●リプレイ本文
●ウェルス
セーヌ川に関する水害で避難している人々が住まう住居区はいつになく賑やかであった。人の活気が、という意味もある。だが、それ以上に皆が目をぱちくりとするばかりの荷物が運び込まれていたからだ。
衣服の着替えや、医薬品、身だしなみを整える日用品一般。少なくなってきていた食料庫も賑やかになっていた。
今日の朝までは自らに降りかかった災厄に呪いの言葉を吐きかけていた者も、今は神様に祈る言葉にすり替わっていた。
神の御子が降誕されたその日に。ああ、なんてかくも温かい慈悲が降り注いだのか。
「おいおい、こりゃあ聖夜祭のプレゼントか? 一体誰がこんなに」
自分も乗り遅れてはならないと、慌てて走ってきた男が、近くで荷物の振り分けをしている仲間に話しかけた。
「ああ、ウェルス・サルヴィウス(ea1787)さんっていう人が、一人でも多くの方があたたかい聖夜祭をすごせますようにって寄付してくれたんだそうだ。ほれ、お前の取り分」
雑多なモノを固めてよこす、仲間に男は見下ろした。
「あ、礼を言わなきゃ。そのウェルスさんっていう人どこにいるんだ?」
ぐるりと見回しても、荷物を運ぶ姿にそれらしいクレリックの姿は見あたらない。代わりにパラのリーススが元気よく配送作業を行っているけれど、僧侶という感じではない。
そんなきょろきょろと見回す男に、仲間は振り分け作業の手を止めて笑った。
「お前、俺と同じことするな。ウェルスさん、ここにはいないよ。他にも回るところがあるんだってさ。私がやりました、って言いたくないんだろ。すげぇ人だよ」
「ああ、ほんとだ。清貧の聖者様、だな」
振り分けられた荷物を抱えて、男はぼそりと言った。
その日の夜、男は久方ぶりに存分に祈りを捧げたという。
その当人である聖者と呼ばれたウェルスは、実はそれほど離れた場所にはいなかった。
石工であり、セーヌ川の堤防を切ることを呼びかけた男、シルヴァの家を訪ねていた。
「神の加護がありますように‥‥」
ウェルスはそういうと、ベッドに横たわるシルヴァの妻であるエーミィと、生まれて間もない赤子の首に聖印をかたどったメダルをかけた。祝福を受ける二人の顔はとても安らいだ幸せそうな顔でそれを受けていた。
「ウェルス殿、ありがとう。あの時の堤防切りは全員が一つになったから成し遂げられたのだと思う。信頼できる者がいるのはとても頼もしい。また何かがあれば力を貸してくれ」
「もちろんです。私にできることがありましたら、なんなりと言って下さい。それでは‥‥」
優しい笑顔を作って、きびすを返そうとしたウェルスに、シルヴァは呼び止めた。これだけしてくれる人を何のもてなしもせずに帰すなんてできるはずもなかった。
「せめて、お茶だけでも飲んでいったらどうだ。外は冷えるだろう」
「ありがとうございます。ですが、これからまだ先に急ぐところがありますので、そのお気持ちだけいただきます」
そう言ってウェルスは祈りの十字を切るとシルヴァの家を後にした。
「『おかけざまであれ以来何事もなく過ごしてます。お気遣いいただいてすみません。ありがとうございます』そう言ってくれました。小さな聖像も喜んで下さいまして、壺の隣に飾ってくれましたよ」
病の床に伏す、老師にウェルスは語りかけた。
「アルマンさんには、リーススさんから筆記用具を渡してもらいまして、ありがとう、と。本当は私の方がお礼が言いたいくらいです。今日はたくさんの人にありがとうを言っていただきました」
ウェルスの告白に、老師は深い皺を動かして、小さな笑顔を作った。
そして、穏やかな声で老師は言ったのであった。大きくなったね、と。
