた。遠目から見ても仕立ての良さそうな幌が、一行の注目を集めた。
「幌馬車借りてきたよ」
 その御者台から明王院月与(eb3600)は大きな声と手の振りで合図をした。御者台にはもう一人、十野間修が一緒になって手綱を握っていた。二人とも御者は慣れていないのか、馬車の動きが少し怪しい。側には十野間空(eb2456)がついて歩いている。
「随分いい幌馬車だな。農家から荷車でもいいって言ってなかったか?」
 自分の馬を奇に渡し、馬装を調整しながらケインが問うたのに対して、月与は苦笑いをして、御者台から修と共に降りながら答えた。
「荷車は収穫祭があるから全部だめ。で、テミスお姉ちゃんの紹介で馬車を貸してもらうことにしたんだ。危険もあるし、街道外だからって随分かかったんだよ」
 報酬から出すしかないかーなどと相談している間に、テミスはアストレイアを幌馬車の中へと案内し、そして自らも乗り込もうとしていたので、月与が慌てて声を上げた。
「テミスお姉ちゃん、御者お願いできないかな。従者だったテミスお姉ちゃんが一番上手く扱えると思うの」
「わ、私が御者をするんですか?」
 なんだかひどく驚いた顔でしばし周囲の顔を見回すテミス。困ったような顔をしている彼女にアストレイアが立ち上がった。
「私が御者を務めます」
「アストレイア様、それが一番本末転倒です! 御者は私がしますから大人しく馬車の中で寝ていてください」
 慌ててアストレイアを押しとどめるとテミスは御者台に走り、手早くその席に着き、冒険者達をかけた。
「準備は良いですか!?」
「わ、ちょっと待って!!」
 どたばたとしながら、準備を整える冒険者。ウェルスはテミスの横に邪魔にならないように座りながら、どうも虫の居心地の良くない彼女の横顔を見て苦笑した。きっと側に付けないことが予想外だったのだろう。
「行くぞ。先導はわしがする。危険を感じたら合図をする」
 奇がケインの馬に乗り先行哨戒を。そして馬車の右手にケイン、後方にロミルフォウが付き、馬車の中に空、月与、アストレイア、御者台にウェルス、テミスという陣容だ。
 馬の鳴き声が天高い空に響き渡り、旅路が始まる。


 旅中、食事の担当はほとんどロミルフォウであった。もちろん保存食は全員が携帯しているのだが、水気のまったくないパンや塩辛いだけの材料でも、彼女の手にかかれば美味しくなるのだから不思議としか言いようがない。
「ふむ、これは確かに美味いな」
 鍋に入ったポトフを仮面を左手の親指でくいと上げると、味見をするのは奇だ。
「旅の空ですし、十分な物は用意できませんが‥‥こうして皆でお食事するのって、何だかわくわくしますね♪」
 全員の分を取り分けながら、ロミルフォウは楽しそうにそう言った。
「確かにこりゃ美味そうだ。ウェルス。お前の分そっちに持って行こうか?」
 その心までも温かくする湯気いっぱいの皿を受け取って、じっと瞑想をするウェルスに声をかけた。
「‥‥ありがとうございます。パンとお水だけいただけますか?」
「どうしたんだ、具合でも悪いのか?」
 ケインは遠慮がちにそういうウェルスの顔を見た。彼はそう言えば昨日もまともに食事を取っていなかった。行軍中に何かを食べている様子もなく、暇さえあれば祈りをしているようであった。
「祈りは煉獄に焼かれる魂を救うと言われていますから、実践させていただいているのです」
 クレリックが深い祈りや、大きな儀式に参加する時たまに断食をして不断の祈りを捧げると聞くが、まさか彼が今それを実践しているとは思わなかった。
「そりゃ構わないが、体を壊したら何にもならないぞ。旅は体力を使うしな」
「はい、皆さんにご迷惑をおかけしないようにはいたします。ですがアストレイアさんがあのような苦しみを和らげるように、できる限りのお手伝いをさせていただきたいのです」
 ウェルスの言葉にケインは、くつくつと忍ぶように笑い声を上げた。
「お前もそのクチか。俺もな、久々にパリに戻ってみれば、アストレイアはやけにひ弱になっているし、その件で知り合った月与もいるし、依頼に参加すればお前さんがいるときた」
 二人は以前、アストレイアに関する依頼を受けていたから、顔見知りではあった。二人ともそれぞれの道を歩んでいたのだが、まったく不思議なものだ。しかも考えていることまで、それほど変わっていないことを聞かされると、もう笑うしかなかった。
「不思議な女性だな。アストレイアは」
「きっとそれが彼女の力なのでしょうね」
 二人は呆れたような、楽しいような、不思議な笑みを浮かべながら、幌馬車の中を見た。あの中にも、同じような気持ちを持った者がいるのだ。

