●リプレイ本文
●生還するために
拍動がせわしない。あと100メートルほども進めば、そこには戦場が待っている。
敵の様子を窺うのも終わりだ。身を潜めていた木々と茂みに別れを告げ、一度でも敵の目に触れたなら、もう後戻りはできない。
(「この作戦、何としてでも成功させねば‥‥失敗は許されんだろう」)
声には出さず、レンジャーのイスラフィル・レイナード(eb9639)は自身に対し言い聞かせた。
白い肌に映える涼しげな青い瞳も、今はその一心に揺れている。
イスラフィルだけではなく、それは他の冒険者にも見て取れた。皆、表情はどこか硬い。
王宮騎士は、戦場に立つ者が誰でも初めはこういった雰囲気に包まれることを知っていた。自身も経験者である。
意気込みは結構なことだが、度が過ぎては発揮できるはずの力を押さえ込んでしまうことだってあるのだ。
だからわざと、王宮騎士は軽い口調に努めた。手近な肩を叩いて、意識をよそへ向けようとした。
「そう力むことはない。まあ俺たちの現状を見れば‥‥気持ちは分からんでもないがな」
そのまま視線は場にいる全員を流し見る。王宮騎士を除けば、味方はわずか4人だった。
これは他の陽動班に比べ、半分の人数である。
後に待つ突入班や、王の作戦への期待を考えれば、一人一人が必要以上に責任を感じてしまうのも仕方がないのかもしれない。
「俺は、少数ということが、必ずしもマイナスに繋がるわけではないと思います」
やや重い空気に風穴が開いた瞬間だった。論を覆したのは、ウィザードのロッド・エルメロイ(eb9943)である。
学者で生計を立てている彼は、まるで講義でもするかのような口振りで理由を述べた。
「俺達の目的は陽動です。敵にこちらが倒せる相手だと油断させ、注意を引き付けるという点では、理に適っています」
整えられた口調には、一分の隙もない。すると今度は明朗な声が異論を唱えた。
「しかし、だからこそ手数の不足は苦しいところでもありますね。苦戦を強いられることも覚悟しておかなくては」
相手の意見に納得しつつも、ナイトのトレント・アースガルト(ec0568)は気を緩めないよう注意を促す。
足りない戦力を補えるか否かは、自分達次第だった。分かっているからこそ、気を揉んでしまうのだが。
「奮闘も大事ですが、一番避けなければならないのは総崩れになることです」
きっぱりと言い切ったのは、幼い少女の風貌を持つバードのクラウディ・トゥエルブ(ea3132)だった。
パラの彼女は、背の高い仲間の影に埋もれてしまわないよう身を乗り出すと、丸い瞳で彼らを見上げた。
「ロッド君の言う通り、私達の任務は陽動であって、敵兵と共倒れすることではありませんからね」
紅一点の、強気な発言である。しかしそれは単なる強がりではなく、正論だった。
「‥‥戦いはまだ始まっちゃいない。前向きに行こう」
王宮騎士はもう一度、全員を流し見た。4人の表情から察するに、どうやら気持ちの切り替えは済んだらしい。
「では『祖国に伝わる必勝の曲』でも奏でましょうか?」
クラウディが、竪琴を掲げて見せる。必勝の曲と偽って、彼女は逆にリラックスできる曲を演奏するつもりだった。
直接戦闘よりもむしろ、本来こういった味方を支えるような事の方が得意なのだ。だが―――
「それは、生きて役目を果たした時の楽しみに取っておかないか?」
思わぬことを持ちかけたのは王宮騎士だ。クラウディは虚を突かれ、丸い瞳をさらに丸くした。
「戦の後の祝杯しかり、何か励みになるものがあれば心の持ち様も変わるだろう」
