●リプレイ本文
「お二人は結婚して長いのかしら」
アイル・ベルハルン(ea9012)は博物誌を手に、依頼人と花の話題に興じたあと、それとなく本題に話を切り替えた。滋藤御門(eb0050)の持参した花の苗の差し入れに、心浮かれた依頼人の口は軽い。
「そうね、もう十六年になるかしら」
「お子さんは?」
彼女は深い溜息を漏らし、苦笑まじりに首を振る。
花に全ての愛情を注ぐ様子から、子供はいないと思っていたアイルの読みは当たっていたのだ。
「でも、可愛い花がありますしね? それをあのウサギが! あぁ、イヤだわ」
「そのウサギですが、現れる時間は決まっているのでしょうか?」
御門の問いに、彼女は地団駄を踏み身悶えする。
「それがわかれば苦労しないわ。私が目を離した隙を狙ったように来るんですもの」
「狙ったように、ですか。ただ、花壇に入るだけなんですか?」
さまざまな花が植えられているのだ。もしかすると、ウサギが好む花があるのではないだろうか。
「特定した花が襲われると言うようなことは?」
レイン・カシューイン(ea9263)も、御門の質問に乗って問う。
「それがないのよ。ただ、入るだけ。あのイヤらしい足跡だらけの地面を、あとで見てちょうだい」
ウサギはいったいなんの為に、この家の花壇へやってくるのだろう。依頼人の話からは、原因の特定が難しい。
だが、こうしている間にも、花壇は荒らされてしまうかもしれない。
「ウサギが侵入できないような柵を、設置してみたらどうかって言う案が出てるんだけれど‥‥美観を損ねそうだし、奥さんはどうかなって」
トオヤ・サカキ(ea1706)は、全員で考えた防御案を持ち出してみるが――
「せっかくの花を柵で囲ってしまうなんて、とんでもないわ!」
と、トオヤの懸念通り、かなりの不評であった。
依頼人はウサギの存在を、葉にたかる虫と同じように捉えている。殺してしまっても良いと言った口振りだ。皆、そこまで考えていなかっただけに、戸惑いを隠せない。
ギルドを出る前の話し合いでも、挙動不審の主がウサギを可愛がっているのではないかと言う疑惑さえ持ち上がっている。無碍に退治をしては、夫婦仲がこじれそうな危惧もあった。
「もし今後、花に被害が及ばなければ、捕獲でも良いのかな」
依頼人も主も、そして、ウサギも全てが良い形で収まるように、レインはそう持ちかけてみた。
すると、あっさりと依頼人は言ったのである。
「ええ、花さえ無事なら、私は構いませんわ」
どうやら、本当に花にしか興味がないようであった。
「綺麗な花壇だねー!」
花々から溢れる香りを大きく吸い込み、ソウェイル・オシラ(eb2287)は、光月羽澄(ea2806)を振り返った。羽澄は、庭一面に敷き詰められた春の色彩に目を奪われている。
「ほんと、心が和むわよね。気分も明るくなる――はずなんだけど‥‥」
「あそこだけ、グレーゾーンだよね」
妻と冒険者に居間を占領された主は、玄関前の階段に、独りポツンと腰掛けていた。モサモサと生えた髭は頭髪と一体化して胸まで垂れ、噂通りの体たらくである。
花壇と主を見比べたソウェイルは、羽澄にポソッと耳打ちした。
「『むさ苦しいヒゲ面』って、本当だったね」
「言っちゃダメよ、ソウくん‥‥ほら」
大勢の冒険者が詰めかけたせいで、主はご機嫌斜めのようだ。ソウェイルと羽澄を見つめる目が、ジットリと据っている。話がしたいと申し出た二人に頷く態度も、不承不承であった。
「奥様は、ご結婚なさる前から、花が好きだったのでしょうか? 誰かと庭造りを競っているわけじゃなさそうですけど」
