●リプレイ本文
●鬼
「豚鬼ですね」
話を聞くなり、葛城夜都(ea2901)は言った。
「体長は七尺ほど。知能は人より低いのですが、体力の無いものなら、一撃で重傷にもなりかねない力を持っています」
「それが二匹‥‥。村長様。皆様には、街道を使うことを一時、絶っていただけないでしょうか」
猫目斑(ea1543)の申し出に、村長は二つ返事で頷く。
「策としては、囮を用いるのが良いように御座いますね。他の方は出来る限り、見つからないように林の中を続いて‥‥」
そこまで言って、朔良翠(ea2805)は自分の頭に手をやった。
「この頭巾は目立つでしょうか」
リアン・デファンス(ea6188)と里見夏沙(ea2700)は、翠の髪と口元を覆う白い布に目をやる。
「確かに、緑の中では、目を惹くかもしれないな」
「用心に越したことは無いんじゃねぇか?」
二人に言われて、翠は結い上げた黒髪がほつれないよう、注意深くそれを外した。
村長は、そんな皆の様子を頼もしく感じたようだ。
「あとは、任せましょう」
と、老婆を見下ろした。
ところが老婆は、橘霞(ea5053)と南天桃(ea6195)の腕を、ぎゅうっと抱え込み離そうとしない。
「なるべく早く元気を取り戻して、息子さんを安心させてあげましょうね」
「哀しいでしょうけれど、私達が敵をとりますから」
真摯な霞と桃の言葉を聞き、老婆はやっと安心したのか二人を解放した。
「頼むだよ‥‥息子の敵を取っておくれ‥‥」
それでも止まらない老婆の涙に、桃はつられて涙ぐむ。
青年は使いを全うしようとして果てた。命を優先すれば、恐らく助かっただろう。
「血縁の絆とは己の命を顧みぬもの‥‥か」
白河千里(ea0012)は、ふと二つの顔を思い出した。
五人姉弟の末に生まれた千里には、勝ち気な姉が二人いる。三男である事にくわえて、男以上に男勝りなこの姉達の為に、千里の存在はかなりおざなりであった。
実質、五男の扱いであったかもしれない。
誰かの危急に姉達はどう動くだろう。
そんな事を考え、千里は苦笑を覚えずにはいられなかった。
●刃
村に着いた一行は、村長に頼み必要な物資を揃えて貰った。
囮役は夫婦を模した千里と霞だ。
剣を積んだ千里の馬の、カッポカッポという蹄の音が、街道には良く似合う。
「良い天気だ」
自然と漏れた千里の言葉に、霞は溌剌と頷いた。
「気持ちが良いですね!」
眼前に広がる青を吸い込むように、大きく深呼吸する。
霞は、この色と広がりを見るのが好きだった。
しばらくの間、一行は何事もなく進んだ。
野菜篭の揺れる背中を見守っていた後続の六人は、林が現れると、それまでの進路を街道上から木々の間に移した。
「この辺りで良いか」
「そうですね」
頃合いを見計らい、千里と霞は篭を下ろした。
畑を背に腰を据え、早速、食事の準備にとりかかる。馬が道ばたに生えた草を、ちぎり始めた。
二人の前に広がる林は、足下を深い藪に覆われている。
潜んでいる敵も味方も、二人からは確認出来ない。
霞は用心しつつ、握り飯を千里に差し出した。
「どうぞ、旦那様」
「ありがとう。頂こうか」
千里はゆったりとした動作で、手を伸ばした。
長閑に見える光景であったが、二人の気は張りつめている。
ピクリと。
馬が何かに反応して、草を食むのを止めた。
二人は藪の中に目を凝らした。
次の瞬間である。
草むらから勢いよく立ち上がった影が、街道に飛び出したのだ。馬が驚いて跳ね上がった。
千里は慌てて手綱を握り、背に預けた剣に手を伸ばす。
たるんだ肉を弾ませて現れたのは、二匹の豚鬼だった。
「お団子が食べたい!」
霞は合図の言葉を叫んで、直ぐに後退した。
皆、これを聞きつけたが、二人まで十間近い距離がある。
「急ごう!」
真っ先に行動を起こしたのは、リアンと斑だった。
「私はここで援護をいたします! 皆様は行ってください!」
反応の良い二人は、豚鬼を目にするや駆け出し、また、矢を番えた。
斑は弦を絞る。
「早く、刀を――」
放たれた矢が、真っ直ぐに豚鬼の背に突き刺さった。