どうだ? と王宮騎士。意表を突かれていた他の者も、話を呑み込むとすぐに賛同の意を示した。
「そういえば、クラウディさんの楽器演奏の腕は達人クラスでしたね」
トレントが、顔合わせの際の自己紹介を思い出す。それはイスラフィルの記憶にも新しい。
「聴きたければ生き残れということか‥‥」
「ええ、俺達だけが味わえる報奨というわけです。それもなかなかオツかもしれません」
ロッドも、納得したように微笑った。気のせいか、冒険者達の緊張が少しだけ和らいだように思えた。
「というわけだ。とっておきの一曲を、頼むな?」
王宮騎士はクラウディへ向き直す。全員が、生還するための約束を交わした瞬間である。
「何だ、貴様らは?!」
マレアガンス城を護る兵達は、視界に捉えた闖入者へ声を荒げる。一斉に得物を構える敵兵達。
一瞬にして、場は殺気の漂う戦場と化した。
「皆さん、生きて帰りましょうね」
クラウディの呟きに、あえて答える者はなかった。今はただ、眼前の敵へと意識を向けて。
迫り来る敵を見定めながら、王宮騎士と冒険者は散開した。
●力の限り
「効果は6分です。その後はまた俺のところへ」
術を帯びたロッドの手から、王宮騎士の背が離れる。こうして時間を置いては、味方へフレイムエリベイションを付与してゆく。
士気向上の作用を持つこの魔法によって、ロッドは少しでも戦力の底上げを図ろうとしていた。
すでに前線では、トレントの聖なる槍が猛威を振るっている。長い間合いを生かして狙うのは、伝令となりうる兵達だ。
そこへ届くためにはまず、行く手を遮る敵の前衛をかき分けなければならないだろう。
長身の騎士の周囲には、人間騎士やスカルウォーリアーが、今にも彼へ襲いかかろうとしていた。
「民を惑わし、思いを踏みにじる邪悪達よ、貴様らの野望は、此処で、潰える―――掛かって来い!」
堂々たる口上を述べ、槍が手始めに人間騎士を2人突き崩す。トレントは敵に合わせて巧みに技を使い分けていた。
2メートル半の長い槍に対して、人間騎士の持つ剣では間合いに入ることすら叶わない。
トレントは同じ要領で、スカルウォーリアーにも一突き加えようとした。だがあいにく隙間ばかりの体には効果がなかった。
「ならば!」
握りを変えて、トレントはスカルウォーリアーの真上からスマッシュを振り下ろした。
武器の重みと、技を繰り出す本人の重量が乗った一撃は、骨の身にひとたまりもないだろう。
肩口から腹にかけて、敵兵は押し潰されるように崩れ落ちた。
そんな前線から数十メートル後方、辺りを一望できる木の上には小柄なパラの少女がいた。
「‥‥よっと。大丈夫そうです、ありがとうございます」
王宮騎士の肩を借りて、クラウディは手頃な幹にまたがる。ここが、今から彼女の陣だった。
伝令や増援の兵が現れた場合は、音とテレパシーを行使して皆に知らせることになっている。彼女は味方の眼になるのだ。
「法螺貝はなかったが、代わりにこれを使ってくれ」
王宮騎士に手渡されたのは、敵兵から奪った盾と木の棒だった。
叩いて音を出せということだろうが、盾なら矢などから身を護ることにも使えそうだ。
「危ないっ! 後ろ!!」
陣を構えて早速、クラウディの眼が危機を捉える。寸でのことで発動させたスリープが、敵兵の腕から刃を落とした。
敵意を持つ者はまだ2人ほど近くにいる。足の速い者は、すでにいくらかこちらの陣営に及んでいるらしい。
せめてクラウディのいる木の周囲だけは、護り通さなくてはならないだろう。王宮騎士は他の味方の様子を素早く確認した。
