語る彼女(トルバトール)

■ショートシナリオ


担当:DOLLer

対応レベル:フリーlv

難易度:難しい

成功報酬:0 G 65 C

参加人数:10人

サポート参加人数:5人

冒険期間:01月19日〜01月24日

リプレイ公開日:2007年01月30日

●オープニング

 ディアドラは報告書を机に投げ出した。
 アストレイアとテミスに関与したデビルは、やはり迦桜夜叉、通称楽士と呼ばれるものである。このデビルのやり口に酷似しており、またこの現状もあのデビルが喜びそうな状態であったからだ。皆が良かれと思う行為に罠をしかけ、運命の車輪をおかしくさせていく。その割に、本人はほとんど姿を現さず、ただ眺めているだけ。
 今ではその楽士は討ち滅ぼされたという。だが、これだけ悩まなければならぬ。いったいどうやって? これを打ち倒される前から想定していたのか? それとも?
「テミスを殺せば冒険者の反感が高まるし、解放すれば元の木阿弥」
 ディアドラ自身も手詰まり感を持っていた。アストレイア、冒険者、テミス、そしてディアドラ。それぞれの考えが交錯するものの、それぞれが少しずつすれ違い、デビルの陰謀を解決する方向に向かえないでいる。下手に動けば、協力できる間柄を自らの手で破壊しかねないからだ。
 解決する方法は多くはない。結局の所アストレイアの失われた魂を取り戻すか、こちらが全員手を引くか(全員冥界送りになることも含む)だけである。この中途半端な事態こそ一番危惧すべき状態なのだ。
 しかし、アストレイアの魂はこの世には存在しない。どちらかというとデビルが住むという世界に近いだろう。故に、現在その魂を取り戻す手段はない。だとすれば、全員手を引くしかない。‥‥誰も手を引かなさそうだけど。自分を含めて。
「冒険者に、任せてみようかしら」
 彼らにテミスと面会させる約束もしていたところだし、しばらく彼らに全て任せておくのも悪くないかもしれない。
 冒険者がもし、人道的な方法で魂を取り戻すことができるのなら、それはそれで良い。ディアドラ自身が思いつかなかったことを実行したからといって非難したり、嫉妬を抱くようなことでもない。
 ディアドラは白い外套を纏うと、颯爽と部屋を後にした。


「ディアドラ様は何故、あのデビルを殺さないでいるのだ」
 異端審問官の一人は出かけていったディアドラの背中を見て不服そうな声を上げた。
 あのデビル、というのは先日セーヌ川の土砂撤去作業に現れたシフールサイズの悪魔リリス、リディアのことである。
 冒険者の活躍によって、氷漬けにされたものが運び込まれたものの、尋問するだけでさっさと葬ろうとはしなかった。
「背後にいるデビルの存在を示してもらわねば困る、って言ってたじゃないか」
「デビルが真実など口にするものか。逆に生かしておくだけで災いを招くぞ。さっさと聖水に沈めるべきだ」
 苛立ちを隠せない同僚に、もう一人の審問官は肩を軽くたたいた。
「まぁ、捕らわれているとはいえ、デビルが教会にいるってのは俺も歓迎しがたいがね。ディアドラ様が帰ってきたら、提言してみよう」
 一人の男は、ずっと続く廊下の一番奥にある重い影を落とす鉄の扉を見ながら言った。
 扉の向こうには聖なる道具が色々安置されている。そして、その天井から吊されたリディア。縄の代わりに十字架のネックレスで体を束縛され、その周囲には掲げられた聖水がゆっくりと滑り落ち、床に置かれた器と細い柱を為して下っていっている。
 不用意に暴れれば、聖水がデビルの体に触れることになる。
 そんな中でも、減らず口を叩き続けるリディアの精神に、皆神経を逆撫でさせられていたのは事実であった。
 だが、リリスの体はそれほど頑丈でもないし、手ひどい拷問を仕掛けるわけにもいかなかった。回復剤を使うのにも慎重さを要求されるし、何かとやりにくい存在であった。
 はやく始末してしまいたい。
 それは異端審問官の誰もが思うことであった。


