●リプレイ本文
五つの橋を越えて、草原の丘を越えて。
小さな森と小川に挟まれるようにして集まる、丸太の屋根が二つ三つ、その向こうにまた二つ。
水車がコトコト音を立てて、粉ひき小屋の柱を回す、ことん、とん。
音に誘われて、丘から村を眺めればたくさんの草花に囲まれて、色とりどりの花がちらほら見える。この時季に咲く花は全て揃っているのではないかと思うほどに素朴で綺麗な花たちが覗いた貴方に呼びかける。
ようこそ。と。
「‥‥預言やら悪魔やらの事を忘れそうなくらい平和な村だな」
サラサ・フローライト(ea3026)はぽそりとそう呟いた。確かに村にはそれらのような黒い影が忍び寄っているような雰囲気はまったくなく、烈風と名高いミストラルの影響も弱いようで、本当にノルマンの中でも、都を騒がすそれらの問題とは無縁に生きているようであった。
「ノルマンにもこんな美しいところがあるのですね」
サラサの心によぎった気持ちは共にこの村まで歩いてきたアディアール・アド(ea8737)にも伝わったようで、目を細くしながら、映る穏やかな、自然の営みを見つめた。
「あの、水辺に咲いているのがスイセンですね。」
「そのようだな。咲いている場所が固まっているようだから、誰かある程度手入れしているのだろう。ということはその傍にあるのがメアリーの家だな」
二人とも視力はかなり良いので、遠目からでもスイセンの花を見分けることはそれほど苦にならないようであった。
そしてその家から出てくる、袋を手にした黒地に赤で1と刺繍されたエプロン姿の女性の存在も二人は見落とすことはなかった。
「あれがメアリーさん‥‥」
「じゃ、なくて、紅さんですね」
長い黒髪が踊るように跳ねて、ちらりと見えるのは、二人より先に足を運んでいた紅茜(ea2848)だ。手に持っているのは小麦粉だろうか。三つ星パン焼き職人を目指す彼女の料理人魂が遠目からでもしっかりとわかる。
「すっかりなじんでいるようですね」
アディアールが苦笑しながら、どうもハーブを探し始めたらしい彼女と合流することにした。
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「さてさて、まずは情報収集だね」
主に林業や草花の採取によって成り立っている村の住人から、パンに良く合うハーブの教授を受けて、さらに見繕ってもらった上で、そのようにのたまう茜。一緒に先行して来ていた明王院月与(eb3600)は子供の振りをして情報収集に乗り出しているのであるが。
そんな月与と、改めて情報交換をしようと思った茜は接近してくる影に反射的に身構えた。
「お、重いよ‥‥」
「月与ちゃん? うわぁ、それどうしたの?」
声で、その影が月与のものであると認識した茜はすぐさま飛び出して、その影を助けた。というのも、月与は花束と花を加工した飾りや人形などを山のように摘まれて、本人の顔すらも認識できない状態となっていたのだ。
「じ、情報収集に向かったらさ、旅人が珍しいみたいで、こんなにプレゼントしてもらっちゃった‥‥」
何もない村とは皆言っていたが、そんな何もない村に訪れた旅人、しかも可愛らしい女の子となれば、精一杯もてなしてあげようと思うのがこの村人の総意であったようで、何もない、何もないといいながら、これだけ物が集められたようであった。
「この村の人、みんなプレゼント好きみたい。メアリーさんが山のようにスイセンの花をギルドに贈ったのも、もしかすると本人からしたら普通のプレゼントなのかもしれないよ」
いくら今年の冬は寒かったとはいえ、そろそろ日中は十分暖かく感じることができるこのごろに、こんな大荷物を背負わされて汗をかきつつ月与はそう言った。
「なるほど、大量だと思っていたけど、村の基準からしたら普通の量かもしれないんだね。ちょっとずつ合点がいってきた‥‥」
茜が言葉の最後に、敏感に反応した月与が驚いた顔をした。
「え、スイセンの花を贈る理由、分かったの?」
「うん、まだ推測の行きは出ていないんだけど。月与ちゃん、村の人に自分のことなんて説明した?」
「冒険者とはいったけど‥‥」
月与はふと、懇意にしている地方領主の顔を思い浮かべた。子供だと偽っていたのを一目で見抜いた眼力の持ち主。彼に諭されて以降、月与はできる限り冒険者という立場をごまかしたりするようなことはあまり行っていなかった。だから今回も村人に問われては冒険者と答えていた。村人が冒険者というものを正しく理解したかはまた別の話であるが。
「村の人、冒険者ってほとんど見たことがなくって、気がついたらお嬢ちゃんか、旅人さんだったよぉ」
その言葉に確信を得た茜は言った。
「まだ具体的な動機はわからないけれど‥‥メアリーさんも旅人だったんだって。メアリーさん、多分冒険者なんだと思う」
「ということは、メアリーさん、ここの住人じゃなかったんだ」
元冒険者のメアリーが、ギルドに花を贈る。
