●リプレイ本文
●幼子
「私の名前は斑。お父さんの知り合いなの。お月様を手の中から出す、お手伝いをしにきたのよ?」
「おててのなかから?」
「あぁ、そうだ。父殿に頼んだだろう? 私は『しらかわ・ちさと』と言う。お前の名も教えてくれぬか?」
目線をあわせる為、小腰を屈めた猫目斑(ea1543)と、膝を折った白河千里(ea0012)に、幼子は小太郎と名乗り、三本の指を立ててみせた。
小さな丸い手が告げる齢は、すでに父から聞き及んでいるが、斑も千里も、まるで初めて耳にするかのように返事を返す。
「三歳なのね?」
「そうか。偉いな。年も言えるのだな」
褒められた小太郎は嬉しそうに頷き、今度は両親の名を言った。
父は『五郎』だとわかったが、母の方は何度聞いてもハッキリと聞き取る事ができない。二人は穏やかな苦戦をしいられた。
これを眺めていた松浦誉(ea5908)は、微笑を浮かべ五郎を振り返った。
「無邪気で可愛らしい盛りですね」
「ええ。しかし、その無邪気さ故に、皆さんにはとんだご足労を‥‥」
五郎は引き出しを開け、握り鋏を取り出すと、障子の前に座り込んでいる藤浦沙羅(ea0260)に手渡した。沙羅の膝の上には、黒と黄色の布地が広げられている。
滑り戸に描かれる即席の夜空に、小太郎はどう反応するだろうか。沙羅は布を撫でた。
「これで寂しさが少しでも紛れてくれると良いな‥‥」
「大丈夫ですよ。それにしても、皆さん、色々な事を思いつくのですね」
と、五郎は感心して言った。
庭にいる小太郎から、転がるような笑い声があがる。
いつのまにか、桂照院花笛(ea7049)と高槻笙(ea2751)が加わり、小太郎を囲む輪は大きくなっていた。
「こえ、なぁに?」
「『すすき』と言うのですよ」
小太郎は、花笛の手にしたすすきが気になるようだ。穂先を下げてやると、ぎゅっと握りしめた。
「しゅしゅき、ふわふわ」
「ええ。ふわふわですね。でも、そんなに強く握ったら、潰れてしまいますよ」
笙は思わず苦笑して、そうっと触るようにと手本をみせる。
誉はすっかり、冒険者から『父親』の顔へ戻っていた。
「母君が月になったと聞いては、傍に置きたいと思うのも無理は無い話ですね。息子さんの願いを叶えてあげられるよう、及ばずながらお手伝いをさせていただきます」
目を細める。
小太郎の笑顔が、六つの息子と四つの娘に入れ替わった。
江戸と故郷とに離れ、お互いの手を握れるのは夢の中だ。
寂しい思いをしていないだろうかと言う念が、僅かだが口元に寂笑となって現れた事に、誉自身も気づかない。
やがて、餅米を仕入れに行っていた、ミフティア・カレンズ(ea0214)と、鎮樹千紗兎(ea0660)が戻ると、手狭な庭は人で溢れた。
千紗兎はこれが迷惑になるのではないかと、ずっと気にしていたようだ。
「今宵の段取りは、どこか別の場所へ移しましょうか?」
と、そうそうに五郎にもちかけた。
だが家主は、にぎわいの中心となっている息子へ目を移し、穏やかに笑うと言った。
「こんなにたくさんの人が来る機会も、そうないでしょうし」
手を伸ばせば、皆に触れられる。
幼い小太郎の両手は、絶えず誰かの手を、裾を、握りしめていた。
千紗兎も、憂いが晴れてホッと息をつく。
「斑のお姉さん。お米買ってきたよ〜。お団子お団子〜♪」
ミフティアが斑に手を振ると、小太郎は好奇心いっぱいに瞳を輝かせた。これに気づいた斑が小腰を屈めて問う。
「一緒に作りますか?」
どうやら、聞くまでも無かったようだ。
小太郎は一つ返事で頷き、斑の手を引いて歩き出した。
「行ってらっしゃいませ」
花笛の微笑を背に受けて、三人が土間へ消えるのを見届けた千里は、五郎にある相談を切り出した。
「五郎殿。御子息に仔兎を与えてはまずいだろうか。やがてまた、失せる寂しさを味あわせてしまうかもしれぬが、それまでの温もりとなるならばと」
沙羅も横から言い添える。
「一生懸命育てれば懐いてくれるし、遊び相手にもなってくれるかもしれませんよ?」
一人っ子でもある小太郎を不憫に思っていた五郎は、千里の話しを聞き思案に暮れた。
土間から響く、小太郎のはしゃぐ声。
皆が去ってしまい二人きりに戻れば、また寂しい生活となるだろう。