しかし、強靱な体にとって、その一撃はかすり傷にしかならない。豚鬼は引き抜いた矢を、道ばたに投げ捨てた。
暴れる馬の背で、刀が跳ねる。千里は苦戦していた。
馬がいななき、前足を宙で掻いた。
豚鬼は千里に向かって、木槌を振り下ろす。千里の指先が柄に触った。
刹那、耳元で風が唸った。千里は、剣をひっ掴んで身をひねったが、反応が一歩遅れてしまった。刀を握りしめたまま、木槌に叩き飛ばされる。無意識に庇った腕に激痛が走った。
「白河さん!」
握り飯をあさっていた豚鬼が、畑に留まっている霞に気付いて顔を上げた。
「こっちだ!」
駆けつけたリアンが、豚鬼の横腹に短槍で一撃を打ち込む。豚鬼が軽くよろめき、リアンの方を向いた。
その隙に桃が霞に近寄る。
「霞さ〜ん、刀ですよ〜」
回避の術を持ち合わせていない桃が、前線に近づくのは危険だった。早々に立ち去ろうとした後ろ姿を、別の豚鬼が追う。
奇声を発し、身を躍らせた。
「私が相手です!」
翠が間に飛び込み、豚鬼の行く手を阻んだ。
軌道を変え、六尺棒を振り下ろす。豚鬼は頭部を痛打され悲鳴をあげたが、これも軽い傷を負わせただけであった。
反撃とばかりに、木槌を振り回す豚鬼。
翠の災難は装備が重すぎた事だろう。身動きの出来ない脇腹に、槌が重く沈んだ。振り返った桃の目が翠に走る。
「翠さん!」
霞は豚鬼の手の届かぬ場所へ退避し、桃は少し離れて氷環を呼ぶ為の詠唱を始めた。
豚鬼は力も生命力も強かった。
一行は劣勢を極め、二人が怪我を負った。
「大丈夫か?」
腕を抱く千里を、庇い立つ夏沙。
視線は、息を荒げてじりじりと詰め寄ってくる、豚鬼を睨み付けている。間合いを詰めすぎる事は、夏沙にとっても危険だった。
豚鬼の攻撃が読めない。避けられそうな気がしなかったのだ。
千里は、刀を鞘から引き出すと一降りし、一瞬、顔をゆがめながらも「問題ない」と頷いた。
豚鬼が深く息を吸い込んだ。胸と腕の筋肉がふくれあがる。夏沙は身構えた。
側頭部に突如、矢が生える。
斑だ。
豚鬼は長い咆吼を上げた。
踊るような足取りで、くるりと回転した背中から、おびただしい血が流れている。
「千里さん! 無事ですか!」
サッと飛び退いたのは、夜都だった。
背後から喰らわせた一太刀が、豚鬼の背中を切り裂いたのだ。夏沙は豚鬼に出来た隙を逃さなかった。
地を蹴り、刃を振るう。
重い太刀を受けて、豚鬼はよろめいた。千里も反撃に転じる。腕は痛んだが、嘆いてはいられない。
躊躇わずに打ち込んだ刀身が、戦う気を失いかけた豚鬼の木槌をはじき飛ばした。
起きあがった翠に、リアンの声が飛ぶ。
「翠!」
桃の手から放たれた氷環が、豚鬼の膝裏を撫でるように駆け抜けていった。
戻ってきたアイスチャクラを受け止めると同時に、豚鬼の足から血が噴き出す。
翠は深呼吸をした。出血は無い。肋骨が少し軋んだが、立ち上がる事に支障は無かった。
「大丈夫です」
六尺棒を再び構え、リアンと共に豚鬼を打つ。
「これは御母堂の悲しみです!」
大きな体にのめり込む木棒。
「危ない!」
リアンが袈裟の端を掴んだ。だが、スルリと滑って、リアンだけが後方へ飛び退った。
攻撃のあとに出来る隙を埋める事が、翠には難しいのだ。
「クッ!」
振り下ろされる槌の前に、夏沙が割り込んだ。
一撃を肩に喰らって砂利を舐める。
「ッツ」
高い位置から振り下ろされる、木槌の威力は凄まじかった。
回復の詠唱は叶わず、薬には少し遠い。
剣を振るう者の吐息から、苦痛は消えなかった。
だが、苦戦を虐げられつつも、飛来する矢と輪が、豚鬼の懐に飛び込んで行く者達を助けた。
『連携』と言う力が、皆に勝利をもたらしたのである。
二匹の巨体は激戦の末、街道に転がった。
「大丈夫ですか?」
斑は矢を回収する為に林を抜け、皆の元へと合流した。
手には、夏沙のバックパックを提げている。
「あぁ。たいした事はねぇ」
受け取る志士の顔が歪んだ。
夏沙は強打された肩をおさえながら、手荷物の中をあさる。取り出した薬瓶を一気に飲み干し、はぁっと息を吐いた。