●空
アストレイアは修道士と同じ生活を送っていた。黒の教会は厳格であり、毎日の生活も負担が大きなところがある。
「大丈夫ですか? 風邪を引いたりしていませんか?」
「セーヌ川の水害や、テミスのことを思えばまだ恵まれている方です。それに寝ているよりこうして体を動かしている方が、元気になれる気がします。はやく元気になって空さんの力になりたい」
修道士と同じ衣装を身に着けているアストレイアは白い顔に笑顔を浮かべて言った。いつでも、そう。彼女はやはり自分の苦しいことは言おうとしない。本当に呆れるくらい。
だが、付き合いの長い十野間空(eb2456)は穏やかに笑うだけだった。そんな彼女の行動を空は十分読んでいた。
「貴女なら、そう言われるだろうと思っていました」
そんな彼女に空はふわり、と白いローブをかけてあげた。風に浮いたため、それはとても軽そうに見えたが、アストレイアの肩に乗るとそれはしっかりとした重さを感じさせる。材質からも、そのローブに描かれた刺繍からも。
「これは‥‥」
「ホーリーナイトローブ、です。貴女がどの道に進まれるにしろ、きっと似合うことでしょう」
空の言葉にアストレイアは驚いたようにローブと空を交互に見つめた。
そしてしばらく考えると、アストレイアは手紙を取り出して、それを空に手渡した。
「これは?」
「‥‥もし、楽士と相まみえ、苦しみ悩むようなことがあったならその手紙を開いて下さい。もしかしたらお力になれるかもしれません」
ホーリーナイトローブに手を通した彼女から渡された手紙。手紙を通して、彼女の意志が伝わってくる。
楽士についての思うところを書いたものであろうか。彼女もまた、床からそれほど離れることのできない身だからこそ、あれこれを考えを巡らせてまとめていたのであろう。
とすれば、これを空に手渡したということは。
アストレイアの瞳はとても強かった。
ウード公と正面に座っていた。その間には木製の盤が一つ。駒がいくつも並べられていた。その傍には日本酒が置かれている。
「あの、将棋をされたこと、あるんですか?」
「ノルマン王家が復興した後ろ盾にはジャパンの力があった。その文化と接触する機会はあったとは推測できんかね」
ウードの言葉に空はああ、なるほどそうでしたね。と頷いた。
どうりでやたらに上手なはずだ。ウードは戦術を組み立てて、駒を動かしてくる。駆け引きなども遠慮無く仕掛けてきて、空はかなりの苦戦を強いられていた。
「ところで、娘をどう思う」
「は?」
苦心の一手を繰り出したところで、ウードがそう言った。予想外のアプローチに言葉がうまくまとまらない。
「とても、意志の強い立派な方だと思います」
「魂を奪われながら、あそこまで頑固なのは確かに意志が固いというべきだろうが‥‥単なる我が儘だという見方もある」
容赦ない言葉に、空は黙った。ウードは娘のことを放任しているようにみえるが、それでいて親馬鹿なくらいよく見ている。ウードの一手にまた悩みながら、空は言葉を続けた。
「そんなことはありません。アストレイアさんはたくさんの人を思いやることのできる素敵な女性です」
「ふむ。お前もなかなか頑固だな」
ふと気が付いた。いつぞや結婚を申し込んだ時は魂を奪われる前後だ。
もし、ウード伯はそれに気づいていて、娘をやるものか、と言ったのだとしたら。
「アストレイアは魂の半分ほどを奪われているようだな。伴侶というのも自身の半分を分かち合うようなもの。お前が魂を取り戻すことができれば、結婚したのと同義だな」
「え」
ウードの言葉にぴたり、空の手が止まった。
いや、確かにそんな考えもできるが、それってもしかして。
