●リプレイ本文
江戸に行くのも初めてならば、何日も昴と離れて過ごすのも初めて。不安を隠しきれない様子の銀だったが、
「猫の着ぐるみのお姉さん、覚えているかしら? 私ね、その子のお母さんで、杏っていうのよ。あの子は来られなかったけれど、銀くんは元気にしているかなってとても気にしていたわ」
所所楽杏(eb1561)の言葉を聞いて、銀は驚いたように杏の顔を見上げた。
ふわふわの着ぐるみを着て撫でてくれた石榴‥‥そのぬくもりを思い出して、銀の頬にわずかに朱みが差す。
さらに、驚くことはそれだけではなかった。
「以前お前と一時を過ごした陰陽師がいただろう。あれは私の兄だ」
「私はアキとコバルトの友人なの。2人とも銀君に会いたがってたけど、都合がつかなかったら私が代わりに、ね」
小野志津(eb5647)とクレセント・オーキッド(ea1192)もまた、銀にとって懐かしい名前を告げる。
かつて自分を暗闇から救いだしてくれた冒険者たちと縁のある人々‥‥それを知っただけで、銀の中の不安は随分と軽くなった。
「よろしくおねがいします‥‥」
ぺこりと頭を下げる銀を、柚月由唯乃(eb1662)が堪らずぎゅっと抱きしめる。
「可愛いですのー♪ わたくしは由唯乃と申しますの、宜しくですの☆」
いきなりで驚いたのと、女性の胸に抱かれて恥ずかしいのとで、顔を真っ赤にして固まってしまう銀。
そんなこんなで、銀にとって初めての旅は幕を開けたのだった。
幼い銀に合わせ、江戸への道中はのんびりしたものとなった。
「なあ銀、こいつと遊んでやってくれよ」
羽鳥助(ea8078)が抱えているのは、ころころとした柴の子犬。
「‥‥噛まない?」
「うん、大丈夫。乱暴しなければ怒らないからさ」
そう言われて恐る恐る撫でると、子犬は面白そうにその手にじゃれてくる。
「可愛いだろ? あの河童のにーさんから貰ったんだ」
助の視線の先には、由唯乃やクレセントと談笑する黄桜喜八(eb5347)の姿がある。
河童というものを初めて見た銀は、喜八が冒険者たちと普通に話している様が不思議で堪らないらしい。その容姿を恐れる気持ちはなかったが、どう接して良いのか分からず、微妙に距離を保ちつつ様子を窺っている。
そんな銀に、喜八は自分から銀に話し掛けることはせず、代わりに抱えていた柴犬のトシオを放してやった。トシオは嬉しそうに喜八の周りをぐるぐる駆け回り、冒険者や銀たちの匂いを嗅いで回る。
最初のうちこそびくびくしていた銀だが、次第にじゃれ合うのが楽しくなってきたようだ。しばらくその様子を見守っていた喜八だが、やがて落ちていた小枝を拾って軽く投げた。トシオは喜び勇んでそれを追いかけ、器用に口にくわえて戻ってくる。褒めてくれと言わんばかりに尾を振る彼を、銀はそっと撫でてやった。
「えらいね」
「こいつらは人の気持ちに聡い。愛情を注いだ分だけ、それに応えてくれるんだ」
喜八の言葉を理解したかのように、妙な輝きがゆっくりと瞬きながら銀の目の前をふわりと漂う。
「これもお兄さんの友達?」
「まあな」
「いっぱい友達いるんだね」
感心したような銀の前で、喜八はおもむろに両手で印を結んだ。
すると‥‥ボンッと煙と共に現れたのは大ガマ。
驚きのあまり驚いて思わず尻餅をついてしまった銀だが、喜八の嘴がにやりと笑みを形作るのを見て、つられて微笑む。こうしていつの間にか銀は、ごく自然に喜八と触れ合うことができるようになっていた。
銀にとっては久しぶりの、昴のいない夜。
2人並んで星空を見上げながら、志津はこう話して聞かせた。
「すべてのものは不変ではない。形あるものはいつか変わりゆく。あの星々も確たる姿を見せてはいるが、年月を経るにつれて変化するものなのだ」
銀は少し考えてから、庭に咲く草花のことを思い出し、志津の言葉を理解した。草がつぼみをつけ花を咲かせ、やがて枯れ、季節の移り変わりと共にまた別の花が咲く。それが変化ということだろう。
「今あるハーフエルフへの考え方も、いつかは変わる」
「‥‥あの村の人たちみたいに?」
「ああ‥‥そうだ」
志津はその件を直接知っているわけではないが、平山から話は聞き及んでいる。村人たちの態度が少しずつ変わっていったのと同じように、その他の者たちの考えとて、時を経ればきっと変わるはずだ。
