宝物は猫

■ショートシナリオ


担当:紺野ふずき

対応レベル:1〜5lv

難易度:やや易

成功報酬:1 G 48 C

参加人数:8人

サポート参加人数:8人

冒険期間:08月29日〜09月04日

リプレイ公開日:2005年09月13日

●オープニング

 奥様がこの屋敷に嫁いできたのは、六年前のことである。
 気の優しくにこやかな彼女を、使用人達は直ぐに気に入った。それまで、少し気むずかし屋の主と顔を付き合わせてきた使用人達にとって、良く笑う彼女は花のような存在であった。その場にいるだけで、心が和むのだ。彼女を妻に選んだ主の株が、実にひっそりと上がったほどだ。
 ところが三年もすると、その笑顔に翳りが見え始めた。子供ができなかったのである。主は落胆しながらも、彼女を責めなかった。それが、余計に辛かったのだろう。旦那様に申し訳がないと言ってはため息をつき、世間の目が怖いと言っては外出の機会を減らして、自室にこもることが多くなった。
 そんな妻に、主は二匹の仔猫を贈った。彼女はとても喜び、その日から子供にかけるべき愛情を猫に注ぐようになった。笑顔が咲き、屋敷にも明るさが戻った。使用人達の間で、株がまたしてもひっそりと上昇したことを、主は知らない。
 三年の間、屋敷はこれと言った大事にも巻き込まれず、朴訥だが誠実な主と、柔和な妻と、子供代わりの二匹の猫と、それらを見まもる真面目な使用人達に支えられ、ゆったりとした時間を過ごしてきた。
 ところが、その平和を掻き乱すような嵐が、なんの前触れもなく、突然、使用人達を襲ったのである。
『留守の間、この子達をお願いね。手を焼くようだったら、頼りになりそうな誰かを呼んでも構わないから』
 遠方で暮らす妻の妹が結婚することになり、夫婦は二匹の猫を置いて外出した。
 たった数日だ。それまでだって世話をしてきたのだから造作ないだろうと、たかをくくったのが悪かった。使用人達の悲劇は、夫婦がいなくなった初日からスタートした。
「大変だ! フレッドとアレックスが庭にいるぞ!」
 使用人は眩暈を感じた。
 開け放たれた扉の向こうで、猫達がのんきに花の匂いを嗅いでいる。二匹はさも愉快そうに、生い茂る草花のアーチをかいくぐっては、探索を楽しんでいた。「ひいぃ」と言う使用人達の口から漏れた悲鳴など、微塵にも聞こえない。さんさんと照りつける太陽の下、白く長い毛を揺らす様子は無邪気そのものであった。
 誰も望まぬ闘いが始まった。
 五人の使用人と二匹の猫は、それから随分と長い時間、炎天下の庭を駆けずり回った。これが、雨上がりでなかったら、使用人達はまだ救われただろう。だが、不幸とは重なるものだ。庭には、昨日降った雨のせいで、空色の水鏡が無数にできていたのだ。
 やっとの思いで二匹を屋敷に連れ戻した時、ご自慢の白い毛並みは、その片鱗さえ窺えないほど泥にまみれていた。真っ青な瞳がなければ、奥様の猫だとはよもや気づくまい。町の野良猫だって、ここまで汚くはないはずだ。