「悪魔の花嫁よりはマシだ。王手」
空の顔色も見ずに、ウードは駒を進め、そして立ち上がった。
「ワシより悪魔の方がよほど戦は巧いぞ。遊戯はともかく、本番で負けぬようにな」
ウードはそう言うと去っていった。
●月与
「さあ、どんどん食べて。何時もどこかで誰かの為に頑張ってる人が居るの。だから、どんなに辛い事があっても負けちゃ駄目だよ」
明王院月与(eb3600)は大鍋をかき混ぜながら、集まってきた人々にごった煮を振る舞っていた。材料は同じくスラムの人にも恵みをあげたいと言っていたウェルスからの提供もあったし、月与はそれを食べやすい大きさに切って煮込むだけでもかなりのものができあがっていた。
「大人数の料理も分量大分わかってきたし、この鍋すごく使いやすいし」
先の依頼で鉄人の鍋をもらった月与は、自らの家事の腕前を助けて、思い通りの味を引き出すことに成功していた。焦げ付かず、でも、火はまんべんなく通るし、混ぜやすいし、かなり丈夫。
「今日は大盤振る舞いなんですねー」
人々が喜んで鍋を食べ合っている中で、ユーリがハリセンを振り回してやってきた。さっきからスパコン、スパコンと鳴らしてかなりご機嫌さんのようである。
「あ、ユーリお姉ちゃん、ハリセン気に入って貰えた?」
「はい、大感激です。このデザインもよくて、みんなから追い回されて大変なんですよー」
そう言うと、ユーリは天高くハリセンを掲げた。すると、それを求めて走り回っていた子供達がバタバタどたばたとやってくるではないか。それぞれ手に雛人形とか、寝袋などを引きずっている。
「ダンディ、雛ブラック参上!」
「エチゴヤ、安眠ライダー登場!」
「ぽかぽかあったかマン、見参!」
それぞれポーズをとって月与の前に登場する子供達をみて、月与は、あっと声を上げた。どこかでみた品物達だ。
「あー、それあたいがあげたやつ! こらっ、それは困っている人のためにあげた奴なんだからね」
鍋をかき混ぜていた大きな棒を振り上げると、子供達は蜘蛛の子を散らすように逃げていった。
「きゃあきゃあ、怪人の攻撃だぁ」
「もう、あの子達ったら」
見送る月与にくすくすと笑いながらユーリが言った。
「月与さんはやっぱり凄いですね。私より喜ばせるのが上手です」
その言葉に、月与はピタリと止まった。そんなことはないよ、そういうつもりであったが、あれ、前もどこかでユーリお姉ちゃんから言われたような?
ああ、そうだ。この前の炊き出しの時だ。アストレイアお姉ちゃんのことを相談したら、ユーリは似たようなことを言ったんだっけ。あの時は胸のことを指さされてびっくりしたけれど。
胸っていうのは心とか気持ちのことだったんだ。
貴女のその気持ちが、既にアストレイアさんを喜ばせているんですよ。きっとそう言いたかったんだと思う。
具体的な解決方法は見いだせないけれど、なんだか急に気持ちが軽くなった気がした。
「さあて、プレゼントは後一人‥‥」
聖夜祭はもちろん冬のまっただ中であるから太陽が落ちるのも早い。早々に訪れた夕暮れ、月与は炊き出しの手伝いをしていた修の元へと走った。修は用事があって、今日一日だけ月与のお手伝いをしにきてくれている。
忙しそうに炎の調整を受け持っていた修に、月与は一歩一歩足音を忍ばせて近づく。本当はそんなつもりは全くなかったのだけれど、修の姿をみると、跳ねる心臓の音が聞こえてしまいそうで。
一歩、二歩。
もう少し。
いつも手伝ってくれてありがとう。これはそのお礼。それだけでも言えたらいいのだけど。
三歩、四歩。
もう彼は目の前だ。
喉がカラカラとしてきた。
いえるかな?
