自浄と不浄(聖と魔)

■ショートシナリオ


担当:DOLLer

対応レベル:6〜10lv

難易度:普通

成功報酬:3 G 9 C

参加人数:7人

サポート参加人数:1人

冒険期間:01月02日〜01月07日

リプレイ公開日:2007年01月10日

●オープニング

 セーヌ川の川の流れは未だ紅い。

 アルマン坑道崩落による鉄砲水の発生は鉄分を多く含む土砂をセーヌ川に堆積させた。
 セーヌ川はノルマン王国の母とも呼べるような存在であった。王都パリを含め、セーヌ川河畔には数十の町村が立ち、雄大な河をある時は流通の道として、ある時は食料の宝庫として、生活の様々に恩恵を受けている。最近国教になったばかりのジーザスよりも、このセーヌ川の方を感謝し、祭りを行うこともあったぐらいだ。
 そんなセーヌ川は今は土砂に埋もれ、流れを寸断され、赤黒く変色している姿はあまりにも痛ましかった。
 しかし、それがノルマン王国の民、いや、河の民たる人々の心を揺り動かし、自らの生活さえ危うい人々でも鉄砲水によって被害を受けた現場に足を運び、どうにかならないかと祈り、または議論するのであった。

「セーヌ川の土砂撤去はまだ進んでいないのですね」
 ゆったりとしたローブに、腰まであるウェーブのかかった長い髪。その瞳は深淵のように深い。そんな女性が目の前の光景を一人の女性が沼のようになった川を静かに眺めて呟いた。そんな彼女にふと気づいた人は、ひどいもんだろう、と言って泥沼状態の川を指さした。
「上流で堤防を切ってくれたから、長雨で溢れそうになった川の水がここまで至らなくて済んでいるんだよ。普通に川の水が流れるだけでも、この辺り一帯を沼にしてしまうほどだ。増水していたらもっと広範囲がこんな状態になっていただろうよ」
 堆積した土砂で底上げされたセーヌ川はその部分だけ、河畔に流れてくる水を溢れさせていた。春になれば花達で目を楽しませてくれるはずであった土手や周囲の草原は、溢れた水を被り続け泥沼のように変貌していた。海のように満ち引きがあればまだマシであっただろうが、延々と水は下り続け、乾く暇もない。
 この状態が続けばきっと、ここは湖沼地に書き換わってしまうかもしれなかった。
「手のうちようはあるの?」
「何をするしてもまず人員不足だよなぁ。土砂を取り除くのも数十メートルある川幅を埋めた土砂の量は相当だし、その前に泥沼になっちまったこの辺りの足場を固めないと撤去することすらできねぇ」
 溜息をつく男をちらりと見て、女性は再び川の様子に視線を戻した。そして、ぞくっとするほどに白い手が持ち上がり、印を組み始める。
「人の手で戻そうと思うから無理があるのです。何者かの仕業だとしても鉄砲水も自然の成せる技、川を土砂で満たしたのも、この辺りを泥沼にしたのも自然の技。ならば、その土砂を取り除き、あるべき姿にするのも‥‥自然の力であるべきです」
 風の音が大きくなったような気がした。
 いや、せせらぎの音が止まったからだ。
 男は呆然とした。先ほどまでただ流れるばかりであった川が急に、とぐろを巻き始め、渦を形成し始めているではないか。
 水が渦を巻けば、土砂もそれに巻き込まれ、沈着するだけでは耐えられなくなっていく。少しずつ巻き上がり、遠心力に負けて泥沼の大地へと放り出されていく泥土。
「み、水をコントロールすることができるのか‥‥!!!」
 あれだけ多量の水をコントロールし、土砂を削っていくというのであれば、その魔力も精神力の消費も恐るべきものであろう。
 男は驚いた顔をして女性の顔を見つめた。
「あ、あんた‥‥何者だ!?」
「デルフィナス‥‥」
 デルフィナス。10年前、サンマロ湾を根城にしていた凶悪な海賊団を大渦を作って撃破したという、伝説化している水のウィザードの名前であった。ついた渾名が『水神』だと言われているが。まさかその人物が目の前にいるとは。
 だが、その驚きもすぐにぬぐい去らねばならなくなった。その彼女の真後ろにある土が不意に盛り上がったからだ。泥が人の姿を取り立ち上がろうとしている!
「あぶねぇっ、後ろっ!!」
 だが、意識しているデルフィナスがすぐに反応できるはずもなく、泥人間の抱擁を易々と受け入れる羽目に陥った。
 男はがむしゃらに自らの腕を振り回し、泥人間を殴りつけた。恐怖心よりも偉大なデルフィナスをひいてはこのセーヌ川を元に戻すチャンスをここで費やしてしまうわけにはいかなかったからだ。

 ぐしゃっ!!!