 使用人達は泥を落とすため、タライに湯を張った。一筋縄でいかないのはわかっている。逃走と、泥水を撒き散らしても良いように、自分たちの部屋を使うことにした。
「ほら、直ぐに綺麗にしてやるからな」
 湯から殺気でも出ているのだろうか。
 それとも、使用人の体から、嫌なオーラでも滲んでいるのだろうか。
 フレッドの目がすわった。身をひねって、全部の爪を使用人の肩に突き立て、全力で人型の山をよじ登り始めた。
「アイテテテテ! こ、コラ、フレッド! じっとしてろ!」
 抱き直しても抱き直しても、フレッドはそれをかいくぐった。首筋にできた引っ掻き傷から血が滲んでも、気に掛けている暇はない。使用人も必死である。
「なにも殺そうってんじゃない! 綺麗にしてやろうと、アッ!」
 スルリと胴体が抜けた。耳元を飛び越えてゆく真っ黒な体を捉えるため、使用人は咄嗟に腕を伸ばした。かろうじて尻尾の先を握りしめたが、直ぐに抜けてしまった。
 フレッドは死に物狂いだった。
 ゴワゴワになった背中の毛を逆立て、部屋を一気に突っ切ると、ベッドの下に駆け込んだ。
「フレディ?」
 覗き込んだ使用人が、鼻の頭を引っかかれた。
「アニャアアアアアアアアアア!」
 アレックスの騒ぎも相当なものだった。
 タライに張った湯が、彼には死に神にでも見えるのだろうか。ちょっとでも湯が足に触れようものなら、アレックスは声の限りに絶叫した。
 図らずも使用人達は、猫の力強さを思い知った。たかが猫である。なのに、二人がかりでも、その体をタライの中に浸すことができないのだ。
「アレク! お前は普段、あんなに大人しい良い子じゃないか!」
 アレックスの耳が反転した。聞く耳持たずと言わんばかりである。
 突っ張った足をたらいの淵にかけ、ブルブルと震えながら彼は激しく抵抗した。前足は後ろ足の硬直を受け、万歳をしている。爪の一つ一つまで開ききった手が、力の入り加減を物語っていた。絶対に水には浸からないと言う、すさまじいアピールであった。
 使用人は苦労をしてタライにかかった足を外し、湯の中に力尽くで持っていった。もう一人の使用人が後ろから抱き抱えている間に、両足だけはかろうじて洗ったものの、突っ張った体を寝かすことも座らせることもできずに、噛み付かれて手を引いてしまった。
 アレックスの反撃が始まった。前足で使用人の腕を抱え込み、両足で連撃を繰り出す。
「アデデデデ!」
 使用人はたまらずに腕を振り、アレックスを放り投げた。自由を得た黒い塊が向かったのは、フレッドとは別のベッドの下だった。
 半日にも及んだ騒動に終止符を打ったのは、心配して様子を見にやってきた料理番である。彼が僅かに開いた扉から、主役達は逃走した。足下を擦り抜け、屋敷へ逃げ帰ってゆく猫の後ろ姿と、汗まみれな使用人達の燃え尽きた様子を見比べるや、料理番はそっと扉を閉めた。
「駄目だわ‥‥。このままじゃ、それぞれの仕事がおざなりになってしまう。応援を呼びましょう。奥様達がお戻りになるまでに、あの子達を元の姿に戻せるような方達を」
 料理番への非難が胸中を満たす。それを隠して、使用人達は部屋の後かたづけに取りかかった。