がんばろう。
「あたいからのお礼‥‥」
全くこちらに気づかない修の頬に月与は顔を寄せたのであった。
だけど月与は気づいてなかった。夕暮れ時。影は何倍にも伸びて、届かない距離をとっくに埋めてしまっていたことに。
不意に振り向いた彼。
唇が、重なる。
●チサト
遙か彼方、東方の異国にジャパンという国がある。
そのとある山。眼下に広がる点々とした人里も僅かにしか見えないほどの高い山に大きな岩戸があった。そこは真白い世界、巨大な岩も今は雪のオブジェのようである。
きっと何も知らない人はそこを見向きすらせず通り過ぎるだろう。
だが、手紙の送り主はここがとても大切な場所であることを知っていた。
「何時の日か‥‥お二人の心が皆に通じる事を、心から祈っています」
チサト・ミョウオウイン(eb3601)の名で作られたこの文は、この大事な場所を共有した二人へと当てられたものであった。
手紙を誰かが触れたような形跡はない。風と時折やってくる強い時化による風雪ばかりがそこを通り過ぎていく。
時折、その雪が風の力によって、大きく左右へと揺れ動く。
そんな流れが変わるときは、風同士がぶつかり僅かな時間だけその無機質な音を止める。
その瞬間。僅かな瞬間。
氷の弾ける音に乗せて、歌声が響く。
雄々しい声。そして静かな声。自然と交わるそんな声。
「天樹さんと仏御前お姉ちゃんは元気にしているでしょうか‥‥」
ぼうっと灰色の空を眺めながら、チサトは呟いた。
「チサトさん、どうかされましたか?」
チサトの視界にミルドレッドの心配そうな顔が飛び込んでくる。少し長い時間、心をジャパンにまで飛ばしてしまっていたようだ。
「あ、ごめんなさい。ジャパンで知り合った人のことを思い出していました‥‥いけませんよね。ミーファさんを思い出してあげないと」
ミルドレッドに少し頭を下げて、チサトは改めてひっそりと立つ墓碑に目をやった。
ここは秘密の場所。
この知られざる墓の建立にも立ち会っていたウェルス、空、月与、チサト4人はその変化におやと思い、碑文を確かめた。
中央には、ミーファの名が、その隣には彼女の姉であるサイア、その二人を守るように立つのは、名前からして彼女たちの両親であろうか。
「ミルドレッドさんが手入れしてくれていたのですか?」
チサトの言葉に、一番最後に花束を供えたミルドレッドが穏やかな笑みで応えた。
一家の墓を建て、そして空いた時間のほぼ全てをこの場所につぎ込むことでミルドレッドは心の平穏を得ていたのであろう。
そんな様子を見ながら、チサト、そして残る冒険者達も墓前にストックの花を供え祈りを捧げた。
「ミーファお姉ちゃんの行いは‥‥決して赦される事ではありませんでした。でも、お姉ちゃんの遺した最後の想い、とっても暖かな想いは‥‥私達がちゃんと覚えています‥‥決して忘れはしません」
まだ傷の癒し切れていないミルドレッドのことを思い遣りながら、チサトは『イリュージョン』のスクロールを開いた。
「ジャパンで、お姉ちゃんの歌を歌った時‥‥お姉ちゃんが微笑んでくれた気がしました。きっとお姉ちゃんの想いは、大気に溶けて皆の幸せを祈り続けてくれているんだと思うのです」
「これは‥‥」
驚くミルドレッドの目の前を花びらが一枚、通り過ぎていった。
ゆら、ゆらら。はら、はらり。
微笑むチサトの顔もしっかりと見えないくらいの花嵐。
遠くで歌声が聞こえる。希望の歌だ。
ミーファが冒険者に聞かせて貰って元気を出した歌。私もあんな歌を歌えるようになりたい、そう言って毎日のように練習していた歌。
「ミーファ様‥‥」
花びらに混じって冷たいモノが頬に触れた。
