●リプレイ本文
●彼女の心が解けるとき
一人の冒険者の手の中に、一輪の小さな花が咲いている。
見ているとほっとするような可愛い花は、不安そうな顔をした幼子にそっと差し出された。
「初めまして、小さなレディ。俺は冒険者でナイトのウォル・レヴィン(ea3827)、よろしく」
安心させる為にはまず信頼して貰う。そう考えたウォルは、シュナのため、わざわざ道中で花を摘んできた。
柄じゃない、などと思いつつ花を選んだその一手間に、彼なりの気遣いが窺える。
「御門魔諭羅(eb1915)と申します。陰陽師をしておりますわ」
続いて、おっとりとした物言いでラーナに挨拶をしたのは魔諭羅だ。
合わせるように、アーサー・リーコック(eb3054)とメアリー・ペドリング(eb3630)も、作法正しく紹介を済ませた。
一方、未だ母親の後ろに隠れるようにしているシュナには、藤村凪(eb3310)が目線を合わせて笑いかける。
(「それにしても、ちっこーてかわいーなー♪ お人形さんみたいやー」)
そんなことを考えつつ、凪はころころと笑う。少しだけ、シュナの雰囲気が和らいだように見えた。
「え? ぅわ!」
突然、シュナの視界が高くなる。抱き上げられたのだと気付いたのは、そのすぐ後だった。
「たとえデビルが来たとしても‥‥任せておけ、守ってやる」
シュナの不安ごと宥めるように、セイクリッド・フィルヴォルグ(ea3397)は彼女の小さな頭を撫でた。
180cmを超す身長と、身を包む鎧。シュナからすれば、冒険者の中で一番人見知るであろう彼。
しかし実際は、少ない口数の中にもちゃんと温かみを感じられる男だった。
優しく触れる大きな手のひらは、シュナの中で彼や冒険者という存在の認識を変えた。
まだぎこちなく、それでも確かに、シュナは笑った。
●お茶会
「ありがとうございます。依頼を受けて頂けたばかりか、こんな用意まで‥‥」
目の前のティーセットを前に、ラーナは感嘆の礼を述べた。
凪の提案で開いたお茶会には、シュナを除く女性陣ばかりが参席している。
テーブルには、凪の淹れた紅茶と、魔諭羅の用意したお茶請けが添えられた。
「ラーナ殿、貴殿にも休息は必要だ。折角の機会、羽を伸ばしてはもらえないだろうか?」
メアリーは、ラーナの心労を心配していた。ほんの短い間でもラーナを観察して分かったことだが、彼女の心労こそがシュナの不安の要因ではないのか。メアリーはそう見当を付けている。
だからこそ、ラーナには日頃溜め込んでいるものを発散させる必要があるのだ。
「さあどうぞ、お茶には心を落ち着ける働きがあると聞き及んでおります」
ほんのり湯気の立つカップを魔諭羅は勧める。まだどこか遠慮しつつも、ラーナはそれを一口喉に通す。
温かいものが、ゆっくりと胃に落ちるのが分かった。
ラーナの顔に苦笑が浮かぶ。いや、綻んだと表現するべきだろうか。
「‥‥‥誰かに淹れてもらったお茶がこんなにおいしいだなんて‥‥長く忘れていました」
そんなラーナの表情に、その場の誰もが虚を突かれた。
「最後に淹れてくれたのは主人だった‥‥私、あの人の分もがんばろうって‥‥でも‥‥」
ぽろり、とラーナの頬を雫が伝う。必死に耐えていた無形の思いは、ようやく彼女の外へと流れ始めた。
ラーナはそれ以上を言葉にはしない。ただ、ただ、嗚咽を堪えて泣き続ける。
それが今、彼女に出来る最大限の弱音だった。
●暗闇の物語
日はすでに落ち、夜が真価を発する頃。冒険者達はシュナの部屋へ集まり、持ち寄った話を聞かせていた。
ラーナはここにいない。説得するのは大変だったが、彼女には先に休んでもらったのだ。
メアリーの錬金術の知識はそれに一役買っていた。今頃ラーナは、深い眠りについているだろう。
「ある時、神様が人間界に麦の種をまいたんだ。悪魔は邪魔をしようと不和の毒をまいた。 収穫の時、悪魔は神様に自慢して言った。「人は愚かだからこんなに毒麦が育った」 神様はこうおっしゃった。「お前の手の中を、よく見てみるがいい」 悪魔の手の中は空っぽで、神様の手の中にはたくさんの黄金の麦が収穫されていた。 悪魔は恥ずかしくなって、逃げてしまったそうだよ」
どうして悪魔は毒麦を収穫出来なかったのだろう?
