【街道記】氷
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■ショートシナリオ
担当:紺野ふずき
対応レベル:1〜3lv
難易度:やや難
成功報酬:0 G 93 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:11月22日〜11月29日
リプレイ公開日:2004年12月02日
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●オープニング
「裏山の氷穴で、鍾乳石を取ってこい。そうすれば、『小町(こまち)』はお前にくれてやる。祝言もあげてやろう」
「その言葉、本当ですね」
「あぁ、本当だとも。二言はない」
彼女は商家の娘であった。
彼はと言えば、月道を通りやってきた、一介の冒険者に過ぎない。
目も髪の色も違う。崇める神さえ違う。
しかし、二人は恋に落ちた。
目に入れても痛くないほど可愛い娘が、どこの馬の骨ともつかぬ異国の民を好いたと言う。
同じジャパン人の――それもなるべく名のある血筋へ嫁がせたいと思っていた彼女の父にとって、彼は煩わしい異端の流れ者であった。
顔さえ見れば邪険な態度で、ねちねちとした言葉を投げかける。
彼はある日、そんな彼女の父に呼び出された。
条件付きで娘をくれると言うのだ。願ってもない好機であった。
異国の騎士は、彼女の父を信じた。
例え、そこに見下した含み笑いが張り付いていたとしても、そうしなければ、彼女と添い遂げることができなかったからだ。
成功すれば、認められる。
彼は彼女に必ず帰ると約束して町を出た。山の中腹にある村を過ぎ、その奥にある氷穴に足を踏み込んで、防寒具を持たずにきたことを後悔した。中は凍えるような寒さであった。ところどころに佇む氷柱が、彼の持つ蝋の灯りを反射する。吐く息が白くわなないた。
穴蔵へ入り判刻。彼は、誰かが自分のあとをつけてくるのに気がついた。
足跡は五人。いや、六人だろうか。
振り返った彼は、やってきた男達と対峙した。それぞれに簑をまとい、手には刀を帯びている。刃に映る炎が六つの光となって、彼の眼前でぎらぎらと揺れた。
そこでようやく気づいたのだ。
「よぉ。ご苦労さん。のこのこ殺されにやって来るとは、おめでたい野郎だねぇ」
男達が、にやにやと笑った。
騙されたのだ。
彼が柄にかけた指先は、すでにかじかんで感覚を失っていた。
村にとって氷穴は、神の住む場所であった。
村で死者が出るとまずこの穴で、山の神の清めの儀を受けるのだ。胸に小柄を乗せ、安置する。それは十日間にも及び、腐敗することなく日が過ぎれば、死者は必ず極楽浄土へ渡れると信じられていた。そして、初めて土に帰される。
信心深い村長の日課は、氷穴の前で手を合わせ村の安泰を願うことであった。
村の裏林を抜けた先の大きな岩肌に、ぽっかりと開いた黒い口がある。
そこへ、異国の若者が厳しい顔つきで入っていくのを、村長は見た。帯刀している。
そう言えば麓町に、月道の向こうからやってきた冒険者が住み着いたと、村の女が言っていた。
こんな山奥に何用だろう。
穴の入口が見える場所に身を潜め、注意することを躊躇っていると、数人の『ならず者風』の男たちが彼のあとを追うようにして穴の中へと消えた。
纏った簑の影から、ちらりと刀が見えた。
ただならぬ雰囲気に村長は怖くなって逃げ出し、それから数日、氷穴には近づかなかった。
三日後。若い者が、林の中で血の付いた六つの簑を発見した。
村長は数人を引き連れて氷穴へ出かけ、その入口でゾッとするような声を聞いたのだ。
ウォー、ウォーと。
人のようであり、人でない。穴の奥から届くそれに、理性は感じられなかった。