怪我は負ったが、夏沙には備えがあった。
「これで治っちまう程度だからな」
夏沙が言うと、霞は微笑した。
「良かったです。白河さんと朔良さんは、どうしますか? 私、一本だけ持ってます」
「リカバーポーションなら、私もありますよ〜。使いますか〜?」
桃も懐に手をかけたが、千里は苦笑して首を振った。
「いや。それは申し訳ない。幸いにして、歩けぬ傷ではないしな。村まで我慢しよう」
腫れ上がった腕は、じんじんと熱を伴っている。馬は一時、遠のいていたが、静けさが戻ると千里の元へと帰ってきた。
「私も、装備の重さが徒となってしまいました」
やんわりと辞退する翠に、リアンが手を貸す。
「つかまると良い」
肝を冷やす場面もあった。
だが、老婆の無念は晴れたのだ。
●露
「どうでしたっ?」
一行が足を踏み入れると、待ちかねたように村長が家から飛び出してきた。
怪我人を見るなり、直ぐに薬瓶を取りに走らせる。
無事に豚鬼を倒した事を知ると、人垣となった村人達から歓声があがった。千里も翠も薬を飲んで回復し、夏沙も使った分を受け取った。
止めどない涙が頬を伝う。
跪き、念仏を唱える老婆に、村人は「良かったな」と声をかけた。
「亡くなったあとに、こんなに涙を流してくれる人がいるなんて‥‥息子さんは本当に愛されていたんですね」
思わず、桃の目も涙ぐんだ。
二度目のもらい泣きであった。
冒険者達が自由になったのは、もてなしの食事が済んだ、星夜となってからであった。
夏沙はどこへ行ったのか。姿が見えない。
「夜都、少し付き合わんか」
「なんでしょうか」
千里は夜都を誘い出し、夜の野に足を運んだ。
青い花弁に黄色の帯を下げた、露草を目に止めしゃがみ込む。
「何をする気ですか?」
「掘り出す」
「掘って、どうするんですか?」
「妹御へと繋がる街道へ埋める」
夜都にはその行動の意味が、理解出来なかった。一株と一輪を手に、立ち上がる千里を無言で見守る。
千里は夜都を連れ、老婆の家に向かった。
「呵責を感じているのは、ばーさんだけじゃねぇと思うぜ? きっと、妹の方も同じだろう。あんたがあまり嘆くと、娘も居場所がなくなっちまう。お互いに辛いままだ」
虫の音が響く。独りぼっちの家は、どことなく暗かった。
行燈の灯が、悲しみに沈む顔を照らし出す。
夏沙は老婆と向かいあっていた。
「いつか孫も生まれるだろう? そんな顔を見せるのか? 前を向けよ。今すぐじゃなくても構わねぇからさ」
しばしの沈黙。
「オラの息子もな。口は悪かっただよ」
老婆は寂しげな眼差しで、夏沙を見た。
そして――
「ありがとうよぅ。オラ、娘と孫の為に頑張るだよ」
初めて涙のない顔で笑った。
「もし。邪魔をする」
千里と夜都は、夏沙と入れ違いに老婆の元へ訪れた。
老婆は皆が自分を気遣ってくれる事に驚き、顔をほころばせる。
千里は老婆を連れ、街道へと足を運んだ。
豚鬼はすでにいなかった。村の衆が片づけたようだ。夜の闇が漂うばかりである。
千里は街道脇に花を埋め、老婆を振り返った。
「婆殿。ご子息の魂は星となり光となって、この花の露に宿った。婆殿や妹御が通るのを、こうして見守っている」
老婆はコクリと頷くと、千里の土にまみれた手を取った。
「あんた達の優しい気持ちは、一生忘れねぇだよ」
身を寄せる血筋の無い夜都は、二人の姿をただ見つめる。
家族、親、兄弟。その愛情を夜都は知らない。
失えば、哀しい。
(「それが、人の想い‥‥絆と言うものか」)
そっと黙祷を捧げる夜都に、千里は露の花を一つ手渡した。
まるでそれが、家族の絆だとでも言いたげに。
●花
早朝。まだ、草湿る刻に、一行は出立を決めた。
花を摘み、墓前へと向かう。
夏沙はそれを見送った。
りんどうの花と共に、翠の経を供える。
(「呼び名は違うけど同じ神‥‥安らかな眠りを祈るよ‥‥」)
手を合わせる皆の横で、異国の戦士はただ一人十字を切った。
街道脇の花は、誰が為に咲く。
誰かを偲び、送る為に。
あるいは、誰かを見守る為に――