思い出を手に

■ショートシナリオ


担当:紺野ふずき

対応レベル:1〜5lv

難易度:普通

成功報酬:1 G 35 C

参加人数:8人

サポート参加人数:-人

冒険期間:06月09日〜06月14日

リプレイ公開日:2005年06月19日

●オープニング

 年を取った『彼女』を、村の者は皆、厄介者として扱った。
 目はほとんど見えなくなり、耳も遠くなっているようだ。ただ、鼻だけは達者なようで、時々、食べ物の匂いにつられて、ふらふらと起きあがってくることがある。足はおぼつかず、毛は汚れて悪臭を放っていた。
 だから、村の子供は彼女を見ると石を投げ、大人はあからさまな不快感を露わにして、彼女を「シッ、シッ」と追い立てた。
 彼女とは、老齢の『犬』であった。名をベラと言う。
 もとはちゃんとした飼い主があったのだが、その主が数年前に神の元へ召されてからは、面倒を見るものもないままに無人の家の前で寝暮らしている。じっと扉の脇に寝そべり、時折、風の匂いを嗅ぐその姿は、帰らぬ主を待っているようにも見えた。
 ベラは随分と飼い主に愛された犬であった。
 日に三度、扉の前で毛をといて貰い、その足で散歩へ出る。飼い主の横から離れぬ忠実さに、村人は感心してベラを褒めたものだが、主を亡くすと同時に、その日課と生き甲斐を失ってしまった。
 飼い主がいなくなったばかりの頃は、そんなベラを哀れんで、家へ連れ帰ろうとする者もいた。
 だが、ベラはそれを嫌い、頑としてその場から動こうとせず、近寄るものに吠えつくようになった。
 自然と、ベラを構うものはいなくなった。それどころか疎み嫌うようになってしまったのだ。
 子犬の頃を知っている村人によれば、彼女の年は十七歳になる。
 いつ、倒れてもおかしくない齢であるどころか、最近では、いよいよもって気が触れてしまったのではないかと言う噂も立ち始めている。
 ベラが朝昼晩の決まって三度――誰もいない主の家の扉を、爪でガリガリと引っ掻いては鼻を鳴らすのだ。
 子供達も気味が悪いと、大人達に訴えるようになった。
 ギルドにやってきた村人は、ベラの処分を申し出た。
 さすがに、村の仲間であった者の飼い犬を、自分たちの手で殺すのは忍びないと言う。
 始末さえしてくれれば、証拠などは見せなくても構わない。とにかく視界から遠ざけてくれと、顔を曇らせた。
 愛されたものの末路にしては、寂しすぎる話ではないか。

●今回の参加者

 ea1706 トオヤ・サカキ(31歳・♂・ジプシー・人間・イスパニア王国)
 ea4287 ユーリアス・ウィルド(29歳・♀・ウィザード・人間・イギリス王国)
 ea4439 ラフィー・ミティック(23歳・♀・バード・シフール・ノルマン王国)
 ea8065 天霧 那流(36歳・♀・侍・人間・ジャパン)
 ea9263 レイン・カシューイン(22歳・♀・クレリック・ハーフエルフ・ノルマン王国)
 ea9589 ポーレット・モラン(30歳・♀・クレリック・シフール・イギリス王国)
 ea9776 セレン・フロレンティン(17歳・♂・バード・ハーフエルフ・フランク王国)
 eb2287 ソウェイル・オシラ(22歳・♂・ウィザード・エルフ・ロシア王国)