 水の詰まった皮袋を殴ったような感触であった。泥が吹き飛び、似たような色ではあるが肉片が泥の中から見え隠れしている。
「ず、ズゥンビか!?」
「ヒーホホホー。まさかデルフィナスが釣れるとは思わなかったよ。ダゴン様の計画を台無しにするわけにはいかないよーっだ」
 驚く男とデルフィナスの上から、少女特有の甲高い声が降り注いだ。シフールの少女だ。いや、シフールにあんな黒い尻尾はあるまい。
 デビルか!!
 印を組み直そうとするデルフィナスに先ほどのゾンビが体当たりをする。何が何でも魔法を使わせない様子だ。
 シフール少女のデビルが手を振り上げると、そこかしこから尋常でない数の泥人形が起きあがってくる。
「出でよ、ズゥンビ海賊団!」
「一端退却しましょう。魔法が使えませんし、他に罠があるかも」
 雑魚ではあるが魔法を阻止する。という目的だけならば数の多いズゥンビは圧倒的に有利であった。包囲網を作り上げられる前に、デルフィナスは男を連れて走った。
「きゃーっははは。水神サマも逃げるのネ! 意気地なしーっ」
 そんな声が後ろから響く。
 クールに見えるデルフィナスもそんな言葉には怒りを覚えたのか、目がすぅっと細くなっていたのを男は見た。

●今回の参加者

 ea1787 ウェルス・サルヴィウス(33歳・♂・クレリック・人間・神聖ローマ帝国)
 eb3601 チサト・ミョウオウイン(21歳・♀・ウィザード・人間・イギリス王国)
 eb4840 十野間 修(21歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb4906 奇 面(69歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb5363 天津風 美沙樹(38歳・♀・ナイト・人間・ジャパン)
 eb5413 シャルウィード・ハミルトン(34歳・♀・ファイター・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 eb5528 パトゥーシャ・ジルフィアード(33歳・♀・レンジャー・人間・ノルマン王国)

●サポート参加者

フワル・アールマティ(eb9403

●リプレイ本文


「はじめまして、ですね。敵は絶対に通しません。セーヌをよろしくお願いしますね」
 パトゥーシャ・ジルフィアード(eb5528)はデルフィナスにそう挨拶をした。
 パティの元気な挨拶に、デルフィナスはそれほど表情を崩さずに僅かに頭を垂れた。深い蒼の髪がその動きに合わせてゆらりと動くと、まるで水の揺らめきのように感じられてパティは息をのんだ。こんなに綺麗な髪、初めて見た。
 思わず、デルフィナスを見入るパティの袖を引く様にして、十野間修(eb4840)が笑顔を作りつつ、有無を言わせぬ内に、パティを他の冒険者が待っているところへと引っ張っていった。
「あの、どうしたんですか?」
「私は、裏があるんじゃないかと‥‥思います‥‥」
 チサト・ミョウオウイン(eb3601)は『ミラーオブトルース』で作られた魔法の水鏡でのぞき込んだ彼女、デルフィナスに白い光があったことを述べた。
「偽りの姿は‥‥白く輝きます。本来の姿がどのようなものであるか‥‥看破するまでの力は私にはありませんが‥‥」
「フローライトがアルマン坑道から産出されると言ったのも髪の長い女性だといいますしね」
 河を厳しい目で見つめるデルフィナスを窺いながら、修は言い、そしてウェルス・サルヴィウス(ea1787)の方を見た。
「坑道関係者の人の話はどうでしたか?」
「姿を変えているならなんとも結論のつけにくいお話ですが、彼女ではなさそうです。髪は艶やかな黒色でストレートだったようです。それにどちらかというと饒舌であったようで、そこにいらっしゃるデルフィナスさんのように余りお話なさらないタイプではなかったようです」
 ウェルスもデルフィナスのことを少なからず不審に感じていた。それはアルマン坑道崩落のきっかけを作ったフローライト産出の話を持ってきたのが、髪の長い女だということである。鉱山に女が入ること自体珍しいケースであるし、どうやってフローライトの有りかを知ったのか。極めて不明である。
 だが、デルフィナスの髪は藍色に似た色であったし、ゆるくウェーブしている。さらに、性格的な部分である寡黙という特徴はそうそう変えられるものではない。。
「土砂には鉱物の成分、有り体に言えば鉱毒、が含まれている可能性は高いそうです。川が赤く染まるのはまだ鉄分を十分に含有している証拠だということです」
「何かを狙っているのかしら」
 報告を受けて天津風美沙樹(eb5363)は首を傾げた。このまま置いておく方が河の利便は損なわれるし、自然破壊も大きく進むのではないか。
「ふん、愚問だな」
 奇面(eb4906)はパティに借り受けたアゾットの使い勝手を確認しながら、そう言った。
「で、もしあの女がデビルか何かだとして、この河の流れを取り戻す必要があることは変わらん。それに陰謀だなんだのは、飛び回っているヤツから聞けばいい話だ」
 仮面の下で、奇は口元を歪めて笑みを作った。悪い人が浮かべるアレに限りなく近いのは、奇がそれなりの経験をして生きてきたからだろうか。
「‥‥それもそうですね」
 修の口元にも同じような笑みが生まれる。証拠は推測できなくても、犯人を捕まえて口を割らせてしまえばいいのだ。
 そんなやりとりを見ながらシャルウィード・ハミルトン(eb5413)は一人、デルフィナスとズゥンビと化した海賊のことを考えていた。
 10年前といえば復興戦争のあたり。見たところエルフでもなさそうなデルフィナスがその時からそれほど強力な術を使えたということは。