白と薄紅が視界を覆い隠す。
●奇面
「自動で音楽ぐらい流せないのか」
商店でそう言い、クダを巻いているのは奇面(eb4906)であった。様々な分野に研究心旺盛な奇はからくり師とか呼ばれる類の大道芸人が、お手製の演奏人形など有していたものだから、てっきりそういうものがあるものだと思っていたのだが。
「そんなの見たことも聞いたこともないですよそれはうちみたいな一般的な道具屋ではなくて、錬金術師とか、その手の所に行ってください」
無い物ねだりをされても困ると判断した商人はきっぱりそう言って、奇の望むものを提供できないと言い放った。
「ふん、肝の小さい奴め」
「無いモノをどうやって渡せっていうんですか!」
「作れ」
奇に容赦という言葉はない。だが、実際どうにもできないので、結局こき下ろすだけこき下ろして、奇は店から出ることとなった。
アストレイア曰く、テミスは行進曲などの音楽が好きだという。みんな気が滅入るところに向かわないといけないこともある。その勇気を奮わせてくれる曲が好きなんだと。
「ちっ、せっかくプレゼントをやろうというのに」
そう呟き路傍の石を蹴り上げた。
ごすっ
遠くでクリーンヒットした音がした。
「あ、あ、あたしを殺す気かぁぁぁ!!」
遠くで血をダラダラと流しながら、少女が怒る狂って抗議の声を上げた。傍には『歌って踊れてみんなの心をホットにする時間を貴女の元に』と書かれた看板が。
「ああ、お面の」
奇はしばし考えて、その女の正体を思い出した。彼女の頭に今も体よく納まっているお面を取ってきて欲しいという依頼をしたシャナとかいう女だ。この前もなんか会ったような気もするが。それほど記憶にはない。どうでもイイ奴の範疇だったし。
「何よ。その今更な顔は。ヲトメの顔を傷つけて言う言葉はそれだけかぁ!」
キーキーと喚く女をしばし見下ろしていた奇であったが、その頭をわしっと掴むと、身につけた奇妙な面の下から歪んだ笑みを浮かべる奇。
「よし、少し相談がある、手伝え」
「をぉ、本当に!? よかったぁ、あたしまたゴミ箱巡りをしなきゃいけかないと思ってドキドキしてたのよ。って、こら、怪我の弁償はどうした」
「だから雇ってやるというのだ。喜べ」
お客は神様。シャナは不平をこぼしながらも明日のご飯を盾に、了承されたのであった。
不法侵入が必要になるコンサートを行うことを。
「良い聖夜、だ」
最後の『だ』で、気合いの拳を振り抜く奇。不意を打たれた警護の男はそれで沈黙した。
「さ、サンタクロースが暴力を振るうなんて、ぐわっ、サンタクロースの袋から武器がぁぁぁぁ」
隣の警護の男もかなりオソロシイ幻を見せられているようであった。グレートソードやフレイルなど次々に取り出し襲いかかるサンタクロース。きっと彼は来年から聖夜祭で聖ニクラウスを祀ったりしなくなるだろう。
「年末はやっぱり格闘技よね♪」
そんなことをのたまいながら不幸な境遇の中でもイケイケと奇に黄色い声援を送るシャナ。そして。
「だ、誰?」
目の前の出来事に驚くテミス。彼女は奇が想像していた通りに目隠しをされ、そして動きも拘束されていた。牢に近づくこともない。
「よう、テミス‥‥目隠しされてると思った。良いモノを持ってきてやったぞ」
奇はそういうと、借り物のマジックスクロールを広げ念じた。
しばしの沈黙の後、突然音楽が流れ始める。テンポ良く前向きな曲。楽器はどうも木琴のようで、少し不似合いなところもあったけれども、柔らかい音色が辺りに響き渡る。
「あ、行進曲‥‥」
ぽそりと呟いて、シャナは奪われた視界のままで辺りを見回した。
