羊飼いの犬
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■ショートシナリオ
担当:紺野ふずき
対応レベル:1〜3lv
難易度:普通
成功報酬:0 G 78 C
参加人数:8人
サポート参加人数:-人
冒険期間:12月18日〜12月23日
リプレイ公開日:2004年12月31日
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●オープニング
異変が起こったのは、今から十日前の深夜であった。
ベッド脇で寝ていた飼い犬が、突然、跳ね起き、猛烈な勢いで吠え始めたのだ。
驚いた主がドアを開けてやると、犬は寝室を飛び出し、一直線に玄関へ向かって走って行った。
不安がる妻に大丈夫だと一声かけてからベッドを下り、立てかけてあった火掻き棒を掴んで、主は玄関扉の前に佇んだ。
犬は、前足を突っ張って歯を剥いている。
庭に夜盗の類でもうろついているのだろうか。
羊が数十頭と、子供のいない夫婦に、犬が一匹だけの質素な暮らしである。
盗賊が喜ぶようなものは何もない。
主は戦々恐々と扉を開け、外の様子を窺った。
月夜に照らし出された広大な草の絨毯と、雑木林の黒い影が遠くにポツンと見える。
予想していたような怪しい人影は見当たらず、いつもと同じ静かな夜が広がっていた。
主は首を傾げて、犬を振り返った。
彼は、ちょこんと座り込み、あれだけ怒っていたのが嘘のようにおとなしい。
何か勘違いでもしたのだろうと、その晩のことは気にも止めなかった。
ところがである。
三日後に、またもや犬が騒ぎ出し、全く同じ結果となった。
たまりかねた主は、次の日から犬を外で寝かせることにしたのだが、悪い病気にかかったのではないかと、妻は犬を恐がるようになっていた。
羊達をまとめ、良く働く犬である。
主は、そんなことはないと犬をかばったのだが、自分も僅かに妻と同じ気持ちを抱いていた。
その二日後。
夫婦は再び犬に起こされた。それも尋常ではない騒ぎ方である。
声は羊小屋の周囲から発せられていた。
主人は廊下を踏み荒らし、火掻き棒をひっ掴むと乱暴に玄関を開け放った。
まず、羊達の無事を確かめようと小屋へ向かった。
犬は移動しながら吠えているらしく、小屋の前に姿はない。
扉に犬がつけたとみられる掻き傷がついていた。また、地面にも犬の足跡が無数に残っていたが、他に怪しい痕跡は見られなかった。
主は扉が閉まっているのを確認し、犬の名を呼びながら裏手に回った。
そこで、トボトボと歩いてくる彼に出くわした。
弱々しく尻尾を振っている犬を見て、主は怒りの感情を抑えられなくなった。
「何を狂ったんだ! この馬鹿犬め!」
そう言って、二度三度と犬を火掻き棒で打ちすえた。
犬は怯えた目で主を見上げ、逃げ場を探して家の壁に張り付いた。
すっかり萎縮した尾を見て、主は幾分、平静を取り戻した。
可哀相になったのである。
だが、次の日の晩。犬が四度騒ぎだすと、主は羊には目もくれず、彼を怒鳴りつけた。
嫌と言うほど殴りつけた上、もう戻ってくるなと林を指さし、火掻き棒を振り上げて彼を追い立てたのだ。
しょんぼりとした背中が、振り返り振り返り遠ざかって行くのを見送ってから、主は踵を返した。
そして、自分の家の屋根に、コウモリのような翼を持った小さな三つの人影が座っているのを見て、ぞっとしたのである。
主は慌てて家へ駆け込み、犬が吠えていた理由を知った。
あくる朝――大きく開け放たれた羊小屋の扉の前で、主は激しい怒りと後悔を覚えた。
数十頭の羊の毛がむしり取られて、散乱していたのである。
「こいつは、インプの仕業だろうな。犬がいなくなったのを良いことに、毎晩現れるらしい。大して強くもねぇが、通常の攻撃が効かねぇのが厄介だ」