穏やかな声で、アーサーはシュナに問いかけた。幼い彼女にも分かり易いように、表現は丁寧に砕いている。
努力は成功への第一歩です、という自らの信条を、彼はちゃんと行動に表していた。
「神様は朝も昼も夜も麦を見守って、温もりを、風を、慈愛の雨を与えていたんだ。それに応えて麦も健康で強くなった。私達もそんな麦のように悪魔に負けず、強くありたいね」
笑顔を絶やさず、シュナを不安にさせないよう、アーサーは気を配った。
しかし、ふと、シュナの表情が曇る。
「‥‥シュナは、強くなれるかな? お母さん、シュナのせいで疲れちゃったんだよね?」
冒険者達が少なからず危惧していたことは、現実のものだった。シュナは、母親を見ている。
「シュナだって、ほんとは眠りたいの。でも、目をとじると怖くって‥‥」
―――デビルの噂。それはシュナの心に暗く影を落としていた。幼子にとって、恐怖は理屈では取り除けない。
何とか安心させてやりたい、そう想う気持ちはこの場の誰も違わないというのに。
沈黙に場が支配された時、ウォルはシュナに一対の人形を差し出した。
「人形は好き? これはジャパンの人形で、幸せをもたらすって言われてるんだ」
そっと、シュナの傍らに置く。シュナは初めて見る異国の人形を珍しそうに眺めた。
「‥‥”天は自ら助ける人を助ける”という格言があります」
魔諭羅が、静かに口を開く。
彼女は皆が話した物語のように、自身にも克服したいと思う気持ちがあるのなら大丈夫だと、シュナを励ました。
本当は、シュナを魔法で眠らせることも容易だ。しかしそうしなかったのは、それが何の解決ももたらさないということを分かっていたからだ。
シュナは考える。幼い自分には少しだけ難しい内容だった。けれど必死に、その意味を理解しようとする。
それが自身の為なのか、母の為なのか、それは分からない。
確かなのは、ここにいる冒険者達のおかげでシュナの心の持ち様が変わったということ。
「王様や騎士達、冒険者がいればデビルは怖くない、安心してくれよな」
ウォルはそう締めくくると、他の仲間にも目配せを送った。きっかけは、すでにシュナの中に芽生えている。
後はシュナ次第だ。もちろん、冒険者達は必要ならばいつでも支えとなるつもりだった。
「なら、お話を始めよう」
途切れてしまった物語。それを修復するように、今度はセイクリッドが語り始めた。
同時に、密にシュナのお気に入りとなった大きな手が、またも優しく頭を撫でる。
その後はメアリーが本を読み聞かせ、ウォルと凪はシュナの好きな童話風の話をした。
シュナにとって、久方振りの楽しい夜だった。
「ウチもこんな子供欲しいな〜」
いつからだろう、安心したように眠るシュナを見ながら、凪が顔を赤くしてぽそりと呟く。
彼女の夫であるセイグリッドは、あからさまに、ごほ、とむせた。
「‥‥恥ずかしい話をするな‥‥今度な?」
言いながら、幼子の寝顔に視線を移す。その夜、皆が彼女の部屋を離れることはなかった。
目が覚めた時、シュナが不安にならないように、と。
●心の波紋
冒険者達の滞在中は、ラーナの手料理が振舞われた。
アーサーも家事を手伝ってくれたことで、ラーナは随分と助かっていたようだ。
惜しまれながら、三日間はあっという間に過ぎ去った。
別れ際、凪がシュナの手のひらをそっと握る。手の中で渡したのは、ルビーのかけらだ。
「この石はな。不安から守ってくれる不思議な力があるいわれてるんよ♪ もし、また不安な事が起きてもこの石持っておけば絶対にへーきやねん」
真剣な表情に優しい声。凪のその言葉に、あ、とシュナが顔を上げた。
「お話と同じ!」
そう、今のシュナの状況は、まるであの夜に凪が話してくれた物語のようで。
「大事にしーや?」
シュナのわくわくした表情に満足しながら、凪はそれだけを告げた。
一方、もう大丈夫か、とラーナの方へ問いたのはメアリーだ。彼女は最後までラーナの負担を心配していた。
少しくすぐったそうに、ラーナは微笑って頷いた。
「大丈夫、私たちは親子です。この世界で、たった二人の‥‥。助け合ってゆきます」
その瞳は堂々として、そして温かい。母という者の芯の強さを、改めてラーナは取り戻していた。
「おにいちゃん、おねえちゃん!」
去り行く冒険者達の背を、シュナの声が追いかける。
振り向く者、あえて振り向かないと決めた者。だが意識だけは、しっかりと彼女へ向けて。
「ありがとう」
はっきりと、その声が耳に届く。幼い彼女の、精一杯の感謝の気持ち。
その一言は冒険者達の心に一体どんな波紋を描いたのだろうか。
「あのね、お母さん」
くい、とシュナがラーナの袖を引く。
「わたしね、大きくなったらお話しをかく人になりたい」
「え?」
「こんどはわたしが、わたしみたいに怖がってる人にお話ししてあげるの」
おにいちゃんや、おねえちゃんたちがしてくれたみたいに。
しばらく、ラーナは言葉が出なかった。この気持ちを、なんと表したらいいのだろう。
「お母さん?」
黙った母を心配するように、シュナが呼びかける。ラーナは、そんな愛娘をそっと抱きしめた。
愛しくて、愛しくて、堪らなかった。
その日、一つの傷跡が癒えた。小さな悲鳴は笑い声へと変わった。
それを成したのは、優しき冒険者達だ。
彼、彼女らの伝えた優しさを、今度はこの母娘が誰かへ伝えてゆくのだろう。
優しさは巡る。そうしてきっと、いつか君達のもとへと戻ってくるはずだ。