小さく、小さく、それでいてしっかりと流れる音色。スクロールを中心にその音は響く。しかし、それも蝋燭の火が尽きるように、ゆっくりとしぼんで消えていく。
まったく聞こえなくなったところで、奇はスクロールをたたみ、口元に笑みを浮かべた。
「解放されたら、ちゃんと最後まで聞かせてやる。待ってろよ‥‥」
「あ、ありがとうございます。はい、皆さんを信じて待っています‥‥」
ときほぐれた心のから心底嬉しそうな声を上げてテミスはそう言った。
そして、最後にごめんなさい、とも。
「ふむ、たまにはこういうのも良いな」
そう言いながら、奇はテミスの部屋に本を選べていた。彼女が帰ってきたとき、もっともっと研究が出来るように色んな勉強ができるようにと、書物を入れているのである。
「うっしっし。うんうん、いいよねー。ノルマンって美形が多いんだから」
「コラ」
シャナがヨシュアス・レインの美人画をこっそり紛れ込ませようとしたが、それは無事に未遂に終わったのであった。
●パティ
「今年ははじめて冒険者として旅立った年だし、ギルドの人にお礼をしようかな、と思って」
パリ、冒険者ギルド。
パトゥーシャ・ジルフィアード(eb5528)の笑顔と差し入れられた料理は伝説へと昇華されつつあった。
だって、冒険者ギルドは年中無休。預言が発生してからは不穏な空気も漂い、国家からも仕事が舞い込み、一般の人々からもあれやこれやと引っ張りだこ状態。それを請け負うギルドに休みはない。彼氏・彼女ができないのも仕方ないのかもしれない、と独身の人々は諦めかけ、酔っぱらいやクダを巻きに来るだけの迷惑な依頼人につきあってどんなに立派な精神もいい加減焼き切れてくるかも。とか思っていた矢先のことだったからだ。
「今年一年、お世話になりました。来年もよろしくお願いしますねっ」
「うーわぁ、これウサギですか?」
「ケーキも! すごい、パトゥーシャさんがお作りになったんですか!?」
夜になり、一段落した冒険者ギルドのカウンターで、皆一様にその料理達を覗き込んでいた。
子ウサギのローストに、魚介のスープ。ケーキの甘い香りが疲れた体に反応させる。
「いいんですか? ありがとうございます。マスター、フロランスさん、お料理の差し入れが!」
「しかし、凄いですね。あ、ねえね、子供さんに持って帰ってあげたら? お家でみんな待っているんでしょ」
そう言葉をかけられた、もう少しで新たな家族が増える予定の男性受付員はもちろんそのつもりだったようで、さりげなく詰める容器を探していたのであった。
「こんな日でも早く帰れないし。うん、これで喜んでくれるといいんだがなぁ」
「あ、そうそ、私にも会わせてくださいよ〜。子供可愛いですよね」
和気藹々とした雰囲気が流れ始める。もはや就業時間中とかそんなの気にしない。その人気ぶりに呆然としていたパティに受付嬢の一人が話しかける。
「ありがとうございます。良かったらお茶を飲んでいかれませんか? 先ほどシスターさんからお茶の葉を貰ったんです」
パティは親しげに話しかけてくるその受付嬢の顔を見て、気がついた。あの鼠退治用の猫売り出しの依頼案内をしていた女性だ。パティも結構な猫好きだが、この受付嬢もなかなかの猫好きだったはず。
「あ、この前はありがとうございました。依頼もうまくいきまして‥‥」
思わずそんな話題が漏れ聞こえてくる。
「アナスタシアさん、お茶が入りましたよぉ」
「あら、ありがとう。ちょうどいい息抜きになるわ。ところで、受付の留守は誰がするのかしら」
そう言いながら、しっかり自分は休憩する気でいるアナスタシア嬢。
「じゃんけんでニアさんに決定していまーす」