「飯が出来たぞ」
 ケインがウェルスに対してそうしたように、奇は幌の中にいるアストレイアと空に向かってそう声をかけた。空は奇の言葉を通訳しながら立ち上がる。
「ありがとうございます。あ、私が取ってきます」
「もう持ってきている。ロミルフォウの作ったポトフだ。飲め」
 そう言って、奇は『鍋から半分以上取り出した』ポトフを『大皿にすり切れ一杯まで注いで』渡した。ここにいるのは現在、空とアストレイアの二人。
「‥‥‥これ、何人前あるんですか」
「一人前だ」
 嘘だ。明らかに三人前はある。
 微妙な沈黙が降りる。
「き、きっと取り皿あるはずですよ。探してきます」
「あ、私が行きます。元気なことをアピールしないと、私にかかりきりになって余分な苦労をかけてしまいます」
 ゆっくりとした動作で立ち上がるアストレイアを空が押しとどめた。その目には悲しそうな、そして優しそうな瞳が籠もっていた。
「目眩を起こしているのでしょう? テミスさんからも聞きました。本当に必要最低限しか頼ることをしない、と。せめて私には弱音を吐いて下さい、貴方の苦しみや悲しみを背負わせて下さい。私は貴方の伴侶なのですから」
「だからこそ。力をお借りするわけにはいきません。共に生きるというのは共に強さを持ち、支え合うことです。それに私は本当に苦しいと思ったり、心が折れたりしたことはありませんから。もしこれから私が弱気になったときこそ、お願いしますね」
 アストレイアはどんな時でもアストレイアだった。そして曲がらない一直線な性格は堅物というに相応しい。きっと何を言っても考えを曲げることはないだろう。空が留守の間世話を見ていたテミスの苦労も分かる感じがした。
 どんな言葉をかけたものか。空が考えていると、幌の隙間からぬっと奇妙な仮面が姿を現した。奇の仮面だ。
「飯だ、食え」
「さ、さっきいただきましたよ?」
「さっきのはスープだろう。今度のはわしが作った飯だ」
「‥‥‥‥」