「それは時間のかかることかもしれないが、銀、お前の長命ならきっとそれを見ることができる」
その言葉に、銀はただ黙って頷いた。
本当にそうなればいい‥‥密かに願いながら。
江戸に着くと、杏は後ろでひとつにくくった銀の髪を下ろし、耳が隠れるようにしてやった。そうしなければならない理由を、彼は身を以って知っていたので、おとなしくされるがままになっている。
「こうやって隠しておくだけで、人って案外気付かないものなのよ。ほら、私もお揃い」
杏も同じように耳を隠してみせると、銀は少しだけ笑顔になった。
準備も整い、いよいよ江戸見物の始まりだ。冒険者が多い場所のほうが良いだろうということで、まずは本日最終日を迎えた復興際を冷やかしに行くことになった。
「せっかくの祭だ、面でも被って楽しむといい」
志津の手には、江戸への道中で見つけた狐の面。それを被る銀は、心なしかいつもより少しはしゃいでいるようだ。しかし、それ以上に大はしゃぎしているのが助だった。
「お祭りはさ、楽しむ為にある! 誰かの為にあるんじゃない、みんなの為にあるんだっ」
などと力説し、銀の手を引いて走り出す。最初は半ば引きずられるようにして付いて歩く銀だったが、見るものすべてが新鮮で珍しくて、すぐに自分も夢中になってしまった。
多くの冒険者が訪れるここでは、周りの目を気にすることもなく、ただ純粋に祭を楽しむことができる。それが銀にとっては何よりも嬉しい。
しばらく助と一緒に遊んだ後、今度は由唯乃が声を掛けてきた。
「実は私も江戸に来てまだ日が浅いんですの。一緒に見物しましょう♪」
由唯乃は銀の手を引いて色々な屋台を見て回り、美味しそうな食べ物を見つける度に、自分と銀の分を買っては食べ歩く。
「お姉ちゃん、ありがとう‥‥でもこんなにいっぱい買ってもらっていいのかな‥‥」
「ふふ、気にしなくていいんですのよ。銀くんはいい子ですのね☆」
またも豊満な胸に抱きしめられ、固まってしまう銀。どうやら、そういうふうにされるのは苦手‥‥と言うか照れくさくて仕方ないらしい。そんな様子が微笑ましくて、杏はくすりと笑いを零す。
「そんなにぎゅっとしたら息が詰まってしまうわ。ね、銀君?」
由唯乃から解放された銀を、今度は杏がふんわりと優しく抱きしめてやる。銀はまだ恥ずかしそうだったが、それでもその感触に亡き母を思い出したのか、甘えるようにほんの少し杏の胸に頬を寄せた。
翌日、喜八は冒険者長屋へと銀を案内してやった。
荷物を抱え依頼から帰ってくる者もいるし、逆に旅支度を整えて出てゆく者もいる。あるいは洗濯をしたり、近所同士で立ち話をしたりと、日常生活も垣間見える。そしてその風景の中に、人間以外の種族の者たちもごく自然に溶け込んでいるのを、銀は興味深そうに眺めていた。
「‥‥あの羽根の生えた小っちゃい人たちは?」
「あれはシフールさ。今回一緒には来れなかったが、オイラの知り合いにもいるぞ」
「‥‥あっちの人はエルフ、だよね‥‥」
「そうだな。銀の親父さんと同じだ」
それを聞いた銀は、しばらく躊躇っていたが、やがて思い切ったように訊ねた。
「エルフとハーフエルフは、どう違うの‥‥?」
彼の父は幼い頃に亡くなってしまっており、母もそういったことについては詳しくなかったため、銀は自分に流れる血のことを実はよく知らなかったのだ。
「エルフはな、ハーフエルフよりさらに長く生きる。オイラが知ってる中では、180年近く生きてる奴もいる。ほんとはそいつから色んな話を聞ければ良かったんだが、都合がつかなくてな」
「ひゃくはちじゅう‥‥」
それがどれほどの時間なのか、今の銀にはまだ想像もつかない。その人に会えなかったのは残念だと、銀は少し思った。けれども代わりに、杏がこんなことを話してくれた。
「あのね、私の旦那さんも銀君と同じ。20年くらい前に出会って、その時はお互い同じくらいの年だったわ」
杏の夫。つまりは石榴の父ということになる。自分のために必死になってくれた彼女のことを思い出し、銀の胸に不思議な想いが去来した。痛く切ないような、それでいて温かいような‥‥
「今の私はこんなに年をとっちゃったけれど、あの人はまだ若いままなの。でもそれは悲しい事じゃない。私は出会えて良かったと思っているし、そのことに対して『ありがとう』って思えるわ。決して後悔することじゃないの」