新しく張り出された依頼を眺めていた冒険者に、係員はそう言って首を振る。
「依頼人はここへ来る前に林へ寄ってきたそうだ。犬を探しにな。だが、呼べど探せど出てこないらしい。付近は草原で、行くあてと言ったら、そこしかないようなんだが、可哀相にすっかり飼い主の仕打ちに怯えちまったんだろうよ。『モルト』っつう、白黒の毛足の長ぇ犬だって言ってたが‥‥。まぁ、気が向いたら林も覗いてやってくれよ。怪我もしてるし、腹も空かせてるんじゃねぇかって、随分と気にしてたからよ」
係員は冒険者の肩をポンと叩いて立ち去った。
●リプレイ本文
●後悔
羊達は牧童の手に委ねられ、放牧に出ている。小屋の中には、仕切柵と一角に積まれた干し草の山以外、なにもなかった。
源真結夏(ea7171)が、押し上げ窓の支えを外すと、光が閉ざされ、乾いた空気に踊っていた塵が見えなくなった。
「なにか分かりましたか?」
結夏の背に声をかけたのは白の徒である、レイン・カシューイン(ea9263)であった。
レインは、アイル・ベルハルン(ea9012)の勧めもあり、髪と耳を “ウィンブル”ですっぽりと覆っている。依頼人の家に滞在するにあたり、混血の種であることは知られぬ方が良いだろうと言う気遣いであった。
「そうね――」
結夏は戸に支えをかませ、そっと手を離した。窓の周辺に積もった砂埃には、侵入時に突きそうな痕跡が残されていない。
「見張るのは出入り口だけで良さそうよ。それと見た通り、隠れ場所が無いから、羊達の中に紛れ込まないとならないわね」
肩をすくめる結夏と背後の干し草を見比べ、レインは苦笑する。
「そうですね。まさか、全員そこに隠れるわけには行かないし‥‥。羊を驚かさないように、少しお世話をして慣れて貰った方が良いかな」
「名案だわ。連日の騒動で、侵入者に敏感になってる可能性もあるものね」
二人の会話は言葉と言うより、音に近い。どんなに耳を傾けても、その意味がピノ・ノワール(ea9244)には分からなかった。
ピノは、開け放たれた扉から顔を覗かせている、セラフィエル・オーソクレース(ea9013)に気づき、レインの袖に手を触れて知らせた。
セラフィエルは、折り畳んだ麻布を抱えている。
「これでインプが捕まえられるかどうか、見ていただけますか?」
広げた麻袋は、大人の頭から腰までを隠せるほどの大きさである。体長は一メートルと小柄なインプに被せて使うには、十分であろう。
ピノは一目見るなり、強く頷いた。記憶に留められた知識は深く、判断に迷うことはなかったようだ。
『何かに変身するかもしれませんが、自身の大きさを越えることはありませんから問題ないでしょう』
と、流暢なラテン語で話すのを、間に入ったレインがセラフィエルに訳して伝えた。ピノは母国語には長けていたが、他の語学には疎かったのだ。
「良かった。戦うことが出来なくても、拘束できたら少しは役に立てますよね」
袋を折り畳み、再び胸に抱え直すセラフィエルに、レインが笑いかける。
「『少しではなくて、かなりだと思いますよ』って」
一拍置く会話のやりづらさに、ピノは人知れず試練を感じていた。
「北にいんぷのおうちがありゅの?」
三角屋根のてっぺんにまたがっていた遊士天狼(ea3385)は、北へ向かって帰って行く影を見たと言う依頼人の話をレインから聞くなり、二つの傾斜を見比べた。
羊飼いの家から出てきたユウン・ワルプルギス(ea9420)が、屋根の真下で立ち止まり、目深に被ったフードを押し上げ天狼を見上げる。
これもアイルの進言であった。おかげで、依頼人との話はスムーズに進み、毛布を借り受けることができた。
頭上高い位置で、年寄りも幼く見える少年の足がぶらぶらと揺れている。
「やってくる方角とは逆が良いと思うよ」
助言はいらないとは思いつつも、恐らくこれが性格と言うものであろう。ついと出たユウンの言葉に、天狼は元気な声を返した。