ああ、悲しきかな。薄幸の受付嬢。こんな時でもやっぱり薄幸。
普段見られない受付員達のやりとりにパティは嬉しくてドキドキとしていた。みんな美味しそうに料理を食べてくれるし。
喜んでくれるっていいことだなぁ、とか思っていただが、外がもう暗くなってきたのでここは泣く泣くご遠慮することになった。
「ごめんなさい、少し用事が残っているから。また今度お願いします」
そう言ってパティは退出し、次の目的地へと走っていった。
背後で続く喧騒も知らずに。
「こ、この匂い、このお茶。アデラさんのところのお茶じゃ‥‥」
「ま、窓を!」
「ぅぉぉぉをををををっ、恋文の君だぁ!」
「うわぁぁぁぁぁああっ、パトゥーシャさん!」
教会に入るなりあの二人、マクレーンとクレイルが、パティに飛びかからんばかりの勢いで襲いかかって、違った迎えにきてくれた。
二人とも反省の色を表す意味ですっかり頭を剃っており、修道衣を着ていることもあって雰囲気は全然変わっていた。
そんな二人の後ろから、何があったのかと修道女二人が顔を覗かせる。ユーリとミルドレッドだろう。
そんな彼らを見て、パティはにこりと微笑んだ。
「ユーリさん、ミルドレッドさん、はじめまして、よろしくお願いしますね。マクレーンさんとクレイルさんは久しぶり、ずいぶん修道士さんらしくなったねー」
「えへへ、そうでしょ。ちゃんとお祈りできるようになったんだ」
「あはは、そうなんだ。実は聖書を毎日読んでいるんだよ」
兄さんよりたくさん言葉をしっている。何を言っている、俺の方がスラスラ読めるんだぞ。
そんな言い争いをしながら、二人を更正させるに至ったパティを歓心をかおうと張り合う二人をみて、当の本人は吹き出してしまった。
「良かった、元気そうで。今日は二人に渡したい物があって」
パティはそう言うと、二人に包みを手渡した。震える手つきでそれを受け取ったマクレーンとクレイルはすぐさまその中身を確認しだす。
そこには古いメダルを真半分にし、それぞれに革ひもをつけたネックレスであった。古代の貨幣は装飾性が高く、アンティークが好きなパティにはちょっとしたお宝である。
それを確認しあっている二人をみてパティは言った。
「前は騙すようなことしてごめんね、お詫びっていうと寂しいから、聖夜だし、これプレゼントってことにさせてね」
「こ、これをっすか!!」
「い、いいんですか!?」
「うん。その貨幣が作られた時の王様にはすごく仲の良い兄弟がいたんだって。ケンカすることはこれからもあると思うけれど、いざというときは、それが一つになるくらいに心を合わせて頑張ってね」
パティの言葉に思わずじーん、とするマクレーンとクレイル。
この二人にはそんな心配もないかな?
とってもよく似てるし、感動屋なところも一緒。見ているミルドレッドの方がわたわたとしているくらいであった。
「ありがとう、これからも俺頑張るからね」
「パトゥーシャさん、ありがとう!!」
二人は帰るパティの姿が見えなくなるまで、万歳三唱で送ってくれたのであった。
●スエズラ
「皆を幸せにするために頑張っちゃうぞ〜♪ ぉいえ!」
「うぃえ!」
「よしぇ!」
「まさえ!!」
もはやかけ声ではなくなっている。スエズラ・マッコイ(eb8381)と彼に雇われた(もしくはそのノリに思わず共鳴してしまった)人々は、サンタクロースの衣装に赤っ鼻の飾りを取り付けて、騒いでいた。特にスエズラは打ち合わせに出会った奇の仮面のようなものを身につけている。サンタ帽子にトナカイの角をつけているのはデフォルトである。
これにはさすがに酔っぱらいの多い酒場の人達も呆然とした。一体この酔狂な奴らは何をしに来たんだろうと。