主は羽澄の向こうで揺れる花々に目を向け、僅かにそれを細める。
「出逢う前からの趣味だ」
寂しげにも愛おしそうにも取れる表情に、羽澄とソウェイルは顔を見合わせた。
「奥様が、ウサギに困ってらっしゃるのはご存じですか?」
「知ってる」
「ご主人が捕まえたりはしないのですか?」
なんとも微妙な間があった。
主は眉間に深い皺を刻んだまま、答えようとしない。明らかに何かを隠しているような戸惑いが見えた。
「ご主人様、もしかしてウサギさん可愛がってますか?」
ソウェイルは首を傾げて、そんな主に問いかけた。主はハッとしたが、何故か、それ以上にハッとしたのは、ソウェイルの方だ。
「まさか、ウサギさんに浮気? はーちゃん、どうしよう。夫婦の危機! でも、大丈夫だよ! はーちゃん、まだ結婚もしてないし、他にも良い男いるよ! 俺も探すの協力するし、はーちゃんも可愛いエルフの女の子がいたら、紹介してくれる?」
「私が彼氏と危ない状況にあるような話に聞こえたけど、そうじゃないし、別れる気もないわよ?」
どこかの時点で、話の内容が大きく逸れて突き抜けてしまったことに、力説する本人は気づいていない。しかも、それとなく生まれた大誤解を、そっと羽澄は訂正する。
この間、主は存在を忘れられていた。
「おいっ!」
「あ! ゴメンなさい、ご主人様! えっと、あれ? 何のお話だっけ?」
話の中身も忘れていた。
「俺は浮気などしてないし、危機でもない! ただ、アレがあんまりにも花ばかり構うから――」
「構うから‥‥?」
言い淀んだ言葉の先を引き継ぐ羽澄の前で、主は悲しげに声を落とす。
「‥‥例のウサギを手なずけたんだ。エサを撒いて、花壇に入るように仕組んだのは俺だ」
皆が、聞き込みをしている間、セラフィエル・オーソクレース(ea9013)は、ウサギが家へやってくるルートを調べ上げていた。
「草原と庭との境になっている茂みを越えて、一度、家の裏を回ります。そのあと、花壇へ入るようですね」
「それなら、夜蝶さんの『くくり縄』は家の裏か、草原に近い場所に設置した方が良いと思うのですが‥‥」
「そう‥‥しよう‥‥か」
捕縛の為の立ち回りで、花壇が荒れてはと言う御門の配慮から、夜光蝶黒妖(ea0163)は、草原寄りの茂みの手前に罠をしかけた。
目を凝らせば、草むらではね回るウサギの姿を捉えることができる。一行は、春を愉しむ彼らの様子を、のんびりと眺めていた。だが、なかなか家の方へやってくるものは現れない。
待機すること数刻。
焦げ茶色で尾の白いウサギが、ピョコンピョコンと辺りを探りながら、近づいてくるのが見えた。
「来ました」
囁く御門の声にトオヤは頷き、傍らのレインにもそれを伝える。
ウサギは罠の手前まで来るとピタリと歩みを止め、後ろ足で立って匂いをかぎ始めた。
「気がつかれたんでしょうか」
「‥‥かな」
セラフィエルはそう言って後ろを振り返ったが、そこにいた黒妖の姿にギョッとしてたじろいだ。
いつのまに着替えたのだろう。人間大の羊がいた。そして、茂みに隠れきれずに、頭の一部が草むらの上に飛び出している。
どうやらウサギは黒妖の姿に警戒したようだ。サッと身を伏せ、後ろ足で何度も地面を蹴りつけた。見慣れぬ羊の着ぐるみが、さぞかし怖かったのだろう。興奮して、吐く鼻息も荒い。
だが、仲間に危険を知らせる為のこの行為が、彼の失策となった。詠唱を終えたセラフィエルとレインが、ウサギの影を縫い止め、呪縛したのだ。
「夜蝶さん、今です!」
「網を!」
「任せ‥‥て」