 テミスは毛布を頭からかぶり牢の外側を見つめていた。
 身動きすらしない。まばたきすらも。彼女はそのままで死んでしまったのではないかと疑うほどに静かに座り、何の代わり映えもしない無機質な牢の向こう側を眺めるばかりであった。
 しかし、内面では人生に今まで出くわしたことがないような巨大な嵐に見舞われていた。
「私は、なぜここにいるの」
「助けて」
「怖い」
「負けてはいけない」
「耐えられない」
「アストレイア様のご迷惑になってはいけない」
「苦しい」
「もうイヤだ」
「騎士を目指す者がそんなに弱くてどうする」
「もう少し、後少し待ってみよう」
「いつその時は来るの」
「誰が来るというの」
「騙されたんじゃないかしら」
「人を疑うのか! なんという恥知らずめ」
「アストレイア様はもっと強い。見習え」
「わからないわからない」
 思考がまとまらない。
 拷問を受けたわけでも、憔悴して動けなくなるような尋問を受けたわけでもない。飯は最低限運ばれたが、信念の名において口にしなかった。
 ディアドラは間違いなく、自分が悪魔召喚を決断する態度を見せる瞬間を狙っていた。
 冒険者の人たちは精一杯のことをしてくれた。ディアドラはそれを利用した。
 自身の行いも決して許されざるものではないことは知っている。だけど、人を利用して自分の都合の良い方向にしか持って行かないディアドラの態度を許すわけにも行かない。
 音を持ってきたくれたあの人は言った。解放されたら、と。
 だったら、その瞬間が来るまで、ここの慈悲など受けてやらず、待とうと。ディアドラは私を殺せない。私が死ねばアストレイア様の車輪もいよいよおかしくなり、冒険者とも軋轢を生むだろう。
 だが、それもそろそろ限界がきた。
 思考が錯乱してきた。

 神よ。願わくば、我が苦難の先に人の幸せがあらんことを。

 その想いもまた異なる自分の声によって崩され、争乱の中に消えていく。
 外面の静けさとはまったく異にして。

●今回の参加者

 ea1787 ウェルス・サルヴィウス(33歳・♂・クレリック・人間・神聖ローマ帝国)
 ea5640 リュリス・アルフェイン(29歳・♂・ファイター・人間・フランク王国)
 ea7890 レオパルド・ブリツィ(26歳・♂・ナイト・人間・ビザンチン帝国)
 eb2363 ラスティ・コンバラリア(31歳・♀・レンジャー・人間・イスパニア王国)
 eb2456 十野間 空(36歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)
 eb3600 明王院 月与(20歳・♀・ファイター・人間・華仙教大国)
 eb3601 チサト・ミョウオウイン(21歳・♀・ウィザード・人間・イギリス王国)
 eb3979 ナノック・リバーシブル(34歳・♂・神聖騎士・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 eb4906 奇 面(69歳・♂・陰陽師・人間・ジャパン)
 ec0789 ダグラス・カイエン(28歳・♂・神聖騎士・人間・神聖ローマ帝国)

●サポート参加者

キャル・パル(ea1560)/ ギアリュート・レーゲン(ea5460)/ 楊 書文(eb0191)/ タケシ・ダイワ(eb0607)/ セイル・ファースト(eb8642

●リプレイ本文

●調査
「ウードはどうだって?」
 リュリス・アルフェイン(ea5640)の言葉に、アストレイアの父、ウード伯を訪ねたラスティ・コンバラリア(eb2363)はゆっくりと答えた。これから異端審問官達の本拠たる教会に向かう途中だ。
「テミスさんの家については処分なしだそうです。聞く話によるとテミスさんのご両親とウードさんは兄弟‥‥血族にあたるそうですよ。表向きは厳しい対処を取っているようですが、やはり加減はしているようですね。異端審問官との抗争の可能性については可能性はある。だが、低い位置においているということでした」
 ウードは既に異端審問官に目をつけられていることくらいは織り込み済みだったようで、冒険者がアストレイアの件でいつか接触する機会に潔白を証明して見せ、追求を逃れていた。同時に白の宗派にも定期的な接触を図り、ディアドラ率いる黒の宗派の勢いを制していた。
「全部対策済みってとこか。気にくわねぇな。それでもこの事態ってのは、楽士というのが一枚上手ってことか、それとも、ウードも一枚噛んでいるか、だ。だがウードの様子は」
「テレスコープで確認をしているのですが‥‥ほとんど中の様子は分かりません。あの城、要塞か何かですか」
 リュリスと同じようにラスティはウードの城を見つめ、そして少しばかり不満げにつぶやいた。
 パリより数日歩いたところにある彼の城は自然をうまく利用し、華美ではないが、それとなく荘厳さを感じさせる建物であった。が、監視するになると、自然が障害になって視界が遮られる。窓も少なく採光は細かな隙間を利用しているようであった。
「要塞、か。案外そうなのかもな。そういえばテミスの部屋に訪れたのはいたか?」
「いないそうです。ウードさん本人もないみたいですね」
「そっか。確証無し、か」
 教会の入り口が見えて、リュリスは小さく言葉を切った。入り口に立っているのはナノック・リバーシブル(eb3979)であろう。特徴的な銀色の長髪とコートが目に入った。
「よう、お疲れ。中の様子はどうだ?」
「特に変わったことはない。もう少し大きな動きがあると予想していたのだがな」
 ナノックはそう言うと、手の中にある蝶の刻まれた石を見せた。確かに蝶も危険を特に察知していないようで、微動にしない。ナノックの横に立つ白馬、いや、翼を隠した天馬アイギスも大人しく佇んでいることから、特に変わったことはないことは理解できた。
「そっちはどうだ」
「確証は得られませんでした。が心当たりは絞られたと思います」
 テミスが思い詰めた時期に彼女と接触した人間は多くない。ウードはまだ疑いから抜けきっていないが、それよりもっと疑いの濃いのが一人いた。
 それを見透かしたかのように、ナノックも頷く。
「その心当たりとやらは先ほど、奇と一緒に入っていった。反応はなかったが‥‥あいつには何かある」
 知らないはずの歌を唄い、テミスと接触し、件の書を入れ替えることができた可能性のある唯一の人間。
 シャナ。