トレントは最前面で敵を釘付けにしてくれているようだ。ならばと、王宮騎士は後衛の3人の前に立つ。
彼らに降りかかる火の粉は、自分が払えばいい。だがその前に―――
「レイナード!」
イスラフィルの名を呼んで、敵陣から拾い上げた矢筒を投げ渡す。矢が切れては弓も使い物にならないだろう。
「すまない、助かる」
受け取った矢筒を足元に置くと、イスラフィルは改めて弓へ向き直った。
狙う的は敵の後衛、イスラフィルと同じ弓兵や術士など遠距離に攻撃する術を持つ脅威だ。
遠目の利く眼とポイントアタックを駆使して、関節など必然的に弱い部分を的に選ぶ。
瞬きも抑えて集中すると、細指は音もなく弦を離した。命中力に優れた弓は、次々と敵を射抜いてゆく。
当然、敵兵もイスラフィルの矢を疎ましく思い、早々に手を打ってくることだろう。
「牽制程度で構わん。行ってくれ!」
自らのペットであるジャイアントパイソンをけしかけ、イスラフィルは接近する敵に備えた。
5メートルもある大蛇は敵の攻撃の的になる可能性も否めないが、近付く者を尻込みさせる威圧感ならば十分に持っている。
その大蛇の丁度右手奥では、ロッドが呪文の詠唱に入っているところだった。
赤く淡い光は術者から湧き上がり、幻のように揺らめいている。
「邪悪なる者は、全て焼き払う。紅蓮の魔術の力、得と味わえ‥‥!」
かざされた掌から小さな火の玉が飛び出す。密集した敵兵のもとへ辿り着くと、それは15メートルもある熱球へと姿を変えた。
ファイヤーボムは容赦なく敵の陣形を崩し、烏合の衆を呑み込んだ。炎の意思がそこに在るものを焼き払う。
まるで、戦で散った同胞達の無念を晴らす業火のように。
場はいよいよ混戦を見せてきた。怒声と鉄のぶつかり合う音が響き、風は焼け焦げた異物の臭いを運ぶ。
刃と術を交える相手も、また様々だった。流れるままに大地は滴り落ちた血を吸ってゆく。
ここまで何とか善戦を成し得てきたものの、それでもまだ敵軍勢は数の勢いを残していた。
「さて、どうするか‥‥」
悲観するわけでもなく、独り言のつもりで呟いた一言だった。
だが王宮騎士の背向こうで戦うイスラフィルには、それが聞こえていたらしい。問い掛けと思ったのか、彼は答えを返した。
「人数で劣っていようが個々の質が劣っているわけではない。それぞれが死力を尽くせば問題あるまい」
口調はそっけなかったが、おそらくは本心から、飾る気持ちもなく口にしたのだろう。
こうしている間にも、矢を射る音は途絶えなかった。
「‥‥‥そうだな‥‥ああ、その通りだ」
王宮騎士も、それ以上気を散らすまねはしなかった。今はただ、この奮い立たされた心を敵兵へ向ければいいのだ。
そうして王宮騎士と冒険者達は、苦しい状況に屈することなく懸命に戦い続けた。
彼らには敵が持たない結束する力があり、決して諦めない強さがあった。
もちろん、時にはそれが揺らいでしまうこともあるけれど―――
●失意からの回生
地を走る足がもつれる。転んでしまわないよう、息を呑んで踏みとどまった。
「‥‥っはぁ、はぁ‥‥」
どれだけの時間が過ぎただろうか。いつの間にか、吐く息は切れ切れになっている。
いまだ周囲に散らばる敵兵―――時間が経つ程に、手数の差は如実に突きつけられるようで。
たった5人の陽動班は皆、明らかに疲弊していた。
「なんのっ!」
トレントの盾が、敵兵の攻撃を受け止める。普段なら何のこともないそれも、今は違った。
盾を構える手が攻撃に追いつかない。中心で受けられなかった衝撃は、トレントの腕に鈍い痛みを伝えた。
