●リプレイ本文
「ヒューイさん、食事をするならそっちじゃないですよ、こっちこっち! そっちは突き当たりです」
「うん? 突き当たり? と言うと反対か‥‥」
部屋を出た瞬間から迷路は始まる。
ヒューイ・グランツ(ea9929)は、宿の通路で徘徊しているところを、風御飛沫(ea9272)に呼び止められた。
部屋を宛われたのは良いが、一人になるとさほど大きくもない宿も立派な迷路となる。
ヒューイは道中、先頭に立たぬよう気を配っていたほどの、方向音痴であった。
受付から部屋までの道を逆順したつもりで、階段下を右に折れる。
「うわぁ、ヒューイさん、そっちは厩です!」
横一列に陣取ったカウンターには暖かな料理が並び、ぽっかりと空いた二つの席が埋まるのを待っていた。
「俺も行ってきます」
ヒューイを迎えに行った飛沫の声に、セレン・フロレンティン(ea9776)の腰が浮いた。
「それなら、アタシちゃんが行くわ〜」
「良いんですか?」
エルフでも人でも無い形の耳が出ないように注意しながら、セレンは被っていたフードを少しだけずらし、ポーレット・モラン(ea9589)へ顔を向けた。
だが、隣席はすでに空である。背後から聞こえてくる羽音にセレンが振り返ると、ポーレットは艶っぽい笑顔を浮かべ、座っていてと合図した。
「アタシちゃんは荷物をキズミちゃんに預けたから元気だけどぉ、セレンちゃんは途中でミードを背負ったでしょ〜? だから、休んでて貰いたいのよねぇ〜」
三つのミードは滋藤御門(eb0050)の案で、布にくるんだうえ藁敷きの木箱に納められた。その重量は元の二倍と少し。
飛沫の驢馬と光月羽澄(ea2806)の愛馬『貴澄』には、取るに足らない重さであったが、運搬役を担ったセレンの華奢な肩には、ロープの跡が残ってしまった。
「割れないように用心したのが徒になりましたね」
申し訳なさそうにセレンを気遣う御門に非はないのだが、擦れのない真っ直ぐな性格がそうさせるのだろう。セレンは首を振り、ニッコリと笑った。
「馬だけに任せるのが心配で申し出たのは俺ですから、御門さんが気にすることはないですよ。それに、御門さんの方こそ、あれだけ気を遣って疲れたんじゃないですか?」
「大丈夫です。こちらへ来て初めての依頼なので、不安はありましたけど」
穏やかな眼差しをセレンに向けた御門が、震動や馬の足の運びに一番気を遣っていたことを羽澄も知っていた。
貴澄の手綱を取り回し、ぬかるみを迂回させたのは御門であったからだ。
「たくさん食べて、疲れを吹き飛ばしましょう。お料理が冷めないうちに、皆が戻ってきてくれると良いんだけど‥‥」
皿から立ち上る魅力的な白い湯気を見下ろし、羽澄が言った。
もう少し彷徨えば、ちょうど良い温さになったかもしれない。
そんなことを考えたヒューイは、大の猫舌であった。
「これはなかなか‥‥って、あっ、あつ!」
「大丈夫ぅ? はい、これでも飲んでねぇ〜」
ポーレットに手渡されたミルクを流し込み、ヒューイはホッと一息を付く。
街道沿いの商売は、必ずしも品行方正な客ばかりがくるわけではない。下品な笑い声を上げテーブルを蹴飛ばす荒くれものや、酔っぱらって怒声をまき散らす賊崩れに見飽きた主の、若い冒険者達を見守る顔は優しかった。
「おいし〜、幸せ〜。これなら何杯でもいけそうです!」
口の中に入れた瞬間、とろりと崩れた肉から旨味があふれ出す。そこには、人に笑顔を浮かべさせる魔法がかかっているようだ。顔中、全部を使って微笑む飛沫に、羽澄も感嘆の声を上げる。
「さすが、薬師さんのおすすめだけあるわね」
「旨いだろう。そこの兄さんも、どんどん食べてくれよ?」
主に赤ら顔を向けられた御門は、期待の中にやや神妙な色を乗せて料理皿を見下ろし、そっと手を合わせた。それを見ていたライラ・フロイデンタール(ea6884)が、不思議そうな顔で問いかける。
「どうしたの?」
「僕の国では、肉食はまだ定着していないんです。糧となってくれる命に感謝しなければ」
つい先日、故郷を離れたばかりの、御門らしい行為だろう。味よりも肉料理そのものを御門は堪能する。
「これが『兎肉の煮込み』なんですね」
「いや、ドラゴンだ」
「ドッ」
「ドラゴン?」
吹き出しそうな勢いで真顔の主を見上げたのは、飛沫とセレンであった。主は二人から目を反らし、ふっと笑う。
「この間、ノルマンでドラゴンが大暴れしてな‥‥」
「‥‥その肉を仕入れたの?」
戦々恐々とした羽澄の目が、ポーレットへ泳いだ。ポーレットは悩ましげな笑顔を返す。
「嘘はいけないわよぉ〜。セーラ様も見ていらっしゃるんだからぁ〜」
「嘘かどうかは、俺の目をみてくれ」
ずいと身を乗り出した主の眉根には、深い皺が寄っていた。
だが、嬉しそうに歪む唇が、悪ふざけを物語っている。
ヒューイはやれやれと首を振り、少しだけ冷めた肉を口に運んだ。