「村長は、この氷穴で何が起こっているのかを知りたいと言っているんだが、すでにわかっているようだ。どこの誰かは知らないが、遠く故郷を離れこんな結果で終わるのは、さぞかし無念だろうと、止められなかった自分を責めていた」
皆と同じ方法で弔ってやりたいのだそうだ。
ギルドの番頭の手には、一本の小柄が預けられていた。
●リプレイ本文
あれから幾日が過ぎたのだろう。
必ず戻ると言い残し、彼は町を出て行った。
面倒になり逃げたのだろうと、父は猫撫で声で皮肉を吐く。
初めから、嫌な予感はしていた。
もう二度と、逢えないかもしれないと。
娘は重く沈んだ目で、空を見る。
●闇
「近づいてることは、確かだよな」
白い息を吐きながら、冴刃音無(ea5419)はどこまでも続く前方の闇に、灯りをかざした。周囲を取り囲む岩はしっとりと濡れ、氷柱に反射した光が別の氷柱に、長く、或いは潰れて映り込んでいる。
どこからか反響する、人とも獣ともつかぬ声は、怖ろしくもあり悲しげでもあった。
「村長は、『彼』が殺されて死人憑きになったと思ってるみたいだけど、外にあった簑の一つが、彼のものと言うことはないかな」
音無の言葉に頷いたのは、黒の僧――香辰沙(ea6967)であった。
「うちもそうやないとええなて‥‥生きている希望を捨て切れへんのどすわ。試練の道こそ『天』の教えやのに、迷うやなんて、まだまだ精進が足りまへん‥‥」
自分を非難するように苦笑したのは、苦行も糧としなければならない身だからであろう。しかし、人の生き死にには冷徹でいられないようだ。溜息が混じった。
シィリス・アステア(ea5299)は、そんな辰沙に笑いかける。
「無理もありません‥‥私も同じことを願っていますから」
苦む顔を見合わせる二人の前で、竜太猛(ea6321)は、分岐した道の先に耳を澄ます。
獣が鳴いているような不気味な声は、左の通路から強く聞こえた。
「儀式中の者も他にいないと言うことじゃしのう。状況から判断するに、村長の予感は外れてはいまい」
「分かってるんやけど‥‥」
辰沙は太猛に促され、左の通路へ足を運んだ。
全員が過ぎたのを見届けてから、太猛は十手で壁に傷を付ける。皆で代わる代わる掘った印は、すでに六つ目を数えていた。
「どこまで伸びるんじゃろうな」
辰沙が村長に聞いて起こした洞窟内部の地図は、分岐を二つと、その先にある『大氷柱の部屋』と呼ばれている広間までであった。
村人はそこで儀式を行うと言う。皆で罠を張ったのも、その場所だ。
地図はとおに役目を果たし、辰沙の懐で眠っていた。道を知っている者は誰もいない。
「本当に、果てがないように思えてきますね‥‥」
指先に息を吹きかける藤野咲月(ea0708)に、音無の視線が向いた。
皆、厚手の防寒着を着込んでいるせいで凍えることはないが、それでも露出している頬や耳は冷たくなっている。
咲月は目で言葉を返し、大丈夫だと頷いてみせた。
「異国の方だと言うことですが、こちらにお知り合いの方は、いらっしゃるのでしょうか。このまま一人果ててしまうのは、さぞかし無念でしょうし、もし、いるのなら、死に顔だけでも見ていただきたく思うのですが‥‥」
「うん‥‥。村の人は、麓町に住んでるってこと以外、知らないようだけど‥‥。樋野さんが、何か掴んできてくれると良いな」
「村長様も、何故こんなところへ入ったのかを知りたがっておりましたしね‥‥」
二人の会話を聞くともなしに聞いていた、佐々宮狛(ea3592)の顔はどこか複雑であった。
知り合いがいたとしても、この死を知らせて良いのだろうかと。
知らなければ、悲しみを背負うことはない。
辰沙も同じことを考えていたのだろう。
狛と合った目に、一抹の躊躇が滲んでいた。
「そう言えば、遅いですね」
狛は後ろを振り返り、黒々とした闇の中に、樋野春待(ea7739)の姿を探した。
彼の情報を得る為に、単身、町に向かったのだ。
「麓からここまでは大分ありますし、行き来に時間もかかりましょう」
「一人では、聞き込みも大変だと、思います」