動機はともかく、全く縁がないというわけではなさそうだ。
点と線が繋がる感触を覚えながら、二人は推測を広げていった。
スイセンの根が、地下を通ってあちらこちらと芽吹くように。花が咲くまできっと遠くない。
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「メアリーさんメアリーさん、色々聞きたいことがあるんだけど、良いかな?」
二組の冒険者が合流して、情報交換を済ませると、メアリーの元を訪れた。彼女は家にはおらず、少し離れた水辺で、今日もスイセンの花を一本一本摘んでいた。
年の頃は30代と聞いていたが、その顔はもっと老けているようで、40にも60にも見えた。皺と白髪の交じった髪がそう見せるのであろうか。
「あら、貴方達は‥‥?」
「冒険者ギルドから来た。スイセンの花を贈ってもらう理由を聞きに」
サラサの言葉にしばらくきょとんとしていたメアリーであったが、少しして合点がいったのか、笑顔を作って一行を歓迎した。
「あらあら、こんな遠くまでようこそおいで下さいました。道もほとんどないから大変だったでしょう」
そう言って、メアリーは一行に歩み寄ろうとして、大きくよろめいた。途端に束にして手に持っていたスイセンが空に舞ってはらはらと散りゆく。アディアールはその中を走っていち早く助けの手を差し出した。
「大丈夫ですか?」
「あら、ごめんなさいね。私ってばはしゃいでしまって‥‥恥ずかしいわ」
ころころと笑うメアリーだが、アディアールは笑顔で返すことは出来なかった。
「失礼ですが、お足が‥‥?」
「そうなのよ。昔、ちょっとした弾みでね。ふふ、お恥ずかしい話だわ」
アディアールの手を借りながら、彼女が緩慢な動作で起きあがる前に、月与は散らばったスイセンの花を拾い上げて、家まで持っていくよ。と言った。彼女が杖無しに歩くのは、月与がこの村で貰った大荷物を抱えて歩く以上に大層難儀であることはわかったから。
「どうして、こんなにたくさんのスイセンの花をギルドに贈るんだ? ギルド側も迷惑というより申し訳ないような感じだったぞ」
「お世話になったからだよね? で、誰? どんな人にお世話になったの?」
サラサの言葉に引き続いて、茜が好奇心満々にメアリーに尋ねる。足が悪いのも、きっとそんな理由が隠れているんじゃないだろうか。
視線を感じたメアリーは一行を見つめて、にこりと笑って答えた。
「ええ、ええ、良くおわかりね。お世話になった人のためよ」
その言葉に、月与は胸が小さく痛んだ。
今、薬草などを取り扱う彼女。その人と関連のありそうな人を月与は一人心当たりがあった。
どうしよう。今はもう闇に堕ちた彼のことだと言ったら。大地を愛して、愛するが故に自然破壊に胸を痛め、闇からの囁きに耐え切れなかった人。
月与はメアリーが口を開くのが怖くて、抱えたスイセンを更に強く抱き締めて、その瞬間を待った。
「たくさんいるけど、特に4人いるのよ」
メアリーはそう言った。
「一人は長い黒髪で元気な女の子、一人はエルフで、銀髪なの。薬草の香りがローブからするわ。もう一人もエルフでこちらは女性。顔に感情を表すのが少し苦手だけど、とても感受性の高い子。それから最後の一人も女の子。まだまだ子供だけど、将来がとても楽しみな優しくて、とても気持ちを大切にする子ね」
メアリーの言葉を反芻して、それぞれが頭の上に、人物像を描き出す。
あれ、それって。
「もしかして、私たちのこと?」
茜の言葉にメアリーはくすくすと笑うばかりであった。
「さぁ、そちらが私のお家よ。何もない貧相な丸太小屋だけど是非上がっていって。お茶をお淹れするわ」
互いの顔を見て、何事かと目で語る一同を、メアリーはよたよたと歩いた後、優しく扉を開いて迎え入れた。
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「そっかぁ、こう言う組み合わせなら美味しく焼けるかも!」
メアリーの家で、香草パンをいただいた茜はその材料と配分を紹介して貰って感激した声を上げた。
香草以外に、それらから抽出したエキスなどの配合などで、温める事によってより良い香りを立てることができる方法など、香料職人でないとできないような技術でパンが作られているのは、まさに目から鱗。新しい技術を目の当たりにした瞬間である。
「どういたしまして。いただいたハーブティーのお礼よ。緑と花のとてもいい香り。私にはとても真似のできないお茶だわ」
メアリーはアディアールにいただいたお茶を大層喜んだようで、本題に入るまで、茜とアディアールで香草談義を延々と続けそうなくらいであった。サラサや月与が話題の外だったかというとそうではなく、メアリーは外のこと、とみに冒険者のことをとても良く聞きたがり、それぞれの冒険譚を披露することになっていた。