●今回の参加者

 ea9013 セラフィエル・オーソクレース(22歳・♀・バード・エルフ・イギリス王国)
 ea9589 ポーレット・モラン(30歳・♀・クレリック・シフール・イギリス王国)
 eb1118 キルト・マーガッヅ(22歳・♀・ウィザード・エルフ・ノルマン王国)
 eb2287 ソウェイル・オシラ(22歳・♂・ウィザード・エルフ・ロシア王国)
 eb2347 アステリア・オルテュクス(21歳・♀・ウィザード・ハーフエルフ・イギリス王国)
 eb2934 アルセイド・レイブライト(26歳・♂・神聖騎士・エルフ・イギリス王国)
 eb3310 藤村 凪(38歳・♀・志士・人間・ジャパン)
 eb3433 セアラ・マリーデール(20歳・♀・レンジャー・人間・フランク王国)

●サポート参加者

倉城 響(ea1466)/ 神楽 香(ea8104)/ アイル・ベルハルン(ea9012)/ セレン・ウィン(ea9476)/ ミハイル・プーチン(ea9557)/ 荻野 響(ea9710)/ イリーナ・リピンスキー(ea9740)/ 所所楽 柊(eb2919

●リプレイ本文

●顔合わせ
『イヤーッ、こっちへこないでぇーっ!』
『ソファーの下だ!』
 遠い喧噪が聞こえてくる。
 客人を出迎える余裕もないような一大事が、屋敷のどこかで起こっているらしい。一行がホールに足を踏み入れても、使用人がやってくる気配はなかった。
「なにがあったのでしょう‥‥」
 セラフィエル・オーソクレース(ea9013)は、絨毯敷きの階段を見上げた。最上段から一つおりた所に、薄汚れた猫がうずくまっている。全身は乾いた泥に覆われているが、何故か、目の周辺と背中の一部が白かった。
 ゴワゴワでバリバリ――
 そんな言葉が、ソウェイル・オシラ(eb2287)の脳裏を駆け抜ける。
「階段が好きなのは、確か、アレックスだったよね?」
「ええ、そうおっしゃっていましたが‥‥」
 名を呼ばれたのが聞こえたのだろうか。『彼』は薄目を開けて二人を見下ろし、消え入りそうなか細さで一声鳴いた。
「ここにいるのは、アレクだけなのかしらぁ〜?」
 姿の見えないもう一方を探して、ポーレット・モラン(ea9589)が周囲を見渡す。その間も喧噪は絶えない。
「悪戯をして、皆に追いかけられてるってことは?」
 アステリア・オルテュクス(eb2347)が言った。十分にあり得ることだ。
 だが、『彼』は一行が屋敷に足を踏み入れてから、ずっと様子を窺っていたようだ。キルト・マーガッヅ(eb1118)が、それに気づいた。
「階段脇の壺を見てくださいませ。台座の足下にいますわ」
 小さな顔を一目見た瞬間、みなはハッと息を飲んだ。
 フレッドには『とさか』があったのだ。バリバリに固まった額の毛が、そう見えただけなのだが。
 そして彼も、目の周りだけが白かった。
「二匹揃って同じ場所が白いなんて、不思議ですね」
 アルセイド・レイブライト(eb2934)が、腰を落として声をかける。だが、動く様子を見せないフレッドに、藤村凪(eb3310)は苦笑した。
「うーん。いくら人懐こい言うても、ウチら赤の他人やし‥‥。やっぱり警戒されてるんやろか。風を連れてこなくて良かったわー」
 依頼人は同行することを快く承諾してくれたが、凪は愛猫を倉城響に預けてきた。二匹が、自分たち以外の猫を知らないと聞いたからだ。万が一にも騒動が広がってはならないとの、凪の配慮であった。
「その割には、目が活き活きとしていませんか?」
 フレッドの顔が僅かだが、小刻みに揺れている。目は満月のようにまん丸だ。
 セアラ・マリーデール(eb3433)は、彼の視線を辿った。
 宙を舞う美しい羽――
 仲間の頭上を行き交う軽快な聖女の姿は、彼の目にどう映ったのだろう。
「なんとなく、わかった気がします」
「うん。‥‥えっと、獲物?」
 ソウェイルが言った。
 皆の注目を一身に浴び、ポーレットは自らを指さす。
「もしかして、アタシちゃん、狙われてるぅ〜?」
 フレッドの揺れが大きくなった。それがなにを意味するのか、ポーレットにはわかる。壺の影で、彼はお尻を振っているのだ。
「しばらくすれば、慣れると思うんやけど」
 凪の言葉に頷きつつ、ポーレットはソウェイルの肩に避難する。その瞬間、フレッドが台座の影から飛び出した。もうもうと白い煙を体から撒き散らし、華麗な跳躍をみせる。
「なんの煙ですか?」
 冷静な問いかけが、アルセイドから発せられた。皆の心中も同じであった。
 しかし、誰かが言葉を接ぐ前に、どこからか走ってきた使用人が、階段の手すりにぶつかるようにしがみつき、屋敷中に響き渡るような大声で張り上げた。
「フレッドォオ! 二度と暖炉の中で、トカゲなんて見つけてくるんじゃなぁい!」
 灰だらけの猫もさることながら、階段で寝ていた猫も驚いたようだ。背中の毛を逆立てて転げるようにホールを横切り、一階の通路へと一目散に逃げ込んだ。
 彼らは遠く退避して落ち着いたのか、廊下の真ん中で揃って顔を洗い始めた。
 丹念に手をなめては、目をこする。
「それで、そこだけ白いのですね‥‥」
 セラフィエルが言った。