その10メートル後方ではイスラフィルが、新たな矢を番え敵兵を見据えているところだった。弓を引く手は震えている。
蓄積した疲労により、筋肉が痙攣を起こしていたのだ。当然、放たれた矢の威力は万全の状態に比べ低下する。
「‥‥‥‥!」
矢は、敵兵を掠め地に突き刺さった。標的へ狙いを定めるための集中力も、衰え始めているのだろう。
「―――危ないっ!!」
王宮騎士の腕が、ロッドの背を押す。その金糸へ今にも振り下ろされようとしていた得物を、王宮騎士の剣が弾き飛ばした。
そのまま反された刃は、敵兵に体勢を立て直させる隙を与えはしない。一撃のうちに、それは沈んだ。
「‥‥‥す、すみません」
背後からの襲撃を、ロッドは全く見落としていた。もし王宮騎士が駆け付けていなければ、今頃どうなっていたのか知れない。
「無事ならいいんだ。だが、後衛が戦うには前へ出過ぎている。もう少し退いた方がいい」
王宮騎士に指摘され、ロッドは初めて自身の立ち位置に気付いた。陣形には人一倍周到なロッドらしからぬミスである。
このように、瞬発力、集中力、注意力、すべての面において、味方の疲労が表れているのは紛れもない事実だった。
「まずいな‥‥」
王宮騎士は呟く。味方の状態を考えると、戦況はやはり厳しいもので。乱暴に汗を拭う彼自身とて、体力の消耗を自覚していた。
そんな時である―――戦場に、鉄を叩いて知らせる合図が響いたのは。
「誰か、あの敵兵を止めてください!」
鈍りかけていた思考を、クラウディの叫び声が覚醒させる。
幼女のような指の示す方向を見れば、一人の敵兵が馬を駆って戦線離脱を図ろうとしていた。
頑丈な鎧を纏う騎士は、こちらへは目もくれず馬にスピードを乗せてゆく。おそらく、いずこかへ伝令に向かうつもりなのだろう。
「くそっ‥‥‥!!」
王宮騎士は奥歯を噛み、対角から合わされた刃を払う。伝令には気を配っていたつもりだった。
実際、戦闘が始まってから何度かはそういった兵を食い止めてもきた。
しかし多勢に無勢の状況で、それがいつまでも完璧を誇れるわけではないことを、今更に思い知った。
「させるものか‥‥っ!!」
伝令兵に距離の一番近いトレントが、進路を塞いで立ちはだかる。
「ふん、無駄なことを!」
不敵な笑みを伝令兵は浮かべた。突如、男の体が淡いピンク色に輝く。
それが何かと意識する間もなく、光は伝令兵を中心として爆発的に広がった。
「ぐ‥‥!!!」
衝撃にトレントの体がよろめく。それどころか、周囲15メートル以内に存在する敵兵すべてに、被害は届いているようだった。
「自分の仲間まで‥‥?! なんてひとっ!」
手段を選ばない馬上の敵に、クラウディは非難の声を上げた。
「同情してる場合じゃないぞ! エルメロイ、狙えるか?」
言いながら、王宮騎士は周囲に迫る敵兵を切り払う。自身が追いかける余裕はなかった。
「駄目です、あの位置ではトレントさんを巻き込んでしまいます!」
ロッドの判断に、王宮騎士は苦い顔をした。事態は急を要する―――だが敵兵のように非情になることが彼にはできなかった。
「待ってくれ、俺がやる!」
二人のもとへ駆けつけたイスラフィルが、言いながら二本の矢を伝令兵へ向けた。
弓の射程は30メートル。届くか否か、ギリギリのところだろう。
「―――――頼む!!」
何としても伝令兵を逃すわけにはいかない。その一心を込めて、イスラフィルは弓を引いた。
ダブルシューティングによって放たれた矢は、二つの目標へ向かって宙を切る。