「一緒にいてくれるものが増えれば、家も賑やかになりますね。妻がいなくなってから、灯りが消えたようなので‥‥」
男は寂しげに本音を吐き、首を盾に振った。
●兎追いし
「簡単に見つかるものでは無かったな」
千里は天を仰ぐと、溜息をついた。
笙を誘い林へ足を運んではみたが、仔兎探しは思いのほか難航したのだ。
「すばしこい兎の事ですから、私たちの足音を気取って逃げてしまうのかもしれませんね」
笙は暗くなりかけた木々の間を見つめ、動くものを見つけようと目を凝らす。だが、獣道も未だ見つからず、二人はほぼ諦めかけていた。
その時である。
一人の男が、林の奥からやってくるのが見えた。
「どなたでしょうか」
「‥‥あれは――」
男は手に、まるまると太った兎を二羽も提げていた。
聞けば、この林に住む猟師だと言う。
「助力を乞うか」
「ええ」
二人は男に訳を話し、仔兎の心当たりはないかと尋ねた。
光明がさす。
「おるおる。もう少しでかくなったら、とっ捕まえてやろうと思って、目をつけていた巣穴があるで、案内してやるだよ」
男が来た道を戻り始めると、二人はあとへ続いた。
「助かりましたね」
「あぁ、これで父殿にも顔向けが出来る」
日没近い林の空に、白い月が見え隠れする。
●宝
「おつきしゃま」
「そう、お月様ですよ。いつも小太郎君の傍にいてくれます」
小太郎は沙羅を、良い意味で裏切った。
沙羅は、黒い布の一部を丸く切り抜き、そこに黄色の布を宛い月夜を作り出した。障子に貼り付けると、さした陽が色の薄い布地を通り越して畳に落ちる。これを月に見立てようとしたのだが、小さな小太郎は、布の夜空そのものを気にいってしまったのだ。
「『しゃら』がつくったおつきしゃま、『ほまえ』もみて?」
と、胸に花笛の作ったすすきの鳥をしっかりと抱き抱え、誉の袖をくいと引く。
「見ていますよ。綺麗ですね」
「こえは?」
「それは『梟』です。ほぉほぉと鳴くんですよ?」
丁寧に受け答えする誉に、花笛と沙羅は破顔した。二人が作ったものは、早くも小太郎の宝物になったようだ。
「それにしても、白河様と高槻様は遅いですね」
「うん。道にでも迷ってるのかな」
空はすっかり紺青色に染まってしまったと言うのに、兎を探しに出て行った千里と笙は、まだ戻らない。
「お団子も出来あがったのにね?」
縁側に並べられたお月見の用意を通り越し、ミフティアも庭先へと目をやる。
「様子を見に行きましょうか」
五郎が心配そうに立ち上がると、柱にもたれていた千紗兎がそれを制して身を起こした。
「私が行きましょう。五郎さんはここで――」
言いかけた言葉を飲む。
千紗兎は、斑の顔が、不意に往来へ向いた事に気づいた。
「どうしました?」
「足音が聞こえます」
一同は垣根の向こうへ目をやった。
草履の音が走ってくる。
果たしてやってきたのは、千里と笙であった。
「すまない、遅くなってしまったな」
「寝てしまわれないかと、気が急いてしまいました」
二人は肩で息を付きながら、苦笑混じりに弁解した。
肝心の兎は、千里がどこかに隠したようだ。今はまだ、姿が見えなかった。
「わぁい、それじゃあ、お月見の時間の始まり〜♪」
ミフティアの口から、皆が魔法使いとなる為の号令がくだった。
●温月
「はい、千里のお兄さん、もう一個おまけしてあげるね?」
「有り難う、カレンズ殿。ずいぶんたくさん用意したのだな」
「うん。たくさん食べようと思って、たくさん作ったの♪ 皆もいっぱい食べてね?」
ミフティアは斑の傍らに腰を下ろすと、顔をほくほくとほころばせ、さも美味そうに団子を頬張り始めた。そして、斑の膝の上で足を揺らしている小太郎に、とっておきの話をもちかける。
「私がちっちゃい時に、良く遊んでくれたお姉さんから聞いたお話をしてあげるね? お月様のお話なの」
小太郎は、斑が運んでくれる小さな団子の欠片を食べながら、ミフティアの顔を見上げた。
「おつきしゃまのおはなし、きく!」
「うん♪ あのね? お月様には兎さんが住んでいて、お餅をついてるんだって。いま食べてる兎さんのお団子は、お母さんが作ったお餅なんだよ?」
小太郎は目を月のように丸くして、皿の団子を見下ろした。
小太郎のものだけ、皆と形が違う。
すでに、耳も尻尾も消え失せ、寝ころんだ達磨のようではあったが、それまでは確かに兎であったのだ。