紅月椛(ea4361)は、シィリスの考えに同意を示し、こくりと頷いた。
ふと、出立時に椛が繰り広げたギルドでの会話を思い出し、狛がくすりと微笑む。
「‥‥何でしょうか」
「あ、ごめんなさい。紅月さんの荷物を見ていたら、ちゃぶ台を思い出してしまって」
椛が出立と同時に背負った卓は、重量が二十キロもあった。立っているのがやっとの重さである。
番頭が預かることを申し出て事なきを得たのだが、そろそろきちんとした保管場所が欲しいところであろう。
「確かに、重かった、です」
顔色さえ変わらなかったが、椛が漏らした言葉は、皆に束の間の明るさをもたらした。
●麓町の娘
春待が歩きに歩いて辿り着いたのは、一軒の紙問屋であった。
青年がこの店の娘と歩いているところを、数人の近隣住人が目撃していたのだ。
店はなかなかに賑わっていた。
絶えることのない客足が暖簾を揺らし、働く者達の顔にはどこかゆとりがある。
繁盛ぶりが伺えた。
対面した娘は春待を自室ではなく、店から少し離れた茶屋に案内した。
冒険者が訪ねてきたと言うだけで凶報を気取ったのか、娘の顔は僅かに蒼ざめていた。
娘は小町と言った。
彼が氷穴へ向かったのは、結婚の了承を取り付ける為だったと言う。小町の父が、洞窟内部にある鍾乳石を取ってこいと命じたのだ。
小さな石の欠片は、二人の未来を繋げるどころか、無惨にもその想いを冷たい氷の中へ封じる結果を招いてしまった。
春待は暗い気持ちになった。
身勝手な者の為に、罪のない命が落ちる。妹もそうであった。目の前で一つの灯火が消されたのだ。
喧噪の聞こえなくなった耳に、娘の小さな声だけが届いた。
「あの、それで‥‥彼がいったいどうしたと‥‥」
「あなたの知り合いに間違いないでしょうか」
「この町に住み着いた異国の者と言えば、彼しかおりません」
春待は茶に手をつけず、じっと娘を見据えた。その沈黙が、娘の眼に涙を浮かばせる。
「何が‥‥起こったと言うのでしょう。知っているなら教えてください。氷穴へ出かけたきり、もう、何日も帰ってこないんです」
春待は言い切った。
「――殺されたかもしれません」
娘はその言葉を聞いて、びくりと身を震わせた。
手の甲で倒した湯飲みから、零れた茶が広がる。転がって落ちそうになる茶器を、春待の手が受け止めた。
「彼は帯剣していたと聞きます。その腕が知りたい。それから、彼の身元を確認できるような特徴はありませんか」
「剣の腕は見たことがないのでわかりません‥‥。特徴は‥‥金色の髪と‥‥青い目と‥‥それから」
主が手拭いで卓上を拭って行ったのを、娘は気づいただろうか。泳いだ目は、どこも見ていない。ただ、記憶の中の彼を追いかけていた。
洞穴へ向かう時間もある。
そろそろ、町を出なければならない。
いとまを告げた春待に、娘は泣き濡れた瞳を向けた。
「何故、剣の腕をお尋ねになったのですか?」
春待は答えなかった。
死人憑きの正体は確定していない。彼を倒さなければならないなどと、安易に口に出来なかった。
娘は去ろうとする春待に、同行を申し出た。
「相応の覚悟ができるなら構いませんが、私たちの邪魔は決してしないように」
知る不幸。知らぬ不幸。
小町は真実を知ることを選んだようだ。
春待は娘を連れ、『彼』の待つ氷穴へ向かった。
●哀しき骸
声が止んだ。
代わりに、ぐちゃりべたりと、重く湿った音が聞こえてくる。
三叉路に伸びる通路の、右か左か中央か――
「中央、いえ‥‥右、です」
耳をそばだてていた椛が言うと同時に、辰沙は顔をゆがめた。夜目の効く辰沙には、音無の掲げた灯りに近づいてくる彼の姿が、誰よりも先に見えたのだ。
「むごい傷を負うてはる‥‥」
肩から脇に抜ける袈裟懸け状の大きな裂傷と、突かれ、切り裂かれた無数の刀傷。表情の無い顔を憂うように傾け、左腕を生者に向かって伸ばす。