「それでは‥‥いきます」
 デルフィナスの合図と共に、河の音に変化が訪れた。一瞬の静寂と、そして土砂を削り取る蛇がはう様な音。
 せき止めていた土砂と激しく波打つ水がせめぎ合いをしているようであった。
 そしてその音に起こされたかのように、泥の中から人型が起きあがってくる。続いて、上空から女の子の声。ここにいる何人かは既にその声を聞いたことがあった。
「あー、あんたたち! 毎回ご苦労様ネ!」
「それはこっちのセリフです。今度こそ、捕まえるよ!」
「ヒーホホー。やれるものならどうぞ、やってごらん!」
 そういうと上空を飛んでいた女シフール、いや、デビルの一種であるリリスは両手を上げた。
「これはまたすごい数ですわね」
 美沙樹は少々ため息をついて、次々とわき上がる泥の固まりを見つめた。この泥野の見渡す限りほぼ全ての場所から泥人形、いや、泥まみれになったズゥンビ達がいるのだ。
 美沙樹は天使の剣と呼ばれる刃を、鞘から解き放った。たちまちのうちに、灰色の雲の隙間から漏れるハイロゥに輝き、燦然と輝く黄色い刀身があらわれる。
「聖十字の上衣に宿る聖人様、ラハト・ケレブを使いし天使様、どうか力をお貸しくださいな」
 そして、足下近くから起きあがるズゥンビの足を一閃。斬りつけられた足に付着していた泥の固まりは太陽によって清められた吸血鬼の如く、ぼろぼろになって崩れ去る。本体はまだ起きあがろうとはしているがもはや戦闘力は失ったといってよかった。
「美沙樹さん、弓を使いますね」
 そう言うとあらかじめ借り受けたいた鳴弦の弓に精神研ぎ澄ませながら弾くと、たちまちの内に破邪の力があたりに広まり、不浄なるアンデッドの動きが鈍っていく。
 その間にそれぞれの必要な装備を準備し、冒険者達はいよいよズゥンビの群れと相対するのであった。