●リプレイ本文

●ベラ
 庭の樹の下に椅子があった。主が使っていたものだろう。往来を向いて置かれている。大きな茶色の塊は、その足下で前足に顔を乗せ寝そべっていた。
「おばーちゃーん、ベラおばーちゃーん? ボク達は、おばーちゃんを、いじめに来たんじゃないんだよー」
 何度となく繰り返される、ラフィー・ミティック(ea4439)の言葉は聞こえていないのか――それとも無視をしているのか。ベラは反応を示さない。
「テレパシーを使ってるから、言葉がわからないってことはないと思うんだけどなー」
 ラフィーの苦笑いに頷き、トオヤ・サカキ(ea1706)とレイン・カシューイン(ea9263)は、使い古したボロ切れのような老犬の胸が、ゆっくりと上下するのを見つめた。
「敵じゃない、って言って簡単に信じてくれるほど、甘くはなかったかな」
「うん。どうしたら良いんだろうね」
 三人は、ベラから五メートルほど離れた場所に、並んで腰を下ろしていた。それ以上、近寄ろうとすると、ベラが唸る。怖がらせないように、低く取った体勢もまるで効果がない。
 青息吐息の三人の横を、しかし、めげない人影が、じりじりとベラに歩み寄った。
「大丈夫、大丈夫よー。なーにんもしないから。ほーら、怖くないでしょ?」
 天霧那流(ea8065)である。
 那流はさきほどから、あの手この手と口調を変え言葉を変え、ベラとの距離を縮めようと奮闘していた。
「う〜」
 閉じていた眼を開き、ベラは那流をじろりと睨め付けた。鼻の上に深く刻み込まれた皺が、怒りの指針だ。今はまだ浅く、怒気もさほど感じられない。
 那流は、草履の先を僅かに滑らせた。ベラの皺に深みが増す。
「那流さん、頑張れー」
 見守るラフィーの眼に、ぐっと力が宿った――その時である。
「マテッ!」
 突然、響いた大声に、トオヤとレインがギクリと跳ねた。ラフィーは勢い余って前のめりになり、那流も進もうとした姿勢のままで凍り付く。
「あ‥‥。なっちゃん達が止まっちゃった」
 ベラに飛ばした声なのだが、意図したものとは違う効力を発揮してしまったようだ。
「ゴメーン☆」
 ソウェイル・オシラ(eb2287)は、ベラに向かって突きだした掌を、頭の後ろへ持っていくと、アハハと陽気に笑った。
「何事かと思ったわ」
 皆の気が緩んだのが、伝わったのだろう。ベラは寄せた皺を元に戻して、再び眼を閉じる。
「よっぽど近寄られたくないんですね‥‥。それだけ、嫌なことをされてきたのでしょうけど」
 老犬の抗拒な態度が、ユーリアス・ウィルド(ea4287)の顔を悲しげに曇らせている。
 何故、こんな風になってしまったのだろう。
 薄汚れた体から悪臭を放ち、人が近寄るだけで牙を剥く。主がいた頃は、散歩とブラッシングが大好きな犬だったと、生前、主と仲の良かった村人から聞いた。
 ポーレット・モラン(ea9589)の怒りは、そんなベラに手をこまねいている村人ではなく、自分が果てたあと、ベラの行く末を案じなかった飼い主に向いた。
「最後まで面倒を見てあげられないなら、飼っちゃ駄目よね〜。親族の方はいないって聞いたけどぉ〜、それなら別の誰かに、ベラちゃんのコトをお願いする余裕はなかったのかしらぁ〜」
「そうですよね。気にかけてくれる人がいれば、ここまでひどくはならなかったのに‥‥。愛されて生きてきて、今は疎まれているだなんて‥‥」
 ユーリアスの言葉の一部に、セレン・フロレンティン(ea9776)が反応した。
 疎まれるとはどういうことなのかを、セレンは知っている。
 向けられる眼差し、吐きかけられる言葉、そこに伴う嫌忌な態度。どれもハーフエルフにとっては、容易に想像できることだ。
 僅かに伏せた目で、自らの『血』と、ベラの受けた仕打ちを思う。
「どんな目に遭おうと、ここに居続けたいと思う理由が知りたいですよね」
 セレンの言葉は重い。
「ええ。絶対に諦めないわよ。最初からこうだったのならともかく、そうじゃないんだもの。少しでも、名誉を挽回しないと」
 那流はそう言って、再戦の構えを見せた。気負い込むと、ベラの鼻がピクリと動く。
 これではいつまで立っても堂々巡りだ。
「やっぱり使った方が良いかなー」
 ラフィーは観念したように嘆息をし、呪を唱えた。最後の手段だと考えていた、魅了の力に頼るしかないようだ。
「ベラおばーちゃん、ボク達は敵じゃないよー? だから、今度は答えてくれる?」
 期待と不安が交錯する。
 ベラは僅かに薄目をあけ、チラリとラフィーを見た。以前のように唸ろうとはしない。ユラユラと地面を撫でるようにして、尻尾さえ振っている。
 皆、ホッと安堵した。
「どうしてこの家から離れないの?」
「叶えたい望みがあるなら、教えてくれませんか? 俺たちが手伝います」
 セレンも便乗して、ベラに問いかける。
 長い沈黙があった。
 ベラは二人の顔を穴が開くほど見つめていたが、やがてポツリと言った。
『アルジ、アイタイ。ブラシ、ホシイ』