村長に聞いた青年の風体は、袖のない外套をまとい、腰に見慣れぬ剣を所持していたと言うことであったが、死人憑きとなった彼は丸腰であった。
剣は鞘ごと消えている。
しかし、血糊で強張った月色の髪が、異国の者だと言うことを示していた。
「予想は的中か‥‥」
「残念です。そうでないことを祈っていたんですが‥‥」
シィリスの言葉に、音無はぎゅっと口を結んだ。咲月の手が、音無の背に触れる。
「距離を保ちながら、罠のある場所まで誘導しましょう」
「そうだな。儀式のこともあるし‥‥」
皆はこぞって踵を返した。
シビトは右腕と左足が不自由なようだ。体を前後に揺らしながら、皆の後をのろのろと付いてくる。
慈愛深い白の僧は表情を翳らせ、数珠を握りしめた。
「大氷柱のあった場所は、まだでしょうか」
「今の印で四つ目‥‥あと、二つじゃな」
抜き身の代わりの十手を手に、太猛は言った。
歩き憎い、おうとつのある地面である。
死人憑きの動きはもどかしいほどに遅い。感情があるなら、とうに進むことを諦めているだろう。
生ある者が憎いのか。それとも、喰らえばその身に温もりを取り戻せるとでも思っているのだろうか。
器となった体は、命の匂いを追い続ける。
●再会
声のする方へ。
春待と小町が辿り着いたのは、広間のような空間だった。
大氷柱を背にした異形の懐に、太猛の拳が沈んでいる。
娘は死人憑きを一目見るなり、ハッとして駆け寄ろうとした。気配に気づいた椛と音無が、すかさず行く手を塞ぐ。
「危険、です。近寄っては、いけません」
「何故です?」
「死んでいるんです。もう、帰らない」
春待の声に呆然と立ちつくす娘を、音無の悲壮な眼差しが見つめる。
「でも、動いて」
青年の体がくずおれた。
ぼろぼろと、娘の頬を涙が伝う。
「死人憑きです‥‥。あれは、あなたの知る彼ではありません‥‥」
胸がぎゅっと締め付けられた。咲月はついと目を反らし、娘の嗚咽を耳で聞く。
「どなたじゃろうか」
指先で彼の目を閉じてやりながら、太猛が言った。
「‥‥御家族の方‥‥どすか?」
辰沙の言葉に小町は小さく首を振り、よろよろと縺れる足で、彼の傍らに腰を下ろした。
武具が紛失していることに気づいたようだ。「剣が」と小さく呟いた。
「出逢ったときすでに、無くなっていました‥‥」
シィリスが小町の背中に声をかける。小町は振り返らず、くぐもった声を返した。
「あれは‥‥彼が国を出る時に、家族から送られた大事な剣なんです‥‥」
シィリスは辰沙と目を合わせた。
皆よりも夜目の効く二人であったが、らしきものは見ていない。
冷たい体にすがり、泣きじゃくる娘を見るシィリスの顔から、いつもの柔和な笑顔が失せた。
「これは、もう少し待った方が良さそうですね‥‥」
狛の手に握られた小柄を見下ろし、シィリスは無言で頷いた。
●氷
「貴方の心に安らぎが訪れますよう‥‥」
吟遊詩人の弔いの笛が止み、二人の僧が立ち上がった。
死者は胸に小柄を乗せ、手を合わせている。長い黙祷を掲げた一行は、氷穴を後にした。
「では、ならず者を雇ったのは、お父さんなのですか?」
「‥‥多分、確証はありませんが‥‥」
小町は想いを並べ立てたあと、狛の問いに沈黙した。しゃべりすぎたと感じたようだ。気まずそうに目を伏せた。
「‥‥お願いです‥‥。どうか、このことは、黙っていてください。父が捕らえられれば、母が悲しみます‥‥」
「小町殿はそれで良いのかの」
俯いたままの娘を、太猛はじっと見つめる。
「‥‥はい‥‥。彼は――」
聞き取れないくらいの細い声を、小町は途切れ途切れに吐き出した。
「彼は、死んだんじゃありません‥‥。故郷へ‥‥帰ったんです」
顔を覆って泣き出した娘の肩に、辰沙の指先がかかる。
「御仏の与えた試練どす‥‥。乗り越えな、あきまへん‥‥」
冷たい氷に封じられ、死に引き離された二人の想い。
傷ついた心が、早く解ければ良い。
諭した黒の僧の声は、弱く悲しいものであった。