 聖なる音に身をきしませながらも、ゆっくり間を詰めようとするズゥンビの群れに対し、まずチサトがその小さな体で立ちはだかった。その手には広がった『ファイアウォール』のスクロールが。
「これより先には‥‥進ませません!」
 刹那、チサトの前に巨大な炎の壁が吹き上がり、ズゥンビの伸ばす手を焼き払った。
 炎はチサトの眼前を中心に左右へと広がり、3メートルもの壁を展開する。続いて、振り向き様にもう一度集中を行い、同様の壁を展開する。
「ウェルスさん‥‥お願いします」
 炎を完成させたところで、ウェルスが『ホーリーフィールド』を展開させ、敵の攻撃を阻害する障壁を作りだした。が。
「!?」
「はん、そっちの行動くらい読めてンのよ」
 その言葉と同時に、真上から小型の矢が振ってきたのを奇がアゾットで振り払った。リリスは結界がそれほど大きくないことにあざ笑い、どんどん矢石をまき散らす。それを防ぐだけで手一杯になってしまった。
「クソ、なんとかならんのか」
 奇の呼びかけに修は『シャドウバインディング』を使おうとするが、炎の壁が生み出す光によって、ただでさえ捉えにくいリリスの影が完全に消されてしまって効果がみられない。パティも射撃を行うものの、真下からでは狙いにくいし何よりも戻ってくることが恐ろしかった。
「ふふん、さぁ、どんどんきつくなるよ〜。炎の壁なんて大した役に立たないってこと教えてあげる」
 リリスはけらけらと笑った。
 そうした争いとは無縁に襲い来る泥人形のズゥンビをオーラを込めて叩き斬っていたシャルがその異変に一番に気がついた。ズゥンビ共が炎の壁になんら気にする様子もなく突っ込んでくる。
「はっ、自分から火葬されにきたのかい?」
 オーラのこもったファントムソードの直撃を受けたズゥンビはそれだけでその朽ちた身体を分断され、負の生命力の大半を解き放たれる。炎の壁によって限定された敵の進路を妨害するのであれば、彼女はほとんど一人でこの任務を遂行できるであろう。長らくアンデッドを嫌い、戦い続けた彼女にとってズゥンビとの戦いなど日常茶飯事の出来事といっても良い。
 だが、ズゥンビ自ら炎の中に入り、そして大した影響もなくシャルの腕を掴みに来たのは、彼女の経験にはなかったことだ。
「ちっ、なんてこったい!」
 掴まれた腕を精一杯引き寄せ、炎から引きずりだしたところで、もう片手に持っていたリュートベイルの盾の部分をそのズゥンビに叩きつけた。しかし、タフさでは他のモンスターの追随を許さないアンデッド種がそう簡単に離してくれるはずもない。ファントムソードを持つ手が封じられてしまう。
 その瞬間泥ズゥンビの頭に、矢が突き刺さった。見れば鳴弦の弓から星天弓に持ち替えたパティが次の矢を番えていた。
「泥が全体についているからだよ。泥が炎の熱を遮断するんじゃないかな」
 『炎に負けないズゥンビ』のトリックを見破ったパティはそういいつつ、二の矢、三の矢と立て続けに矢を放ってシャルの援護を果たす。
「お、わりぃな。助かった」
 そう言うと僅かに緩んだ腕にとりつくズゥンビの間隙を縫って、リュートベイルを持っていた左手に、ファントムソードを譲り渡す右手。
 そして、その受け渡しと同時に、右手と何ら変わりなく巧みに操る左手がこの鬱陶しいズゥンビの腕を切り飛ばし、続いて胴をなぎ払った。
「片手でも自由になればこっちのもんだ。にしても多いな。腐った死肉の臭いで一杯だ」
 ぼそりと呟くと、今度こそ不覚を取らないように全体を確認しながら、シャルは剣を振るい続けた。