そんな話の中で、アディアールは感じていた。スイセンを送ったのは薬か香にしてもらうためかと思っていたが、話してみた限りの知識であれば、それくらいのことは理解していそうだし、何よりパリでそれらを精製するよりずっと高い効果を上げるものを作れそうだということを理解した。あれは純粋にプレゼントするものなのだろう。
話が一段落し、小さな沈黙が訪れたのを見計らって月与がメアリーに尋ねた。
「ところで、メアリーさんって冒険者だったんだよね。スイセンの花を贈っていたのも、関係があった?」
「あら、よく分かったわね。村の人に聞いたの?」
「うん‥‥。村人は旅人のメアリーさんがここの景観が気に入って定住するようになったっていうけど‥‥」
月与は言いながら、少しずつ動機の部分まで推測を近づけていた。それはあまり口数の多くないサラサも同様で口ごもった月与の言葉を引き継いで語りかける。
「本当は違う。メアリーは冒険者で、その足が原因で職を続けられなくなった。それで佳景なこの村を訪れた際にここで落ち着くをことを決め、冒険者から足を洗った」
お世話になったという理由を聞けば受付嬢もきっとそこに縁のある人物だと依頼書や報告書を漁るだろう。もちろんこの村もメアリー自身も出てくるはずがない。
彼女自身は確かにギルドにその記録はあるはずだ。ただし依頼人や依頼に関係した人物などではなく、その依頼解決に向かった本人なのだから。
「あら、よく分かったわね。すごいわ」
メアリーはぱちぱちと手を叩いて、サラサの名推理を喜んだ。
「メアリーさん、すごく冒険者を辞めるの辛かったんだよね。だから‥‥たくさんの思い出ができた日々に感謝したくて、ギルドにスイセンの花を贈った」
茜がそう言うと、メアリーは笑顔のまま静かに動きを止めた。
「ええ、楽しかった。私はレンジャーで、植物知識とか、知識・学問を中心に活動していたわ。稀少な植物を見つけに行ったり、木を守る運動をしたりね」
冒険者時代の頃を回顧しながら、メアリーは少しずつ話し始めた。
月与はそんなに語るメアリーの顔が、最初に出会った瞬間よりも若く見えたことに気がついた。年相応かもしかしたらもう少し若く見えるかも知れない。
「辛いこともあったし、死にそうなこともあったけど、思い返せば毎日が楽しかったわ。でも、ダメね。最近、そんな思いが特に強くなったわ。ここの生活もとても良いし、楽しいことはたくさんあるんだけれど、冒険者時代の事を思うと‥‥涙が、止まらなくて」
メアリーは少しだけ俯いて押し黙った。
沈黙の手がこの空間に伸びたが、すぐに彼女は顔を上げて、その手を笑顔で振り払った。
「でも、愚痴を言ったらお婆さんよね。それで素敵な時間をくれた冒険者ギルドさん、それから皆さんに退任冒険者から感謝の一つでも差し上げようと思って、それでスイセンだったの。色んな花をお送りしたかったんだけど‥‥スイセンの咲く泉にはね、たくさんの生物が住まうの。きっとこの茎に卵を産んだりするんでしょうね。その泉を守る依頼が私の最後の依頼だったから」
その依頼で、水辺に入ったメアリーはオーガー族に足を砕かれた。
リカバーポーションで回復したものの、泉に足を長らくつけていたことで、壊死が始まった頃には魔法でも簡単には治せない状態になっていた。
「どこかで、私がいたことを証明したかったのかもしれない‥‥ごめんなさいね。おかげでこんなところまで貴方達をお呼びする結果になってしまって」
冒険者であることを回顧する心から咲いて、贈られるスイセンの花。
だけど、その心が気づかれることもなく、また復帰することも叶わず、ただ贈ることで冒険者である自身を確認するしかない。
メアリーは笑顔を崩さなかった。静かに涙をこぼしても微笑みのままで、座っていた。
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シフール便の代金は、冒険者時代の稼ぎでおおよそ賄っていたらしい。
「ギルドの人には謝っておいてくださいね。次からは迷惑にならない量を考えるわ。ダメね。この村ではあれでも普通だったんだけど。ふふふ、私も最初驚いたものだけど。知らないうちに慣れちゃったのね」
帰り際、メアリーはそう言って見送ってくれた。
「野に咲く花は、野にあってこそ美しいと思うよ。摘み過ぎないようにねっ」
月与はそう言って手を振った。
「今度、これでパンいっぱい焼くからね!」
茜は手に入れたレシピ帳と貰ったハーブとハーブエキスを持って。
「住処におかせてもらうよ。冒険者をしてると枯らしてしまうからこの方がありがたい」
サラサはポプリを持って
「またいつかお会いしましょう」
アディアールは握手を交わして。そして皆帰路についたのであった。
「おかげさまでスイセンの花贈られてくることは無くなったわ。スイセンの時季が過ぎたからかもね」
しばらくして。
受付嬢はそう言って皆に結果を報告した。
スイセンの花は来年また贈られてくるのだろうか。