●説得
 ディアドラ達、黒の異端審問官が所属する教会の中では温かな湯気と香りが漂っていた。それは明王院月与(eb3600)の作り出したごった煮スープの放つ香りである。異端と見なされた人々に一つずつ渡され、そして他の冒険者が待機する部屋の前にもそれは運ばれた。
 テミスの牢獄。
 テミスはすっかり別人のようになっていた。目は落ちくぼみ、頬はこけ、唇はがさがさに荒れていた。皮膚が張り付いている、という表現はきっと正しいであろう。だけど、その目の輝きはナイフのように鋭く、見つめる人々の心を切なくさせた。
「アストレイアお姉ちゃん‥‥心配してましたよ」
 そう言うチサト・ミョウオウイン(eb3601)は心の中で目を背けたくなっていた。
 あの時の光景とダブる。ミーファが牢獄に閉じこめられたあの瞬間と。
 同じ未来にさせるものか。
「大丈夫、このくらい、なんともない‥‥」
 かすれた声でそう言って、笑みを浮かべるテミスにウェルス・サルヴィウス(ea1787)が十字を切って祈りを捧げた。
「あのような方法で止めるしかできなかったこと、そしてこうなったことお詫びします‥‥」
「とりあえず、食べてよ。いきなり一杯食べると苦しいから、スープだけでも、ね」
 月与の言葉にテミスはにこりと微笑んで、差し出されたスープが手を合わせた。
「ありがと‥‥すごく、嬉しい。へへ、あいつらの料理は一口も口にしなかったから、もうダメかと思ってた」
「ですが、これもディアドラさんが配慮してくださったおかげなんですよ。‥‥やり方は違いますが、真なる目的はきっと同じですから」
 テミスとディアドラの軋轢を優しく諭すウェルスの言葉に、テミスの持つスプーンが転がり落ちた。
「ディアドラの、配慮?」
「貴女の想いは解らないでもないですが、死んでしまっては意味がありません」
「‥‥テミスさん、貴方の戦いはまだ終っていません。デビルの思惑に打ち勝つには十分な栄養と焦らず冷静な思考を保ってください。貴方の信念は届きました、ですが今は食べてください。大切な人を守るために」
 レオパルド・ブリツィ(ea7890)とラスティが交互にそう言ってなだめるが、テミスはもう、スープを飲もうとはしなかった。
「あいつの配慮なんて受けるか‥‥!」
 どれだけ空腹でも、自分の意地だけは貫き通すらしい。スープを床に置くと、テミスは膝を抱えて押し黙ってしまった。
 が、それもつかの間。その頭をがしっと掴まれ、テミスは無理矢理自分の殻から引っ張り出される。その主は、リュリス。
「誰がそんな我が儘聞くとは言ってねぇ。 飲、め!」
「!!!!!?? もがっ!」
 リュリスは容赦なくテミスの顎に手をやり、口を開かせるとスープを流し込んだ。じたばたもがこうが衰えた人間に負けるリュリスではない。咳き込もうが吐こうが、最後の一滴まで胃の中まで流し込んでゆく。
「えぐい‥‥」
 むせるテミスにウェルスが背中を軽く叩いてあげながら言う。
「全て時があります。神のお計らいに信頼し注意深く待ちましょう。御心にかなう方法で動けるよう」
 神の声が聞こえるようになればいいのだが。
 テミスは押し黙ったままであった。彼女が自分を振り返っているのか、それともますます意固地になっているのか、ウェルスも判別できなかった。
「さぁ、元気を出して。私たちはテミスさんに元気を出して貰うために演奏会をさせてもらいます」
 ラスティの言葉に会わせて、それぞれが楽器を取り出す。
 横笛、オカリナ、三味線、和太鼓。それから。
「テミス。あたしも応援してるからねっ」
 シャナは奇面(eb4906)の傍から軽く手を振ると、鈴のついた錫杖を持って軽く舞った。
 テンポの良い行進曲が響き渡る。
 奇の和太鼓がテンポ良く音を刻み、三味線とオカリナがその間を埋めるように強弱をつけて、沈んだ気持ちをすくい上げるように音を奏でる。そしてシャナが鈴を鳴らし、長い袖を振って、視界を眩惑する。