「神の加護あれ」
 ウェルスが祈りと共に、改めて聖なる結界を作り出した。その中に退避した奇は改めて周囲の様子をみて、口をへの字に曲げた。
「ちっともへらんな」
 戦い始めてからすでに40分以上。完全な遮断手段とはなりえなかった炎の壁の代わりに泥まみれのズゥンビが散乱し、ちょっとした堀のような形を作っていた。美沙樹は「バリケードを作りたかったのでちょうど良かったですわ」などと苦笑いしながら、額の汗をぬぐって刃を振るい続けてきた。
 時間との戦いはスタミナとの戦いでもある。休むことなく刃を振るい続けてきた美沙樹の腕も最初に比べれば剣速は衰えていたし(もっとも、それでズゥンビに後れを取るようなことは一度もなかったが)、シャルも肩が大きく上下している(こちらも、かすり傷を負う程度でそれ以上の傷は一つもない)。
 パティの鳴弦の弓など言うに及ばず、チサトの『アイスブリザード』ももう5回を超え、周囲の泥の上に氷の破片が飛び散ってきらきらと輝いている。
 しかし、その上を歩くズゥンビはまったく数を減らさず、まるでその泥で生産されているのではないかと思うほど無尽蔵に起きあがり続けてきた。
「私もシャドウボムでほとんど魔力は底を突きましたし、このまま耐えきるのは難しそうですね」
 ウェルスもソルフの実をさきほど口にしていた。後ろ盾もそろそろ失ってきているという証拠であった。
「さぁて、どうしますかね」
「一つしかないな」
 二人は俯き加減に目配せをした。
「美沙樹さん、少しだけ道を開くことはできますか?」
「なんとかやってみますわ。‥‥今回は盾のつもりで来たのですけど、そうはいきませんわね」
 その言葉に頷くと、続いて奇がパティに声をかけた。
「ズゥンビの始末は後だ。上で飛んでいるリリスをねらえるか?」
「飛距離が足りないよ。それに真上に打ち上げると‥‥」
「大丈夫だ。移動させる」
 その言葉を言い残すと、奇はアゾットを抜きはなってかけ始めた。狙うは美沙樹が開く血路!
「いきますわよ!!」
 美沙樹がラハト・ケレブを大きく振り回し、ズゥンビの動きを阻害した。
 その瞬間を狙いあまたず、奇がアゾットを持って切り開く。
「いよいよ、撤退戦かナ? ヒーホホホー。逃がすなー!!」
 リリスの声に従って、ズゥンビ達が一斉に襲いかかるが、前方はウェルスのホーリーフィールドが再び展開され、空いた穴を決壊させないように保つ。
「あの時‥‥坑夫さん達をもっと強くとめれば良かったと思います。‥‥この後悔を次に残したくはありません!」
「ヒーホホホー。いい度胸。でももう魔力ないでしょ! 横から攻め込めーっ」
 炎の壁がなくなった場所からズゥンビが襲いかかる。
 しかし、次の瞬間にはもう半壊していた。
 剣を持ったシャルが笑みをうかべる。
「いい度胸? はっ、褒め言葉として受け取っておくよ」
「ちぃっ」
 手薄になったのにデルフィナスの元までたどり着けないことに苛立ちの声を上げるリリスに突如、激痛が走った。ムーンアローだ。辺りを見回せば奇がこちらを向いて詠唱する姿がある。
「やはり魔法で部位を狙うのは困難だな」
「何度も何度も〜、えい、覚えてなさイっ」
 追撃を受けないように逃亡をはかるリリス。
 しかし、それが狙いだった。リリスは冒険者達の真上に陣取ることをやめ、距離を置いた瞬間に矢が飛来した。
「今度こそ、捕まえたっ!!」
 パティの渾身の一撃である。
 それでもまだ高度を高めて逃亡を図るリリスは途中で麻痺したかのように動きを止めて落下してきた。
「私たちの真上におられては影を捉えるのは難しかったですがね。敵をよく動かす者はなんとやら、ですよ」
 にっと笑顔を浮かべて、『シャドウバインディング』を成功させた修がそう言い放った。



 土砂は9割が過ぎたところで上流の水の勢いも手伝って、一気に崩れ始めた。
 先ほどまで、赤く染まっていた流れが嘘のように清まっていく。

「デビルも捕まえたのね。‥‥これで万事解決ね」
 大仕事を終えたデルフィナスはそう言って冒険者を見た。
 ズゥンビ達はセーヌ川が本来の流れを取り戻したところでピクリとも動かなくなりそのまままた泥の中に沈んでいった。
 リリスはと言えば、麻痺した状態からチサトによって氷漬けにされ、異端審問官のところに移送する予定だ。
 そのデルフィナスの顔を見つめ返す冒険者の目に安堵が宿っている者は少なかった。
「万事解決では‥‥ありません。まだ貴女が残っていますから‥‥」
 チサトがそう言った。戦闘中もデルフィナスを警戒し続け、またその正体を考え続けてきた一人である。
「ダゴンと随分深い縁があるんだなと思ってたけど‥‥思い当たったよ。普通の人間が水を操る能力をそんなに持続させられるはずがない」
 シャルの言葉を受けて、チサトは全ての案をまとめて一つの結論を導き出していた。その目はとても静かながら、偽りを暴き、魔を退かせる照魔鏡のようであった。

「このリリスと一計を講じて信用させようとしていたようですが‥‥水夫のズゥンビ、水を操る能力、そして偽りの姿‥‥貴女がダゴンですね。貴方達は一体何を企んで‥‥」
 そう問いつめるチサトにデルフィナスは初めて笑みを見せた。じっとしていれば絶世の美女なのに。
 笑顔を作ると瞳が左右にずれ、口元が歪んだ。
「お前に、言う必要があるものか。そこまで見通す力があるなら、それも見通せばよい」
 そう言うとデルフィナスはゆっくりと清い流れに戻ったセーヌに歩むと、他の者が動くよりもはやく、身を投げてしまった。慌てて駆け寄るも遠くでマスが跳ねるばかりだ。

「どんな企みを持っていたのかしらないけど、絶対に止めてみせる‥‥」
 そんな言葉が誰とはなく漏れたのは、自然なことなのかもしれない。