「一番大切なのは、不要な誤解と軋轢を生まない事です。その為に、語らぬ事を選ぶ事も、言葉を選ぶ事も必要となります。交渉や説得は私達に任せてくれませんか?」
 まもなく薔薇の泉がというところで、一行は打ち合わせをしていた。特にテミスとアストレイアに話をさせないということが焦点であった。
「どうしてですか。誤解があるからこそ、自ら説得にあたることが必要だと思いますっ」
 真っ先にテミスが反対を口にする。所存を他人の口が語るなど彼女には考えられないのかもしない。
「いや、ですから、それが妖精さん達にあらぬ誤解を招いたり、話がこじれたりする可能性が‥‥」
「誠意を見せることの方が大切でしょう」
「テミス。妖精と私たちとは基本概念が異なります。誠意を持って話をすることは私も大切だと思います。それは冒険者の皆さんも同じでしょう。誠意を持って話してくれるのですから、交渉に長けた彼らにお任せするべきでしょう」
 アストレイアもたいがい堅物だが、テミスもかなりそれに近かった。さらに年若さが拍車をかけて、融通がまるでなかった。アストレイアの言葉によって渋々了解はしたものの、やっぱり当事者の言葉が一番心に伝わるんじゃないですか、とか呟いていた。
「とりあえず、妖精に信頼してもらわないとな。見た目だけでどうにかなるとは思わないが、聖者の法衣だ。精神力を高める魔力もあるそうだから、帰るまで着けててもいいぞ。毎日煉獄の夢だなんてやってられないだろ」
 ケインはアストレイアの方に法衣をかけてそう言った。続いて月与がガッツポーズをして微笑みかける。
「大丈夫。どっちも怪我することないよう、あたいがしっかり守ってあげるからね」
 そうしながら、準備が整い、しばらく歩いたときだった。
「ナニモノダ!」
 警告の声が森に響いた。
 来た。
「私たちは薔薇の泉にて清めを願うもの。ここに病気に苦しんでいる方がいます」
 ウェルスがまだ姿を現さない『声』に向かって話しかけた。
 森は風もなくうごめきながら、しばし沈黙を続けた。
「聖者の法衣だ。でも、その下からは鉄の臭いがするぞ」
「僧侶でもないのに何故法衣をまとう?」
 しまった。やぶ蛇だったか。そんな思いを持ちながらもロミルフォウが言葉を続けた。聖なるアイテムを身につけただけだと悪魔だとはされなくても悪人であるかないかを判断にはまるで役に立たないようだ。
「妖精の皆さんが警戒すると思ったからですわ。悪魔から泉を守ると聞いていましたの」
「全員ではないな。何故その女だけだ?」
「こりゃやばいな。やたら鋭い」
 突き刺すような視線を感じて、ケインと月与はアストレイアを守るように一歩、歩みを彼女へと寄せた。このままでは決裂で終わりそうな可能性も高い。
「彼女は今病気で苦しんでいるのです。一説に悪魔によるものだと言われています」
 空が口を開いた。もう彼らが持っている真実に肉薄してきている。どこまで魂を奪われたことについて触れられずにいられるかと考えていた。
 多分、次はもうない。これだけ鋭ければ魂を取られた可能性を十分感じているだろう。
「悪魔によって病気に‥‥? 法衣を取れ」
 一瞬どきっとしたが、アストレイアは、短い返事をすると月与に法衣を渡して立った。緊張は若干見て取れるが、胸を張ってどうどうと立つ様は病弱なる前、騎士だった時の風格とそれほど変わらない。
 わずかな沈黙の後、森の声が響いた。
「清めを許める。ただし少しでも泉でおかしなことをしたら、森から帰さんぞ」
 それきり、森のざわめきもなくなり、静かな森に戻っていた。
「了解を得られたみたいだな。ふぅ、ひやっとしたぜ」
 ケインの言葉はそこにいた皆の気持ちを如実に表していた。


 それほど広くもない泉であったが薔薇の泉は、確かに文字通り薔薇色であった。普通なら碧の世界が薔薇色に染まっているのはとても奇妙な感じがしたが、神秘的であることは間違いなかった。
「薔薇の泉の調査はできんとは‥‥」
 奇は酷く不服そうに泉を見つめていた。暴れることはしないという条件だったため、怪しい素振りをすること止めておこうということになったのだ。ウェルスも良ければ持ち帰りたいと言っていたが、これも自粛に。
「それでは一番にアストレイアさん、二番目にロミルフォウさん、最後に私でよろしいですか?」
 沐浴を希望した者をとりまとめて。ウェルスは順番を取り決めた。そして早速行動を開始する中、心配そうな顔をしていた空に月与が笑っていった。
「幾ら心配でも、覗いちゃメ〜だよ」
「しませんよっ」
 顔を真っ赤にして空は叫んだのであった。


 帰りの馬車で。
 アストレイアは熟睡していた。いつもうなされ途中でみんなに心配されて起きていたのだが、疲れ切って夢も見なくなったのか、それとも本当に清められて少し容態が良くなったのか。
 なんでもない普通の眠りがきっと彼女にはありがたいものなのだろう。
 はやく元気になりますように。誰もが少なからず願ったのであった。