レインの声と共に、黒妖は網を打った。降りかかる縄の編み目が、小さな体を取り押さえる。
「野ウサギ‥‥ゲット‥‥。そんなに‥‥怖がらなくても‥‥殺さないから‥‥安心‥‥して」
目を見開き、鼻をひくつかせるウサギの体を、網越しに黒妖は撫でる。
むしろ、怖いのは夜蝶さんの着ぐるみの方じゃ――
そんな思いを外に出せずに、トオヤと御門は黙り込んだ。
「動かないで! 取って食いやしないから」
「出逢った頃のように、小綺麗だった旦那様に戻れば、奥様も喜んで構ってくれるわ」
髭を剃り、髪を切る。新調した服に袖を通した主は、背筋を伸ばしてイスの横に立った。
「‥‥ど、どうだ?」
髭の下から現れた若い顔立ちに、アイルと羽澄は顔を見合わせた。主は髭のあった場所をしきりと撫で回し、照れくさそうな顔をしている。
「スースーするな」
「じきに慣れるわよ。それより――結婚して十六年って聞いたけど、もしかして、早くに一緒になられたのかしら」
「俺はまだ三十四だ」
「じゃあ、奥様は――」
「同い年だが」
それにしては、やはりどこか翳りの差した年齢に見える依頼人の姿を思い出し、羽澄はぽつりと呟く。
「‥‥奥さんもセットしてあげたくなったわ」
「ええ。これだけ旦那様が若返ったところを見てしまってはね」
夫婦には子供ができなかった。
好きだった花にのめりこんでゆく妻を、夫は咎めることができなかったのだろう。
「寂しかったのよ。でも、言い出せなかったのね」
アイルの言葉に依頼人は目を潤ませた。羽澄は髪をとかす手を止め、手拭いを差し出す。依頼人は涙を拭い、窓の外を見やった。
風に揺れる花たちと、それを眺める夫と冒険者の背中がそこにあった。
「このウサギ‥‥どうする‥‥の?」
「餌付けする場所を遠くしていって、家から少しずつ離すってご主人様が言ってたよ」
「じゃあ‥‥、小屋も‥‥柵も‥‥いらないの‥‥かな」
「うん。そうみたい」
アイルと羽澄の提案で、庭には茶会の準備が整い、依頼人の手料理が並んだ。黒妖がそこに倉城からの差し入れを添えると、待ちきれなくなったように、ソウェイルの手が伸びる。
カゴの中でおとなしくしているウサギは、まもなく解放されるだろう。花壇を荒らす不届き者も、もつれた糸に絡め取られた犠牲者だったに過ぎない。
「色々とあるもんだな」
小さく呟く恋人に、レインはクスリと笑ってみせる。
「色々って、なにかな?」
その言葉が、広く男女の仲をさすものなのか、互いの関係を意味しているのかは、レインだけが知っていることなのだろう。
「そうだとしても、ちゃんと話し合えば大丈夫だよ」
そう言って、トオヤの皿に料理を取り分けて微笑んだ。
主はこの光景を羨ましげに眺めていた。依頼人もそれに気づいていたが、長い間、互いのことを気に掛けずにきてしまった為、タイミングが掴めないらしい。
みかねたセラフィエルは竪琴に手をかけ、二人に向かって笑いかけた。
「綺麗な花々は、綺麗な歌と同様に心に癒しを与えてくれます。一曲、いかがでしょうか?」
「あら、素敵ね」
「ついでに、ダンスでもどうかしら」
以外にも、主は積極的だった。羽澄やアイルが見守るそこで立ち上がり、手を差し出す。
「結婚する前に、祭で一度だけ踊ったよな‥‥」
妻は目を丸くしたまま、主の手に自分のそれを乗せた。
「花は二人の姿をいつも見ています。いがみ合う光景を見るのは、きっと悲しいことでしょう。仲良く睦まじく、お互いを尊重しあってくださいね」
花に始まり、花に終わる。男女の情とは奥が深いものである。
寄り添う二人に、御門は微笑を浮かべた。