気持ちは歌に 歌は空気に 愛は光に
歌は大気に溶け 全てを優しく包む

風は草木と共に歌う 喜びと希望の歌を
光は迷い人に照らす 生きる道を
全ては愛 悲しみと憎しみの連鎖を断ち切る優しき心

 その歌の影で。
 チサトは『ミラーオブトルース』の呪文を準備していた。
 ミルドレッドは最初にかけた。だが、彼女に異変はない。喪失から立ち直ろうとしているだけだ。テミスも異変はない。
 とすると疑わしいのは、ディアドラと、シャナ。
 魔法が成就し、チサトの足元に水鏡が浮かび上‥‥。水鏡が飛沫を上げた。
「あら、武防具や道具の携帯を許さなかったのに、魔法は許可不要とでも思ったのかしら?」
 水鏡を聖杖で突き破ったディアドラがにこりと笑った。言葉につまるチサトにディアドラは杖を突きつけた。途端に体内の魔力が枯渇していくのがわかる。
「悪いわね。こちらも内部の人間に無理言ってるのよ。その辺ご理解いただけると嬉しいわ」
 強行した場合は、容赦なく『排除』することを示唆しながら。ディアドラは再び元の位置に戻った。全員の動きがくまなく見渡せる場所へ。


●尋問
「さあ、吐け。なぜお前達は魂を必要としたのだ」
 聖水で濡れた手をわきわきと動かす奇。目の前にはぐるぐる巻きにされたリリス・リディアの姿がある。
「言ったら、助けてくれるの?」
「考えてやろう」
「考えるだけじゃダメね。あんた、あたしと同類の顔してル」
 さらっとデビルと同類とか言われた奇。だが、本人はまるで気にした様子もない。もっとも仮面をとって今は包帯で目と口以外はほとんど覆われている彼の表情を読み取るなど、不可能な気もするが。
「そんなことを聞きに来たのではない。第一、お前に選択権はない」
 容赦なくリディアを鷲掴みにする奇。捕まれた方は耳をつんざくような悲鳴を上げるが、全く苦にする様子もない奇に、傍にいた十野間空(eb2456)は苦笑を漏らす。
「奇面さんの八つ当たりは凄いそうですから気を付けた方が良いですよ。タゴンは貴方を見捨てたそうですし‥‥ね」
「八つ当たり言うな。正当な尋問だ」
 尋問に正当も何もあったものじゃないと思うのだが。
 そこに待機していたレオパルドも言葉を添える。
「私達がどうこうしなくても、貴女は消されることは間違いないでしょう。ダゴンや楽士があなたを放っておくはずがありません。言い残すことがあれば聞いておきますが?」
 レオパルドの脅しに、リディアはしばし考えると、にんまりと笑った。
「ヒーホホホー。やれるもんならやってみろ。こんなとこかナ〜?」
 嘘が見破られたか、それともランクの高い悪魔でも恐れていないか。そういえばダゴンが化けたデルフィナスに対してひどくからかっていたらしい。レオパルドは参加していなかったが、そう言った内容の話があったというのは、当該の依頼文に書き込まれていた。
「やれやれ、やはり一筋縄ではいきそうもありませんね」
 そう言ったのは空であった。やおら紡ぐのは質問ではなく魔法の言葉、『チャーム』の呪文だ。
 しばらくきょとんとしていたリディアだが、空の笑みを見ると彼女も同じように笑った。意地悪そうなのはたぶん、元々だろう。
「プリエさんの魂はどこにやりました?」
「美味しかった」
 ころころっとした顔でリディアは笑う。食べたとでも言うのか。空は呆れたような笑顔を浮かべる。
「ふむ、デビルの食料は人間の魂‥‥か。そうとも考えられる節は確かにあるが」
「‥‥次の質問です。煉獄を知っていますか。そこは神と悪魔、どちらの勢力にあるものなのですか?」
「煉獄って聞いて、天使がいっぱいいるところだと誰が思ってるのカナ? あたしにしてみれば休暇先ネ。みんなきゃーきゃー騒いでて、楽しいよ。炎から出てきた人間を放り込むのがまた楽しいんダ♪」