一本が馬の足元に降り、ほんの僅かな時間だがその足を止めた。
もう一本は馬自身の発達した大腿へ突き刺さった。馬は甲高い悲鳴を上げ、乗り手のことなど構わず暴れ出す始末だ。
「なにっ?!」
伝令兵は何とか振り落とされないよう手綱を握った。しかし馬が空高く前足を振り上げると、慣性のままに体が浮いてしまう。
重い鎧が、地に叩きつけられた。
「ぐぅ‥‥」
肘をついて、伝令兵は素早く体勢を整えようとする。その眉間は屈辱に歪んでいた。
「そこまでだ、非道なる輩よ!」
威圧感のある声と共に、トレントの槍が伝令兵の頬に当たる。
観念せざるを得ない悔しさだろうか、壮年の兵は地面を握り締めた。
「!!」
それは数秒にも満たない出来事―――舞い上がる砂がトレントの視界を塞ぐ。伝令兵は、握った砂を目潰しにばら撒いたのだ。
「どこまで卑劣なっ‥‥!」
視界を塞がれたトレントに、相手の正確な位置を捉えることはできない。その間に、伝令兵はまたもピンク色の光を身に纏った。
先程のオーラアルファーに代わり、今度はオーラエリベイションを発動したのだ。
自らの士気を高めた伝令兵は、この機を逃すまいと駆け出した。
たとえ手当たり次第に繰り出された槍撃が身を掠めても、怯むことはなく。
「逃がしは―――」
「深追いはするな! 俺達が持ち場を離れれば、作戦はどうなる?」
伝令兵を追おうとしたトレントへ、王宮騎士が叫ぶ。戸惑う冒険者達に、彼は重ねて告げた。
「最後の盾だ、森のどこかに彼らがいる。あの伝令兵を食い止めてくれる保障はないが、賭けるしかない‥‥!」
「そんなっ‥‥!!」
ここまで懸命に戦ってきて、肝心なところを他人へ委ねようと言うのか。
冒険者達のやるせない声が、表情が、王宮騎士へ投げられる。
「‥‥いえ、彼の言う通りです。俺達がここを食い止めなければ、後に続く方々に支障が出る。‥‥そうですね?」
こうしている間にも、敵兵の攻撃は止むことがなかった。感情を抑えた知将の視線が、騎士へ問う。
どんな状況であれ、自分達がすべきことは何も変わってなどいないのだ。
「依頼を受けた以上、全力を尽くして突入班を送り出せるようにする‥‥それだけだ!」
弓の弦が、力強くしなる。的を射抜く矢はかつての勢いを取り戻していた。
「不浄なる者達は、全て塵芥に変えてくれよう!」
猛々しい声と共に、不可侵の間合いを持つ槍は敵兵を薙ぎ払う。
獅子奮迅の様相に恐れをなす敵兵を、深緑の瞳は見逃さなかった。
「誰も‥‥ここから外へは行かせません!」
一度は揺らいだ結束が、また固まってゆく―――冒険者達の心情が分かるからこそ、王宮騎士も歯を食いしばった。
「すまん‥‥悔しかろうが、今は耐えてくれ‥‥」
●祝杯の音色
勢いを取り戻した冒険者達は、残る兵を次々と沈黙させてゆく。
苦い思いをしたからこその、起死回生だった。
「これが、最後の兵か?」
崩れ落ちる敵兵を一瞥して、全員が辺りを見回した。どうやら、他に動く者はないようだ。
「増援は‥‥今のところ来ないみたいですね」
クラウディが、警戒したように様子を窺う。だがしばらく待ち構えてみても、城から新たな兵が姿を見せることはなかった。
「敵も四方からの陽動で手一杯なのかもしれませんね。おそらく、各方面との伝達すら行えていない状態なのでしょう」
兵法に多少の心得があるトレントは、敵の動向からそう推察していた。
仮に城に残った敵兵全体を指揮する者がいたのならば、そもそも陽動すら成り立たなかったことだろう。
つまり、この場所に割り当てられた兵は尽きたということである。