「天、南の屋根に隠れるりゅ」
「灯りをつけるわけには行かないから、落ちないように気をつけてね」
いなくなってしまったモルトを気に掛け、遠い林を見つめていたヴァイエ・ゼーレンフォル(ea2066)が、天狼の様子に双眸を崩す。
「うん! 足下をちゃんと見てありゅく♪ 早くインプをたーじして、わんわんを迎えに行くの〜!」
高々と掲げた小さな拳を見つめ、ヴァイエはこっくりと頷いた。
傷ついたモルトは、今頃どうしているのだろう。
直ぐにでも探しに行きたかった。
そんなヴァイエの心情を読みとったのか、ユウンは出てきたばかりの家を見つめて言った。
「依頼人もアイルに言われて、かなり反省したみたいだね。説得するまでもなく、終わったら一緒に行くと言ってたよ」
「そう言えば、アイルさんは?」
「まだ、依頼人と話してるんじゃないかな」
ユウンが出ていく時、アイルは羊のことを尋ねていた。
『彼は素晴らしい騎士よ。叙勲に値する位にね』
それがアイルの第一声だった。
モルトは主が気づかぬ不穏を真っ先に嗅ぎつけ、ただ、従順に仕事をこなしたに過ぎない。
自分が打ち据えられた理由など、恐らく分からずに去ったのだろう。
誤解とは言え、手を挙げてしまったことを、依頼人は悔やんでいた。
「あの時は本当にカッとなって‥‥」
「起こってしまったことは仕方ないわ。彼が戻ったら抱きしめて過ちを詫び、機転と勇気を褒めてあげて欲しいの。そして、彼の主であることを誇りに思うことね」
依頼人は肩を落として頷いた。
あの日以来、羊の世話は臨時に雇い入れた二人の牧童に任せている。
だが、追うも護るも、モルトの手腕には勝らなかった。それが、依頼人の後悔に拍車をかけているようだ。
羊飼いの妻から毛布を受け取り出ていくユウンを横目に、アイルは尋ねた。
「羊達の様子は? なにか変わったことは無いかしら」
「空を飛んでくカラスに怯えて逃げると、子供達が言ってたよ。ただでさえ臆病なのに、神経質になってるようだ」
「困ったわね。羊小屋で夜番をしようと思ってたんだけど」
騒がれるかもしれないと難色を示す主に、アイルも頷く。
「なにか良い案は‥‥」
考え込むことしばし。玄関の戸を誰かが叩いた。
「これで終わりかな?」
アイルの悩みを解消したのは、レインであった。
羊達の世話で暖まった頬が、僅かに赤く色づいている。
体についた干し草を払いながら、ヴァイエが言った。
「少しは慣れてくれたのかしら」
初めは左へ動けば右へ、右へ動けば左へと逃げまどっていた羊達も、世話を終えた今はすっかり落ち着き、部屋の一角から三人を眺めている。
むしり取られた毛が痛々しい。
黒の僧は静かな怒りを感じていた。
●侵入者
武具を持つ手がかじかまぬよう、息を吹きかける。
屋根の上で寒さと戦っていた天狼が、低空飛行で月夜の野をやってくる三つの黒い影に気づいた。
時々絡み合いながら、羊小屋へと辿り着いたそれは、慣れた手つきで出入り口にかかっていたかんぬきを外した。
だが、直ぐには入らない。
がりがりと扉を引っ掻き、小屋の中で騒ぎ出した羊を笑っている。
依頼人の家の壁越しに、この様子を窺っていた結夏の顔から表情が消えた。
飛び出しそうになる袖を、セラフィエルが引き留める。
結夏はくるりと振り返り、気を静める為に大きく深呼吸した。長巻を握りしめる手に、力が入っている。
『気持ちは良く分かります。でも、今行ったら』
『――分かってるわ。あと少しの辛抱よね』
きりっと結んだ口元が、勝ち気な結夏の性格を物語る。二人の話を聞きながらも、出入り口から目を離さなかったアイルが言った。
『その辛抱は早くも解除されそうよ。準備して』
キィと、木戸の開く音がした。
インプ達の姿が戸の奥に吸い込まれる。
次の瞬間、黒い光と大量の水が、闇の中から放たれた。
もはや、悪戯をするどころではない。