 神の威光は届いていないということか。空は渋い顔をした。
 悩む空の横から再び、奇が質問する。
「キロンの遺産とはなんだったのだ」
「ああ、悪魔について事細かにかかれた石版。それから宝珠だっけな。石版は見ててウザったかったから、コボルトに言いつけて、コナゴナにしてやっタ。半分は川に流してー、半分は燃やしてコボルトの御飯に混ぜてやったワ。宝珠は売っちゃった。良いお値段したヨ」
 石版の方はもう元に戻る見込みはないだろう。一番肝心な知識の部分であったが、諦めるしかなさそうだ。宝珠はまだ買い戻すなりできそうだが‥‥取り戻すには、頼み込むか、買い戻すか。しかし、後を追うのはかなりかかりそうであった。
 思いふける二人に、リディアが猫なで声で話しかける。
「あの〜、ところで、そろそろ離してくれないカナ?」
「ええ、まぁ、だいたい聞きたいところは聞きましたし、私は離してあげてもいいかと。いいですよね」
「? 何を言うんですか」
 不審な目で見つめるレオパルドに対して、奇も空と同様にうなずいた。
「まだまだ研究する価値はある。ここで殺してしまってはもったいないだろう」
「奇さんまでそんなことを!!」
 レオパルドは真っ青になって叫んだ。
 だが、リディアは、ありがとう、というと、こともなく十字架のついた鎖をほどき、足下の聖水の中に放り込んだ。彼女は自由である。
「アハ、ああ、気持ちいい〜」
 慌てて、レオパルドが捕まえようとするものの、もう彼女は天井近くにおり、丸腰のレオパルドにはやることがない。
 正直、成果はあまり期待していない。さっさと滅するのが良策。
 外で警戒しているナノックの言葉がレオパルドの脳裏に浮かんだ。
「な、なぜほどける!?」
「こんなの最初からほどけてたヨ。ディアドラちゃん、無愛想だけど優しいから〜。緩くしておいてくれたのネ」
 !!
「そうですか。私は、優しいとはとても思えないのですけどね」
 暢気にそんなことをいう空に、レオパルドは唖然とした。リディアが自由になったというのに、全く慌てる様子がない。むしろ良かったとでも言いたげな感じである。
「んじゃ、お後ヨロシク」
「誰か! デビルが脱獄しますっ!!! 誰かっ」
 そういう内にリディアは部屋の隙間からさっさといなくなってしまっていた。



「もぬけの殻、か」
 武器防具の装着を許可されて入ってきたナノックは石の中の蝶を確認して呟いた。
 異端審問官達はデビルが逃亡したことを緊急事態とし、冒険者の武器防具も全て解放して、捜索に挑んだが‥‥結局は徒労に終わった
「テミスは無事だったのか?」
「はい、テミスさんの前には一切そんなトラブルはありませんでした」
 ウェルスの言葉にナノックはふむ、と考え込んだ。
 デビルの狙いはリディアの解放だった? いや、リディアはデビルのランクからするとそれほど高くない。わざわざ助けに来るのも少ないだろう。本来の目的はテミスであろう。
「大方こちらのガードが厚かったので、方向転換したというところだろう」
 それに、そう付け加えてウェルスはちらりとディアドラの姿を見た。
 リディアを尋問する先頭が、いつの間にやらリディアに懐柔されていた。魔力か何かだろうが‥‥放心状態の彼女は憐れで仕方なかった。これで信仰もゆらぐ。自分への信頼も崩れ去る。懊悩はきっと悪魔の紡ぐ糸に絡まれ、操られるようなことに‥‥ならなければいいが。
「語ったのはディアドラ、騙ったのはリディア。カタル、彼女、ね。」
 テミスを壊すことも目的とするなら、きっとカタルシスという意味もあったのだろう。
 全てトルバトール、楽士の狙いであったのかもしれない。
 ナノックはそんなことを考えながら、テミスの元に歩き語りかけた。
「テミス。神聖騎士にならないか?」

 運命の歯車は人と悪魔の間で迷走を続ける。