斑が小太郎に内緒で作ったものであった。
「明るい時は、お父さんやお友達がついていてくれるから、お月様はお休みしてるの。暗くなって皆が寝ちゃったら、お月様は空に登って光で話しかけてくれるんだよ? 大丈夫、傍にいるから一人じゃないよって」
斑はミフティアの話に耳を傾けた。
小太郎は、母が月になったと信じている。
健在である時は、月を捕まえて欲しいなどと言う我が儘を言う事は無かっただろう。
幼子は母を求めるものだ。
否、幼子でなくても。
斑もまた、そうだった。
育ての親はあれど、生みの親を知らない斑は、真実の母をいつもどこかで想い続けていた。
「良いお話ですね」
と、斑は淡く笑んで言った。
笙はミフティアの話が終わるのを待って、ゆっくりと立ち上がった。
「そろそろ月を下ろしましょうか」
小太郎の頭を一撫でした手は、月を受ける器となる。
笙は月光の庭に立った。
両手で水をひとすくいし、それを空に掲げる。指先で軽く月を突く動作をすると、どこかで鈴の鳴る音がした。
小太郎は斑の膝を下り、きょろきょろと辺りを見回した。
誉がそれを呼び止め、手を差し伸べる。小太郎は不思議そうな顔で、鈴の音のした垣根の向こうを見つめていた。
「小太郎、ここを見てください」
笙は小太郎の視線まで、そっと手を下げた。
「どうですか?」
「あ! おつきしゃまがいる!」
千紗兎の後ろで、五郎が大きな溜息を漏らした。安堵する顔に、花笛が「良かったですね」と笑いかける。
笙は微笑して、小太郎の手に月を譲ろうとした。だが、小太郎の手は小さ過ぎて、上手く器が作れない。
「おつきしゃま、おちちゃった」
水を零し涙ぐむ小太郎に、斑は杯を手渡した。
「高槻様、もう一度お願いします」
笙は再び、月を下ろした。
今度は、杯の中にそれを入れてやる。小太郎の顔が、パッと輝くのを見て、笙と斑は胸を撫でた。
「そのお月様を飲むと、ずっと側にいてくれるようになりますよ」
斑の言葉を、小太郎は疑わなかった。杯を傾け、こくりこくりとそれを飲み干す。
笙は腰を折ると、小太郎の胸にそっと手を宛った。
「ここに、お母さんがいますよ」
「おかーたん、こたろのなかにいるの?」
小太郎はきょとんとした顔で、自分の胸を見下ろした。
「こんなものも、月から下りてきたようだぞ」
垣根の向こうに隠れていた千里が、篭を小脇に抱えて現れた。歩くたびに、ちりりちりりと鈴の音がする。
「まだ人に慣れてはいないが‥‥毎日、食事をやり可愛がれば、小太郎の友達となってくれる」
そこに収められていたのは、産毛の立った仔兎であった。首に鈴を下げ、覗き込む小太郎から一番離れたところで、じっと蹲っている。
「うしゃぎしゃん、おともだち?」
小太郎は驚いていた。食料となる獣が、友達になると言うのだから無理もない。
花笛と沙羅は顔を見合わせると、千里の後押しに加わった。
「その兎は今まで、母御の傍にいてお餅をついておりました」
「さっき鈴の音がしたのは、下りてきた音なのですよ。聞こえたよね?」
「うん、きこえた」
「寂しくないようにと、母御が差し向けてくださったのでしょう」
小太郎は篭の前にへばりつき、父に向かって手招きをした。
「とーたん。かーたんのうさぎしゃん、こたろのおともだちだって」
「良かったな、小太郎。皆さんに有り難うと言えるかな?」
「うん、いえる。ありがと」
月光の下、花笛の語る物語を、沙羅が歌と紡ぎ出す。
小太郎はこれを花笛の膝の上で聞いていたが、うつらうつらとその温もりに夢の中を漂い始め、やがて完全に寝入ってしまった。
「布団へ運びましょう」
千紗兎が小太郎を抱き上げる。
「有り難う。なにからなにまで‥‥」
梟を抱きしめ、満足そうな顔で眠りについた小太郎を、五郎は穏やかな顔で見下ろした。
「良いものだな、子供とは‥‥」
「本当に。私も欲しくなりました」
二人の志士にも、父の顔が移ったようだ。見守る顔は、どれも愛情に満ちていた。
桂と月見草の増えた庭。
幼子の枕元には白御影石が一つ。千紗兎の筆で、月の欠片だと添えられた。
いつか、死が理解できるようになった時、それらの一つ一つは良い思い出と変わるだろう。
月は頭上にありながらも、子の傍らで姿を変えて輝く。