「はいは〜い、皆さんこんにちわ〜♪」
「今日は皆に素敵な〜♪」
「贈り物を渡すよ〜♪」
だばだばだば〜ぁーあ、と音程を付けながら、しかもセリフを担当していない奴らはバックコーラスまで担当するという芸の細かさ。
ただし音はあまり合っていない。
「あの面はなんだ‥‥」
怒りに震えながら、奇はスエズラの衣装を見て呟いた。
「き、きっと奇さんのファッションに憧れたんじゃないかな」
パティが慌ててなだめつつ、ねぇ、とウェルスに同意を求めた。穏やかな彼はもちろん優しく頷き、きっと奇さんの面にインスパイアしたのでしょう、と言ったが、奇の機嫌は直るどころか悪化していく一方であった。
そんな中、怒りの視線を元ともせず、スエズラ音楽隊は激しく楽器をかき鳴らし始めた。普通の吟遊詩人が紡ぐような曲とはまったく方向性の違う、恐ろしいまでに心の情熱を表現した、騒音に近い音楽であった。
「こ、これは‥‥かなりキますね」
「さっきお墓参りでミーファお姉ちゃんの曲を思い出していたばっかりに、あぅぅぅ」
空とチサトが耳を押さえてうめき始める。
それでも歌っている本人はまるで気にならないのだから不思議な物である。
「サンタ、サンタ、サンタサンタ〜♪」
「赤い衣装に身を包んで何処行くんだい〜♪」
「今夜は寒いぜ鼻も赤くなるぜ♪」
「それでもみんなに幸せを届けるんだね〜♪」
「イカしてるね! 最高だね! 皆も幸せサンタも幸せハッピ〜ハッピ〜♪」
「イェー◎▲×□●*★!!」
ローレライの竪琴が、かなりアップテンポな曲を奏でる。現行の音楽形態からはなかなかみられない斬新といえば斬新すぎる音楽だ。
音楽が終わると、静寂の帳が不意に訪れる。
依頼を共にした冒険者はともかく、観客の視線はトナカイサンタのスエズラ音楽隊に冷たい視線が注がれていた。
「あれ〜、みんなどうしたんだぁい?」
「何がどうしたんだい? じゃねぇこの音痴野郎! いいか、音楽はノリじゃねえ。魂なんだよ!!」
聴衆の一人が立ち上がって、そういうと高らかに歌い始めた。
「サンター、おーおサンター♪」
低いながらも含みのある良い声で歌い始める男。
「おお、いいねぇ。おいトナカイサンタ! 伴奏だ」
「合点承知! サンター、WowowYeah!!」
リズムを取って、飛び入りの男の歌に合わせるスエズラ。でたらめな演奏をしていた割には、男の歌にもきっちり合わせることができるあたり、実は凄いのかもしれない。
「おーお、サンタ、サンタサンタ〜♪」
「‥‥さっきの歌と段々調子が似てきていませんか?」
ウェルスが苦笑いを浮かべながら、皆が既に思っているであろう感想をぼそりと漏らした。
「赤い衣装に身を包んで何処行くんだい〜♪」
染まってしまった。
それを聞いていた聴衆もゲラゲラと笑い出す。魂で歌うとか言っておきながら、けっきょく同じじゃないか。
「実はものすごい魔力を秘めているのかもしれないね」
月与が笑いながら、スエズラの歌に手拍子で合わせ始める。歌い手が増えてもはやとりとめがなくなりつつある。相変わらず音痴で迷惑だという野次は飛んでくるが、そんな彼らも少しずつ巻き込んで、スエズラミュージックはどんどん派手に広がっていく。
「今夜は寒いぜ鼻も赤くなるぜ♪」
「それでもみんなに幸せを届けるんだね〜♪」
「イカしてるね! 最高だね! 皆も幸せサンタも幸せハッピ〜ハッピ〜♪」
みんなが歌い手。
みんなが聞き手。
今日だけは、この場所だけは。歌だけで熱くなれる。
そこに居る人達は皆一体となって。
ただ同じ気持ちを共有するのであった。
「イェー◎▲×□●*★!!」