●たかが猫、されど猫
 フレッドがトカゲを持ち込んだのは、夫婦の寝室だったと、使用人はげっそりとした口調で語った。しかも、丁寧に枕元に添えたそうだ。
「猫は獲った獲物を、飼い主に見せることがあるそうですから」
 湯を小さな木桶から大ダライに移し替えるのを手伝いながら、セラフィエルは微笑する。
「もしかしたら、外出した奥様が恋しいのかもしれませんね」
「そうかもしれません。お世話は全て奥様がなさっておりますし、その愛情が二匹にも伝わっているんでしょう」
 前回は『離れ』で行ったが、今回は屋敷内にある使用人たちの休憩室を使用することになった。食事をとるためのテーブルと四脚のイスは外に追い出され、窓が一つあるだけの殺風景な場所となっている。
 暴れさせずに入浴させる方法を模索していたセラフィエルは、考えていた疑問を使用人に尋ねた。
「いつも、こんなに大がかりになるのでしょうか?」
「いえ。奥様がなさいますが、それは手慣れたものですよ。こんな風になるなんてことは、絶対にありませんし、あの子らもおとなしいものです」
 使用人は、顎に出来た引っ掻き傷を指さす。
 猫たちが落ち着かないのは、飼い主不在に対するフラストレーションの現れではないだろうか。
「奥様が早くお戻りになると良いですね」
 苦笑するセラフィエルに、使用人は「まったくです」と言って、肩をすくめた。

●戦いはソファーの上で
「あちらが、フレッドさんでいらっしゃいますのね」
 ポッ。
 ソファーの上でのってりと寝そべる猫に、キルトの頬が紅くなった。
 ソウェイルは無言で、見つめ合う猫と人とを見比べる。
 そして、次の瞬間、衝撃の言葉がソウェイルの脳裏を駆け抜けた。
 まさか、フォーリンラブ!
「フーちゃんが好きなの? キルトさん」
「ええ。あの好戦的なところが――」
 ソウェイルの予想に反せず、キルトははにかんだ微笑を浮かべた。胸に住む憧れの人が、そんな性格であったのだ。
 しかし、裏事情を全く知らないソウェイルは、真っ直ぐに激しい誤解をしたようだ。
「そうなんだねッ!」
「そうなのですわ」
 二人はそれぞれの思いをそれぞれに満たし、満足そうに頷く。
「さぁ、猫さんとお風呂――じゃなくて、猫さん『を』お風呂に入れて差し上げましょう」
「うん♪ 前掛けもしたし、髪も一つに束ねたし。準備はオッケーだよ」
 ソウェイルは腕まくりをし、戦闘態勢に入った。ポーレットから貰った髪飾りが良く似合っている。キルトも、終わったあとのモフモフの毛を抱き締めようと、目を輝かせた。
「ポーちゃんはどう?」
「もちろん、オッケーよ〜」
 振り返ったソウェイルの前を、ポーレットがスーッと通り過ぎた。腰に紐をさげている。そこにくくりつけられた物体が、ゴロンゴロンと床の上で跳ねた。
 この、ゴロンゴロンの正体は、イリーナ・リピンスキーが布で作った『ネズミ』であった。鶏肉やキャットニップの匂いをつけた、猫用の玩具だ。
 耳を寝かせて、皆を無視していたフレッドは、ポーレットの移動に合わせて転げまわる、ゴロンゴロンが非常に気になるらしい。もちろん、見慣れぬ浮遊人にも惹かれているようだが。
「ポーレットさん、そのまま休憩室へ向かってください。私たちが補佐しますわ」
「わかったわ〜」
 ひそりと呟くキルトの声に頷き、ポーレットは扉の外へ流れ出た。フレッドもトッとソファーから降り立ち、身を低くしてその後をつける。そして、部屋の戸口まで来た彼は、二人にお尻を向けた状態で立ち止まった。ポーレットを、ドア越しに観察しているようだ。
 二人は辛抱強く、再び、フレッドが歩き出すのを見守った。だが、彼は追尾するどころか、フイと顔をそらして踵を返し、またソファーに戻ってきてしまったのである。
「イヤな予感がするのかな?」
「そうかもしれませんわね。次の作戦に移りますわ」
 キルトは鶏肉を取り出した。フレッドの大好物である。
「フレッドさん、おやつですよ」
 手の平に乗せてアピールするキルトを、フレッドは冷ややかな目で見つめた。
「ほら、フレッドさん。これ、お好きでございましょう?」
「キャットニップはどうかなぁ」
 ソウェイルはキルトと並んで、手にした葉で床を撫でた。しばらく続けていると、フレッドの目つきが変わってきた。
 キルトが鶏肉を優しく放ると、フレッドは音も立てずにソファーをおり、旨そうにそれを食べた。
 肉を飲み下した彼の目が、爛々と輝いている。
 大きな瞳がソウェイルの手元を見た。お尻がモゾモゾと数度、動く。鋭い爪を剥き、フレッドが獲物に襲いかかった。
「イタタターッ!」
 彼はキャットニップを奪おうと、ソウェイルの手を抱え込んで噛み付き、キックを応酬した。ポロリと葉が落ちる。フレッドはソウェイルの手を離れ、今度はそれに食らいついた。
 葉にもキックを見舞う。ボロボロに千切れ、細かくなったその上に、フレッドは背中から倒れ込んだ。体をこすりつけながら、後ろ足で床を蹴り、ズリズリと離れてゆく。
「猫って変だよね?」
 ソウェイルは、引っかかれた手に息を吹きかけた。キャットニップは、フレッドにかなりの効果をもたらしたようだ。
「でも、可愛いですわ」
 床の上でとろけたように伸びている彼を抱き上げ、キルトは微笑した。