●戦闘開始
 鍵は戸枠の上に隠してあると、主の友人から聞いた。手を伸ばした那流はまもなく、細長い金属を発見する。
 開け放たれた扉を一番に潜ったのは、ベラだ。彼女は脇目も振らず居間を突っ切り、奥にあった扉を引っ掻いた。
「寝室みたいだけど、入れても良いのかな」
 ソウェイルはベラを見下ろして言った。
 僅かに戸を開けると、ベラはサッとその隙間に身を滑り込ませた。真っ直ぐにベッドを目指し、傍らにあった小さなテーブルの上から、なにかをくわえて戻ってくる。
「まずは一つ、ですね」
 セレンは微笑して、ベラの口元から飛び出しているものを見下ろした。使い古されたブラシだった。
「使ってみようか」
 トオヤが言って、ベラの前に片膝をついた。そろそろとブラシに手をかける。ベラは噛む力を緩め、トオヤにそれを譲った。
「良かった。素直に渡してくれたね」
 レインは小腰を屈めて、トオヤの手元を見つめる。
「あれ‥‥」
 ベラの体は、毛と毛がもつれ絡みつき、その上、べたついている。ブラシは、さした場所から動こうとしなかった。
 あまりの汚さに、トオヤは苦笑する。
「先に体を洗った方が良さそうね〜」
 ポーレットは家の中をぐるりと見渡した。
 天涯孤独だったと言う主の家は、亡くなった時のまま、手がつけられることもなく保存されている。
 見つけてきた木桶を庭に設置すると、ソウェイルとラフィーは早速、ベラの沐浴に取りかかることにした。
「うわぁ、ノミがいっぱいだなぁ」
「ちゃんと水につけて、溺死させないとね☆」
 だが、ベラの全身をつけられるほど、木桶は深くも大きくもない。中央に座っていたベラは、尻だけを湯につけているのが気持ち悪かったのだろう。濡れそぼった体を、思い切りブルブルと震い払い、二人に水の礫を飛ばした。
「わぁー! ベラ、止めて! ノミがー!」
「潰さないと駄目みたいだね☆」
「もう、遅いよー。かゆーい! 皆も見てないで手伝ってよー」
 窓の外の喧噪に、那流とポーレット、それにセレンは手を振った。三人は部屋の掃除に着手していたが、片づければ片づけるほど、散らかってゆくような不安を感じていた。
「ごめん‥‥、手伝えないわ」
「掃除の得意なひとって、誰だったかしら〜」
「レインさんじゃないでしょうか」
 ホウキで掻き出す那流の傍らで、セレンは雑巾がけをしていたが、頭上からポーレットの落とした埃がボロボロと落ちてくる。
「きゃー!」
 キッチンから、ユーリアスの悲鳴があがった。
「焦げましたー」
 黒い煙が、もうもうと部屋に流れてきた。

●居場所探し
「ここなら平気かな」
「雨風はしのげそうだけど‥‥。気に入ってくれると良いね」
 レインはトオヤと共に、村はずれの森を訪れていた。
 巨木の根元に虚を見つけたが、一時的な仮住まいにしかならないだろう。その先は、ベラの意志に任せるしかない。
「クレリックの私が言うことじゃないと思うけど‥‥」
 レインが小さな声で呟く。
「神様がいるなら、なんで何もしてくれないのかなって思うことが、たくさんある‥‥」
 トオヤの手が、そっとレインの背に触れた。