仲間の一人が、レインのかざした手の前に動けなくなったのを見て、インプは畏れ戦き慌てて外へ逃げ出した。
が、そこには通せんぼをするかのように、大きく広げられた毛布が待ちかまえていた。一匹は上手く躱したが、勢い余った別のインプが、その中央へまともに突っ込む。
「残念だね。敵がいるのは中だけじゃないよ」
ユウンが気を集中させると、毛布はくるりとインプを巻き込んだ。
天狼は呪を唱えようとした。
毛布の脇をすり抜けたインプが逃げてしまう。
だが、装備の重さが集中の邪魔をする。両手の武器を下に置いたところで、眼下を赤い一閃が走り抜けた。
その一撃は、強烈であった。
悪魔を地面へ叩き落とし、激しい痛手を負わせたのだ。
「これで悪さもできなくなるでしょ」
長尺の柄で、トンと地面をついたのは結夏であった。
刃に炎が絡みついている。
「天も『めっ』、すりゅ!」
「おいでー。あ、これ、いる?」
炎を揺らすと赤い残光が残る。
だが、天狼の突きだした右手には、月光に映える銀色が光った。
「それなら大丈夫ね」
と、結夏は長巻を肩に担いで笑う。
攻撃開始と共に小屋に駆け込んだセラフィエルは、拘束されたままのインプに麻袋を被せ、ヴァイエやピノの手を借りて、羊小屋の外へと運び出した。
膨らんだ袋と、蠢く毛布と、重傷を負ったインプが、アイルのランタンに照らし出される。
「羊達の痛み思い知れ」
悪魔である彼らにかける慈悲は無い。
「滅せよ!」
暗闇に、ピノの声が轟き渡った。
●小さな騎士
「どうしたの? クラール。なにか見つけたの?」
ヴァイエは歩みを止めた驢馬の背を撫で、顔を覗き込んだ。
何度か試したピノの生命探査では、この辺りにモルトとおぼしき生き物の存在を確認している。
キョロキョロと周囲を見回し、天狼は耳を澄ました。
「もると、近くにいるのかな。手分けして探してみりゅ?」
「その方が手っ取り早くて良いわね」
率先して動き出した結夏に続き、皆は草を掻き分けた。
やがて結夏が、木の根元に横たわるモルトを発見した。白い毛が血で赤く染まっている。
「モルト!」
依頼人が近づこうとすると、モルトは無理に立ち上がり、幹にべったりと張り付いた。怯えた目が羊飼いを見上げている。
そこにあるのは、不信感と恐怖であった。
モルトと依頼人との距離は三メートル。
だが、それは依頼人にとって、何キロにも及ぶ長さに思えたことだろう。
「これが、信頼を失った心の距離だ。できてしまった溝を埋めるには、時間をかけるしかない」
と、ユウンは呟く。
悲しげな顔で頷く依頼人の傍らに、竪琴を抱えたセラフィエルが並び立った。
「不安を取り除いてあげられると良いんですが‥‥」
細い指先が、弦の上を滑る。喉が震え、歌が流れた。
――それは光 暖かな優しい光
心を包む 優しい光
その光を 貴方は知っている
心達を通わす 柔らかな光――
その旋律は、傷ついた心を優しく包み込む。
声が止んだ時、モルトが一度だけ尾を揺らした。
これを見逃さなかなった天狼が、食べ物を手にゆっくりとモルトに近づく。
「もると〜、こわくな〜の♪」
差し出された腸詰めはモルトの大好物であり、滅多に食べることのできないご馳走であった。
「こわくな〜の」
依頼人が固唾を飲んで見守る中、上目使いに天狼を見つめていたモルトが、おそるおそる口を開き腸詰めを口にくわえた。
「あなたの番よ」
アイルに促され、羊飼いは膝を突く。
「悪かったよ。許しておくれ」
両の腕を広げると、モルトは蹌踉ける四肢で前進した。
結夏が目を細める。
「そうよ、モルト。おうちに帰ろうね」
震える足取りで主の胸に凱旋を果たした騎士を、アイルも満足げに見つめた。レインの手がモルトの傷を癒してゆく。
「『大事にしてあげて下さい』と、彼が言ってますよ」
ピノの言葉を受けた依頼人は、ただギュッと血で汚れた毛を抱き締め、そこに顔を埋めた。