●階段での戦い
「良いですか? アーリー。今日は遊びに来たのではありませんよ。仕事なんです」
 アルセイドのやんわりとしたお説教が始まった。本当は遊び倒す気でいたのだが、幼馴染みの一言には弱い。
「わかってるわ。大丈夫よ」
 アステリアは、上目遣いにアルセイドの顔を見つめて頷く。
 そんな二人をよそに、あと二段と言うところまでアレックスに近づいた凪は、真っ青な目と対峙していた。
「うー、かわいーなー。でも、触るんも抱くんも我慢や」
 感動を抑えつける凪の横で、セアラはアレックスに話しかける。
「それにしても、ねこさんは本当に汚いですね」
 アレックスは返事をするように、一声鳴いた。セアラが恐る恐る額に触れると、ゴロゴロと僅かに喉を鳴らす。
 行ける――
 そう判断した凪は、持参した玩具を取り出した。
「遊ぼー、アレックス」
 棒の先についた布きれを左右に揺らす。
「ほら、ねこさん、楽しいですよ」
 ゆっくりと往復するヒラヒラを、アレックスは目で追った。
「少しずつさがろか」
「そうですね」
 従順なアレックスは布きれが下るのに合わせ、後をしっかり付いてきた。
 だが、猫は飽きっぽい生き物だ。
 じゃれさせながら廊下を半分ほど来たところで、興味を失ったようだ。ドッシリと座り込み動かなくなってしまった。
「これを試してみましょうか」
「毛糸玉?」
 アステリアはアルセイドに言われるがままに、それを転がした。毛糸玉はアレックスの傍らを通り過ぎ、通路の奥へと転がってゆく。アレックスの口が小刻みに震えた。
「アニャニャニャニャニャ」
 か細い声であった。
 アレックスはお尻を揺らすと、突然、毛糸玉に向かって突進した。ガバァと抱きつき、後ろ足で蹴りつける。毛糸玉が両腕からこぼれて転がるのを追いかけ、また、抱きついた。
 アルセイドがさりげなく玉を拾い上げ、休憩室に転がしてやると、アレックスはなんの疑いもなく飛び込んでいった。
「今や!」
 凪がすかさず扉を閉めた。
 置かれたタライに殺気を感じたのだろう。アレックスは扉を掻き、出してくれと言いたげに鳴き立てる。
「もう逃げられないから、諦めて一緒に入ろう?」
 アステリアは彼の前にしゃがみこむと、自分の服に手をかけた。
「いけません! 若いお嬢さんがそんなこと!」
 面食らった使用人が、慌ててアステリアに駆け寄る。アレックスはこの勢いに驚いて飛び跳ね、窓の下へと駆け込んだ。全身の毛が逆立っている。
「ねこさん、おちついてください」
 人語で話すセアラの説得は、アレックスに届かない。凪は苦戦を予感した。
 と、その時である。
「あ、こっちも始まってるわね〜」
 扉を開けて、ポーレットたちが入ってきた。フレッドがキルトに抱きかかえられ、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
「随分とご機嫌ですね」
 首を傾げるセアラに、ソウェイルはニッコリと笑って、数枚の葉を差し出した。
「キャットニップを使ったんだよ♪」
「アレックスにも効くでしょうか」
 アルセイドは、ソウェイルから受け取った葉を床の上に置いた。まもなくして、アレックスがそろそろと近寄ってくる。
「便利なもんがあるんやなー」
 彼は凪に目もくれず、幸せそうな顔でグルルと鳴いた。二倍にふくれあがった尻尾も、いつもの太さに戻っていた。