そう語る杏の顔は、どこまでも穏やかで優しい。
それを見て銀は、母に似ていると思った。そして昴にも似ていると。そう思ったら、何故かわけもなく泣いてしまいそうになった。
「‥‥私の言ったこと、今すぐにわからなくてもいいけれど、覚えておいてくれると嬉しいわ」
頭を撫でてくれる杏の言葉に、銀は深く頷いた。
その夜は色々な想いが胸の中に渦巻いて、なかなか眠れなかった。クレセントはそんな銀の横にそっと寄り添い、まるで子守唄でも歌うかのような口調で語り掛ける。
「前に、みんなと一緒に大人になれない‥‥って云われたの覚えてる?」
「‥‥うん」
それはコバルトが別れ際にくれた言葉。誰かから「兄弟みたいだ」と言われたが、自分と同じ種族、同じ髪と瞳の色の青年を、銀は本当に兄だったら良かったのにと密かに思っていたものだ。
「私はコバルトの友達だって言ったでしょう。でもね、私もそのうち彼を追い越して、いつかはいなくなってしまう。それは圭助君たちも同じ‥‥」
考えたくない現実。
でも、避けられない事実。
いつかは必ず訪れる未来の話だ。
「けどね、長く生きるのは悲しいことじゃないわ。彼らに貰ったたくさんの気持ちや思い出を、いつか生まれてくるみんなの子供たちにもずっと与え続けてあげられる。そんな宝物みたいな時間を持てるのも、悪くないと思わない?」
これから待っている長い長い時間が銀にとって宝になるようにと、あの青年も言っていた。
「‥‥宝物に、できるかな」
「それは銀君次第ね。‥‥そうそう、アキからも伝言を預かってたんだわ。『教えてくれた事や話して貰った事、いつまでも忘れないで。強くなった銀君へ、皆からのお土産だよ』って」
銀はその言葉を、胸の中で何度も繰り返した。
それはやがて心地よい波となり、銀を眠りの海へと導いていった。
そしてついに別れの時。
「最後にひとつお願いがあるんだ。こいつの名前、三つから選んで貰えないかな?」
こいつというのは、あの柴の子犬だ。思いがけない助の頼みに、銀は目を丸くする。
「僕が決めていいの‥‥?」
「もちろん! 銀が名付け親、な♪」
そして助が挙げた三つの名前の中から銀が選んだのは‥‥
「‥‥僕とお揃いで『銀河』にしてもいい?」
助は大きく頷いて、銀河の名を貰った子犬を嬉しそうに抱き上げた。
「よし、お前は今日から銀河だ! これからは名前を呼ぶ度に銀のこと思い出すよ」
それを聞いて銀は照れ臭そうに微笑んだ。昴から貰った銀という名前。それを今度は自分がこの子犬に付けてやった‥‥そのことがなんだかとても不思議で、嬉しい。
「こいつも今はこんなに小さいけど、一年もしないうちに大人になっちゃうんだ。どんなに可愛がってもあっという間に大きくなって、たいていは先に逝っちまう。でも、悲しむのはその時がきたらでいいと思うんだ。大事なのはそれまで一緒に過ごした時間だから」
「うん」
杏やクレセントの言葉を思い出しながら、銀は頷く。
出会えたことを後悔したりしない。共に過ごした時間は無駄になどならない。‥‥今はまだ実感を伴わない気持ちだけれど、いつか悲しみの壁にぶち当たった時に、そのことを思い出せばいい。
「たとえわたくしやお友達が居なくなってしまっても、銀くんはたくさんの経験や思い出を未来へと語り継ぐことができますの。そうやって銀くんが語り続けてくれる限り、わたくしたちは銀くんの心の中に生き続けられますわ」
「そうだね‥‥話すのあまり得意じゃないけど・・‥頑張るよ」
「その時は、わたくしはとっても綺麗な人だったと伝えて下さいね☆」
冗談めかした由唯乃の言葉にも、真剣に頷く銀。その真面目な顔に思わず笑いを零しながらも、由唯乃は銀の頭をくしゃくしゃと撫でてやった。
「己を強く持つことだ、銀」
志津はこう語り聞かせる。
「どんな時でも己を見失わなぬ、揺るぎない強さ・・・・それは種族の壁を超え、相手の心をも動かす。何にせよ、銀が努力をする事で道は如何様にも拓ける、それだけは忘れるな」
「うん・・・・僕、忘れないよ」
忘れずにいれば、それはいつかきっと宝物になる。
そう信じて、銀は去りゆく冒険者たちの後ろ姿をいつまでも見送っていた。