「それにしても、よくここまで倒したものだな」
他人事のように言って、王宮騎士は肩をすくめる。地に伏す敵兵の数は50程になるだろうか。
「手落ちはあったがな‥‥」
先の伝令の件を思い出して、イスラフィルは口角を歪める。口調はやや和らいでいるものの、込められているものは知れていた。
沈黙が降りる。他の冒険者とて、今は同じ想いを噛み締めているのだろう。
「そう気落ちするな。お前たちはよくやってくれたよ。それだけは間違いない」
王宮騎士は、冒険者達へそんな言葉を掛けた。決して気休めなどではない。
冒険者達は味方が少数という点を踏まえて、ちゃんとその対策を練っていた。そしてそれを精一杯実行して見せた。
悲観するどころか、むしろたった4人でよく頑張ってくれたとすら思うくらいだ。
その上での結果ならば仕方ないと思うのは、王命を帯びた一騎士の考えとして甘いのかもしれないが。
「お前たちは、誰にも負い目を感じる必要なんてないんだからな‥‥」
全員の目を見て、王宮騎士は呟いた。ようやく役目は終わったのだ。
ところがそう思ったのも束の間、冒険者達は思わぬことを口に出した。
「では、まず傷の手当をしませんとね。逃げた伝令が援軍を引連れて来ないとも限りませんから」
そう言って、トレントは持参したリカバーポーションを取り出した。軽傷ではあったが、傷を負った他の仲間にも手渡す。
ほとんど無傷のクラウディも、仲間の手当てを手伝った。
「万が一の時は、もう一頑張りしましょうね」
叫び疲れた声は少しかれていた。皆が、こうまでしてもまだ力を尽くそうとしていることが、王宮騎士には意外だった。
そして嬉しかったのだろう。何とも言えない気持ちが、心に浮かぶ。それは表面にも表れていたようで。
「さあ、笑っていないで貴方も手当てを受けて下さい」
ロッドに急かされながら、王宮騎士は血と土に汚れた顔を小さく綻ばせるのだった。
それから幾時間かは、念のため敵の襲撃に備えて過ごした。
本懐である突入班を城へ送り出し、空の色も少しは変わった頃だろうか。地鳴りのような音が辺りに響き、足元を揺らした。
目の前にそびえていた城が、跡形もなく崩壊したのだ。
慌てて避難したものの、予想もしていなかった光景にその場の皆が眼を疑った。
「これで、終わったんですよね‥‥?」
たっぷり十数分が経ち、瓦礫の一つが最後の音を立てた時、トレントはようやく口を開くことができた。
返事ともつかぬ相槌が仲間から上がる。視線はまだ、落城したそれから離せずにいた。
「依頼はどうやら果たせたようだな‥‥」
一つ息を吐いて、イスラフィルは緊張させ続けていた眼光を緩めた。
心配していた敵の援軍がやって来る気配もない。おそらくは望みを託していた最後の盾が、上手く事を収めてくれたのだろう。
今度こそ、王宮騎士と冒険者達は役目を終え、肩の力を抜くことができたのだった。
「‥‥皆さん、約束していたとっておきの一曲、聴いてくれますか?」
大事に隠しておいた音源を両腕に抱えて、クラウディは尋ねた。戦場にあって、肝心の楽器が壊れなかったのは幸いである。
全員の同意を纏めるように、ロッドは小さく拍手をして見せた。
「では、俺達だけの祝杯を」
クラウディは瞼を閉じて、そっとアーチ状の木枠に手を添えた。弦を見ていないはずの指は、引き違えることなく音を弾く。
その旋律に、誰もが静かに耳を傾けた。音色は疲れた体に染み渡るようだった。
生き抜いた者へ向けた報奨―――もしかしたらそれは、風に乗って別の戦場までも届いたのかもしれない。