「本当は、兎なのだろう?」
「いや。実は、部屋に猫を忘れて行った奴がいてな」
「猫‥‥」
御門は絶句する。
「楽しい食事風景は心が和むな。なんだか懐かしい」
アシュレー・コーディラン(ea6883)の故郷では、食事に長い時間をかける。
こうして何に追われるでもなく、飛び交う声と笑顔を見ていると、懐旧の情にかられ、つい記憶の底を辿る旅に出てしまうようだ。
アシュレーは遠い眼差しをしていた。
「アッシュ?」
ライラは、穏やかな時の狭間を漂う恋人に、そっと声をかけた。
「ん?」
「やってみたかったことがあるんだけど」
目で先を促すアシュレーの前に、差し出したのは肉の乗ったパンである。
「はい、あーん」
慣れないことをするには、それなりの勇気が必要である。だが、される方にとっても、受け止める構えは要るようだ。
いっぱいに開いた目と赤く染まったライラの頬を、アシュレーは呆然と眺めた。
「いつもは逆だし、た、たまには‥‥良いよね?」
愛しいひとの頼みを断れる者はいないだろう。アシュレーは静かに目を細める。
その音色は、渡る風や河の流れに似ていた。
「同じ笛の音でも、奏者によって雰囲気が変わりますね」
街道脇の岩に腰掛けたセレンが、笛を小脇に拍手を送る。御門の奏でる音楽は、異国の匂いがした。
「僕もそう思いました。不思議ですね。拍子や息継ぎの仕方が違うんでしょうか」
笛の音が二人の会話を紡いでゆく。
「猫って言われた時は、驚きましたよ」
「手が止まってたものね」
「ドラゴンならドラゴンで、話の種にはなりそうだが」
キドニーパイを頬張りながら、遠く草を食む白い点を眺め、仲間の笛を聞くとも無しに聞く。
娘達三人の談笑を、ポーレットは羊皮紙の中に納めた。ごわついた紙に木炭で描かれた表情は、活き活きとして柔らかであった。
「次は何を描こうかしら〜ん」
ぐるりと見渡して目を止めたのは、寄り添い並んだ二人の騎士だ。
「美味しい」
アシュレーの指先からパイを口にしたライラは、満足そうに微笑んだ。
お互いの視線を意識して、零さぬよう慎重に食事を進める。
二人は、ポーレットにスケッチされているとは露にも思っていないようだ。
ライラを見守るアシュレーの優しい眼差しが、紙の上に刻まれていった。
「アッシュの音と違うかな‥‥」
恋人の笛を思い出しながら、ライラが言った。アシュレーは頷き、胸元についた小さなパイ生地を指先でつまみ上げる。
「そうだな。少し吹いてみようか」
「じゃあ、あたしは唄うね♪」
流れ出すメロディは、セレンのものとも御門のものとも違っていた。二人の笛吹は目を見合わせたあと、新たな笛の音にじっと耳を傾ける。
旨いエールと異なる三本の笛が、酒場の夜を長引かせた。羽澄が月の傾きを知らせなければ、皆、遅い朝を迎えることになっただろう。
翌朝、酒場の前に集合したライラは、まだ眠たげなアシュレーの胸元に触れた。
「忘れ物は?」
アシュレーは二頭分の手綱を片手に持ち、もう片方の手で懐を探った。薬師から預かってきた大事な手紙は、しっかりと胸に納まっている。
「大丈夫。皆は?」
問いかけられてぐるりと周囲を見回した飛沫が、いない顔に気づいて顔色を変えた。
「ヒューイさんが!」
「ん‥‥出口が見当たらないな」
ヒューイは通路で迷っているところを、飛沫に無事保護された。
歩く。食べる。笑う。
ただ、それだけの道程であった。暖かなミルクを手に羽澄はホッと息をつき、赤々と燃える暖炉の火を見つめる。
「こーんなに美味し楽しいお仕事で、報酬まで貰って良いのかしらねぇ〜」
「本当に良く食べましたね! 体が重くなったような気がしますよ」
ポーレットの感慨深げな呟きに、飛沫が頷く。
昼に平らげた腸詰めも美味であった。
食べている間は全く気にしなかったが、揺り椅子に納めた腰回りを気にして飛沫は渋面を作った。
話に聞いた薬師の家は、ここからそう遠くない。
旅路を振り返っていたセレンの脳裏に、ふと音が浮かんできた。
「邪魔じゃなければ一曲吹きましょうか」
最後の晩が静かに流れてゆく。
「ごめんなさいね。薬師さんじゃなくて。でも、あなたにこれを渡したくて、彼は私達を雇いました。責めないであげてください」
「手紙も預かってきたんだが‥‥」
運び込まれたボトルをテーブルの上に並べ、薬師の母は目を細めた。羽澄の言葉を聞き、アシュレーから手渡された文に目を通した後、愛おしそうに木箱を見つめフフッと笑う。
「元気そうで何よりだわ。これは皆さんがしてくれたのね? あの子はもっといい加減だもの」
部屋に漂う甘い香りを気にするヒューイに、母は手近なイスを勧めた。
「ドライフルーツのプディングはお好き?」
「息子さんに聞いた料理はどれも美味しかったが、私は甘いものが一番有り難いな」
彷徨づくしだったヒューイの即答に、皆の顔がほころんだ。