●優しさとは
 猫たちが正体を失っている間に、作業は無事、終了した。
「三歳って言ったら立派な『オトコ』よ〜。家に閉じこめっぱなしじゃ可哀相よね〜。もっと自由にさせてあげるか、お嫁さんをお世話してあげても良いんじゃなぁい〜?」
 後片付けをしながら、ポーレットはもっともな言葉をこぼす。しかし、使用人たちは揃って浮かない顔となった。
「旦那さまが二匹をオスにしたのには、理由があるのです。一匹では可哀相だけれど、子供ができてしまうのは困る。奥様は心の優しい方ですから、それはそれでお喜びになるでしょう。でも、猫とご自身を比べて、また胸を痛められるようでは‥‥」
「どちらも立てることは無理と言うわけなのねぇ」
 猫を思えば不憫でならないが、妻を愛する夫の気持ちも良くわかる。聖女は母の愛が届くようにと、胸の十字を握りしめた。
「そうだわ〜。ご夫婦の寝室を掃除する予定なんてないかしら〜」
 それまでの話とは接点のないポーレットの言葉に、使用人は首をひねる。
「日に一度は行いますが‥‥」
「アタシちゃんもご一緒しちゃまずいかしら〜? お子が授かるよう、寝台に祈願をさせて貰いたいのよねぇ〜」
「それは素晴らしい! 加護を受けた寝台! あぁ、加護を受けた寝台なら、きっと!」
 使用人たちは頷きあって喜んだ。
 その日から、夫婦の寝台が『加護を受けた聖なる寝台』と言う意味深な呼称に変わったが、ポーレットのせいではないはずだ。

●奥様不在
 冒険者も使用人も、汚れた猫を白くするために、一生懸命頑張った。おかげで、フレッドとアレックスは、綺麗で変なベージュのような灰色に戻ったのだ。
「って、なんでまた、そんな色してんのや!」
 凪は、足下に擦り寄ってきたフレッドを見下ろした。体をこすりつけられた部分に、白い粉がついている。アレックスを撫でていたセラフィエルとキルトの手も、真っ白になった。
「アーッ! 麦粉をひっくり返したのは誰だあぁ!」
 調理場から絶叫が届く。みな、唖然とした面もちで二匹を見つめた。
 驚いた彼らは脇目も振らずに階段を駆け上がり、敷き詰められた絨毯に白い足跡を残した。
 振り出しに戻る。