 代わる代わる、皆でブラッシングをした。
 丁寧に時間をかけて、毛に艶を出した。
 輪になって食事を取り、食後は雑談を交わした。
 時々、ベラと言う言葉に反応して、彼女は寝そべったまま尻尾を振った。
 それが、魔法の効果かなのかどうかは、誰にもわからなかった。

●夜明け
 鎧戸の隙間から光が零れている。どうやら夜を越えたらしい。
 物音で目を覚ましたユーリアスは、窓を僅かに開け、迎え入れた青白い朝陽を便りに部屋の中を見渡した。ベッドの傍らに寝そべっていたはずのベラがいない。
 壁にもたれていたトオヤも気づいたようだ。眠気を払おうと、緩慢な動作で首を振った。
「皆さんを起こした方が良いでしょうか」
「あー‥‥、うん。そうしよう」
 起きて間もない行動にトオヤは弱い。レインを揺り起こす手も、名を呼ぶ声も眠たげだ。
 音に敏感なセレンの方が先に立ち上がり、カリカリとなにかを引っ掻くような微音に耳を澄ました。
「玄関から聞こえてきますね」
「みんな〜、起きて〜」
 ポーレットもユーリアスを手伝い、飛び回って皆を起こしてゆく。
 ベラはセレンの言う通り、玄関でしゃがみ込んでいた。口にブラシをくわえ、前足で戸を掻いている。
「待って〜。今、開けてあげるよ〜」
 ラフィーが扉を開けると、まだ早い朝の空気が、部屋の中に流れ込んできた。
 ベラはその匂いを一嗅ぎし、立ち上がった。
 ヨロリとよろけて倒れそうになる体を、咄嗟に出たセレンの手が支える。目に見えるほど、後ろ足が震えていた。腰に力が入らないようだ。
「ベラ‥‥」
 老いた目が見つめているのは、庭の椅子だ。
 ベラはセレンの手を逃れて、フラフラと歩き出した。近寄りがたい雰囲気を、トオヤとレインは感じ取った。
「邪魔しない方が良いのかな‥‥」
「‥‥うん」
 何度も倒れそうになりながら、ベラは目的の場所へ辿り着いた。口にくわえていたブラシを、ポトリと落とす。椅子の足に体を預けるようにして、ベラは座り込んだ。
 ずっと項垂れていた鼻を上げ、空を見る。なにが見えているのだろうか。
「‥‥ベラさん、死んじゃうの?」
 ソウェイルが心配そうな声で言った。
 それが神聖な儀式のように思えて、皆、近寄ることができなかった。ポーレットは無意識に十字を切る。
 ベラはその場に横たわると、小さくただ一度だけ、鼻を鳴らした。
 それが、『最後』だった。
「『ありがとう』って言ったよ‥‥」
 ラフィーの声は震えている。
 同じ言葉を聞き取ったセレンの瞳も、哀しげに曇った。
「動かすわけにはいかないわね。こんなに幸せそうな顔をされると‥‥」
「‥‥うん」
 那流の見下ろす先で、レインの指先がそっとベラの額を撫でた。
「良く、頑張ったね。独りになってからの時間は、それまで生きてきたより、ずっと長かったよね‥‥」
「お疲れさま‥‥」
 手を合わせるレインの横に腰を下ろし、トオヤも静かに黙祷する。
 綺麗な毛並みも、お気に入りのブラシも、ずっとベラが望んでいたものだったのだろう。彼女はなんの憂いもなく、思い出を手に主の元へ旅立ったのだ。
「これで、ご主人とずっと一緒にいられますね‥‥」
 届かない耳に、ユーリアスは語りかける。
 鼻先をブラシに乗せ、目を閉じたその顔は、とても安らかだった。

●本望
「ベラちゃんは、天命を終えて白の母様の御許に向かったわ〜」 
 ギルドへやってきた村人が、ポーレットの言葉を聞き、どこかホッとしたように胸を撫で下ろした。
「皆が、ベラの為にあちこち走り回るのを見て、皆で言ってたんだよ。殺さないで居てくれると良いねって。おかしなもんだろう? 始末してくれって頼んだのにさ」
 後ろめたそうに語る背後で、村人たちが頷いた。

 木漏れ日の落ちる椅子がある。
 その足下が、ベラのお気に入りの場所であり、永逝地だ。